日経新聞5月27日に気になる記事があったので、それについて若干コメントさせていただきたい。その記事は、財界成功者の勲章というべき日経新聞「私の履歴書」欄に、キリンホールディングス会長CEOの磯崎功典氏が、ミャンマーでの資本参加の失敗の経験について書かれたものである。
冒頭、磯崎氏は、「人生も経営も『一寸先は闇』である。予測不可能な世界に生きていることを思い知るのは、いつも事が起こってからだ」として、ミャンマーで2021年2月1日に起きた国軍によるクーデタについて、まったくの青天の霹靂、想定外の出来事だったとしている。なるほど、国軍最高指導部以外のだれもが、2月にクーデタがあるとは予想していなかったであろう。しかしこの国の国情をいくらか深く知る者にとって、クーデタの蓋然性はいつでもゼロではないということは常識に属することである。
実は私、以前キリン・ホールディングスが、国軍のフロント企業である「ミャンマー・エコノミック・ホールディングス(株)」(MEHL)―通称名「ウーパイ」―と合弁で、「ミャンマー・ビール」の経営に参加すると耳にしたとき、驚きと憤りを感じたのである。
――いったい、ウーパイがどんな会社か知らないのか。国軍という暴力装置を背景に、ミャンマーの国土のあらゆる富を簒奪するコングロマリットではないか。もともとは退役軍人年金ファンドが出発点だというが、今日利益の上がるあらゆる産業、事業に投資し、莫大な収益をあげている。石油、天然ガス、チーク材、ビールからタバコ、IT通信関連、鉱業(銅、錫など)、不動産業、銀行、保険、ホテル観光業、製鉄、(世界トップクラスの品質と言われる)ルビー、ヒスイ、琥珀の採掘、セメント等々、その収益の実態は非公開で、国軍に莫大な資金が流れているという。中国国営企業とも合弁事業を行なっているが、有名なのはアウンサンスーチーも一役買った「レッパダウン銅鉱山」開発である。数十か村の村々が反対したこの事業を推し進めるため、軍が介入弾圧して多くの死傷者を出した。事業開始から10年以上になるが、いまだに村民たちの抵抗は続いている。帝国主義者の植民地支配と現地の傀儡政権の関係に似たかたちを、中緬関係には見てとれるのである―中国研究者には、くれぐれもこの事実を見逃してほしくはない。

レッパダウン銅山には、抵抗を阻止するため柵と地雷が設けられている。Resource Center

露天掘りによる環境破壊のすざましさ。写真:ローレン・デシッカ(NRGI提供)
私ごとになるが、2010年6月、日本への帰国を前にして、シャン州の観光地めぐりをした。その際、地元の事情に明るいガイドに、各所の風光明媚な土地の所有者がだれであるのか尋ねた。いろいろ問いただすなかで、ようやく重い口を開いた。「タマドゥ(国軍)のものです」。やはりそうであったか、ミャンマーの国土のいいとこ取りを、軍およびその政商(クロ―二―)はしているのである。国軍はツーリズム関連の外資を呼び込んで、ジョイントで観光開発をする、そのために良好な土地を略奪してきたのである。(ヤンゴンの中心部にあるシュエダゴン・パゴダのすぐそばに広大な空き地が広がっていることをほとんどの人は知らない。軍の基地として塀に囲われているので、外国の観光客が気づくことはまずない)国軍は世界に冠たる残忍で貪欲な軍隊である。2・1クーデタ以前にも国軍は1962年のクーデタ以降、国民の抵抗を抑えるために何度も大量の血の雨を降らせてきたのである。国連のミャンマーに関する事実調査団は2019年の報告書でも、「ミャンマー国軍とその所有会社であるMEHLやMEC(ミャンマー・エコノミック・コーポレーション)が参加する外国企業の活動はすべて 、国際人権法や国際人道法の違反の一因となる、またはそれらの違反と関連づけられる危険性が高い」と述べている。すでにアメリカやイギリスの政府は、MEHLやMECに対して制裁をかけてきている。
ことほど左様にミャンマーの国軍系企業と組むことの危険性、反人民性は、明らかなのである。キリンビールと同系列の三菱商事は、駐在員をおいて隠然と小規模ながら投資活動を行なっているので、現地の事情には暗くないはずではある。しかし総じて日本企業のみならず、政府系シンクタンク「アジア経済研究所」の研究員も、優れた研究成果である場合ですら、ミャンマーにおける投資の危険性にはあえて触れない感があった。おそらく軍事政権を刺激したくないのと、民間企業の投資意欲を殺ぐような内容を発表することを避けたかったからではなかろうか。
したがって、キリンホールディングス会長CEOの磯崎功典氏が、いまになって一方的に被害者面をするのは責任逃れと言うものである。ミャンマーの投資の失敗は不可抗力ではなく、功を焦るあまりに十分なリスクヘッジを講ずることなく、身を乗り出した罰といえる。ミャンマー国軍と組むのは、ミャンマー国民と日本国民とを裏切るものであり、民衆弾圧の加害者となりかねないことであった。磯崎氏によれば、クーデタ後、キリンの海外グループ企業から早期撤退を求める声が続々と上がり、「このままでは会社が内部から崩壊する」という強い危機感に襲われたという。それに促されて、キリンの早期撤退に全力を尽くしたという。今日、環境や人権や社会的課題への高い意識を持たずに海外での企業活動は、展開しにくくなっている。環境や人権へのさほどの配慮なしに強引な投資活動を行なえる中国企業に競争力で対抗するには、高い技術力と投資先の官民からの厚い信頼が不可欠である。国軍企業と中国企業がつるんで国土をいいように荒らしていく姿は見たくもないし、一日も早く終わりにしてほしいと念じるばかりである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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