ギグワーカーを労働者として保護すべきは、民主主義社会の責任である。

(2022年11月26日)
 昨日、東京都労働委員会は、ウーバー配達員が結成した労働組合の申立を認め、「ウーバーイーツ」運営法人の団体交渉拒否を不当労働行為とする救済命令を出した。いわゆる「ギグワーカー」を労働組合法上の労働者と認めた初めての判断だという。まずは、この命令を歓迎し、労働委員諸氏に敬意を表したい。

 資本の横暴に、法が是正を命じた一場面である。「社会主義革命の必然性」についての確信は持てなかった私も、「資本主義の矛盾」については、大いに腑に落ちた。幾分なりとも、資本の横暴を抑えて資本主義の矛盾を緩和する装置が正常に機能しているのだ。

 かつては身分制度によって、人が人を支配した。今の時代は契約の自由によって、持てる者が持たざる者を搾取し支配している。この不合理の是正のために、法の支配や民主的な政治の発展が役に立つはずと思ってきた。社会法分野での法制度の充実と、法の理念を現実の社会に生かす必要を思い続けている。とりわけ、労働法の分野において、法制度のあり方とその運用の適正が重要であるが、当然のことながらこれに対する資本の側の抵抗は熾烈である。

 可能な限り労働力を安価に調達したいとする持てる者の側にとっては、労働者保護法制のすべてが利潤追求の阻害物である。労働運動や民主主義運動が作ってきた労働者保護法制を、できることなら骨抜きにしたい。規制のない形で、安価に労働力の調達を図りたい。それが、今、偽装請負となり、フリーランス契約となり、ギグワーカーの採用となっている。

 資本主義が本質的に持つ非人間的な苛酷さを、法の支配や民主主義がどこまで是正できるか。そういう視点から、昨日の都労委命令は大きな意義をもっている。

 労働組合法では労働者を、「職業の種類を問わず、賃金、給料などで生活する者」(3条)と定義しているが、一般的に、経済的従属性の有無を中心として判断されており、労働基準法上の労働者概念よりは広くとらえられている。

 都労委は、「(ウーバーの)評価制度や(配達員の)アカウント停止措置等により行動を統制し、配達業務の円滑かつ安定的な遂行を維持しているとみられる」とし、「事業は(配達員の)労務提供なしには機能せず、不可欠な労働力として確保されていた」などと認定した。さらに都労委は、配達員が注文を受けるアプリには「個別に交渉できるような仕様にはなっていない。対等な関係性は認められず、会社らが一方的、定型的に決定している」などと断じた。これらの点などから、配達員は労働組合法上の労働者に該当すると結論付けた。

 ギグワーカーと呼ばれる人たちは、形式上は個人事業者である。自身の判断で請負契約の主体となる。それゆえ、労働力を提供していながら、労働保護法制の外に置かれる。労基法も、最低賃金制度も、労災補償も、厚生年金も埒外である。ウーバーイーツの全国の登録店舗数が15万店を超えたとの発展に比して、収入が少なく不安定な働き方を余儀なくされる配達員は少なくない。

 さて、最もハードルの低い、労組法上の労働者性を認めた昨日の都労委命令は、大きな意義あるものではあるが、もちろん第一歩でしかない。問題は、欧米に比べて遅れているといわれるギグワーカーの今後である。

 以下は毎日新聞に掲載された、脇田滋龍谷大名誉教授のコメントである。
 「フランスの最高裁は20年3月、業務における運転手の自己管理の度合いを基準に、運転手はウーバーに対して従属的、雇用関係にあると判断した。自ら客を管理したり、価格を設定したりできず、業務を遂行する方法を決定していない点などが重視されたという。イタリアやスペイン、英国でも、同様の司法判断が出ているという。日本のプラットフォーム労働者についても、団体交渉を通じた労働条件の改善を重視し、偽装個人請負の形態をとるなど、脱法的に労働者を扱うのではなく、実態に応じて労働者であることを認め、保護や透明性のある働き方にすることが求められている」

 ウーバー労働者の、会社に対する従属性が問題なのだ。自ら客を管理したり、価格を設定したりできず、業務を遂行する方法はもっぱら会社が決めている。ならば、全面的な労働者性を認めてよいではないか。その点を明確にする立法措置が採られてしかるべきではないか。資本主義の非人間的な苛酷さを民主主義が是正すべき、絶好の局面ではないか。

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.11.26より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=20364

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