一国の首相という枢要な地位にある人物が、こともあろうにカンニングするとは驚いた。本当なのか? と一瞬疑問に思ったが、新聞報道によれば間違いない。カンニングとは言うまでもなく試験のとき、学校の劣等生が隠し持った参考書や他人の答案を見るなどの不正行為を指しているが、尊敬の対象であるはずの首相ともあろう人物が、こういう不正手段に頼るとは想像を絶する珍事である。
もはや首相の座にしがみついているときではない。即刻辞任すべきではないか。首相という人物にも優劣があるのはやむを得ないとしても、これは歴史に汚名を残す珍事というほかない。(2014年8月15日=敗戦の日に掲載)
「大いなる精神はしずかに忍耐する」が自衛隊幹部の心得と聞く。つまり軍事力を持つ組織は最も謙虚でなければならない、という含意の戒めとされている。首相は自衛隊という軍事力組織の最高指導者でもある。当然、首相には忍耐と謙虚な姿勢が求められる。ところが安倍首相にはその忍耐と謙虚は無縁らしい。玩具をもてあそぶ幼児のようにはしゃいでいる。
首相のお粗末なカンニングの実像について東京新聞(8月10日付)が詳しく報道しているので、その大要を以下、紹介する。記事の見出しは<ほぼ半分 昨年と同じ>、<「ずさんすぎる」怒り>。
安倍首相が9日に長崎の平和記念式典で行ったあいさつは、文章の半分が昨年と同じ表現だった。6日の広島平和記念式典のあいさつには「コピペ(文章の切り張り)だ」と批判を受けたが、同じような事態が長崎でも繰り返され、被爆者からは怒りの声が上がった。
核兵器廃絶への誓いを述べる部分も、昨年とほとんど同じだった。
こうした式典でのあいさつは通常、秘書官や担当省庁が作成し、首相が最終的な文言調整を指示して完成させることが多い。施政方針演説などのように閣議決定を経るわけではないため、安易に使い回される可能性がある。
長崎の被爆者からは早速、批判が相次いだ。
式典後、首相と被爆者五団体との面談では長崎原爆遺族会の正林会長は首相に直接「私もちょっとがっかりというか、被爆者みんながびっくりした状態だ」と伝えた。
式典で首相の挨拶を聞いた長崎原爆被災者協議会の山田事務局長は、「秘書官が書いたのか首相が書いたのか知らないが、そっくりそのまま読ませる方も読ませる方だし、読む方も読む方だ。ずさんすぎる」と批判。「被爆者のことを少しでも意識していれば、同じ挨拶をするわけがない。広島の式典でも追及されたのに、長崎でも繰り返すのはわれわれを侮辱している」と怒りを隠さなかった。
さらに8月13日付東京新聞に次のような投書(要旨)<見出しは「同期の桜」もう二度と・・・>(無職 菊池竹史 88=茨城県日立市)が掲載されている。
「滅私奉公」「戦死することは散華」と教え込まれ、疑う余地さえなく、「天皇のため、国のため」に死ぬことは当然と思い込んでいた。今の若い人には考えもつかないこと。集団的自衛権が戦争を知らない政治家の手によって取り上げられている。私たちの年代と違い、広い教育を受けてきた自衛官は、血を流すと言うことになったら恐らく退職する人が続出する。そうなれば徴兵制は確実だ。就活に忙しい若い人にも、もっと政治に目を向けてもらいたい。「花の都の靖国神社、春の梢(こずえ)に咲いて逢(あ)おうよ」。こんな軍歌が堂々と歌われる時代が来ないように。
もう一つ、8月15日付朝日新聞掲載の投書(要旨)を紹介しよう。<見出しは「8月15日に生まれてよかった」>(中学生 関屋優依 13=福岡県)。
私の誕生日は8月15日で、終戦記念日と一緒。戦争を経験した人には忘れられない日なのに、そんな日に喜ばれて生まれてきたのかと思うと、誕生日を好きになれない。でもある日、日本中が一緒に平和を考え、平和を保っていこうという気持ちを表す日なのだと気づいた。そう思うと、8月15日生まれがすばらしいことだと分かった。世界各地では、いまだに争いがある。日本は平和だから友だちと遊べるし、自由に意見を述べることができる。好きな人や家族がいて、部活を思いっきりやれる平和が一番だ。当たり前だと思っていることが、できない国があるのが悲しい。世界中で平和を願えば、戦争をしようという考えはなくなる。そうしたら、みんな安心して暮らせる。
安倍首相は以上の投書の声をどう受け止めるだろうか。善良な庶民の声に無神経な安倍首相としては恐らく冷ややかに聞き流すのだろう。当然の結果として安倍内閣支持率は低下を続けるほかない。事実、内閣支持率は44.4%と最低レベルを更新した(日本テレビの世論調査から)
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(14年8月15日掲載)より許可を得て転載
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