オリンピックの中継はほとんど見たことがない。ニュース番組やワイド番組でたまたま見る程度なのだが、現地に派遣のアナウンサーやレポーターがやたらとはしゃいでいるのと、スタジオの解説者がいい加減だったり、訳知り顔の発言だったりが気になってしまう。嫌いなアナウンサーや解説者のアンケートなるものがネット上で出回っているらしい。
それに、日本の選手の中には、日本人とのハーフの人もだいぶ多くなってきたのを見ると、国を「背負って」競うオリンピックの意味はもう薄れてきてしまっているのではないか。個人やチームで競うのが、スポーツ本来の姿ではないのか、とも。
敗れた選手の涙や謝罪が強調される報道の背景には、「国威発揚」の影がちらつく。スポーツは、選手たちも観客たちも、もっと楽しむものではなかったかと。
そして、“昭和”の人間には、これって、競うべき「スポーツ」なのかと思うような種目もいくつか見受けられ、選手たちの身の安全を、願うばかりなのである。
選手ファーストは、いつのまにか開催国ファーストになってしまい、セーヌ川を泳がされたトライアスロンの選手たちは気の毒だった。
「いらっしゃるー」と門扉を開けてのいつもの声に飛び出すと、写真のような野菜いっぱいの袋をいただく。土地を借りて本格的に野菜を育てているHさんから。この夏は、猛暑でインゲンも大きなトマトもまるっきりダメだったと嘆いていました。モロヘイヤはさっそくおひたしにして、ミニトマトときゅうりはサラダにして夕飯のお供にしました。きゅうりは、写っている以外にも太ったり曲がったりのものも何本かあって、漬物にしたり、ジャンボピーマン?と炒め物にしたりしていますが、まだ野菜室に残っています。ごちそうさまです。
初出:「内野光子のブログ」2024.8.6より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2024/08/post-df7be8.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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