中世、欧州のユダヤ人が使用した共通言語がイディッシュ語である。日本人にもおなじみのミュージカル&映画「屋根の上のヴァイオリン弾き」のユダヤ人家族が使用していた言語、カール・マルクスの母親が家庭で使用していた言語ということでいくらか関心が高まるかもしれない。イディッシュ語はナチスのホロコーストの結果、欧州ユダヤ人が激減したうえに、ユダヤ人国民主義(シオニズム)が使われている言語イディッシュ語をあえて排除し、使われていない言語ヘブライ語(聖書のヘブライ語を元にした現代ヘブライ語)を採用したことから、ほとんど絶滅した言語である。だが、イディッシュ語の単語はアメリカ英語に数多く流入して、アメリカの小説にもしばしば登場する。
イディッシュ語は欧州のアシュケナージ系ユダヤ人の共通語として長く使用された。中世のドイツ語をヘブライ文字で表記し、ポーランド語、ロマンス語、アラム語などの単語もかなり取り入れたリンガフランクな言語である。想像すると、「ICH、これを、SIEの言い値でBUYするよ、GUTEあるか」という音感の混淆した商人言葉という感じだろう。このイディシュ語は言語の珍品として面白い。興味のある方は、大学書林刊行の「イディッシュ語辞典」(上田和夫著)をご覧ください。ただし6万3000円もするのが難点だが。
内容は、「東欧ユダヤ人の言語であるイディッシュ語(標準語)の辞典。イディッシュ語はかつて第二次大戦前には1100万の使用人口を誇ったが、ホロコーストの結果激減し、現在は200万人程度の話し手がいるに過ぎない。しかし13世紀以降、イディッシュ語で書かれた文化遺産は膨大で、イディッシュ語を学ぶことはユダヤ人だけでなく、非ユダヤ人にとっても意義がある。本辞典はイディッシュ語に興味を持つ日本人のために編纂したものである」という。
筆者の勝手な推測だが、第2次世界大戦当時ナチスドイツ軍将校と占領されたポーランド、ロシアのイディシュ語を話すユダヤ人との間では、きちんと会話が成立したと思う。
シオニズムがイディッシュ語を排除した理由は、それがディアスポラと屈辱を表現する言葉だからだ。
筆者は現在の世界のユダヤ人とユダヤ人国家イスラエルを批判的に形容するとき、フツペ(ごうまん、大胆さ)というイディシュ語の単語ほどふさわしい言葉はないと思う。以下、ウィッキペディアより引用。
「フツパー(フツパ, chutzpah, חוצפה)とは、もともとは大胆さや厚かましさを意味するヘブライ語の言葉で、善い意味でも悪い意味でも使われている。イディッシュ語(フツペ, khutspe, חוצפה)経由でアメリカ英語にも流入したが、本来はヘブライ語である」
余談だが、ハシディズムと米国でのイディッシュ語の使われ方を知るための娯楽小説がある。デーヴィッド・ローゼンバウム著「ツァディク―異能の者」 (福武文庫) だ。お近くの公立図書館にあればぜひご一読ください。
ホロコーストという惨劇を経験したが、近代におけるユダヤ人の成功は賞賛に値する。「ユダヤ人が解放された19世紀以降、世界のイノベーションの90%はユダヤ人によってなされた」という内田樹神戸女学院教授の意見に筆者も賛同する。
なにしろマルクス主義者になっても、フランス構造主義者になっても、キリスト教徒になっても新自由主義者になっても、創作者はユダヤ人なのだから知識人としては逃げ場がないという感じである。もう一つ、インテル、グーグルの創業者の1人がユダヤ人ということを指摘すればもう十分だろう。人力車とカラオケしか世界史的イノベーションがないとされるひとりの日本人からすれば、コンバージョンを繰り返してもお釈迦様の手のひらの上の孫悟空のような気がする。
これまでは、ユダヤ人国家・イスラエルとディアスポラのユダヤ人の関係はWIN・WINの関係だった。4度にわたる中東戦争に勝利したイスラエルの威信が、ディアスポラのユダヤ人(特に米国のユダヤ人)にも「威信」と「自信」を与え、逆に米国のユダヤ人の政治力がイスラエルを支えるという関係にあるからだ。
ユダヤ人国家イスラエルを批判する日本の知識人は多い。理由はいくつかあるだろう。建国の過程で多くのパレスチナ人を追放し、その子孫を含めると500万人くらいに膨らんだことが、国際社会の批判を呼んで、「イスラエルの喉に刺さった骨」(エリ・コーエン元駐日イスラエル大使の講演における発言)になっているからだ。
次にパレスチナ問題を解決するためのイスラエルとパレスチナ国家樹立という2国家路線(オスロ合意)が、国際社会を巻き込んだロードマップまで作成しながら、イスラエルが熱心に推進しないことへの批判も多い。
このほか、最近ではユダヤ人国家を認めないユダヤ教超正統派の論拠を駆使したシオニズム反対論(ヤコブ・ラブキン著「トーラーの名において」)も日本で影響力を与えている。筆者なりにラブキン氏の主張を要約すれば、「ユダヤ人はディアスポラが常態なのだから、あえて他の民族から大きく遅れて国民国家イスラエルを創る必要があったのか」というものだろう。「トーラーの名において」は非常にしっかり書かれており、翻訳も上手なので日本でも高く評価されている。だが、筆者はユダヤ人がかなり無理して、他者に犠牲を与えたとしても国民国家を創らなければ、国際政治のゲームに参加できなかったと思う。
日本は明治維新で国民国家をつくるべきではなかった。その結果、多くの戦争が引き起こされ、日本国民や外国人が犠牲になった。こうした論理で明治維新を否定するようなものだろう。
筆者の知る範囲では日本の言論界、大学、知識人の間では、シオニズム、イスラエルに対して中立的、あるいは好意的に扱う人は少ない。筆者の感触では9対1の比率より劣勢だと思う。米国ではイスラエルとユダヤ人ロビーが信者5000万人ともいわれるキリスト教福音派(キリスト教右派)と同盟しているので鉄壁の政治勢力になっている。イスラエルの外交官が米国でキリスト教福音派の集会で講演した際、「イスラエル」という言葉が出るたびに、いちいち聴衆から「ハレルヤ!(神を賛美します)」という賛美が飛んだという。「米国人は世界でいちばんイスラエルに好感を持っている国だ。イスラエル人よりも」というイスラエル人独特のユーモアをその外交官は語ったという。
日本では米国のまったく反対の情況にある。その原因の一つは、国の政策にあると思う。ここから先は筆者の憶測になるが、1973年に起きた第一次石油危機の結果、日本は石油確保のために「アラブ寄り」の政策を選択した。具体的には親アラブ、親パレスチナ政策である。その裏側の政策はイスラエルに対する敵意とまではいわないが、冷淡さである。国の政策は大学、マスメディアなどに各界に広く、深く浸透した。それが40年近くも続いたために拡大再生産されて、若い人材が育ち、大学、マスメディア、そして官庁までもが親アラブ、親パレスチナ勢力が主流になった。「非イスラエル」が日本のスタンダードになった気がする。そこには優れた、多くの知識人の努力の積み重ねがあるのだろう。
イスラエルは日本の外交政策が100%米国に従うと思っているせいか、日本での自国批判の大きさに気にも留めず、ロビー活動すらしていないが、日本は意外に国際情勢に影響を与える国である。
イスラエルは四面楚歌の情況になりつつある。悪いニュースが貨車に乗って運ばれている。並べていくと、①財政・金融危機による米国の世界的な影響力の低下、②米国史上初めてのブラックアフリカン系大統領が、ブッシュやクリントンほどイスラエルに「忠誠心」を持っているかどうか疑わしいこと、③ガザ輸送船攻撃事件で中東での数少ない友好国・トルコが離反しつつあること、④レバノンでイランの支援を受けるヒズボラ系政権が成立したこと、⑤イランの核開発が続き、数年後にはイスラエルの中東における核の独占が崩壊しそうなこと、などなど。
最後にエジプト「革命」の動きである。エジプトのムバラク政権が崩壊の危機を迎えている。その後、ムバラク大統領の後継者とされるスレイマン副大統領以外の誰かが大統領になっても、イスラエルを敵とするムスリム同胞団の勢力が増すことは疑う余地がない。
ガザ地区を実効支配するハマースはムスリム同胞団の系列である。ガザ地区を現在、イスラエルとエジプトが協力して経済封鎖をしているが、この関係が壊れて、エジプトの新政権がハマースを支援することも予想される。
さらに、エジプト「革命」がやがてイラン型イスラム革命に発展するとすれば、イスラエルにとって悪夢になるだろう。
こうした危機に直面すると、イスラエルはよりフツペになる傾向がある。いざとなると安全保障のために周辺諸国に核ミサイルを落とすという「マサダ・プラン」さえためらわないかもしれない。だが、こうした危機の今こそ旧約聖書の精神に立ち返り、周辺と和解を促進する方向でフツペを修正すべきではないか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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