ガイドとして接して
通訳ガイドという仕事
筆者はフルタイムの仕事を辞める前、通訳案内士(英語)という国家資格を取得した。語学と日本史や地理に関するテストが課される。かつてガイド業は客を土産物店やレストランなどに連れて行き、それらの店からのリベートで収入を得ていた。当然、観光案内は二の次となった。その弊害を除去し、観光立国を成り立たせるため国家資格を取得した者のみがガイド業務に従事できることとしたのである。個人客や旅行代理店から一定額のガイド料を得る仕組みが作られた。近年、多少の制度変更があったがその点は省略する。
資格を取得した人の中には、自らウエブサイトを立ち上げ、積極的に集客して活動している人もいるが、逆に履歴書の資格欄に書き加えるだけで、実際にはほとんど活動していない人も少なくない。英検でいえば一級程度の語学力に相当するとされているので、求職などの際に役立つのであろう。
筆者は、年金の足しとして小遣い収入程度が目的なので、積極的な活動はしていない。最近は、オンラインの旅行代理店から入る個人客とコロナ前に接点のあったインドの日本代理店からの依頼に応えての活動が中心である。一日だけの家族旅行から10日程度の団体旅行までの案内業務に従事する。個人客とは事前のメール交換で、希望する内容などを確認し、滞在先ホテルなどで落ち合ってからのガイドとなる。客もウエブ上に紹介された私の経験などを知ったうえで依頼してくるので、楽しい時間を共に過ごせる場合がほとんどである。しかし、団体旅行となると事情は全く異なる。
インド人ツアーの場合
インドが経済大国になりつつあることは知られている。経済成長により全人口14億人の1%でも海外旅行に出かけるようになれば、1,400万人である。昨年度の訪日者数は前年度比40%増であった。今後ますます増えていくことは確実である。政治的にも軍事的にも今後、ますます存在感を増していくであろうインドについて、ガイド業を通して得た知見を紹介したい。
全国各地の観光地は、今年もインバウンドの客で溢れている。そのなかで、東京なら浅草寺に出かけてみればインド人観光客の多さに驚くであろう。サリーを身につけた女性や眉間に朱色の点を付けた男性と、ひときわ目立つ。昨年のインド人訪日客は23万人余りで全体の0.6%にしか過ぎないのだが、彼らが目立つのは、初めての訪日客が多く、典型的な観光地に集中するためだ。圧倒的多数を占める韓国、中国からの客はリピーターが多く、自分たちの好みでマイナーな訪問先を選ぶようになっていて、代表的な観光地での存在感は意外と低い。
大卒・非大卒の激しい格差
インド人観光客と接して強く感じられるのは、何よりも大卒と非大卒の格差の大きさである。学歴差はアメリカ政治などでも話題となるが、インド特有の事情がある。インドの高等教育は基本的に英語で行われるから、彼らの英語能力は発音の癖などを除けば完璧である。一方の高等教育を受けていない人たちの英語能力は、日常的なやり取りも怪しいレベルである。日本の中卒時の平均的な英語力に近いのではないか。
インドでは英語能力は特有の意味を持つ。よく知られているように、韓国や台湾で現地住民に日本語を押し付けた日本とは対照的に、イギリスは植民地で英語教育を提供しなかった。優秀な人物はイギリスに留学させ、現地に戻して植民地経営の手足として利用した。つまり支配者側の人間であることを意味した。その名残であろう。インドでは独立して80年近くたつ現在でも、「英語を使える」ということに独特の特権的意味があり、英語能力の低い人たちとは、いろいろな面で激しい差がみられる。
例えばツアーでは、大型バスで観光地に向かう訳であるが、バス専用の駐車場に着いてから目的地までは歩いてもらうことになる。ここで非大卒者が中心のツアーでは、必ずと言ってよいほど、「なぜ目的地の近くで降ろしてくれなかったのか」という苦情が出てくる。歩くことじたいを億劫に感じるらしい。現地から来た添乗員に聞くと、インドでは好きなところに停車して自由に乗降できるのだという。大卒者が中心のツアーだと、海外経験も豊富なのか、日本の交通規制を理解して、そのような要求をしてくることはない。
旅行業者
ツアー客たちは、現地の旅行業者が募集し、英語とヒンズー語など現地語を使える添乗員とともに来日するわけだが、非大卒者中心の客と大卒者中心の客では、そもそもの旅行業者の質が全く異なる。前者の場合、業者自体が旅行ブームに乗って、仕事を始めたものが多く、旅行の手配にミスが多く、またなによりも添乗員の質が悪い。しばしば添乗員自身が初めての来日で、観光客気分で行動して、日本人ガイドが振り回されることも少なくない。
添乗員が自身の希望で、旅程表にない観光スポットに立ち寄ることをリクエストすることもある。ツアーの場合、昼食、夕食もレストランを予約してあるから旅程表に示された時間に到着しなければならない。他の団体と重複してしまうからだ。添乗員やガイドにとって、旅程管理は最優先の仕事である。しかし現地からの添乗員はしばしば、観光地の訪問先で、日本人ガイドと相談することもなく自分の気分で滞在時間を変更し、大幅な遅れを生じて日本人ガイドと運転士を慌てさせることも少なくない。
筆者が経験したなかで最悪だったのは、添乗員自身が迷子になったケースである。大型バスの駐車場から目的地まで歩いて10数分の距離であった。その往復そのものが歩いて楽しい道だったので、帰路に不安のある人は一緒に戻るが、それぞれ自由に駐車場に戻ってもらってもいいと伝えて目的の施設に入ってもらった。
ところが最初に伝えた集合時間を過ぎても、添乗員と彼とともに行動しているらしい数人の客がバスに戻ってこない。そのうち携帯に電話がかかってきて、本人がどこにいるのか混乱している様子が伝わってきた。30分以上のロスとなり、筆者とバス運転士が、どこで時間を取り戻すか慌てて相談したのは言うまでもない。
病的な肥満体形
大卒の団体の場合、男女とも肥満体形の比率は低いのだが、非大卒の間では病的な肥満が目立つ。とくに女性の場合、そのためもあって歩行に障害を持つ人の割合が非常に高い。非大卒の場合、バスに乗った途端、ビスケットやコメを炒った様な菓子を出して食べ始めることが多く、大卒の間では見られない情景である。基本的に菜食主義だが、炭水化物の摂取過多になりがちなのであろう。
また一説によるとインドでは治安が悪いので若い女性が外を出歩くことが少なく、中高年での歩行障害の発症率が高くなるという。たしかに、以前、他の乗客も乗っていた通勤バスの中で、女性が複数の男たちに性的暴行を受けたうえ殺されるという事件が起きたことがあった。国際的にもニュースとして知られ、政府は急いで犯人たちを処刑したのであるが。ただ、若い女性の間でも体の発達に問題がるのではないかと思われるケースもあるので、初等・中等教育段階での女性の体育教育に課題がある可能性もある。
ダイソー、ユニクロに興奮する人々
今年の春のツアーで初めて経験したのが、非大卒者が中心の客たちがバスの車窓から、ユニクロ、ダイソー、ドン・キホーテといったチェーン店の店舗を見かけると興奮し、少しでも自由時間が確保できると、それらの店に行きたがったことである。ドン・キホーテを除き、インドの大都市にはこれらの店が進出している。わざわざ日本に来て、それらの店に行きたがるのか不思議なのだが、実際に店に入ると熱心に買い物をする。
なぜ彼らが、そのような大衆的な商品を渇望するだろうか。インドでは以前であれば食費と生活必需品だけで精一杯だったような階層の間でも、経済発展の結果、家計に多少の余剰金が生じるようになった。その結果、とくに女性が自分の裁量で商品購入できる条件が生まれたのではないか。カジュアルウエアや、食器や調理器具などの身の回りの商品への消費欲求に火が付いた状態なのではないかと思われる。
終わりに
以上、観光客と接しての筆者の経験からみえたインド人社会の一端である。彼らの間の階層性とカースト制とがどのように関連しているのか、あるいはしていないのかなどは、インド事情に疎い筆者には分からない。しかし、インドは否応なくこれからのアジア、さらに国際社会での存在感を増していくであろう。そのような事情も含めて、日本にとっても理解を深めていく必要のある国になっていくだろう。
初出:「リベラル21」2025.5.14より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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