ウクライナの事態に便乗した「9条無力論」を許すな

著者: 澤藤統一郎 さわふじとういちろう : 弁護士
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(2022年4月12日火)
 皆様、こちらは「本郷・湯島9条の会」です。少しの間耳をお貸しください。

 2月24日、ロシアがウクライナに侵攻を開始して以来の深刻な事態に胸が痛んでなりません。この事態であればこそ、平和を大切しなければならないと痛切に思い、そのための平和憲法の擁護、とりわけ9条の堅持を、声を大にして訴えます。

 この事態に悪乗りし便乗した「9条無力論」「緊急事態条項論」、さらには「核武装論」までが飛び出す始末。昨日は、自民党安全保障調査会が、「敵基地攻撃能力」の保有を求める意見を政府に提案することで一致したと報道されています。その議論の中では、「『専守防衛』というこれまでの政府の基本方針を変更すべきだ」という意見さえあったといいます。今、自民党や維新などの右派勢力が、とても危険な方向にこの国を引っ張ろうとしています。

 自民党や維新は、護憲派の主張を「憲法に9条さえ書き込んでおけば、他国からの侵略はない」と曲解して宣伝しています。しかし、そんなことはありません。

 話しを分かり易くするために、戦争を「侵略戦争」と「自衛戦争」に二分することにします。9条の徹底遵守は「侵略戦争」を確実に防止します。我が国は、侵略戦争を重ねた反省から、再び「侵略戦争」を繰り返さないと決意して、平和憲法を制定しました。武力をもたなければ他国への侵略はできない。戦争とは人殺しですから、9条を持つ限り日本が他国に押し入って、人殺しをすることはけっしてない。

 では、自衛戦争はどうでしょうか。新憲法制定を議論した最後の帝国議会で、時の首相吉田茂は、こう答弁しています。

 「近年の戦争は多く自衛権の名に於いて戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争亦然りであります。今日我が国に対する疑惑は、日本は好戦国である、何時再軍備をなして復讐戦をして世界の平和を脅かさないとも分らないということが、日本に対する大なる疑惑であり、また誤解であります。先ず此の誤解を正すことが今日我々としてなすべき第一の事であると思うのであります」

 この答弁は、「我が国は自衛のためと称して侵略を行ってきた」から、新憲法では侵略戦争だけでなく自衛戦争をも放棄することにしたと言うのです。ここには、「憲法に9条さえ書き込んでおけば、他国からの侵略はない」という思想はありません。「憲法9条があれば日本はウクライナのように他国から攻められることはないのか」と問われれば、当然に答えはノーなのです。

 考え方としては、「自衛のための軍備を持っていれば、他国からの侵略を受けたときには自衛戦争をすることができる。そのことが、軽々に他国から攻め込まれることを防ぐことになる」とも言えるでしょう。しかし、憲法はそのような考えを否定しました。むしろ、《自衛のためという名目の軍備》が《侵略のための軍備》となることの恐れ、世界からそのような疑惑の目で見られることの危惧を防止しようとしたのです。

 75年も経過して事態は変わっているのではないか。いいえ、いまだにこの国では、「敵基地攻撃能力保有論」や「核共有論」がまかり通っているではありませんか。「日本は好戦国である、何時再軍備をなして復讐戦をして世界の平和を脅かさないとも分らない」との疑惑を持たれてもやむを得ない現実があると言わざるを得ません。

 では、他国からの侵略に備えて自衛のための軍備をもたなくてもよいのか。戦後長く続いた保守政権は、「自衛のための最小限度の実力」は、憲法9条で保持を禁じられた「戦力」に当たらない、としてきました。ですから、実は「自衛のための軍備」を既にもっているという現実があります。しかも、自衛隊というこの実力組織は、世界第5位の精強な軍事力なのです。侵略されることよりは、侵略する軍隊にならないかを危惧しなければならない存在というべきでしょう。

 憲法が本来想定した他国からの侵略に対する予防措置は、国際間の協調を深化し、戦争を引き起こす原因をなくす努力を尽くし、どこの国とも等距離の親密な外交関係を樹立することで、平和な国際社会を築くということであったでしょう。「9条さえあれば何もしなくてもよい」ではなく、「武力をもたないからこその懸命の外交努力によって、国際的な尊敬を勝ちうる」ことだったはずです。しかし、残念ながら、今、日本は国際的にそのような尊敬を勝ちうる立場にありません。

 現在日本がもっている軍事力は、一面近隣諸国からの侵略抑止の効果を持つものであるかも知れません。しかし、その軍事力が近隣諸国を刺激し、国際緊張を高める要因になっていることも否定できません。

 何よりも、現有の軍事力が万が一にも侵略されるという有事を想定して、その場合に自衛戦争が可能であるか。おそらくはノーと言わざるを得ません。

 日本には52基の原発があります。このいくつかを狙われて爆破されれば、日本全体が壊滅します。原発だけではなく、太平洋沿岸に連なるコンビナートを標的にされても同様です。日本を戦場にする戦争は成り立ち得ません。

 「ウクライナは軍事力が不十分だから侵略を受けた」「ウクライナにもっと強大な軍事力があれば侵略を防ぐことができたはず」「日本も軍事力が不十分だと侵略を受けるぞ」「日本にもっと強大な軍事力があれば侵略を防ぐことができるはず」というのは、実はなんの実証もありません。

 軍事の増強ではなく、どこの国との間にも深い友好関係を築くことを通じてこそ平和を築くことができます。憲法から9条を削り、緊急事態条項を入れ、敵基地攻撃能力をもち、核武装までを容認することは平和に逆行する危険なことです。ウクライナの事態に乗じた危険な火事場泥棒的議論に気を付けましょう。

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.4.12より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=18957
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11944:220413〕