アメリカのミリオンセラー書籍の紹介 - J.D. Vance,“Hillbilly Elegy” -

 現在、アメリカで文字通りミリオンセラーとなっている本がある。J.D. Vanceの“Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis”(William Collins,2016,p.257)である。出版から2か月でThe New York Timesのベストセラーリストのトップに登場するという爆発的な売れ行きで、すでに紙媒体だけで100万部を超えている。日本アマゾンでは1,455円で販売され、日本語版『ヒルビリー・エレジー』も今年の3月に出版されている(光文社、1,944円)。

 筆者は、たまたまアメリカ滞在中の9月2日、ワシントンD.C.で開催された全米ブックフェスティバルで著者が登場する場面をテレビ中継で見た。招待された110名ほどの作家のうち、メインステージに登壇する機会を与えられた7名の一人であった。一時間に及ぶインタビューで、彼には連邦議会さらには次期大統領選挙に出馬を期待する声があること、著書の映画化の動きがあることなども紹介されていた。本人はいずれにも否定的であったが、バンス氏の本は、ベストセラーとして話題となっているだけでなく、一種の文化現象ともなっているのである。

 ではバンス氏とはどんな人物なのか。題名の “Hillbilly”という単語自体が日本人には馴染みのない言葉である。Hillはアパラチア山脈の山間部を指す。Billy(Bill)は男の子の名前として一般的だから、「山家育ちの男の子」ということだろう。またBilly clubで(警官の)棍棒という意味があるなど、細かなニュアンスは分からないが、文化的洗練とは縁遠く、教育に欠けて粗暴で貧困、などがイメージされるのだろう。彼の数代前の祖先はアイルランドからの移民で、アパラチア地方に定住している。

 彼の祖父母たちはケンタッキーの小さな街で生まれ育ち、1940年代に隣接するオハイオ州に移動する。ケンタッキーには炭鉱産業があったが生活は厳しく、第二次世界大戦で急速に発展していた製鉄企業に仕事を求めて移動したのである。1950年代には毎年ケンタッキーの人口の13%が他州に流出したという。ただし80年代には製鉄業も斜陽化するのだが。祖父母の長女である彼の母親から1984年に産まれたのが著者である。本書出版時には31歳ということになる。

 さて彼の生育環境はあまり恵まれたものでなかったことは想像されるが、実際は想像を絶するものがある。彼には6人の父親がいる。母親は18歳で妊娠し、彼の姉が産まれている。バンス氏は母親の2番目の夫との間の子どもである。その結婚も短期間で破綻しているので、彼が物心ついたころには3番目の父親だったことになる。著者に言わせれば、「回転ドアを出入りするように」、父親が変わったという。
 関係が悪くなるたびに両親は、家の内で罵り合うだけでなく、互いに食器などを投げ合う激しい喧嘩を繰り返すようになり、小さな子どもだった著者には家の中で落ち着ける場所がなかった。母親は結婚生活が破綻する度に、アルコールや薬物に走り、ある時は、車に同乗していた著者が重大事故に巻き込まれて命を落としそうになる。母親は薬物乱用治療のために、しばしばリハビリ施設に収容されている。

 劣悪な環境は家庭だけではない。彼の通った公立学校はオハイオ州でもっともレベルの低いものだった。少なからぬ生徒の家庭は、著者と同様の崩壊状態である。生活保護を受けている家庭も少なくない。アメリカでは多くの場合、生活保護には現金でなく「フードスタンプ(食料品購入券)」が渡される。もちろん酒類の購入には当てられない。しかし多くの受給者は、スーパーマーケットで多くの清涼飲料を購入し、それを下取り業者に売って、得た現金で酒類を購入していたという。
 高校の中退率は20%に及び、多くの女子生徒は妊娠して学校を去る。中学時代の彼は不登校気味、高校1年の平均成績は2.1だった。アメリカの高校では4段階評価だから、日本で言えば、5段階評価の2.5程度だろうか。つまり2と3の科目が大半ということだ。

 ここまで紹介した10代までの著者に、その後どのような人生が待ち構えていると想像できるだろうか。常習的失業者?でも、そのような生活では読者を惹きつけるような話題も文章も提供できないだろう。あるいは犯罪者?詐欺など知的に優れた犯罪者ならば、魅力的な本を執筆するのは可能だろう。犯罪者から立ち直って事業に成功した、というストーリーならば読者をいっそう惹きつけることもできるだろう。

 現実の彼はその後、アメリカでトップ3のイエール大学のロースクールを出て、アメリカ有数の法律事務所に就職し、現在はオハイオ州に戻って弁護士として仕事をしている。日本に当てはめれば、最底辺の高校のなかの落ちこぼれから、もっとも入学の難しい有力大学に進学して弁護士資格を取得した、ということになろうか。

 では、彼はどのようにそのようなキャリアを開いていったのか。いわゆる「地頭」が良かったことは間違いないだろう。陰に陽に祖母が、彼の不安定な生活を支え、学ぶことを応援し続けたのも大きい。また高校2、3年生の時に、優れた教員との出会いがあって、学ぶ意欲が刺激されたのも大きく、進学適性検査(SAT)で良好な成績をとるようになる。
 彼は高校を卒業すると海兵隊に志願してイラクへの派遣も含めて4年間を務める。除隊後、GIビル(兵役を務めた者に対する奨学金)などを利用して、オハイオ州立大学に入学して2年間で修了する。日本ではありえないが、夏や冬の集中講義を履修し、さらに海兵隊時代の教育歴も単位に加算されて4年間かかる課程を半分で卒業した。
 卒業後は専門職を目指し、さらにロースクールへの進学を考える。州立大学などの入学許可を得やすい大学を考えていたある日、州立大学のロースクール在学中の先輩が、レストランでアルバイトをしている姿に接し、気持ちを切り替えてアメリカでも屈指のロースクールであるイエール大学を志願することにする。この辺の彼の行動はコミカルでもあり読んでいて楽しい。

 本人も驚くが、イエール大学から入学許可を得る。しかも多額の奨学金が与えられるという好条件である。イエール大学のロースクール入学者の大半は、ハーバードなど、アメリカを代表するアイビーリーグと呼ばれる有力私立大学から進学してくる。彼は入学後、ある教授から「なんで州立大学卒などが入ってくるんだ」と侮辱されている。彼はその後、完成度の高い小論文を提出して、その教授に能力を認めさせたのだが。
 彼の入学許可は、おそらくアメリカのエリート大学の学生募集方針による。有力大学の多くは、学生の多様性を確保するために入学者の一定数を著者のような特異な経歴の人物を入学させるようにしている。彼はイエール大学に進学したお蔭で、レストランでのアルバイトどころか、1年目が終わる段階で、ワシントンやニューヨークの名だたる法律事務所の採用活動を経験する。一流レストランでの接待攻勢なども描かれて興味深い。2年間の課程修了後は、同級の女子学生と同じ法律事務所に就職し結婚もしている。

 さてこれだけの内容なら、ただ悲惨な子ども時代を過ごし、劣悪な教育環境の若者が成功した物語でしかない。それだけで、本書が大きな反響を呼ぶはずはない。本書が多くのアメリカ人の琴線に触れたのは、アメリカの貧困層とくにプアホワイトと呼ばれる白人貧困層の状況について率直な議論をしている点だろう。そこは、著者自身が育った世界である。

 著者によれば、失業など生活破綻の危機に晒される労働者たちの多くが、「企業が中国に行ってしまって我々は苦境に立たされているのだ」、「オバマ政権が企業を中国に行かせたのだ」など、攻撃的な議論をして、大統領選挙ではトランプの共和党に投票したのだという。
 しかし著者は、白人労働者の側にも大きな問題があると指摘する。彼らは、家族・親類の相互扶助関係や基本的な労働倫理(勤勉さ)を失っているという。「福祉を食い物にする怠惰な黒人(Welfare Queen)」というイメージは行き渡っているが、福祉に依存して勤労意欲も失っている多くの白人の姿を紹介している。原著の副題である「危機にある家族と文化の記憶」が、そのことを意味していることは明らかである。

 著者は統計資料なども紹介しながら、アメリカ中西部の白人労働者たちが抱える問題について、さまざまな考察も加える。もちろん単純な解決策を示せるわけではないが、本書は、アメリカ人の多くが見ることを避けてきた自らの恥部ともいえる部分を率直に語ることによって、とくに下層社会に滞留する白人たちに内省を求めるものともなっている。
 トランプ政権の誕生によって、世界はアメリカの将来に不安を抱いているのであるが、このような書籍が多くのアメリカ人たちに読まれ、積極的に支持されている限り、アメリカ社会の健全さに期待してもよいのではないか。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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