2016年6月23日、イギリスはEUからの離脱を国民投票で決めました。 離脱に至る様々な理由が並べられましたけど、一番大きな要因は、移民難民にうんざりしていたことです。 これで、EU加盟諸国の移民難民排斥に拍車がかかることは、間違いありません。 移民難民は嫌われています。 しかし、その難民を生んだのは、イギリスです、アメリカです、彼らが起こしたイラク戦争、アフガン戦争、シリア戦争、そしてアラブの春です。戦争を起こし、移民難民を作った者たちが移民難民の面倒をみるのは、アッタリマエです。 面倒を見たくないからと言ってイギリスはEUを離脱しました。 しかし、離脱しても、戦争責任を免れることはできません。
(1)シリア・トルコ国境で銃殺された避難民:
2016年6月19日、シリア北部にあるトルコ国境の町、ジスル・アルシュグールで、トルコに逃げ込もうとしていたシリア避難民に向けて、トルコ国境警備隊が発砲した。トルコ国境警備隊は、4人の子供を含む8人を射殺し、8人に重傷を負わせた。発砲したトルコ国境警備員は、威嚇射撃をしただけだと嘯き、トルコ政府は文句を言われる筋合いはないと、開き直った。 そして、「トルコはEUから、ヨーロッパへの移民難民流出を止めろと、強い圧力をかけられている。だから、数か月前から国境を閉鎖しているし、警備も強化している。どこ悪い!?」と、トルコは事件を糾弾するイギリスのNGOシリア人権監視団を一喝した。
人権団体によると、2016年に入ってから60人以上のシリア市民がトルコに殺されているそうだ。
2016年3月20日、EUトルコ難民協定が発効し、トルコは、EUから移民難民
受け入れの財政援助を受けたはずだが?その金はどこに??
なんたって、私腹を肥やして世界一の大統領官邸をおっ建てた大統領が威張っているトルコだ。 オスマントルコ大帝国の図々しさと傲慢さを見せつけられた。
(2)シリア・ヨルダン国境を閉鎖された難民:
2016年6月21日、シリア国境に近いヨルダン北東部ルクバンで車が爆発し、難民キャンプの警備をしていたヨルダン兵6人が死亡、14人が負傷した。この難民キャンプには、シリアの戦火から逃れてきた約5万人が住んでいる。6月6日には、パレスチナ難民のキャンプにあるヨルダン政府パレスチナ難民事務所が襲撃され、警察官ら5人が死亡した。
犯行声明はまだ出されていないが、ヨルダン政府はイスラム過激派の侵入を恐れて、ヨルダンとシリアの国境と、ヨルダンとイラクの国境を閉鎖した。イスラム過激派はヨルダン国内にも巣くっているから、国境閉鎖が、それほどテロ防止に効果的だとは思えない。それよりも、あおりをくらうのは、ヨルダンへ避難しようとするシリアやイラクの難民だ。もともとヨルダンには多数のイラク人やシリア人が住んでいて、国境を接しているヨルダン、イラク、シリアの3地域には、親戚縁者が錯綜している。トルコ国境が閉ざされた中で、新たにヨルダンの閉鎖。イラク。シリア難民はどこに逃げ込めばいいのか??
(3)地中海に突き落とされた移民難民:
2015年に地中海を渡って欧州に入った移民難民の数は、IOM(国際移住機関)などによると100万人に近いとされている。そのうち半分がギリシャに到着し、残り半分がイタリアに着いたという。ギリシャ着移民の70%はシリア出身で、イタリア着移民はエリトリア、ナイジェリア、ソマリア、スーダン、ニジェール、ナイジェリアなどのアフリカ人だ。2015年13日と19日には2000人近くの移民を乗せた5隻の船が地中海に沈み1200名の犠牲を出した沈没事故が起きた。この年には、一日当たり10以上の溺死体があがり、犠牲者の4分の3以上はリビア沿岸で活動する密航業者が運航する地中海海域だった。リビア人密航業者は、不満を漏らす移民難民を容赦なく海に突き落とすという噂だ。発見されない死体は、当然、数の中に入っていない。
実数は? 想像してみてください。
2016年6月9日、イタリア警察が拘束した移民難民密売人は人違い?らしい。「彼は人買いをするような人でなしじゃな~い。」と、彼の姉がBBCにツーショット付きで投稿してきた。確かに、逮捕されたエリトリア人メドハニ・T・バーへ(27)は指名手配の移民難民悪徳密売人メレド・メドハニ(35)と、似ていると言えば似ている、、がどう見ても同一人物とは思えない。姉によると、バーへ自身がヨーロッパへの移住を目指していたそうだ。
アフリカ人をぎっしり詰め込む運搬船は、15世紀から19世紀前半にかけて航行していた奴隷船に酷似している。諸悪の根源は、奴隷貿易を操っていた大英帝国やスペイン帝国やフランス、オランダ、ポルトガルなどのヨーロッパ諸国だ。
奴隷貿易時代の年間溺死者は、約5,000人から7,000人だと推測されている。2015年の移民難民溺死者が5,350人以上、、!? 我々の時代は、奴隷時代なの??
ヨーロッパの支配者たちは、アフリカ人や移民難民を人間と思っていないんだ!
(4)サハラ砂漠で渇死した難民:
BBC英国TVが2016年6月16日に、「ニジェール内務大臣バズム・モが、アルジェリアと国境を接しているニジェールのアッサマッカに近い砂漠で、34人の不法移民が渇死しているのを見つけた。そのうち、20人が子供で9人が女で5人が男だ。2人はナイジェリア人と判明したが、その他は国籍も身元も判らない。彼らは移民密輸業者から砂漠に捨てられ、6月6日から12日の間に渇きで死んだと思われる」と、報道した。IOM(国際移住機関)の推測によると、ニジェール北部のアガデス地方から国境の町アッサマッカを通って、アルジェリアの国境の町インゲッザムに入り、サハラ砂漠を越えていく移民難民は、2015年だけで12万人を下らないという。欧米がリビアを崩壊した後、サヘル以南のアフリカ諸国は旧リビア・カダフィ政権の援助を失い、経済が破綻したためヨーロッパを目指す不法移民が急増したという。
筆者は不法移民のルートとは逆に、アルジェリア南部のオアシスの町タマンラセットからニジェールを目指したことがある。中古のニッサン・パトロール一台にカメラマンと筆者とトアレグ族の案内人が同乗し、親友のアルジェリア人テイジャーニがハンドルを握ってパリ・ダカール・ラリーの難所に挑戦した。砂漠とはいえ、礫砂漠だから、古タイヤを容赦なく痛めつける。20キロ走ったらパンク、30キロ走ったらパンク、、みんなでタイヤを外し、チューブにつぎ当てをしながら恐る恐る進む。そのうち、スターターがいかれてしまいエンジンがかりにくくなってしまった。車を止めたくない、、とはいえ、数十キロ走ったらエンジンを止めないと焼き付いてしまう。押し掛けができる坂の上で灌木のある所を選び車を止めて、休憩した。とうとう、ガソリンを送り込むパイプに砂が詰まってニッチもサッチも動かなくなってしまった。「全行程約500キロのうち三分の二は来てるはずだ」と、案内人のトアレグ族は呟いた。9月とはいえサハラ砂漠の日中は、温度が60度を超える。夜間に距離をかせぐのがお利口さん、、とはいえエンジンが動かないんだからどうしようもない。満天の星を仰いで横になるしかない。朝になったら渇死してるかもしれないと思いつつ、車と太陽との格闘で誰もかれもがグッタリ、、眠ってしまった。
翌朝、車の音がした。太陽は既に昇っていて熱い。全員が大声で叫んでシャツを振った。運があった。ついていた。でっかいトラックが近づいてきた。
トラックの荷台から50人近い人たちがこぼれるように降りてきた。ニジェール、ナイジェリア、チャド、マリ、、国籍はバラバラ、女性も子供もいる。リビアに出稼ぎに行く人たちだった。リビアのカダフィ政権が、アフリカからの移民を無制限に受け入れていた頃の話だ。
我々のおんぼろニッサン・パトロールをトラックの運転手が応急処置をしてくれて、アルジェリア国境の町・インゲッザムに辿り着くことができた。が、無謀な国境越えは諦めた。
2016年、サハラ砂漠での砂漠の渇死人は誰も数えていない。国連難民支援機構の北アフリカ支部でも、サハラ砂漠で亡くなった人数のデータを持っていない。
一体どれくらいの難民の人たちが世界にいて、どれくらいの難民の人たちが無念にも殺されていったのか、、その数は推測に頼るしかありません。 2015年の移民難民の総数は、6,000万人を軽く超えるそうです。(UNHCR国連難民高等弁務官などの発表) 2015年だけで、欧州に到達した移民難民の数は、100万人以上だそうです。 そのうち、5,000人以上が亡くなられました。
そして、数えてもらえない難民の死者がどれだけいるのか? 名前も出身地も分からないまま、我々の想像を絶する無残な姿で、この地球のあちこちに横たわっている、、恐ろしい話です。
誰の責任ですか? 明らかに、戦争を起こした欧米の責任は免れること事ができません。 が、それらの戦争を止めれなかった我々、21世紀の人間にも責任があるのでは??
文:平田伊都子 ジャーナリスト、 写真:川名生十 カメラマン
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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