ウサマ・ビンラディンの殺害は正義に叶うのか

「オバマ米大統領は1日深夜、ホワイトハウスで緊急声明を発表、2001年9月11日の米同時テロ事件を首謀した国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者を1日、パキスタン国内で殺害したと明らかにした。大統領は、対テロ戦争における「最も重要な成果」と強調、『正義は成し遂げられた』と宣言した。」 

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201105/2011050200235
ビンラディン容疑者殺害=米同時テロ事件を首謀-パキスタンで軍事作戦
(ワシントン時事2011/05/02-15:28) 

 上掲は、時事通信の第一報ですが、「属国並み」の日本ならでは、と思わざるを得ません。論理的に、矛盾に満ちた米国の発表どおりの記事になっています。 これを我が国の政府も含めて受け入れ正当とするならば、「正義」どころか「テロリスト」並みの暗殺行為を正当化することになります。 強大な軍事力を有する「帝国」の御裁きである故に、「属国」は異議を唱えることが出来ないからでしょうか。 米国の諸同盟国は賛辞を呈しているようですが、帝国も「義」に違う行為を行えば、同盟国に不信の念を持たれる結果にもなるでしょうに。

 もともと遡れば、「対テロ戦争」とは、正確に定義も出来ず、その理由も9.11の復讐ぐらいにしか理解できない代物ではあります。 ただ、肝心の9.11の事件の全貌も明らかにはなっていませんし、戦争の実態も目的も明らかになっていません。 最初に私自身の感想を述べますと、私は、客観的には、中東の支配的勢力や指導的地位を占める特定国家なり勢力の威力を殺ぐのが先輩のイギリス帝国主義譲りの「分割統治」の指導理念であり、イスラエルと米国を中枢とする西側新植民地主義国家の支配権を確保するのが目的であるのは自明と思っていました。 もっとも、ブッシュ前大統領の信仰から来るイスラムに対抗する使命感と、米国の頑迷固陋な保守派の帝国第一の狭量で民族差別的な中東に対する支配欲にも注目はして来ましたが。

 さて、ブッシュが初めて「acts of war」と言明したのが9.11の翌日であったのは何かの偶然か、それとも既にイスラム諸国に対する「戦争」が規定の方針であったのか、は今では知る人も多いのですが焦点が相違しますのでさておきまして、 兎も角、この訳の分からない「戦争」は、米軍が主体となり「不屈の自由作戦」(Operation Enduring Freedom-Afghanistan)を実施してアルカイダと繋がりがあるとされたアフガニスタンのタリバン政権を攻撃したのが始まりです。 

 http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/1540544.stm
Text of Bush’s act of war statement BBC 

 そもそも現在の国際社会が、日本国憲法の言うところの「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」(日本国憲法前文)とは隔絶した弱肉強食の社会であり、特に、旧ソ連崩壊後では、中国の躍進はあっても、強大な軍事力を有する米国中心の「新植民地主義」丸出しの社会であるのは事実ではないでしょうか。 帝国流の二重・三重の二律背反が、問題を更に複雑にしてはいますが。

 この国際社会では、中東イスラム諸国は、歴史的にも中世の十字軍による侵略を受けて以後も、西欧各国の植民地支配の対象になって来ました。 その支配は、時には過酷であり、誇り高いイスラムの民もまた民族の独立を求めて戦って来ました。 中でも国土をイスラエルに奪われた民を中心として、イスラエルとその守護神の米国に対する深い怨恨が芽生えても不自然ではありません。 

 しかしながら、イスラムの民の暴発を受けた「戦争」が国際法上では、どのように解釈が出来るのか、と冷静に考えてみますと、戦争に関する基本的条約である「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(英: Convention respecting the Laws and Customs of War on Land)を参照しましても「条約」であるから当然ですが、国家間の戦争を前提にしているのが分かります。 結果的には、条約付属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」によって「テロリスト集団」を「交戦者」と認めて「交戦権」を付与する等ということは不可能でしょう。 また、米国を始め西側諸国は、「テロリスト集団」が「ジュネーヴ条約」(Geneva Conventions)を順守して、彼らが俘虜を人道的に取り扱うとは思ってもみないでしょう。 彼らにしてみれば、米国に正々堂々と宣戦を布告して、国際法に従い雌雄を決する馬鹿はその瞬間に墓場へ直行するのは分かり切っているのですから。

 従って、「テロリスト集団」を相手どる「戦争」は、国際法上は、元より「想定外」としか言えません。 現在の国際社会では一笑に付されることを自覚しながら敢えて言いますと、テロの実行行為があった特定国の国内法(当該法は、国際人権規約の諸条項に違背しないことが求められる。)に従い、刑事手続により事件の全貌と実行犯を当該犯罪行為の罪責に問うことが正当だと、私には、思われます。 軍よりも警察がことに当たるべきなのです。 

 諸外国からは、こうした「適法性」の側面からの米国批判も見受けられます。 また、現場となったパキスタンでは、国際法上の国家主権の侵害行為であるとの批判が高まる様相が観られます。 当然のことでしょう。 

http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,760358,00.html
Justice, American Style Was Bin Laden’s Killing Legal?
Spiegel Online International 05/03/2011 

 また、米国にも「復讐」では無くて「正義」を希求する市民がおられることは、流石に米国の民主主義の奥深さを感じます。 9.11の被害者家族がテロの「復讐」と「対テロ戦争」に反対し、「正義」を求めているのです。 

 その内のお一人Andrea LeBlanc さんは、ウサマ・ビンラディンの殺害によっても夫は帰って来ないと言われ復讐よりも正義を求められます。(I want to see justice done, but it has nothing to do with revenge. )

 テロに対する戦争を終結させようとしているオバマ大統領が、テロリストまがいに無慈悲に子どもの面前で容疑者を撃ち殺すことは、果たして「正義」に叶うのでしょうか。 

http://www.peacefultomorrows.org/article.php?list=type&type=12
September Eleventh Families for  Peaceful Tomorrows 

http://www.concordmonitor.com/article/254803/it-doesnt-bring-my-husband-back?page=0,0&CSAuthResp=%3Asession%3ACSUserId%7CCSGroupId%3Aapproved%3AC2LrYMFgYeeUmDA11ajgwA%3D%3D&CSUserId=94&CSGroupId=1
‘It doesn’t bring my husband back’  Concord Monitor  5/3 2011

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0465:110516〕