ケインズ理論における評価さるべき問題は何か

著者: 岡本磐男 おかもといわお : 東洋大学名誉教授
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はじめに 
 過日書いた論稿において、私はケインズ政策について批判的に考察した。それは、彼の首唱した政策によって現在の日本の財政赤字の累積が生じた点を指摘したかったためである。だが他方で私は彼の主張した理論的見解に全て反対なわけではなく、一面では評価さるべき見解があるとも考えている。ここで取上げたいのは、国際金融面における国際通貨の創出にあたっては、彼は金の役割を重視しているという問題である。私も別の機会に論じたように現代の貨幣は金であるとする立場をとっているので、彼の見地にも親近感を持つのである。なお因みにいえば、今日の殆どの近代経済学者は、現代の貨幣は紙であるとみている。これに対しケインズの理論では、なぜ金重視の姿勢がとられたのかについて、以下で考えてみたい。

IMF体制の崩壊
 周知のように、第二次世界大戦後の国際通貨体制の中軸はIMF(国際通貨基金)体制であった。この体制のもとでは金との交換が可能な米国通貨ドルが国際通貨となっていた。それというのも大戦後は、世界の金の8割が米国に集中していたからである。米国の通貨当局たる連邦準備銀行は、諸外国の通貨当局から要請があれば、金1オンス=35ドルの比率で諸外国が保有するドルが提示されれば金を提供しなければならなかった。ところが1960年代に入ると米国国際収支は、資本収支の赤字拡大によって急速に悪化するようになり、連銀から諸外国に金が流出するようになった。そして71年8月には連銀はついに金流出にたえきれなくなり、米国大統領ニクソンは金とドルとの交換停止の宣言をよぎなくされる。いわゆるニクソン・ショックがこれである。これ以後はドルは不換化されたわけであるが、不換通貨となってもドルの国際通貨としての地位はゆるがなかった。その理由については、ここでは立ちいらないが、米国の経済力、軍事力、ニューヨーク金融市場の地位等から説明されるのが普通である。ドルは不換化されたため金は廃貨されたとみる人々が多いのであるが、私は金廃貨説をとらず、今日でも金は貨幣であるとみている。その理由は何か。
 

今日でも貨幣は金であると捉える理由
 その設問に答える前に、日本の経済学者のうちのいか程の数の人がこのように考えているかは判らないが、昔から私が親しく交流を続けていたY氏から、今年冬に出版された国際金融に関する著作をいただいたことに触れておきたい。(このネットではY氏のお名前と書名を公表することはせず、単にY氏とだけ記すにとどめる)Y氏はマルクス経済学者でありながら、ケインズの貨幣論や管理通貨制度論に長年にわたって取組んできた研究者である。Y氏も金廃貨論の立場をとらず、今日の貨幣は金であるとみている。その主要な理由は、氏は全世界および先進工業国の対外支払準備の総額と内訳をIMF統計によって綿密に調査し、その結果先進工業国の対外支払準備の総額のほぼ半分を(但し80年代半ばの統計)金が占めている(但しこの場合の金価格表示は市場価格表示)ことを確認しているためである。すなわち米国を含めた先進工業国では、最近においても外貨準備を金でもつ傾向は強いのである。
 金が貨幣であるというのを強調するのは、金本位制の時代と同様に、今日でも金が価値尺度機能を果たし、(すなわちこの機能は商品の価格を金重量で付与するということである)さらに価格標準機能を果たす、(これは機能というよりは役割といった方がよいかもしれぬが、金の一定重量に対して特定の貨幣名を与えるということであって、例えば金2匁をもって10円とし、円は5分の1匁の金を現すというのが法定価格標準である)ということである。もっとも今日では、かつてのような1オンスの金=35ドルというような法定価格標準はなくなってしまったので、現実の金の市場価格が上がるにつれてドルの価値が下がることで認められる事実上の価格標準があるにすぎない。Y氏も金の市場価格の長期趨勢的な上昇は、事実上の価格標準の低下(例えば1オンスの金が2000ドル〔ドルの減価〕というように)として重視している。このように、今日のマル経の学者が現在の貨幣を金であるとみる傾向が強いのは、今日でも貨幣が価値尺度と価格標準の機能、役割を果たしており、これによって価値法則が資本主義社会に貫徹しているとみるためであろう。実際貨幣を単に紙とみる立場からすれば、紙の商品の価値を尺度するとはみられないのではなかろうか。
 

ケインズによる管理通貨制の提唱
 だがケインズの立場はこうした見地とは異なるものだった。まずケインズが、『貨幣改革論』(1924年)や『貨幣論』(1930年)あるいは『雇用・利子・貨幣の一般理論』(1936年)等の著作活動を通じて活躍していた時代は、英国が第一次世界大戦の直後に金本位制から一時離脱し、不換通貨制度となり、しかしながら25年には金本位体制に再度復帰(再建金本位制)し、さらに31年9月には金本位制から再び離脱し管理通貨制へ移行するという貨幣制度の混迷の時代と重なっていたことに注目する必要があろう。19世紀における国際金本位制の時代においては、中央銀行たるイングランド銀行は,兌換銀行券を発行する半面では金準備を保持しており、金準備の対外流出入が英国資本主義の景気局面をコントロールする関係にあった。20年代にはケインズは、こうした金のような自然物によって経済システムがコントロールされるのは、野蛮な制度であると主張し、人間の叡知によって通貨の数量がコントロールされるような管理通貨制を構築せねばならないと主張したのである。ここにおいて彼はまた国内均衡と国際均衡なる概念を提示するのである。
 

国際均衡より国内均衡を重視
 国内均衡とは、物価の安定(および雇用の安定)をさす言葉であり、国際均衡とは為替の安定をさす用語である。この両者とも管理通貨政策の対象となるものであるが、彼はどちらかといえば後者よりも前者を、すなわち国際均衡よりは国内均衡の方を重視し、国内均衡の優位を保持することが重要であると主張したとされる。たしかに国内的には金貨または兌換銀行券が流通せず不換通貨(預金通貨を含む)のみが流通する国家においても物価安定のための管理通貨政策は可能とみなされるかもしれない。しかし実際には物価安定策はきわめて困難なのである。例えば、今日では日本は円高デフレに見舞われているが、政治家がいかにデフレ(物価下落)を解消せよと主張したとしても、円高=円の為替相場の高騰の基調があるかぎり、デフレはいかに金融緩和策をとったとしても簡単には解消されないのである。これに付け加えてケインズの場合の管理通貨政策とは、金融政策よりは財政政策の方を重視している。すなわち政府の財政面から需要を増やしたり(緩和策)、反対に需要を縮減したり(引締め策)して通貨量を調整し通貨価値を安定させようとするのである。だがこうした財政政策は、今日の日本の財政危機をみても判る通り、決して成功裡に達成されるものではない.因みに彼が金融政策を重視しなかった(ポスト・ケインジャンは必ずしもそうではないが)という点に触れるなら、それは、彼による利子論たる流動性選好説(貨幣需要説)からいえる問題である。彼は市場金利が一定限度まで低下すれば(例えば2%)人々は決して利付け債権を買おうとせず、貨幣のみを保有しようとする(流動性のわな)から、金利はそれ以下に低下せず、中央銀行は金利をコントロールできなくなるから金融政策の展開は不可能となるとみていたのである。
 

為替相場の安定の重要性に気づく
 このように考えられるが、しかしながら彼は、私の推測をまじえていえば、次第に物価安定は為替相場の安定に依存しなければ成立しないという点に気がつくようになったのではあるまいか。すなわち国内均衡は国際均衡よりも優位にたつというのではなく、国際均衡も国内均衡と同様に重要であるとみる立場に変化していったとみられる。そして国際均衡、すなわち為替相場の安定を図るためには、中央銀行(英国の場合にはイングランド銀行)が金を集中し、この金を適切に管理することが必要であると彼は主張するのである。その管理とは要するに中央銀行が金の売買価格を一定幅に抑制することであり、これを通じて自国の為替相場を安定させるということである。この点においてケインズは、国内の貨幣流通においては、不換通貨の創出で賄いうるが、国際的貨幣流通においては世界貨幣としての金が必要となるとして金の意義を認めたといえるであろう。それ故、管理通貨制とは、国内的には通貨を管理するシステムであるといえても、国際的には金を管理するシステムであるといえるのである。
 

超国民的銀行と国際清算同盟の提唱
 さらにケインズの著作たる『貨幣論』と『国際清算同盟案』(1943年)では、国際通貨を創出する国際機関の設立が提案されている。まず『貨幣論』においては、各国の中央銀行が協同して創設する超国民的銀行(Supernational Bank)の設立が提案される。この国際銀行の資産は、金、有価証券および加盟国中央銀行への貸出であるが、これに対して負債は、預金勘定として振替により国際通貨として利用される。この預金勘定は、加盟国中央銀行からの金の預託、他の中央銀行勘定からの振替、超国民的銀行からの借入れによって形成される。そしてこの預金勘定からの各国の金の引出しも可能である。それ故に、この預金勘定と共に金も国際通貨としての役割が与えられていることが明白となる。次に第2の『国際清算同盟案』による国際機関について考察しよう。この国際清算同盟も諸国が一般的に受けいれる国際通貨を創出して国際収支の決済を行わせようとするものである。そのさい加盟国がこの国際機関に保有するバンコールと呼ばれる預金が国際通貨となるとされる。しかしこのバンコールは加盟国がこの国際機関に金を払いこむことによって自国の預金として残高が創出されるとはいえ、加盟国はこの預金残高から金を引き出すことはできない。ケインズはこのバンコールなる預金を国際決済に役立てようとしているが、金を引きだしえない以上、金の国際通貨としての役割は超国民的銀行の場合に較べて一歩後退したといわざるをえない。だが、ここでも金の役割は一定程度認められているといえよう。
 ついでながら、彼が金(貨幣)の価値または価格という場合、正しく捉えているか否かについて一言触れておきたい。彼が金の価値・価格という場合は、金の購買力(相対的価値)をさしていっているのである。これに対してマル経の学者達が金貨幣の価値または価格という場合は、多くの場合、単に金の購買力をさすのみではなく(これも認めてはいるが)金の地金としての、実質的価値(投下労働価値)をも念頭においているのである。
 

ケインズの理論にも問題はあった
 IMF体制は、英国のケインズ案ではなく、米国のホワイト案が採択されて創設されたといわれている。だがこのシステムが国際通貨ドルを金に結びつけて各国の為替相場をも安定させようとしていたかぎり、ケインズの発想にも類似していたとみられるのではないか。このシステムが米国の国際収支の悪化=同国からの金流出によって崩壊したことは、ケインズの発想にも問題があったということを示唆するものといえよう。とはいえ、大戦後のIMF体制が4分の1世紀(25年)にもわたって持続したということも重い歴史的現実であったと認識することも重要であろう。
 

今日の為替相場の不安定性をいかに防ぐか
 1980年代に入って以後、米国の経常国際収支は赤字を継続させるようになり、これに伴って不換の国際通貨ドルの相場は低下傾向を続けた。その赤字は、大部分が米国企業の労働生産性の停滞とこれに依拠する国際競争力の低下に基づくものといってよかろう。それ故にまた、経常収支黒字国となった日本の円との関係では円高ドル安の関係となっていることは周知の事柄であろう。もっともごく最近の超円高はEU諸国の財政危機と米国の財政悪化問題とも関わっていることもよく知られている通りである。もしこの円高がさらに進めば、日本資本が海外に逃避して日本沈没の恐れもあるといわれる程深刻な事態である。米国でもドルの低下によって為替インフレが生じているであろう。まさに各国為替相場安定のための国際会議が開催されねばならぬ時期にある。
 だがその具体策は各国通貨当局によって容易に発見されそうにない。一つだけ注目すべき問題についていえば、今日ではドルの下落の半面としてロンドン金市場では、金価格が暴騰し、今年8月には1オンスの金が1800ドル以上となり、40年前の50倍以上に達したということである。米国は衰退したとはいっても、かなりの金保有国である(中央銀行の準備だけではなく、地下資源としての金を含む)ので、ドル相場の安定のためには、再び金とドルとの交換(例えば金1オンス=1800ドルとして)を考案する必要に迫られるのではなかろうか。もっともそのさいには金市場における金の市場価格の暴騰を防御するためアメリカの通貨当局が、ロンドン金市場で金を売却するといった措置をとる必要がある。(この措置はIMF体制下においても、金の二重価格制を防ぐため10年間ほど行われていた)。その他の国際通貨体制の再建策としては、それぞれの資本主義国の通過を単一のバスケットに各国のGDP比に応じてつめこむというようなバスケット通貨を創出してこれを国際通貨たらしめようとする案が考えられる。だがこの案は成功よりは失敗の可能性が大であると思われる。それは、今日の資本主義国の発展はきわめて不均衡なものであり、各国間のGDP比の変動ははげしいものがあると思われるからである。
 

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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