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多国籍企業といっても、他国法制のいろいろな制限の中で短期や長期の計画の下に動いているわけで、実際、実績が悪ければ退却するだけの余地もあり、戦略的に見通しがなくなる以前に如何に投資損をしないかも各拠点や本社側での神経を注ぐ問題である。戦略上の位置が優れたものであっても、その地域の文化や人材に反撃を食うこともあるし、現在の中国の法制のように100%の自己資本で経営できないこともある。
そこでは他国資本に対する金融資本と一体となった企業自身の安全確保策が、「本国」の官僚機構の助力のもとに組織を企業内部では国家と連関するひとつの運命共同体化する日本的な動きも伴う。
他方、各企業によって、戦略基地への一般的姿勢は異なっているし、その基地ごとに戦略を変えて対処することも多い。経営を現地の人材主導にしたり、生産に国籍はないと国内からの駐在者や在外自国人、現地の人材などを動員して生産体制を組む場合もある。
これは実質、マルクスがその宣言の中で展開している状況であり、基本的には「国家」の存在を利用しながら自己の利潤を追求している勢力の運動でもある。その点で現時点では「国家」枠の思考様式は経済の中では縮小し始めている。
社会はこのような形の発展能力を実現してきたと言ってよい。これは昔存在していた社会主義者たちが「社会主義国」を形成したり、「国家システム」を歴史的に不可避な前段階として軍事化したり、国際主義から一国社会主義へと路線を変えた途端に民衆の天皇への帰依にひれ伏したりしてきた実情とは全く異なって、社会そのものの動きを資本と重ねなおして、多国籍企業は実に、国内的には「国家」を利用し、「国家目標」を提起しているのである。
その意味では、この多国籍企業の本拠地を自認し始めている社会の人々が、他国の労働者の問題を無視しながら「国家」概念に閉じこもっている事態は、実は多国籍企業あるいは日本資本主義の知性の対外的な姿勢にとっては都合のいいことでもあろう。またいくつかの日本企業では、既にアメリカ支社などの対外拠点が企業戦略の基幹部を抑えていることも多い。