この論考は2009年のものですが、下敷きとなっているヤコブ・ラブキン氏(カナダ、モントリオール大学)の主著【「Au nom de la Torah: Une histoire de l’opposition juive au sionisme」(2004)】の日本語訳が『トーラーの名において―シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』(菅野賢治訳、2010年、平凡社)と して刊行されています。(すでに10言語以上で翻訳刊行中。)豊饒な学識を背景に、「シオニズムがユダヤ教の連続性に対する大胆な反乱であったこと」を克 明に論証しています。ユダヤ教内部からのこれほど完膚なきまでのシオニズム爆撃論は、これまで無かったのではないでしょうか。その普及版として本 年6月に 『イスラエルとは何か』(菅野賢治訳、平凡社新書、2012年)が、かなりの新規加筆の章を加えて出版されています。ぜひ、お読みいただきたいと 思いま す。ここに訳出した論考は、これら両著の基本的なデッサンといえるものです。拙訳ですが、著者の了解を得て訳出紹介いたします。
ヤコブ・ラブキン氏は、ユダヤ国家を名乗るイスラエルをユダヤ教の教え(トーラー)のまな板の上に載せ詳細で厳しい倫理的審査によってイスラエルの根底的な批判を提示しています。明治維新後、あらたな民族形成に歩みだした日本は、度重なる侵略戦争を経て第二次大戦の敗戦を経験し、今回、福島原発事 故による 未曾有の災厄に出遭いました。今後、日本人がどのような民族形成を獲得しようとするのか、どのような倫理的審査を自らに課すのか、氏に学ぶべきことは多いように思います。{2012年11月26日記)
Demystifying Zionism
By Yakov M Rabkin
http://www.informationclearinghouse.info/article23617.htm
■シオニズムの非神話化
ヤコブ・ラブキン著
2009年10月2日「インフォメーション・クリアリング・ハウス」
「シオニズム」という言葉は、さまざまな人々にそれぞれ異なる意味を与えている。中には良かれ悪しかれ無条件にイスラエル国家を防衛する栄誉ある バッジに 使う人々もいる。いまなお多くのシオニストは、シオニスト国家というイスラエルの呼称に不愉快な思いを抱いている。彼らは、「ユダヤ人国家」であり「ユダヤ民族の国家」であることに固執している。自身をシオニストと認めるかなり多くの人々は、自分の悩みの種をおおやけに表明することをしたくないまま、イス ラエルの存在と実際にやっている姿に悩まされている。かなりのイスラエル人を含む他の人々は、共通の自滅への道であるイスラエル/パレスチナ紛争 の和平へ の重要な障害としてシオニズムを見ている。最後に、いくつかのサークルにおいてこの言葉はひとつの侮辱として使われている。
この論考では、シオニストの思想および宗教との関連についてその起源の輪郭を描いてシオニズムの神秘性の覆いを取り除くつもりである。ここでは種種雑多な 見かけ上相矛盾する思考様式から、最近流行のかなり一枚岩の政治姿勢にいたるまでシオニズムの展開のおよそを素描し考察している。論考は、今日多くの人々 に関わる二つの疑問に解答を提供して終える。すなわち、カナダ、米国、他の多くの西側政府がイスラエル国家に提供している一貫したサポートをどのように説明するのか、およびシオニズムの拒絶とイスラエル批判がしばしば反セム主義(訳注1)の行為と見なされるのはなぜか、である。
【訳注1】この論考で著者は、ヨーロッパのカトリシズムおよびプロテスタンティズムに古くから根付いていた宗教的な「反ユダヤ主義 anti-Judaism, anti-Juwish」と、19世紀後半に現れ20世紀に猛威をふるい今日イスラエルに利用されている民族主義的、人種主義的「反セム主義 anti-Semitism, anti-Semitic」を区別している。
◆起源
シオニズムは、ヨーロッパの歴史および人間と社会が変化し始める現代史の最後の運動の所産である。シオニストとその反対者の双方は、シオニズムと イスラエル国家はユダヤ人・ユダヤ教徒(訳注2)の歴史における革命であり、19世紀および20世紀におけるヨーロッパ・ユダヤ人の解放と世俗化とともに 始まった 革命の一部をなしているという点では一致している。
【訳注2:jew, jewishは、ユダヤ人あるいはユダヤ教徒を意味するが、文脈によってはそのどちらかをあてがい、多くは「ユダヤ人・ユダヤ教徒」と表記した。
ヨーロッパの多くのユダヤ人・ユダヤ教徒を襲った神なき世俗化(訳注3)の波は、シオニズムを出現させる要因が不十分にもかかわらず、ひとつの必 然であっ た。いまひとつの重要な要因は、人種的あるいは科学的な反セム主義という世俗イデオロギーを抱え込んでいたヨーロッパ社会へのユダヤ人の参入に敵対する抵 抗でもあったということである。改宗による救済を目標とするキリスト教の反ユダヤ主義と違って、現代の反セム主義はユダヤ人・ユダヤ教徒をヨーロッパ人と その文明にとって本来的に他者、敵ですらある人種あるいは民族とみなしている。
【訳注3】secular、secularizationは、世俗的な、非宗教的な世俗化であるが、宗教的なものに対立する含意を強調して「神な き世俗化」と訳してみた。
神なき世俗化(セキュラリゼーション)は、さらに次のものの内部からユダヤ人・ユダヤ教徒のアイデンティティを変革した。伝統的なユダヤ教徒は彼らが何を 行うかあるいは何を行うべきかによって識別されたが、新しいユダヤ人は彼らが存在していることで見分けられた。じっさい彼らは同じ宗教の習慣をもっている だけで、ポーランドから、イエメン、そしてモロッコのユダヤ人まで同じエスニック・グループ(種族集団)に属しているどころか、大胆にも聖書的ヘブライ人 の子孫であると見なされたのである。テルアヴィブ大学のシュロモ・サンド教授のように若干の人々は、エスニック概念としてのユダヤ民族は、19世 紀後半に おけるシオニズムの必要性によってたんに「発明された」ものであったと主張している。結局、彼らはナショナリスト(民族主義者)であるためにひとつの民族を必要としたのである。
エルサレムのヘブライ大学イエシャーフ・レイボヴィツ教授の晩年の言葉に、「歴史上のユダヤの民は、同じ言語を話すひとつの民族としてでもなく、この国あるいはこの政治制度の国民でもなく、ましてや人種でもなく、トー ラーのくびきおよびその戒律…の受け入れを表明する特定の生き方をもつ人々として、その精神的および実践的な双方のレベルにおける特定の生活様式をもつ人々 として、 トーラーのジュダイズム(訳注4)とその戒律の民として定義されたものであった。この自覚こそ、この民の中で効力を発揮したものであった。それこそが民族 の本質を形づくり、世代を貫いてその自覚を維持し、時代や状況にもかかわらずそのアイデンティティを保持することが出来たのである。」
【訳注4】Judaismは、ユダヤ教あるいはユダヤ思想であるが、「ジュダイズム」と表記した。
シオニズムは現代的、民族的なものを選択して、伝統的な定義を拒絶した。したがってシオニストたちは、まったく別個の民族ないし人種としてユダヤ人・ユダヤ教徒にかんする反セム主義的見解を受け入れ、さらに、堕落した非生産的な寄生虫であるとユダヤ人に向けられた反セム主義の非難や責めの多くを内面化し た。シオニストたちは、ユダヤ人・ユダヤ教徒の嘆かわしい状態から彼らを改革し回復することに着手し始めた。元パリ駐在イスラエル大使、エリ・バルナヴィ 教授の言葉によれば、「シオニズムは、ユダヤ人の実存的不安を解消する救済策を必死になって探し出し、ラビに背を向けて現代的なものを熱望した… 同化ユダ ヤ人と知識人の発明であった。」しかしながら大部分のユダヤ教徒は、まさにその始まりからシオニズムを拒絶した。彼らはシオニストが、最悪の敵、 反セム主義者たちを利する行為をしていることを分かっていたのだから。前者がイスラエルにユダヤ人を集めようとしていた一方で、後者はユダヤ人という状態 から解放 されたかった。シオニズムの創設者テオドール・ヘルツルは、反セム主義者たちを彼の運動の「友であり味方である」と見なしていた。
シオニズムの中の多くの潮流で成功したものは、つぎの四つの目標を公式化した。①トーラーに集中していた国家を越えた治外法権的なユダヤ教徒のアイデンティティを、当時のヨーロッパ諸国によく見られた民族的アイデンティティに変質させること。②聖書的およびラビ的ヘブライ語を基礎にした新しい民 族言語を開発すること。③ユダヤ人・ユダヤ教徒を彼らの出生の国からパレスチナへ移送すること。そして④必要なら力づくで、かの地の至る所に政治的経済的 支配権を確立すること。ポーランド人、あるいはリトアニア人のように他のヨーロッパ・ナショナリストが帝国権力から「彼ら自身の主人」となるためにもっぱら祖国を 力づくで支配するだけであったものが、シオニストたちは最初の三つの目標を同時に達成するために、はるかに大がかりな挑戦に直面した。
シオニズムは、謙遜と譲歩を装う一時的な熱狂であり、伝統的なジュダイズムに対するひとつの反乱であった。それは、神聖な神の摂理を信頼する柔和 で敬虔な ユダヤ教徒を、自らの力に頼る恐れを知らない非宗教的な(世俗的な)ヘブライ人に変質させる断固とした試みであった。この劇的な変化は、ひとつの 見事な成 功であった。
◆シオニズムと宗教
イスラエルの同僚の皮肉な見方によれば、「この地に対するわれわれの権利は、簡単に言えば『神は存在しないが、神がわれらにこの地を与えたもう た』ということだ。」 まさしくシオニストの事業の根底には、神なき世俗的ナショナリズムと宗教的レトリックとが横たわっている。
確かにシオニズムは、祈りの言葉や救世主への期待を政治的・軍事的行動の鬨の声に変えた。ヘブライ大学教授シュロモ・アヴィネリは、シオニズムに ついての彼の理論的な歴史記述において、「大部分のキリスト教徒がキリストの再臨を待ち望む以上には、ユダヤ教徒はさらに行動的な方法で帰還のヴィジョン に関連させはしなかった。…この事実は、感情的、文化的、および宗教的な情熱のすべてにとって、パレスチナとの関連ではディアスポラにおけるユダヤ人の生活習慣を 変えることはなかったということである。ユダヤ教徒は、世界を変え彼らをエルサレムに連れて行くという救済のために一日3回祈りはするが、彼らは 実際にエ ルサレムに移住するわけではなかった。」 これらのことは、ユダヤ的伝統が集団的に、言うまでもなく情熱的にも、パレスチナの地に帰還することに希望を失っているというわけではない。この帰還は、 全世界のメシア的な救済の一部として働いているということである。
シオニストの目論見が、伝統的なユダヤ教徒の間にただちに対立を引き起こしたことはすこしも驚くことではない。「シオニズムは、かつてユダヤ民族 に現れた もっとも恐ろしい敵である。…シオニズムは、その民族を殺し、あろうことかその死体を玉座に献げたのだ。」 とほぼ一世紀前に、卓越したヨーロッパのラビが公言していた。イスラエルの学者、ヨセフ・サルモンがこの対立を説明している。
「もっとも深刻な危機を提供したのは、シオニストの脅威であった。というのも、救世主的待望の目標であるディアスポラ(離散)とイスラエルの地の 双方にお いて、ほかならぬ相続権が属する伝統的コミュニティを強奪しようとしたからであった。すなわち、現代的、民族的なユダヤ人のアイデンティティにかんするその提案において、新しいライフスタイルに対する伝統的社会への服属において、ディアスポラと救済にかんする宗教的理念に向かう心構えにおいて、シオニズムは伝統的ジュダイズムのあらゆる局面に挑戦した。シオニストの脅威は、あらゆるユダヤ・コミュニティに及んだ。それは包括的で容赦がなかったため、それゆえ妥協のない対立に直面した。」
「シオニストたちはダビデとゴリアテの役割を逆にして、けして戦争を讃えず、けして軍人を崇拝しなかったジュダイズムの堕落に帰す砲弾と銃剣のジュダイズム を創設することになるだろう。」と、イスラエル国家独立宣言のかなり以前から、ラビたちもまた重大な懸念を表明していた。これは、1967年にイスラエル軍に征服された占領地において、とりわけシオニスト入植地の原動力となった国家宗教運動の中で実際に起きたことであった。
伝統的なユダヤ教徒のシンボルを本質的に神なき世俗的シオニズムに接ぎ木することは、いかに矛盾しようとも効果は絶大である。イスラエルの力に対 する依存 という自己理解は、彼らが崇めつづけているラビたちのシオニズムへの原理的な拒絶にもかかわらず、それに気づいている多くのユダヤ人・ユダヤ教徒のあいだ でさえ増大した。より重大なことは、世俗的で無神論的な何百万もの人々に、新しい宗教としてシオニズムがジュダイズムに取って代わったことである。彼ら は、イスラエルにかんする不愉快な事実を避け、イスラエル非難を反射的に拒絶する。あたかも、ひとつの理想としてソ連を援助した西側共産主義者のように、 彼らは善良なユダヤ人としての行動を信じて、ほとんど現実とは無縁の理想的で仮想のイスラエルを応援し歓呼することになる。
同時に、ユダヤ人/教徒の幅広い多様性は、ユダヤ人/教徒の倫理的価値を破壊しユダヤ人/教徒を危機に晒しているとイスラエルや他の各地で訴えシ オニズムに反対し続けてもいる。ユダヤ人の民族主義(ナショナリズム)にしがみつく人々とそれを憎悪する人々のあいだの破断が、いつの日か修復されるかど うかはま だ誰にも分からない。言い換えれば以前のキリスト教のように、シオニズムはジュダイズムとは無関係な新しいアイデンティティを形成するだろう。
シオニズムがユダヤ人/教徒に深刻な分裂を招いている一方で、シオニズムは米国および他の地域で幾千万もの福音主義キリスト教徒と一体となった。 彼らのうちの一部の者は、イスラエルは「ユダヤ人にとって以上にキリスト教徒にとってさらに重要である」と主張している。有名な福音派の伝道師レバレント・ジェ リィ・ファルエルにとって1948年のイスラエル国家の創設は、「イエスの昇天以来、歴史上もっとも決定的な出来事であり、…聖地にイスラエル国家なくしてイエス・キリストの再臨はありえず、最後の審判も終末もない。」 イスラエルのためにキリスト教徒がひとつになった連合は、ユダヤ人世界の総計(1300万~1400万人の間)より何十倍ものサポーターに値する。19世 紀後半にユダヤ人がそれを取り込むかなり以前、アングロ・アメリカのプロテスタント世界に現れていた実際に聖地にユダヤ人を集めるというまさにこ のプロ ジェクト以来驚くこともないことだが、今日、大部分のシオニストはキリスト教徒である。
◆シオニズムの展開
シオニズム内部の政治的イデオロギーは、好戦的で排他的なナショナリズムから、ヒューマニスティックな社会主義や民族的共産主義にいたるまで、変 奏を重ねるのが常だった。前者が、圧倒的な軍事力に直面した先住民のパレスチナ人はシオニストの植民地化にただ黙って従うだろうと確信していた一方、後者はその発 展経過と近代化の最終的利益は、入植者と被植民者とのプロレタリア的一体性を導くだろうと信じていた。強引な個性をもって植民地主義者を公然と支持した右 派のウラジミール・ジャボチンスキーと違って、シオニストの先駆者の大部分の社会主義者は、シオニストと先住民の間の土地をめぐる対立を認めることを拒んだ。ムッソリーニを賛美し「戦争、反乱、そして犠牲」のためのユダヤ人の動員を叫んだジャボチンスキーは、社会主義シオニストの「潔白な武器」と いう彼らの主張と幻想を嘲笑った。
じっさい武力行使を重視する点では、社会主義シオニストのあいだではほとんどが共通であった。確かに、1920年代のファシストでさえ彼らは反動 的だと考えていて、何千という社会主義者や共産主義者、および一般のシオニストたちがユダヤ人国家のアイディアに反対されていたのである。同時に、労働シ オニストの指導者たちは、ムスリム諸国からのユダヤ人移民や現地のアラブ人に対しては、社会主義者の平等主義という基本原則を適用しなかった。社会主義 は、本質的な社会的政治的価値というより、むしろナショナリズム(民族主義)の大義名分のために利用すべき道具以上のものではなかった。将来のイスラエル国家の創設 者であるデヴィッド・ベン=グリオンは、1922年に次のように表明していた。
「われわれの活動方針を決定できるのは、社会経済的な生産の完璧な制度の諸原理にわれわれを調和させて活動を導く方法を探し出すことではない。われわれの思想と任務を決定すべき重大な関心事は、土地の征服と大規模な移住によってその道を築くことである。あとの一切は、たんなる議論や言葉遣いの問題にすぎな い。そして…惑うことはない…われわれは政治的な情勢を配慮して前進しなければならない。つまりこの地域および海外におけるわが民族の力とその力関係を しっかり認識して前進しなければならない、と言うべきである。」
イスラエル右派集団のもっとも著名な歴史家ゼーヴ・シュテルンヘルによれば、ベングリオンの社会主義は第一次世界大戦直後の時代のドイツ民族社会 主義に吹き込まれたものだった。彼の著書『シオニズム神話の創設』の序論では、ベングリオンの政治的見解である国家社会主義と称することを避けるために 「民族社会主義」なる語を発見することに、シュテルンヘルはどんな苦労もいとわない。一部のシオニストが国際的左翼に感心されていた1950年代の「小さいが美しい イスラエル」の消失を嘆いている一方で、必然的に現地住民の入れ換えを必要とする実践的シオニズムは、シオニスト先駆者たちを夢中にさせた社会主義者の理 想から遠く離れた排他的な民族主義に向かって発展することが期待されていた。
◆西側の援助
かつてイスラエルの政治評論家は、もしジャン・マリー・ルペンが彼の政党をイスラエルに移籍したなら、この国の政治勢力の中心左派に彼の政党を見 出すだろうと語っていた。イスラエルのメディアは、2009年に選出された議会を「レイシスト」および「ファシスト」と呼んだ。この選挙は、その陰で何千 という民 間人の死傷者を出した大規模なガザ攻撃を支持した大衆に押されて勝利を収めた。新政府は、ユダヤ人反対派グループへの警官の嫌がらせを増大し、一 連の抑圧 的な立法措置を提案し、かつ国連当局者の入国を妨害した。
しかしながら、オーストリアにおけるハイダーの大臣任命、あるいはガザのハマス選挙でさえ、引き続く非難をともなうこれらすべてに西側諸国政府は 反応しなかった。大部分の政府は、イスラエル民主主義の強健さに信頼を表明して非難声明を避けた。カナダの保守党政権は、イスラエルとの治安協力および熱心な支持 政策を続行した。イスラエルは、なぜこれほどまでに西側諸政府の支援を享受しているのか?
理由のひとつは、イスラエルの政治的、社会的、および経済的な諸条件の右傾化への転換である。競争が社会的連帯に取って代わり、富裕層と貧困層の 格差は増大し、さらに民営化はキブツを侵食した。これは、ソビエト連邦崩壊のあとを追った大多数の西側諸国の福祉国家解体への施策とぴったり符合する。あたかもソ ビエト・インターナショナリズムの反動のように、初めにバルト諸国の共和政体で、遅れてヨーロッパの残りの国々で公然としたエスニックな民族主義が復活し た。平等主義者の寛大な言説は、かつての支配的な立場を「他者」を排除する企てに譲ってしまったのだ。
自由主義的価値観は、他の何よりも一つの文化、一つの宗教、ただ一つの人種の優位を宣言することが容認されなくなったポスト・コロニアル時代に台頭した。 第三世界の支持を獲得するため超大国間で激しい戦闘が管理されていたことと並行して、冷戦は人種差別を違法なものとした。ヨーロッパおよび世界中の植民地 においては、過去の人種差別主義者の行為にかんして恥と悔恨が表明されていた。冷戦の終結は、このプロセスを逆転した。ひとつはSS兵士がウクライナに建てたモニュメントが判明して、また、ロマ、アフリカ人、アジア人がヨーロッパのいたるところで乱暴に襲われたことに注目して、フランスにおいて植民地支配 の正当化にかんする弁明が聞こえ始めた。チェコスロバキアは民族的な境界線に沿って平和裡に分解したが、ユーゴスラビアの崩壊は大量虐殺を伴った。西側諸 国がアフガニスタンおよびイラクを戦争に巻き込んだとき、民族的および宗教的な行為にかんする「固有の」要素を勘案することが合法性を回復したの だった。
ここで再び、市民ではなくエスニック(種族的)なナショナリズム(民族主義)を採用しているイスラエルが流行仕掛け人として登場した。シオニスト としては、彼らの国家の土台に先住民に対する不法行為が横たわっていることを認めないだろうし、追放されたパレスチナ人が憎しみを我慢していることを彼 らの強制追放と土地の没収への憤りのせいだとは考えないだろう。むしろ「アラブ」は、分別もなく憎むだけの人々、宗教的狂信、あるいはさらに現代のナチとして描かれている。一部の人々は、彼らを、多くの植民地開拓者に共通する動物学的用語リストの、動物や虫になぞらえてさえいる。9・11事件に対する西側の反応 は、進歩と自由にかんするアラブの非理性的な憎悪、および「ユダヤ・キリスト教的」価値に対する先天的な敵意というイスラエルの物語を喜んで採用した。さ らにイスラエルは、キリスト再臨の先駆けをイスラエルに見る福音主義右派に歓迎されている一方で、西側諸国に指揮された「対テロ戦争」に対する高度の専門 知識および技術にかんする特権的な情報源として重大な役割を演じてきた。
しかしながら、民主主義的な劣勢に陥って以来、西側の援助は脆弱になっている。彼らの政権がイスラエルを熱心に支持している各国の世論は、一貫してイスラエルを世界平和の主要な脅威と見なしている。経済界がイスラエルへの称賛を表明している一方で、労働組合やその他の草の根(グラス・ルーツ)諸組織は資本引き上げや制裁のボイコット・キャンペーンを繰り広げてアパルトヘイト国家としてのイスラエルを強く非難している。しかしイスラエルは、断固として自身を 正義の標識と位置付けてきた。
◆シオニズムを拒否しイスラエルを批判することは、反セム主義か?
大多数のパレスチナ住民―キリスト教徒、イスラム教徒、およびかなりのユダヤ教徒―の意思に反して単独で独立を宣言した1948年以来、イスラエ ルの指導者たちはユダヤ人の種族的多数派の確保について悩み始めた。彼らは、他の国々のユダヤ市民の移民を促進する方法の範囲を拡大した。本物か偽物かと いう―反セム主義の脅迫を受けた大多数の移民がイスラエルに移動した以上、反セム主義はイデオロギー的理由というよりむしろイスラエルの利益に大いに役 立ったといえる。
今日では、反セム主義はほとんどの場合中東紛争の副産物となっている。ユダヤ人は、TV放映にあふれているイスラエルの戦闘爆撃機、銃を所持した 兵士たち、シオニスト入植者たちに、ますます結び付けられている。しかしながら、イスラエル政府当局は、パレスチナ人に対する彼らの政策が世界中の反セム主義の原因となっているとは考えていない。それとは反対に、反セム主義の高まりはイスラエルの中でユダヤ人を安心させればいいという彼らの主張を支え、 実際には 移民を増大させている。
同時に、「イスラエルの臣下たち」(しばしばユダヤ人指導者と誤解された人物で前駐仏イスラエル大使エリ・バルナヴィによって造り出された言葉) は、イスラエルに対する忠誠を公言するだけでなく、老人ホームや病院などを含むユダヤ人施設の玄関に挑戦的にイスラエル国旗を掲げてさえいる。このような イスラエ ルと他の国々のユダヤ人・ユダヤ教徒市民との合成は、敵意を招き反セム主義を挑発している。標準的なシオニストは、イスラエルが―大部分のユダヤ教徒が支 配もされず居住もしていない遠く離れた好戦的な国家であるにもかかわらず―、イスラエルのやることなすことが世界中のユダヤ人・ユダヤ教徒を巻き込む「ユ ダヤ民族国家」であると主張している。イスラエルをユダヤ人国家と呼ぶことは、予想されるように反セム主義を助長し反ユダヤの暴力を増殖することになって いる。
これらの「イスラエルの臣下たち」は、反セム主義の告発にともなうもっとも穏当なイスラエル批判さえ圧殺することで、反ユダヤ感情をさらに高めている。これとは逆に、イスラエルの行動に反対し発言するユダヤ人は―「カナダ独立ユダヤ人の声」のように―原理主義的な反セム主義的信条を衰弱させている。彼らは、世界ユダヤ人の陰謀という反セム主義的デマに真っ向から反対して、ユダヤ人の生活現実の多様性―「二人のユダヤ人に三つの見解」―を具現化している。だが、ユダヤ人だけがシオニズムとイスラエルについて議論する「公認された」唯一の人々である必要はない。
ユダヤ人・ユダヤ教徒と彼らの歴史にかんするイスラエルによる合成は、理性的な議論を抑圧しまた混乱を助長している。以下の概念について比較対照 し識別することが重要な所以である。シオニズムとジュダイズム。国家としてのイスラエル、地域としてのイスラエル、領土としてのイスラエル、そして聖地としてのイ スラエル。ユダヤ人・ユダヤ教徒(イスラエル人とその他のユダヤ人・ユダヤ教徒)、イスラエル人(ユダヤ人と非ユダヤ人)、シオニスト(ユダヤ人・ユダヤ 教徒とキリスト教徒)と反シオニスト(再びユダヤ教徒とキリスト教徒)。イスラエルは、ホロコーストやオデッサのポグロムを参照することなく、そ れ自身の 長所と欠点に従ってどんな独立国家とでも同じように扱われるべきである。イスラエルについて議論する場合、反セム主義の含みを避けるためにシオニ ズムがユ ダヤ教の連続性に対する大胆な反乱であったことを忘れないこと、そしてイスラエル国家とその行動からユダヤ人とジュダイズムを切り離して考えることが重要 である。
シオニズムにかんするイスラエル知識人のひとりボアズ・エヴロンは、このしばしば感情的な問題に対して良識ある判断力を示している。
「イスラエル国家、および世界のすべての国家は、出現しそして消滅する。イスラエルという国家は、明らかに100年、300年、500年の間に消滅するだろう。しかしユダヤの民は、ユダヤ教が存在する限りおそらく1000年以上も存続するだろうと、私は思う。この国家という存在は、ユダヤの民に とって問題 ではない。…世界中のユダヤ教徒は、国家など無くともほどほどに善く生きることが出来るものだ。」(完)
(松元保昭訳)
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