オルバンはなぜNATOを脱退しないのか――親ロ姿勢と西側同盟のあいだで

始めに

ロシアによるウクライナ全面侵攻の背景をめぐって、「アメリカ主導のNATOによる東方拡大こそが挑発であり、戦争の原因だ」とする見方が根強く存在する。この立場はしばしば、現実主義的国際政治論や「大国の勢力圏論」に基づき、冷戦後のヨーロッパ安全保障を大国同士のパワーゲームとして捉え直す。だがその見方は、しばしば地域諸国の主体性や内部の多様性を無視し、歴史を覇権国の都合で描く「帝国中心史観」に陥りがちである。

現実のNATOは、米国の影響力が大きいとはいえ、必ずしも一枚岩の軍事ブロックではない。加盟国それぞれが歴史、地理、経済、イデオロギーに応じて異なる立場を持ち、しばしば内部での軋轢や異論が表面化する。ときに親ロ的な姿勢を見せるハンガリーのような国の存在は、そうした内部の多元性を象徴するものである。したがって、NATO拡大の歴史とその結果を理解するためには、「加盟国の側」からの視点も不可欠となる。

NATO・EU加盟の歴史的経緯

ハンガリーは1989年の民主化以降、旧ソ連圏からの脱却と西欧への統合を国家戦略の中心に据えてきた。1999年にはポーランド、チェコとともにNATOに加盟し、2004年にはEUへの正式加盟を果たした。冷戦後の「自由主義的国際秩序」への帰属は、ハンガリーにとって外的安全保障の確保と経済的近代化の両面において不可欠と認識されていた。

しかし2010年、ヴィクトル・オルバンが政権に返り咲くと、リベラル民主主義からの逸脱が本格化する。EUの統合志向に対して批判的な「非自由主義国家(illiberal state)」路線が採用され、国内体制は司法・報道の独立性を制限し、ナショナリズムと国家主権を強調する方向へとシフトしていった。その一方で、外交面ではロシアや中国との関係を重視する傾向が強まり、「NATOの中の親ロ国家」として、国際的注目を集める存在となる。

親ロ路線とNATO離脱が両立しない理由

にもかかわらず、オルバン政権はNATOからの脱退を一切志向していない。表面的な対ロ協調とは裏腹に、ハンガリーは軍事的・地政学的にはNATOの抑止力に依存し続けている。ウクライナ戦争以降、ロシアの侵略主義が現実的な脅威として再認識されたことで、NATOの第5条(集団的自衛権)はむしろハンガリーの安全保障に不可欠な基盤となっている。

また、オルバンは西側同盟の枠内で「異論を唱える加盟国」として振る舞うことに戦略的価値を見出しており、離脱による孤立ではなく、加盟を維持しつつ交渉力を最大化する現実主義的立場に立っている。EUからの補助金、NATOからの安全保障、そして対ロ・対中関係のバランスを同時に操ることで、国内政治基盤を強化しているのである。

2024年大統領選と体制の持続

2024年、オルバン政権は自らに近い人物を大統領に再任させることに成功した。ハンガリーでは大統領権限は限定的であるものの、この人事はフィデス(与党)の制度的支配力と体制の安定性を象徴している。再任を通じて確認されたのは、EUやNATOの枠内にとどまりながら、その中で最も強固に「異端」を貫く体制の自己再生能力であった。

比較:トルコ・スロバキアとの相違点

オルバンの姿勢は、NATO内の異端国家とされるトルコやスロバキアと比較されることが多いが、その実態は大きく異なる。

  • トルコ(エルドアン政権)は地域大国として独自の軍事・外交戦略を展開し、NATOにおいてもしばしば独自路線を取るが、その背景にはイスラム主義と地政学の結びつきがある。対ロシア協調も戦術的であり、根本的な同盟の再構築までは志向していない。
  • スロバキアでは、2023年に左派ポピュリズムのロベルト・フィツォが政権に返り咲いた後、ウクライナ支援に消極的な発言が見られたが、これはあくまで短期的な政治的立場にとどまっており、EU・NATOへの基本姿勢には大きな変化がない。
  • 一方でハンガリーのオルバン政権は、制度、思想、経済を貫く形で「非リベラルな国家主権の主張」を体制化しており、その親ロ姿勢は単なる対外政策ではなく、国内政治の中核と結びついている。これはトルコやスロバキアと異なり、より構造的かつ戦略的な異端性を有している。

親ロと親NATOの「ねじれ共存」

ハンガリーは、西側同盟の枠組みを利用しながら、体制としてはその価値観に反する非自由主義的秩序を構築している。ロシアとの関係強化はその象徴であるが、それが即NATO離脱に結びつくわけではない。むしろNATOの「内部」にとどまることで、オルバン政権は国際的発言力と国内的正統性を同時に確保している。

NATOが一枚岩でないこと、そして加盟国の多様な利害や政治体制が奇妙なかたちで共存しうるという事実は、冷戦的ブロック思考では捉えきれない国際秩序の複雑さを物語っている。

非自由主義国家と西側秩序――オルバン体制の思想的起源と戦略的二重性

ウクライナ戦争の勃発以降、ロシアに対して曖昧な姿勢を取り続けるハンガリーは、NATO内部で異彩を放ち続けている。西側の経済制裁に対する協調を渋り、エネルギー面では依然としてロシアへの依存を維持する姿勢を崩さない。オルバン政権は、こうした親ロシア的態度を一貫して「国家主権の擁護」「国益重視」の名のもとに正当化している。

だがこの「ねじれた同盟関係」は、単なる外交上の現実主義にとどまらない。オルバン体制の核心にあるのは、西側リベラル秩序そのものへの懐疑であり、むしろその内部で対抗的価値観を構築しようとする思想的挑戦である。すなわち「非自由主義国家(illiberal state)」という言葉に象徴される独自の統治モデルは、外交戦略と一体となった体制選択なのである。

非自由主義国家とは何か――リベラルの否定と秩序の再構成

2014年、オルバンはルーマニアでの演説で、明確に「リベラル・デモクラシー」からの脱却を宣言した。彼の言う「非自由主義国家」とは、自由主義的な個人の権利と市場の自律性を基盤とする政治秩序を否定し、代わりに家族、国家、民族、伝統といった共同体原理を重視する体制である。

この発想の背景には、明確な政治哲学がある。オルバンの知的インスピレーションの源の一つとしてしばしば挙げられるのが、戦間期の法・政治思想家カール・シュミットである。シュミットは「主権者とは、例外状態を決定する者である」と主張し、リベラルな法秩序よりも、国家の統一と決断を重視した。リベラル・デモクラシーが制度に埋没し国家の自己保存機能を失うとすれば、国家主権の回復には「例外」への対応能力が不可欠だという考え方である。

オルバンはこのような非常時的統治観を、移民危機やパンデミック、そしてウクライナ戦争といった「例外」の連続として表象された2010年代以降の現実に適用し、国家の権威強化と法の柔軟化、マスコミの統制、NGOの規制といった手法を正当化してきた。

EUとの衝突と制度的二重化

当然のことながら、この統治モデルはEUの理念とは根本的に相容れない。EUは人権の保障、市場の自由、法の支配を加盟の条件とし、予算支出に際してもこれらの価値を遵守するよう圧力をかけている。ハンガリーに対しても、司法の独立侵害や汚職、報道の自由制限を理由に構造基金の凍結が行われている。

しかしオルバンは、EUからの制裁を「ブリュッセルの専制」として国内政治に利用してきた。国内では「国家主権を守るリーダー」としての自己イメージを強化しつつ、必要最低限の制度的譲歩を演出して資金確保を図る、いわば二重外交が続けられている。EUの内部にとどまりながら、その価値基盤を内部から再構築しようとするこの手法は、制度的パラドックスとしてEU統合の限界を示す事例ともなっている。

全保障と統治体制のねじれ

NATOにおけるハンガリーの立ち位置も、この制度的ねじれの延長線上にある。ロシアの脅威を否定するわけではなく、むしろ「ウクライナ戦争に巻き込まれない」ことを最大の国益と定義することで、同盟の軍事的傘を活用しながらも政治的には中立的態度を演出する。これはトルコのエルドアン政権とも共通するリアリズムだが、オルバンの場合はそれが国家体制と連動している点でより深い構造を持っている。

自由主義に基づく価値同盟の枠組みを保持しつつ、その中で非自由主義的体制を完成させるというこのアプローチは、一見して矛盾している。しかし、それこそが戦略なのである。安全保障と経済利益の枠組みは維持しつつ、政治体制においては主権性と伝統価値に根ざした統治モデルを志向する。つまり「システムから降りる」のではなく、「システムを内側から再定義する」ことが目標なのである。

「同盟の中の異端」としての存在戦略

このように見てくると、オルバン体制は単なる反リベラルのポピュリズムでも、孤立主義的なナショナリズムでもない。それは西側秩序の中にとどまりつつ、その秩序のイデオロギー的中枢に楔を打ち込もうとする、きわめて戦略的な「異端」である。

ハンガリーの進む道は、NATOやEUという制度の柔軟性と限界を試す試金石であり、非自由主義国家が21世紀の国際秩序においてどのような持続可能性を持ちうるのかを測るひとつの実験とも言える。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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