このアンソロジー全8篇の全篇をとおして、アル=カーイダ、ビン・ラーディンなどの長音は読み易さを考慮してアルカイダ、ビンラディンと適宜省略した。また原文の( )はすべて[ ]に、訳者挿入は( )とした。
《訳者後記》
沖縄高江で「土人」発言があり、障がい者施設での大量殺人がある。日本社会の歴史的伝統である差別と隔離は一向に変わっていないようだ。これほど日々の殺人や自殺の多い国もないと思うが、日本は世界一安全で平和な国であると思い込んでいる現実。個人責任はきびしく問われながら、企業・行政などシステムの責任はいつも棚上げされる。TVコマーシャルの委細を尽くした老化への脅しから中国、北朝鮮の「脅威」まで、いたるところで「脅威」を刷り込む一方、原発・核廃棄物の危険性や、福祉セーフティー・ネットという社会的共有資産の崩壊や、米韓日の北朝鮮への脅迫などは、つねに覆い隠す。しかもこの差別社会の、どこから入っても同化を強制される特異な国。
とくに、アメリカの目からしか世界を観ようとしない「日米同盟への盲信・錯視」には目に余るものがある。政権与党の国体復古と軍事的野望が、対米従属を梃子とした地域帝国への野望と写らないで、国力増大と軍事力による近隣諸国への制圧が「平和」であるかのような倒錯が国民の「良識」に浸透しつつある。とくに、あらゆる国際法を蹂躙してきた核装備テロ国家イスラエルとの軍産共同を企むこの国が、中国に対しては「国際法の遵守」を叫ぶ。近隣諸国への戦争・戦後責任も反故にし、従軍「慰安婦」問題も札束で「解決」するような国。これらの不正や野望を覆い隠すように、オリンピックに向けた大合唱がすでに始まっている。維新以来の自画自賛ナショナリズムは、骨の髄まで犯しているようだ(沖縄を除いて)。
一方で、欧米の難民報道も最も大事なことが意図的に抜け落ちている。アフガニスタンから、イラクから、リビアから、シリアから、ヨーロッパへ向かう何百万人という難民たちが、そもそも誰が仕掛けた戦争で故国を追いやられたか、欧米の政府と主流メディアはいっさい触れようとしない。ゲーテやシェイクスピアやホイットマンに育まれた欧米のインテリジェンスはどこで朽ち果ててしまったのか。あるいは、別動隊プロパガンダ組織の「シリア人権監視団」や「ホワイトヘルメット」を摘発もせずに、そうした報道に加担するような、トルコ経由の「自由シリア軍」に同行して戦場ジャーナリストを自称する日本人もいる。「保護責任」とか「人道的介入」とかの口実で、打ち出の小槌のようにいとも簡単に一国の文化文明を破壊するが、いとも簡単に侵略し破壊したその結果も無かったことになる情報世界。
過去を忘れ去り現在の核心を隠蔽し、「敵」と「脅威」をつくっては監視と管理を強化する。それゆえ民心は他者と手をつなぐよりは内向きとなり、差別と隔離を再生産する人間となりいびつな儲け本位の社会システムをつくる。謀られた「敵」と「脅威」でみんなが嘘の共犯者にしたてられる一方、どれほどの犠牲者を踏み台にしているのか中心部国民は知らない、知ろうとしない、未曾有の閉ざされた時代に逆行しているというべきだろう。日本と欧米は、ひとつの世界の相似的な現実のように見える。
諜報機関や軍が何をやっても免責される世界に冠たる例外国家、アメリカとイスラエル。NATO‐EUとともに国連を無力化して、その野望をほしいままにしている。それが安倍政権の唱える「国際社会」だ。ロシアの喉元ウクライナのネオナチ化につづいて、北朝鮮の国家破壊が目論まれていないともかぎらない。日本にとっても第二の「朝鮮特需」が期待されるかもしれない。バルカン半島をばらばらに解体したおこぼれがドイツとEUを潤したように。どこの地域でも民衆を敵にした軍隊は自国の民衆にも銃を向ける。すでに沖縄は日本の情報統制(プロパガンダ)装置と謀略・鎮圧装置に晒されている。このアンソロジーで「囮テロリスト傭兵軍」が何をやっているかが分かるだろう。グローバルな植民地主義の現在がうごめいている世界だ。(2016年10月24日記)
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