欧州共同体(EU)外相理事会は1月23日、米国の対イラン制裁に呼応して加盟27カ国が7月1日からイラン産原油の輸入をやめることを決定した。イラン側はこの決定を非難し、対抗措置として石油輸送の大動脈、ペルシャ湾のホルムズ海峡の封鎖をあらためて警告した。英紙ガーディアンは「7月1日を期限にした“時限爆弾”がセットされた」と報じたが、対立する双方とも本心は戦争をしたくないはずだ。あと半年の間に、国際社会はこの時限装置を外す知恵が働かせるだろうか。
日本のマスコミに接していると「世界の憎まれっ子」であるイランというイメージが定着し、そのイランを皆で制裁するのは当然といった先入観念が刷り込まれがちだ。それは日本のマスコミが基本的には欧米の報道に追随しているからだ。ここで立場を変えてイランの側から状況を眺めてみよう。事態はそれほど単純でないことがわかる。
アメリカがイランを仇敵視している理由は大きく分けて2つある。1つは、アメリカをサタン(大悪魔)として糾弾した1979年のイラン革命が、親米のパーレビ国王体制を打倒したことだ。おまけに同年11月革命派の学生たちが「スパイの巣窟」と名付けたテヘランのアメリカ大使館を占拠、米外交官ら61人を人質にして444日間も幽閉したことが、アメリカの威信を深く傷つけ、アメリカ人から強い恨みを買った。
2つ目はアメリカの同盟国であるイスラエルがイランを恐れていることだ。アメリカ政界で最も有力な圧力団体と言われるユダヤ・イスラエル・ロビーは豊富な政治献金を民主、共和両党に貢ぐなど、どちらの党の政権であってもアメリカがイスラエルを擁護する基本方針を強制している。特に今年は米大統領選挙年で、再選をねらうオバマ大統領、予備選を通じて選ばれる共和党大統領候補とも、強硬な反イスラエル姿勢を続けるイランを糾弾し続けなければならない。
ではなぜイラン革命を実行した人々はアメリカをサタンと見なしたのか。それは第2次世界大戦後のイランがアメリカに裏切られた歴史を繰り返してきたからである。パーレビ王朝を興した初代イラン国王レザー・シャー(在位1925-41)は、イラン民族を「純血なアーリア人種」と考え、アーリア人種の興隆を叫んだナチス・ドイツと親密な関係を築いた。
こうした関係下で第2次大戦が始まると、ドイツの軍事顧問多数がイラン国内に駐留してイラン石油の確保に動き出した。イランの石油生産を独占していた英国と、イランに隣接するソ連の産油国アゼルバイジャン共和国にとって、ドイツの脅威は眼前のものになった。英国とソ連の連合軍はイランに進駐して親ドイツのレザー・シャーを退位させ、まだ若い2代目のモハンマド・レザー皇太子を即位させた。
第2次大戦が終わってもソ連軍はイラン北部に駐留し続け、イラン北部の油田の利権を要求した。時の米トルーマン政権の介入もあってソ連軍が撤退したことから、アメリカはイランの独立を保障する国としてイラン人から好意的に評価された。大戦後のイランでは民主的な選挙を通じて選ばれた民族主義者のモサデグ首相による内閣が1951年5月、イラン石油の生産・流通・販売を独占していた英アングロ・イラニアン石油会社の全権益を国有化した。英国は怒り狂い、世界の石油市場を支配していた国際石油資本の圧力を通じて、第3国にイラン原油の買い付けを事実上差し止めた。
ここでモサデグ首相はイランと英国の紛争の調停役をアメリカに要請した。民主義国家あるいは自由主義陣営のリーダーとしてのアメリカに対する期待を抱いていたからだ。ところがアメリカはその期待を180度裏切る。1953年8月アメリカの諜報機関CIAが、モサデグ政権への復讐に燃える英国の諜報機関MI6と組んで、モハンマド・レザー・パーレビ国王の近衛部隊にクーデターを起こさせ、モサデグ政権を転覆させたのだ。以後イラン石油利権は、アメリカ石油会社を先頭とする国際石油資本に再び牛耳られることになる。
クーデターを機にアメリカの国家的バックアップを受けるようになったパーレビ国王は1963年、土地改革、婦人参政権、森林の国有化などの白色革命(上からの革命)を開始した。これを機に米国式資本主義とハリウッド映画などアメリカ文化が大っぴらに導入され、イスラムの伝統は次々に破壊された。人前に出る時はへジャブやチャドルで髪や身体を包むことをしつけられてきたイラン女性たちは、肌を露出するアメリカのファッションに度肝を抜かれた。さらにそれを真似する娘たちに男たちは怒り狂った。土地改革でイスラム教団の土地は取り上げられ、聖職者(イスラム法学者)たちは白色革命を呪った。
こうした底流の下で、1960年代からイランの国教であるイスラム教シーア派の聖職者たちの王制に対する挑戦が始まる。「イスラム協会」を名乗る聖職者グループの指導者として、聖都コムの大アヤトラ(法学者の最高位階)ホメイニ師の名前が全国的に知られるようになる。このころから普及するようになったカセット・テープに吹き込まれたホメイニ師の説教は、国王と国王の背後にいるアメリカをイランの文化・伝統を破壊する悪魔と呼んだ。同師は特に貧しい大衆への同情を明らかにし、彼らを「被抑圧者」と呼び、その貧困をもたらしている白色革命を「帝国主義と結託する裏切り者による搾取」と非難した。
「イスラム協会」の運動は1963年6月に、イラン全土で反王制の民衆暴動を巻き起こした。暴動はバザール商人、職人、学生、労働者などほとんどの階層が参加して3日間荒れ狂った。体制側による武器を使っての制圧の結果、5000人もの死者(反体制側の推定)を出してようやく鎮圧された。これを見た国王は1964年11月ホメイニ師をトルコに国外追放、同師は翌年イラクに渡り1978年イラン政府の圧力でフランスに追放されるまで、イラクからカセット・テープを「密輸」して、「国王がイラン人とイランの独立をアメリカに売り、イランをアメリカの植民地にした」とアジり続けた。
こうした過程を経て1978年の後半には、カセットでホメイニ師の肉声を聞いたイラン市民の反米・王制打倒を叫ぶデモや集会が各地で頻繁に開かれ、警官隊の発砲で流血の惨事が相次ぐようになる。癌を病んでいたパーレビ国王は反政府運動の高まりに抗しきれず、1979年1月にイランを出国、同年2月11日にホメイニ師がパリから凱旋してイスラム革命は成った。反政府運動は聖職者だけでなく、左翼からリベラル派、バザール商人まで各派の混成部隊が一丸となって展開したものだった。当然革命後に生まれた政権は混成だったが、最終的にはホメイニ師の威信がものを言い「ヴェラヤティ・ファギ」(イスラム法学者による統治)体制に落ち着いた。
隣国イラクでスンニー派主体のバース党による独裁体制を敷いていたサダム・フセイン大統領は、革命直後のシーア派神権国家体制を打倒すべく1980年9月イランに侵攻した。これを見た時のカーター米政権を始め欧州諸国、周辺のアラブ諸国はこぞってイラク支援に回った。それから13年後に米軍がサダム・フセイン打倒のためイラクに侵攻するなぞ、到底予想もできなかった状況である。イラン側には政権交代に伴う混乱もあり、中東有数の軍事大国とみなされていたイラクの勝利を予測する声が圧倒的だった。しかしパーレビ国王が米国の援助で整えたイラン正規軍でなく、イスラム革命を護る志願兵から成るイラン革命防衛隊が奮戦してイラク正規軍の侵攻をくい止め、8年間戦い続けたのである。この戦争は結局引き分けの形で1988年に停戦協定が調印されて終わる。
この戦争を通じてイラン市民の間に、サダム・フセインに味方するアメリカに対する反感がさらに募った。カーター政権は、自国の大使館員多数が長期間幽閉されている事態を解決できなかったことで、1980年の大統領選挙で再選を果たせなかった。当選したレーガン大統領の就任式を前にようやく大使館員たちは解放された。ところがこのレーガン政権下で、米国が対イラク戦争で武器補充を必要としているイランに秘密裏に米国製兵器を売却し、その代金をプールしてニカラグアの右翼ゲリラ支援の費用に充てていたという「イラン・コントラ事件」が明るみに出た。イラン人に対米不信感を増幅させるスキャンダルであった。
ホメイニ師からすれば、2000年前にあったユダヤ王国の故地に新しいユダヤ人国家を樹立しようというシオニズム運動から生まれたイスラエルという国は、2000年にわたってユダヤ人を迫害し続けたキリスト教徒の贖罪意識、とりわけナチス・ドイツの行ったユダヤ人の大量虐殺に対する罪の意識に支えられて維持されている不法国家である。ましてイスラム教徒の土地を占領して国土を拡張しているイスラエルを許すことはできない。国土を奪われたパレスチナ人はアラブ人であってイラン人のようなアーリア人ではないが、イランはアラブ諸国以上にイスラエル国家を否定し、パレスチナ人民の闘争を支援する義務があると、ホメイニ師は教え続けた。
そのイスラエルは核拡散防止条約(NPT)に加盟せず、国際原子力機関(IAEA)の査察も受けないまま核兵器を既に所有している。米欧キリスト教諸国はいわば「横紙破り」のイスラエルを制裁するどころか、NPTに加盟してIAEAの査察を受けながら核の平和利用を進めようとしているイランを制裁しているのだ。これこそ「二重基準(Double Standard)」あるいは「片手落ち」ではないか。イランの言い分を代弁すればこういうことになる。2500年前、古代オリエント世界に覇を唱えたトルコ帝国(アケメネス朝)の末裔であることを誇りとするイランは、その大国意識からして軍事力で優る米欧に対してもしたたかである。
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