短時間で129人もの生命を奪ったパリ同時多発テロに、オランド仏大統領は戦争を布告した。だが犯行声明を出した「イスラム国」(IS)を戦争で根絶できるだろうか? 答えはノーである。オバマ米大統領、キャメロン英首相、プーチン露大統領らは一斉にフランスに哀悼の言葉とともに共にテロと戦う宣言を寄せた。おそらく全世界のキリスト教国とそれに同調する国々は挙げてISを非難し、反テロ・反IS戦争を支持するだろう。しかし問題は、戦争でイスラム過激派のテロを根絶できるという見通しが立たないところにある。
テロとは、武力に劣る側が武力に勝る側に対して政治目的を達成するために行う威嚇戦術である。今回の同時多発テロを実行したテロリストたちも、フランスをはじめ世界に衝撃を与えることは予期していただろうが、これでフランスの対IS爆撃を止められるとは思っていなかったろう。日本時間15日午前までに判明した限りではテロリストは8人、うち少なくとも5人は自爆したという。彼らはこのテロ計画に加わった時点から、生き残ることを想定していなかっただろう。自分たちが武力に勝る敵と戦うことを自覚していたからだ。
先の大戦末期に日本軍が行った特攻作戦は、生還があり得ないのに志願という名目で死を強制した「統帥の邪道」だった。だからその異常さゆえに「カミカゼ」という言葉が戦後、英語やフランス語の単語に入れられたのである。しかしイスラム教徒の場合は子供のころから教え込まれた教訓が身についている。生きている間に善行を積めば死を迎えた時、最後の審判でアッラーに「永遠の天国」に入れてもらえると。今回パリで死んだテロリストたちは、長年イスラム教徒を苦しめたキリスト教徒に罰を与えるという善行を行うのだから天国に行かれると信じていたに違いない。
ではなぜキリスト教徒に罰を与えることが善行かという問題である。イスラム世界は19世紀から20世紀にかけてキリスト教世界に植民地支配を受けたという屈辱の歴史がある。19世紀の産業革命を経て近代を開いた西欧キリスト教社会は、アフリカ、中近東、アジアを次々に植民地支配した。第1次世界大戦は一面、西欧の中で英仏などに後れを取ったドイツが3B政策(ベルリン、ビザンチン、バグダード)を掲げて、中東に植民地を獲得しようとした動機から始まった。
その第1次世界大戦に勝利したイギリスとフランスは、ドイツと組んだため敗れたオスマン帝国がそれまで支配していた広大な中東のアラブ・イスラム圏を、事実上の植民地として分割支配するに至った。大戦前までオスマン帝国の支配下にあったアラビア半島の人々に独立を訴えて反乱を起こさせたのが英国の諜報機関員アラビアのロレンスである。第1次世界大戦後、オスマン帝国の領土だった現在のヨルダン、イラク、パレスチナは英国の植民地(名目上は国際連盟の委任統治領)に、現在のシリア、レバノンは英仏間の密約(サイクス・ピコ条約)でフランスの植民地になった。
さらに第2次世界大戦では、ヒトラーのナチがユダヤ人を迫害して、ヨーロッパ中のユダヤ人600万人を殺害するというホロコースト(大虐殺)を行った。欧州では主力の優秀人種である白人のアーリア人に対してセム人のユダヤ人は劣等人種であり、これを抹殺してアーリア人だけのヨーロッパを築くべきであるとのヒトラーの妄想が、20世紀最大の悲劇を生んだ。ヒトラーを生んだキリスト教社会の贖罪意識が、パレスチナの土地にユダヤ人国家をつくるというシオニズム運動を応援する結果を招いた。
第2次世界大戦を経てシオニズムのイスラエルがパレスチナの地に1948年建国、これに反対するアラブ諸国が第1次中東戦争を起こしたが、キリスト教圏の欧米がイスラエル支援に回ったこともあってアラブ側が敗退。以来1956年の第2次、1967年の第3次、1972年の第4次と4回の中東戦争が戦われたが、結果として4回ともアラブ側が敗退、欧米キリスト教世界の支援を受けたイスラエルの勝利に終わった。こうしたパレスチナ危機がイスラム社会に「負の怨念」を積み重ねたことは言うまでもない。
歴史の教科書に「中世の暗黒時代」と書かれているように、ヨーロッパの中世はローマ・カトリック教会が君臨したためのマイナスの側面が支配し、文化は停滞した。その一方「サラセン帝国」の別名を持つイスラム世界は、バグダードのアッバース王朝を中心に文化の花を開かせた。ギリシャ・ローマの哲学・医学・物理学、天文学などは、すべてアラビア語に翻訳され、イスラム文化を交えて発展された。当時のバグダードは唐の西安と並ぶ世界の文化センターであった。
中世のヨーロッパで始まった有名大学ソルボンヌ、オクスフォード、ウプサラなどでは、学生の必修語学はアラビア語だった。アラビア語を通じて古代ギリシャ・ローマ文明を学んだ人々がルネッサンスを興し、それが欧州の近代合理主義をもたらした。ガリレイの天動説、ニュートンの万有引力などは、アラブ経由のギリシャ・ローマ文明の土壌なしには語れない。
このようにイスラム文化のおかげで中世の暗黒時代を脱却した西欧キリスト教社会だが、近代以降はアラブ・アフリカのイスラム世界を植民地支配した。フランスはアルジェリア、モロッコ、チュニジアの北アフリカだけでなくマリ、モーリタニア、ニジェールなど、サハラ以南のアフリカを植民地化、イギリスはナイジェリア、スーダン、ソマリア、ケニアなどを植民地支配した。英仏当局はこの間、何千人、何万人もの現地イスラム教徒を殺害した。これらの国々は独立から半世紀以上を経て、イスラムに回帰する形でアイデンティティーを確保しようとしているように見える。
このように見てくると、イスラム社会とキリスト教社会の対立を平和的に解決する道のりは、21世紀を通じて世界の最大の課題と言えるだろう。
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