私の批判への島薗氏による卑小な反論に釣られて卑小な回答の言葉を連らねる愚を避けて、端的にまず私の「怒り」の理由をのべよう。
現在、「国家神道」をめぐる問題があるとすれば、「国家神道」概念の見直し論としてある。この見直し論とは、アメリカの対日占領政策にもとづくいわゆる神道指令が廃止を指示した国教としての神道、すなわち「国家神道」の定義の見直しを要求するものである。神道指令はこの「国家神道」を「非宗教的ナル国家的祭祀トシテ類別セラレタル神道の一派(国家神道或ハ神社神道)ヲ指スモノデアル」と規定している。したがって見直し論はこの規定中にある神社神道の側から、「国家神道」概念の見直すことの要求として出されてきた。
だがこの見直し論は、ただ「国家神道」概念の見直しを求めるだけのものではない。現行憲法を占領軍の押しつけとして、それを見直し、自主的な改訂を行うべしという憲法見直し論と共通する問題の性格と思想的基盤とをもっているのだ。憲法見直し論の焦点が第9条の「戦争放棄」条項にあるように、「国家神道」見直し論の焦点は第20条の「政教分離」条項にある。だから「国家神道」見直し論者は、同時に靖国神社国家護持の復活的要求者でもあるのだ。そのことを神社本庁の出版物・宣伝物がすべて証明してくれている。あるいは靖国神社や伊勢神宮にいって神社・神宮のパンフ・チラシ類を見てみるがいい。それらは国家的復権を要求する言葉で満たされているではないか。「国家神道」とは現在、こうした問題としてあるのである。(私の著書『国家と祭祀』の第1章「国家神道の現在」でこのことは詳しく論じられている。)だから現在、「国家神道」の再定義を求めているのは、彼ら「国家神道」の見直し論者であり、「政教分離」原則の見直し論者であるのだ。「国家神道」が学問的な再定義を求める問題として現在あるのでは決してない。
私の「怒り」は、島薗進という東京大学の宗教学教授が自らの学的要求にしたがって「国家神道」を再定義してしまった、理解し難い出しゃばり行為に向けられたものである。彼は「国家神道」の見直しを主張している神道家たちの学的代役を引き受けたのか。あるいはこの見直し的再定義がもつ深刻な影響に素知らぬ顔ができる鈍感で、無責任な男なのか。それとも彼は宗教学的再定義という学的欲求だけをもった学者馬鹿なのか。いずれにしろ「糞食らえ、島薗」とは、私から出るべくして出た罵言である。
島薗氏よ、もし私の怒りと罵言とを不当だとするならば、あなたは私の「怒り」の理由に向かって反論すべきである。私が「怒りを忘れた国家神道論」と評した批判そのものに向かって反論すべきである。あなたはあの罵言について、「ちきゅう座」のサイト管理者に向かって反省を促し、一方その罵言の発言者である私に、この「子供じみた」発言が私の名を「汚しはしないか心配である」といった気遣いをみせたりしている。あなたはこの紳士的な口調をもって私の罵言とともに「怒り」をもはぐらかしたのである。
たしかに私は自分の著書『国家と祭祀』について一言の言及もあなたの『国家神道と日本人』にないことが、この書を読む理由であったとさきの批判に書いた。そうでなければ「国家神道」と「日本人」とを結びつけた、そのタイトルからして胡散臭い岩波新書など読んでみる気にさえならなかったであろう。だが私の国家神道論が無視された理由をたずねてこの新書を読んで私は納得したのである。私の書が無視されたのは当然であると。『国家神道と日本人』とは私の問題関心とは全く対極的な関心によって展開された書であるからだ。そのこともすでにさきの批判でいった。
私の『国家と祭祀』は「怒り」から書かれた「国家神道」見直し論批判である。その「怒り」とは、小泉の確信犯的靖国参拝とそれを支持する神道者たちの主張への、昭和の歴史体験をふまえた怒りである。だが『国家神道と日本人』はこの「怒り」とはまったく無縁な書である。さきの批判で私は、この書では「国家神道」概念はあの「怒り」とは無縁な、「宗教史、宗教学的な要求のなかで再構成される。国家神道は日本型宗教社会として構造化された宗教社会学的概念となる」と書いた。この書が「怒りを忘れた国家神道論」であるゆえに私の書などを挙げる必要はなかったのだし、「怒り」と無縁なこの書に向かって私が怒る理由もあるのである。
だがあなたはいかにも紳士面してこの私の「怒り」をはぐらかした。私の「怒り」を論文のプライオリティーをめぐる学界・業界的な矮小な問題にすりかえた。いっておくが私はかつて自分の論文のプライオリティーなどを問題にしたことはない。他人の論文でも見たければ私は見るし、見る必要がなければ見ないだけの話だ。もし私が皮肉交じりにあなたがいう「高い誇り」をもった老人であるとすれば、それは論文のプライオリティーなどを問題にしないことにおいてであり、その代わりに、われわれの歴史的な体験からくる「怒り」を自ら体現し続けようとすることにおいてである。
『国家神道と日本人』はその結論というべき言葉をバルトの「空虚な中心」によっていっている。
「「空虚な中心」と見えたものは実は空虚ではない。明治維新から一九四五年まで、それはある意味で「主軸となる中心」だった。そして、戦後から現在に至るまでも、そこでは皇室祭祀が行われている。皇室祭祀は日本の宗教文化、精神文化にさまざまな影響を与え続けている。そして皇室祭祀を重要な拠り所としながら、国家神道を強化しようとする運動や国体論的な言説が再生産され続けている。薄められた形ではあるが、明治維新前後から形成されていった国家神道はなおも存続している。そのことが見えにくくなっているからこそ、「空虚な中心」という言説が人気をよぶのだ。」
これも本書全体を集約したようなあいまいな言葉遣いからなるが、その前後から読み解けば、「国民の間にゆきわたっている天皇崇敬や国体論的な考え方・心情」を支えとして「国家神道」は、戦後もなお日本人の見えない中心としてあり続けていると島薗はいうのであろう。これが「国家神道」と「日本人」とを結びつけたこの書の結論である。しかしこの結論によって島薗は一体何をいいたいのか。ここで果たされたのはただ「国家神道」の再定義というイノセントな学者的欲求だけではないのか。だがこの鈍感な宗教学者による再定義はとんでもないものなのだ。これは小泉が靖国参拝を自分たちの「心の問題だ」といったこととほとんど同じことではないのか。あるいは「国家神道」を日本人の意識の見えない構造的な中心に置いてしまった宗教学者島薗の再定義は、小泉のそれよりもはるかに質(たち)の悪いものだといえるだろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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