ウ・タンミンウー著「ビルマハイウェイ」(白水社)を読んで

 欧米志向の強い日本の知的世界に住まうみなさんに、ミャンマーに関心をもって頂くためにこの国の最高の知性のひとりをご紹介いたします。著者タンミンウ—の描く展望は、このところの中国の帝国化、インドのヒンズー教排外主義、ミャンマーのロヒンギャ危機などの動きを見ると、若干楽観的過ぎたきらいがありますが、その知性の核心部の魅力は失われてはいないでしょう。人材はスーチー氏だけではないのです。

ウ・タンミンウー著「ビルマハイウェイ」(白水社)を読んで
 本書は、本年度(2013年)出版されたミャンマー関連の書籍のなかで、おそらくもっとも知的な刺激に富んだ魅力的な一書でありましょう。歴史学のしっかりしたアカデミックな土台に裏付けられた豊富な知識を背景にしながら、小田実流の「何でも見てやろう」を思わせる旺盛な好奇心と行動力から生み出される文章は躍動的で、辺境の恐ろしく多様な少数民族―特に雲南省の―の生活ぶりを活写してやみません。中国経済の躍進にともなう観光業と国境貿易の隆盛が、劇的に人々の暮らし向きを変えていく様を鮮やかに再現して見せます。
 歴史と現在の姿を重ね合わせて立体的に見る手法は、司馬遼太郎の「街道をゆく」のそれを思わせるところがあり、観察に深みを与えています。恵まれた文才もあって、ヤンゴンの町中の様子も含め人々の様子を生き生きと描き出す手腕には圧倒されます。
 しかしこの書の最大の魅力は、ミャンマーをインドと中国という二つの文明大国が出会う十字路として、その将来的可能性を展望して見せたところにあります。やや気取った言い方をすれば、奥深いミャンマーの内陸部をめぐって、歴史的地政学的パラダイムの大転換を我々に促し、辺境とされ地域に大いなる経済発展の可能性を展望してみせるところにあります。
 本書を読み進むと、ミャンマー版「網野史学」とでもいいますか、読者は国土の地理的価値づけの裏と表の逆転劇を見る思いになるはずです。網野史学は、偏狭な民族主義や排外主義の大本となる「日本は孤立した島国」という観念を解体してみせました。網野氏は日本を四方を海に囲まれた島国として、しかもいつも太平洋側から大陸をみるという固定視角でとらえる観念を打破して、日本の歴史が縄文・弥生時代から朝鮮半島やアジア大陸との海を通じての交通によって形成されてきたことを歴史的事実に基づいて明らかにしたのです。したがって「日本海」は大陸と列島を隔てる外海ではなく、大陸と列島をつなぐ内海だったということになるのです。これこそが大陸と日本が「一衣帯水」の関係であったことの本来的意味だというわけなのです。
 同じようなパラダイム変換が、中国―ミャンマー―インドを結ぶ大陸の内部回廊についても言えるのではないか―筆者の雄大な旅はそのことの論証の試みです。我々はアジアを見るときいつも太平洋側から内陸部を見ており、内陸部は発展から取り残された辺境の地であり、麻薬取引や人身売買の行われる、暴力的な紛争が絶えない不安定な地域としてしか見てこなかったのです。
 ところが近年中国は沿海地域と内陸部の経済格差を埋めるべく、新たな経済戦略に着手し始めました。雲南省から南西方面に抜けてベンガル湾に至るルートを経済開発の重点に定め、インフラの整備や石油・天然ガスパイプラインの建設に猛然とラッシュし始めました。西欧諸国からの制裁によって経済的に行き詰っていたミャンマー軍事政権は、それを奇貨として中国の投資戦略を受け入れ、国境貿易も倍々ゲームで伸ばしてきました。
 他方インドも、ミャンマーと長い国境を接し、反政府勢力が跋扈するする北東地域の安全保障への関心と、中国によるミャンマーの衛星国化を危惧する観点から、バランスをとるべくミャンマーとの政治的経済的結びつきの強化を図ってきています。
 こういう隣接する両大国の接近から、ミャンマーは自国の地政学的な価値に目覚めつつある、これが筆者の目の付けどころでした。
 しかしこれには前例がありました。かつて戦争末期に重慶にある蒋介石・国民党政府に連合国は支援物資を送るべく、レド公路(スティルウェイ・ハイウエイ)を開通させました。日本軍のビルマ占領によって断ち切られた援蒋ルートに代わるものとして、インドのアッサム州レドからミャンマーのミッチーナを経由し、雲南省昆明に至る延々1,736キロの軍用輸送路を完成させたのです。道路が完成するとまもなく世界大戦は終わったので、この軍用路は打ち捨てられましたが、70年近く経ってこれがいま再び脚光を浴びつつあるのです。*
 *小生は2003年2月、元菊兵団の慰霊団に付いてミッチーナ,モガウン、カマイン、タナイというルートでレド公路を遡りました。ほとんど車は通らない二車線の田舎道風でしたが、ここで中国戦線で精鋭ぶりを誇った菊兵団は、米式訓練と装備を施された国民党軍や連合軍に完膚なきまでに叩きのめされたのです。youtubeの「レド公路」動画には、道路建設にあったってマラリア蚊対策として大量のDDTを散布した様子が映っています。雪のように辺りが真っ白になるほど散布していますから、生態系に壊滅的打撃を与えたことは間違いないでしょう。そのせいかどうか、菊兵団の元将校は、昔はもっとジャングルが鬱蒼としていて、トラの吠える声がよく聞こえたと証言しています。道路建設で周辺の乾燥化が進んだこともあるのでしょう。この危険な道路建設には、圧倒的に多くの数の黒人兵が投入されたそうです。

 いまミャンマーを中継地としてインドと中国を結ぶ国際的な通商路として、レド公路を復活させようという構想が持ち上がっているのです。この道路建設によって二つの国境線周辺に暮らす様々な少数民族地域にも開発の手を伸ばし、とかく犯罪や反政府活動の温床となっている貧困から抜け出させようという考え方です。
 しかしこの筆者の目配りの良さは、とかく投資や開発を無批判に善とする見方をとらないところに表れています。ミャンマー側の中国への恐れを正しく評価しているのです。中国が進めている新自由主義的な開発方式―天然資源を食いつくし環境を極度に悪化させるだけでなく、貧富の差を拡大させ汚職腐敗を蔓延させる―が、ミャンマーにもたらしかねないマイナスを正当に考慮に入れています。マイナスがもし大きければ、新国際公路は投資と通商を促進する平和の道ではなく、抑圧と搾取を輸出するキナ臭い道になりかねないのです。そうすればミャンマー側の反中国感情は沸騰し、国境紛争の火種にもなりうるのです。
 実は新国際公路が平和的な発展の道になるためには、ミャンマー側だけでなく中国の変化が必要でしょう。中国のがむしゃらな経済成長主義は、一党独裁という無理のある統治体制を押し通すために、民意を経済的余禄でなだめて調達する必要があってとられているものです。すでに民族解放は過去のものとなり、一党独裁の正当性を政治的に国民に説得することはできなくなっています。公平な経済的分配の実現を含む民主主義的な改革が、これから紆余曲折はありながら次第に日程にのぼってくるでしょう。中国国民の極端から極端へ振れる振幅の大きさとコンフォーミズム(大勢順応主義)は不安材料ですが、この間の経済成長による中産階級の形成は、そのリスクを減ずる方向に働くことを強く願います。
 ミャンマーの自己の価値への目覚めという点でも、筆者は条件を付けています。ミャンマーが今後どのような発展を遂げようとも、それが国民生活の向上をもたらすかどうかが鍵になるとたびたび述べています。以下、筆者の基本的な発想をよく表していると思われますので、一節丸ごとご紹介いたします。
「(食糧やエネルギー資源以外の―野上)ビルマが持つさらに重要な財産は、中国とインドの間にあるというその戦略的位置で、まさにこれこそが今後、国全体にとって途方もなく有意義な機会をもたらす可能性がある。しかしその機会を活用して一般市民に恩恵をもたらすには、根本的な転換が必要だ。つまり、数十年続いた武力紛争を終わらせること。支配層が、ビルマの民族的そして文化的な多様性を、単に対処するべき問題として扱うのではなく、国にとって好ましいものとして見ようとすること。数世代にわたってビルマの政策を決定してきた排外主義に代わり、コスモポリタン精神が生まれること。そしておそらくもっとも重要なものとして、国民から信用と信頼を受ける強く効果的な政府ができること」
 著者は1960年代に国連事務総長を10年間務めたウ・タント氏の孫といいます。アメリカで生まれアメリカで高等教育を受けた西欧的知性の持ち主でありながら、しかしミャンマー人としてのアイデンディティ、善き愛国精神は失っていないように思われます。根無し草でないコスモポリタンといえるようで、この種の人々が帰国し要職に就くのは大歓迎です。
 この国は、強制的な鎖国状態と上座部仏教によって国民の精神生活は鋳型にきっちりはめ込まれ、広い地政学的な観点でものをみたり考えたりする習慣と能力を完全に奪われてきただけに、技術移転を図ると同時に世界的な視野で発想する思考習慣をぜひ広めることはきわめて重要だと思います。
 小生は民主化運動が発展するためには、この種の人士が民主化運動に加わる必要があるでしょうが、現状のレベルではそういう気持ちになかなかならないのではないかという気がします。88世代ですら排外主義と宗派主義に凝り固まったところがありますから、両者が知的体質の違いを乗り越えて共同歩調をとるにはいろいろ困難がありそうです。どこの国でも革命運動や改革運動を進めるとき、国内派と国際派に分岐する傾向にありますが、この違いを乗り越えること自身が、ミャンマーに固有であるが、しかし普遍性をもつ国民文化を創造する事業に直結しますから、なんとか手を取り合っていってほしいと思います。

付記 イラワジ紙 2013年10/12付に、タンミンウー氏と論説主幹のチョウゾウモウとの対談が載っています。タンミンウー氏は、現在ヤンゴン市内の歴史的建造物の保存のため活動する「ヤンゴン・ヘリテージ・トラスト」会長として活躍しています。国民としての共通の記憶を形成して、国民としてのアイデンディティを確保ためには、過去の歴史的建造物(宗教施設、官庁施設等)を大切に保存していかなければならないと考えているのです。現在そのためのゾーニング・プランを作成したところで、今後都市遺産保護法などの法的整備が必要としています。
 またヤンゴンの都市改造を計画するに当たっては、ビジネスのためだけでなく普通の市民のために自然環境や生活環境を整えるという視点が大切だとしています。ウォーター・フロントは工場地帯だけを考えるのではなく、市民のための親水エリアにすべきだともいっています。現在日本の民間の開発業者が新しい都市計画に乗り出すようですが、どうも富裕層向けの高級都市住宅計画のようです。タンミンウー氏は都市計画は市民のサポートが得られるかどうかが鍵だとしており、この点でも民主的な視点を重視するその姿勢に好感が持てます。(2013年10月15日)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion7501:180323〕