チュニジア、エジプトで長期独裁者を倒したアラブ民衆の革命運動はとどまるところを知らない。イエメン、リビア、シリア、バーレーンとなお流血の闘争が続いているが、イエメンでは30年以上も独裁権力を行使してきたサレハ大統領が、隣邦諸国の調停を受け入れて4月末、いったんは退陣の意思表示をした。今年の1月中旬以来3カ月以上続いた民衆の反政府デモは130人以上の死者を出すという弾圧にもかかわらず、大統領退陣が実現する日まで街頭行動を続ける構えだ。
イエメンで特筆されるのは、女性の反サレハ闘争への参加が物を言ったことだ。保守色の強いイスラムの慣習に縛られてきたこの国の女性たちが、街頭に出て男たちとともに深夜までデモに参加することなど、3カ月前までは想像もできなかった。イエメンの首都サヌアで取材してきた英BBC放送の女性記者、ナタリア・アンテラーバさんの報告にそってイエメン「女性革命」の実情を紹介しよう。
1月中旬にサヌアで反政府闘争が始まった時、中東に詳しい人々はほとんどがこの闘争は失敗すると予想した。なぜならイエメンでは、チュニジアやエジプトと違って人口の半分を占める女性を動員することができないと考えたからだ。しかしこの予想は大間違いだった。アラビア半島の南端で国土の大半を砂漠や山岳で覆われ、石油を産出しないイエメンはアラブ世界で最も貧しい後進国である。チュニジア、エジプトなどと比べて女性が家庭に縛りつけらる度合いはきつかった。ところがところが、女性たちは大激変を遂げたのだ。
サヌア中心部のタギエール(変革)広場。ここはカイロのタハリール広場のように、連日連夜反政府デモの集結場となり、多くのデモ参加者がテントを張って徹夜した広場である。あるテントでナタリア記者のインタビューを受けた若い女性、タワクル・カルマンさんは「こんなこと想像できませんでした。イエメンでは午後7時過ぎたら女性は外出できませんでした。でもご覧なさい。今はこんなに沢山の女性がここで夜を過ごしているんですよ。」
過去3カ月の間、カルマンさんは警察につかまって投獄され、殴られ、国営メディアにののしられた。しかしその結果、カルマンさんはイエメンでは有名な女性になり、多くの女性たちに感動を与え、女性たちのデモ参加を促すことになった。「望外の喜びですわ。今まで私の見た最高の夢より素晴らしいことです。イエメン女性を誇りに思っています。」これほど多数の女性の闘争参加は、長年のサレハ独裁への不満が国民の間にいかに充満していたかを告げるものだった。
タギエール広場から歩いて行ける距離のあるマンションの主婦アリアさんは、ナタリア記者の質問に答えた。「私は二人の娘の母親であり、主婦としての生活に満足してました。自分が人権活動に携わることなど夢にも考えていませんでした。」ところが3年前夫のワリードさんが突然姿を消した。4か月にわたって懸命に捜索した結果、夫は獄中にいることが判明。ワリードは殴られ、拷問され、イエメン北部の反政府系シーア派部族と関係しているとの、無実の容疑で厳しい尋問を受けていた。
ワリードさんは3年間も獄中にいて、今も裁判開始を待っている段階だという。アリアさんは夫だけでなく、イエメン中のすべての政治犯の救援運動に取り組むようになった。「アリー・アブドラー・サレハ(大統領)が私を強い女に変えたのですよ」と、彼女はナタリア記者に頬笑んだ。
ナタリア記者によると、イエメンで最近みんなが目を見張っていることは、女性が強くなって伝統的風習に挑戦していることだけでなく、多くの男性がそれを受け入れていることだという。「私はゆうべ深夜近くまでこの広場にいて帰宅しました。お説教を食らうんじゃないかと思ってました。ところがお説教なしでした」とナタリア記者に告げたのは、英国・イエメン混血女性の映画作家サラさんだった。
サラさんはサヌアで生まれて育ち、少女時代に英国に渡り、成人後またイエメンに戻った女性である。彼女はイエメンの家庭での伝統的な女性の扱いに我慢がならなかった。「イエメンの家庭では女性を全面的にコントロールするのです。何をする、何を着る、皆の前で、そしてプライベートではどう振る舞うか。成人しても扱いは変わらないのですよ。そして結婚したら、干渉するのが夫の家族になるのです。このしきたりがすっかり変わったのですから、驚くべき変化ですわ。」
タギエール広場の抗議集会に座り込んでいたある男性が語った。「ぼくの妻、娘たち、姉妹たち、家族全員が座り込んでいます。女性たちがイエメンの歴史上初めてあるべき場所を見つけたのです。ぼくは女性大統領に投票したいと思ってますよ。」
弾劾される立場のサレハ大統領や与党、国民全体会議(GPC)のメンバーは女性の政治参加が面白くない。GPC側も連日のように大規模な大統領支援集会を開いて反政府デモに対抗したが、こちらの参加者は動員された男性ばかりだ。サレハ大統領は西側からはイスラム主義に反対する世俗的な政治家として評価されている人物だが、反政府側が女性を抗議デモに参加させていることを「反イスラム的だ」と非難した。
皮肉なことにイエメンのイスラム主義の野党「イスラー」は、反サレハ闘争に女性を最も積極的に動員した政党である。イスラーの指導者ハミード・アル・アハマール氏は「イスラーの党員たちは今や世界が変わったことを理解している。世界もイスラムが女性のための持ち場を沢山つくっていることを理解すべきだ」と説明した。同氏はさらに「イスラーの女性たちはわが国で最も活動的な人々であり、われわれは彼女たちの活動を支援する」として、今後とも女性を頼りにしていることを示した。
アハマール氏はさらに、いたずらっぽく笑いながら「われわれは誰にも増して女性を愛しています。だから妻を二人、三人持っているのです」とジョークを飛ばした。この種のジョークは女性の権利運動家にはうけないが、それでもサヌアの有識者に言わせると、ほとんどの男性政治家が女性の権利拡張に全く無関心な中で、イスラーは女性の権利擁護に強い関心を示している。イエメンの女性を苦しめている問題の一つは、父親が若年の娘に結婚を強制する慣習だが、イスラーは女性の最低結婚年齢を18歳にする法制化を目指して活発な声を挙げている。
アラブの後進国イエメンでは、他の豊かな国に比べて教育の普及が遅れ、女性の識字率は42・8%と最低クラス。インターネットも携帯電話も普及率はまだ低く、他のアラブ諸国民衆が街頭で民主化闘争を始めたころ、イエメンではサヌア大学の構内で数十人の学生がほそぼそと反政府スローガンを叫ぶ程度だった。それから僅か3カ月で無数の女性が街頭に出て、昼夜を問わず集会やデモ行進に参加、女性の演説に男性からも盛大な拍手が寄せられるようになった。
米国を始めとする西側諸国は、イエメン国内に潜んでいる「アラビア半島のアルカイダ」などのイスラム過激派対策を売り込んで、治安部隊を増強するサレハ政権を支援してきた。米国だけでも年額数億ドルもの軍事援助を与えてきた。サレハ政権にとっては「対テロ作戦ほどもうかる商売はない」状態で、周辺の親米政権と歩調を合わせて反政府デモへの容赦のない弾圧を続けてきた。
実弾射撃をいとわないサレハ政権の治安部隊のデモ鎮圧作戦には、日を追うにつれて内外の批判が高まった。オバマ政権はデモ鎮圧を公然と批判せざるを得なくなり、このまま放置するとサレハ政権は打倒され、後釜にイスラム主義の政権ができないとも限らない。こうした状況を見てとったサウジアラビアなど湾岸協力会議(GCC)6カ国が、イエメンの事態解決に乗り出した。
GCCの調停案は①サレハ大統領は野党との協定調印後30日以内に退陣し、大統領権限を副大統領に委譲②野党や無党派勢力を含めた挙国一致内閣をつくり、2カ月以内に新大統領の選挙を実施③退陣後のサレハ大統領と家族の訴追をしない―の3項目から成り、サレハ大統領は与党幹部を通じて、これを受諾することを4月23日に表明した。野党側も25日夜調停案の原則的受諾を表明したが、一般民衆は大統領の訴追免除に反対してなおデモを続けている。GCC調停団によると、サレハ大統領もその後合意書への署名を拒否したため、デモ隊と大統領との睨み合いはまだ続いている。いずれにせよ、サレハ体制を追い込んだイエメン女性パワーはアラブ世界の変革を象徴するものとして注目される。
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