ウソくさい校長たち 藤原和博(朝日新書、2023)から

民間人校長の始まり
 2000年、学校長に任命される条件として、「教育に関する職に十年以上あつたこと」の一文が学校教育法施行規則に追加された。それまでは「教員免許を持ち、5年以上の教職にあったこと」が、基本的な条件であったのだが、この一項目が加えられたことで、教室で児童・生徒に向き合ったことのない人物でも校長になれることになった。「教育に関する職」はどんどん拡大解釈され、ほとんど何でもありになる。
 この条文を利用して、リクルートの社員だった人物を校長に据えたのが、現在、自民党参議院議員である山田宏氏である。彼が杉並区長を務めていた2002年、藤原和博氏を教育委員会参与に迎え、翌年には区立中学校の校長に据えた。リクルートが進路情報を提供する企業だったから、「教育に関する職」に従事していた、というわけである。その藤原氏がやって話題となったのは、自らの人脈を利用した、生徒や保護者向けの著名人の講演会開催のほか、夜間の教室を塾業者に提供した程度のことだった。

大阪府の民間人校長
 藤原氏はその後、08年、橋下徹大阪府知事の特別顧問(政策アドバイザー)に就任する。藤原氏のアドバイスもあったのだろう、橋下知事は教育委員会に対し、民間人校長を大量に採用するように働きかけた。知事は校長に必要な能力は「一にも二にもマネイジメント能力」だと主張した。経営学の用語で、経営資源(ヒト・モノ・カネ)を効率的に利用し、事業の成果を上げることだ。民間企業の経験者は教員よりも、それらを効率的に運用する能力に長け、学校運営が改善されるということだったのだろう。
 しかし、実際の結果は惨憺たるものだった。採用された校長のなかには、知事の同級生などもいて、ネポティズム丸出しの人事だった。学校のヒト資源といえば教員だが、ある校長は、教員に対してやたらと怒鳴り散らし(パワハラ)、土下座を強要された教頭は脳出血で倒れた。君が代斉唱の際、教員が実際に声を出しているか確認することに執念を燃やした校長もいた。学校にはPTA会費など常に一定の現金(カネ)がある。ある校長は金庫にあったPTAの積立金を持ち出して免職となった。10万円程度の現金は、民間企業では着服しても構わない額だったのだろうか。また他のある校長は、PTAの懇親会の席で、児童の母親の体を触ったり不適切なメールを送信したりして更迭処分となった。最初に採用された11人中7人が任期を全うできなかった。
 橋下知事は、「人間はいろいろ失敗する」と開き直ったが、半数以上の人物が校長職に耐えられない「失敗」をしでかしたのだ。教員、児童・生徒、保護者にしてみれば、不要な混乱を招いただけの災難というしかない。

藤原氏の近著-教員不足の実情も知らない「教育改革実践家」
 藤原氏はその後、佐賀県武雄市特別顧問を経て2018年に奈良市立一条高校校長を退職するまで教育行政に携わっていた。現在の肩書は「教育改革実践家」だそうである。
 氏の近著『学校がウソくさい 新時代の教育改造ルール』(朝日新書)では、「教員が足りないというのはウソ/ある特定の『書類仕事』が現場を忙殺させている」と主張し、「私が、民間校長になってまず驚いたのは、教育委員会から届く書類の膨大さだった」としている。不要に多い文書の処理作業が教員を消耗させているだけで、文書のデジタル化を図れば教員不足は解決すると主張するのである。
 信じられないことだが、藤原氏は、教員が足りていない事実をご存じないらしい。教育行政に20年以上も関わりながら、また22年の文科省が教員不足の実情調査を発表しているのだから、常識的に考えても、このような的外れの文章を書けるはずがない。
 文科省調査によれば、21年の年度初め段階で教員不足に陥っていた学校は全国で、小学校の4.9%、中学校の7.0%、高校の4.8%であり、とくに深刻なのが特別支援学校の13.1%であった。これらの学校では、年度初めの教室に校長や教頭などが顔を出すなどしながら、臨時採用の教員を探すのだが、その臨時教員も見つからずに、ずるずると担任不在の状態が続くケースも少なくない。

教員不足の事情
 教員不足の元凶は小泉改革まで遡ることになる。小泉政権下の「三位一体改革」の中で教員給与の国庫負担率が2分の1から3分の1に引き下げられ、また教員定数法の規制が緩められた。それまでは生徒数に応じた教員配置が義務付けられ、正規教員の数は一定に保たれていたのだが、その制限が撤廃され、非正規教員(臨時任用)を増やすことが可能となったのである。財政の苦しい地方自治体は、正規雇用の教員を減らし、低廉な人件費で雇える臨時任用の教員を増やし、教育予算を減らす方向に走った。企業が正規雇用者を派遣労働者に置き換え、人件費を削減した構図とまったく同じである。
 現在では、すでに全国で小中学校の教員の2割近くが臨時任用者となっている。その結果、従来は教員の人数調整の緩衝装置ともなっていた、臨時任用希望者の名簿リストがどんどん短くなっていった。どこの教育委員会も、教員採用試験の不合格者や子育てが一段落した元教職経験者などの名簿を持っているはずなのだが、年度初めの段階に枯渇してしまっている。年度途中に産休や病休の教員が発生しても代替教員を手当てできない事態も発生している。
 これらの「改革」は、2000年代前半に実行されたものであるから、藤原氏が杉並区立中学校の校長職を務めていた時期と重なる。校長職を目指す教員ならば、これらの教育関連法の変更などについて熟知していて当然であるが、区長の肝いりで一企業から現場に舞い降りた藤原氏は、教育関連法規についての基本的な知識を欠くウソくさい校長だったわけだ。

新自由主義的環境のなかの世渡り上手
 一連の新自由主義的な改革によって生まれた民間人校長の一人として、藤原氏は実に巧妙に世の中を泳いできたといえるだろう。教育とは教育基本法にあるように「人格の完成を目指す」営みである。動物分類上のヒトを人として育てることである。学校が子どもを世渡り上手に育てることを目標するようでは、社会が崩壊する。
 現在の藤原氏は、執筆活動と講演活動に忙しいようである。1997年の『処生術』(新潮社)以来、じつに40冊以上の単著、20冊近い共著をお持ちである。またある講師派遣業者の料金一覧表に藤原氏の名前がある。10万円のAクラスから160万円のGクラスまで示されているが、それ以外の「要相談」つまり160万円以上と思われる相場が示唆されるHクラスというのがあり、氏はHクラスである。

 なお、藤原氏は、学校には文書が多すぎると指摘した後、次のように述べる。「恐縮だが、私は校長として、学校を流通網として使う行為はほどほどにすべきと感じたので、ほとんどのポスターは貼らないで良いと教頭に命じた。もちろん、拉致問題のキャンペーンポスターなどは例外だ。」(ゴシック、筆者)

 最後に藤原先生に一言。「センセ、お追従がお上手ですね。それが世渡り上手の秘訣ですか?」

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