エントロピー学会2010 年全国シンポジウム(第28 回)パネルディスカッション:必要なのは「低炭素社会」ではなく「低エネルギー社会」

著者: 小出裕章 こいでひろあき : 京都大学原子炉実験所
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【自己紹介】第2 次世界戦争が終わった4 年後、東京の下町に生まれました。敗戦の年の3 月の空襲で焼け野原にされた東京の復興とともに成長し、原爆を含めた戦争の恐ろしさを一方に感じ、一方では成長していく社会のために、原子力こそ未来のエネルギー源だと信じました。1968 年、夢に燃えて大学の原子核工学科に進学しました。しかし、原子力の資源であるウランは貧弱な資源でしかありませんでしたし、原子力発電が抱える危険は都会では引き受けられず、過疎地に押し付けられました。また、日本であたかも別物であると宣伝され続けてきた核と原子力が実は同じものであることを知り、一刻も早く核=原子力を廃絶したいと思うようになりました。

Ⅰ 二酸化炭素地球温暖化説の大合唱

現在、地球が温暖化していて、このままいけば、北極の白熊が絶滅するとか、ツバルなど小さな島国が水没するとかいうニュースが四六時中流されています。そして、温暖化の原因は大気中の二酸化炭素など温室効果ガスの増加であり、二酸化炭素の放出を減らして「低炭素社会」を目指さなければいけないという主張が大々的になされています。さらに、それを実現するためには二酸化炭素を出さない原子力を使うしかないという、私から見ると途方もない嘘が蔓延しています。

しかし、言われている危機が本当であることを科学的に示すためには、①地球が温暖化していること、②その原因が二酸化炭素など温室効果ガスであること、③コンピュータシミュレーションが正確であること、④温暖化した場合の影響予測が正しいことのすべてが必要です。このうち、一番立証しやすいのは①ですが、過去150 年間の地球平均の大気温度の上昇は0.6 度~0.8 度だそうです。

150 年前とは日本では江戸時代ですし、そんな時代の地球平均の大気温度なるものをどれだけ正確に評価できるか、それすら難しい課題です。②の因果関係については、過去の地球の大気温と大気中の二酸化炭素濃度の変化を見る限り、大気温の変化が二酸化炭素濃度の変動の原因です。現在の二酸化炭素温暖化説はその因果関係を逆転して主張しています。③については、地球のような複雑系のシミュレーションに対しては慎重であらねばなりません。実際に最近数年の気温変動の予測は完全に失敗しています。④についてはさらに不確定さが大きく、2035 年にヒマラヤの氷河が消滅すると言われたことなどまったく根拠のないものでした。

ただ、二酸化炭素地球温暖化説が言うようにツバルのような国が海面下に沈んでしまうのだとすれば、それは享楽的な生活を続けてきたいわゆる「先進国」の責任です。そんな横暴は到底許されないと私は思います。予防原則を適用し、一つの原因かもしれない二酸化炭素の放出を減らすべきだという主張は成り立つでしょう。

Ⅱ 放射性物質こそ毒物

二酸化炭素は地球の生命系にとって必須の物質です。植物は光合成によって大気中の二酸化炭素を固定することで生きていますし、動物はその植物を摂取することで生きています。その二酸化炭素が決定的な悪者とされ、二酸化炭素を出さない原子力はエコだ、クリーンだと宣伝されています。一方、原子力が産むものは放射性物質です。そして、放射線に被曝することはあらゆる意味で危険を伴います。

そのことに気付いた一人の若者が公共広告審査機構(JARO)に提訴し、JARO は専門家による審査委員会を作って検討し、以下のような裁定を下しました(登録番号A-08-05-020)。

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今回の雑誌広告においては、原子力発電あるいは放射性降下物等の安全性について一切の説明なしに、発電の際にCO2 を出さないことだけを捉えて「クリーン」と表現しているため、疑念を持つ一般消費者も少なくないと考えられる。

今後は原子力発電の地球環境に及ぼす影響や安全性について充分な説明なしに、発電の際にCO2を出さないことだけを限定的に捉えて「クリーン」と表現すべきでないと考える。

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あまりに当然な裁定ですが、JARO は民間の機関で強制力を持たないため、国と電力会社はこの裁定を無視して、相変わらず偽りの宣伝を流し続けています。

Ⅲ 原子力が放出する二酸化炭素

その上、原子力は二酸化炭素を出さないわけではありません。最近まで、国や電力会社は「原子力は二酸化炭素を出さない」と言ってきましたが、最近になって「原子力は発電時に二酸化炭素を出さない」と宣伝文句を変えました。それはウラン採掘から、製錬、濃縮、加工さらには廃物の始末まであらゆる工程で化石燃料を使用せざるを得ないからです。それでも彼らはライフサイクル全体を考えれば、原子力が放出する二酸化炭素は化石燃料に比べて少ないと主張します。

しかし、ライフサイクル全体での二酸化炭素の放出量を評価するためには、シナリオが描けなければいけません。原子力利用は放射性物質を生みますが、それを消す力は人間にはありません。できることは隔離だけで、隔離を続けなければならない期間は100 万年です。そんな長期に亘って安全を保証する力は科学にはありません。原子力を推進する人たちは、地下に埋めてしまえば後は何もしなくてもいいというシナリオを描きました。

そんなシナリオを基に評価された二酸化炭素の放出量などもともと信用に値しません。原子力の燃料であるウランは貧弱な資源で、長く見積もっても100 年しか利用できません。一方、生み出す放射性物質を100 万年に亘ってきちんと隔離しようとすれば、一体どれだけの二酸化炭素を放出することになるのか想像すらできません。

Ⅳ なすべきはエネルギー浪費の廃止

「産業革命」以降、人類が膨大なエネルギーを使うようになり、大気汚染、海洋汚染、森林破壊、酸性雨、砂漠化、産業廃棄物、生活廃棄物、環境ホルモン、放射能汚染、さらには貧困、戦争など、過去には経験したことのない巨大な脅威を抱えるようになりました。また、人類以外の多数の生物種を絶滅させてきましたし、今も絶滅させようとしています。それらすべては二酸化炭素による地球温暖化のせいで起きたのではありません。仮に二酸化炭素が地球温暖化の原因の一つだとしても、温暖化は無数にある脅威の一つに過ぎません。人類が今後も化石燃料を使い続け、大気中の二酸化炭素の濃度が増え、そして仮にそのことが原因で地球が温暖化することがあったとしても、敢えて言うのであれば、そんなことは瑣末なことです。それ以前に、エネルギーを使う行為自体によって、生命環境ははるかに大きな破壊を受けるでしょう。

ただし、人類の内部を見れば、一方には生きることに関係ないエネルギーを厖大に浪費する国がある一方、生きるために必要最低限のエネルギーすら使えない人々も存在しています。生命環境破壊の真因は、「先進国」を自称する一部の人類が際限無いエネルギー浪費を続けてきたことにあります。あらゆる意味で原子力は最悪の選択ですし、地球の生命環境が大切であるというのであれば、二酸化炭素の放出を減らすなどという生易しいことではすみません。日本を含め「先進国」と自称している国々に求められていることは、エネルギー浪費社会を廃止することです。もし、それができるのであれば、もちろん、二酸化炭素の放出も減らすことができます。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/

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