(http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spain-5-nightmare_after_graduation.html より転載)
●単なる「失業率の数字」に現れない社会の実体
スペイン国家統計局が2012年4月に発表した統計によると、スペインの失業者は560万人を超え失業率は24.44%となった。つまり就業を望む国民のうち4分の1に職が無い状態である。2012年に入って1ヶ月の間に、1日につき9000人が職を失った。失業率は、先に国家破産状態となったギリシャ(21%)を超え、破産宣告をしたアイルランド(14.7%)やポルトガル(15%)よりもはるかに大きい。バブル崩壊による経済危機が表面化する前の2007年第3四半期での失業者数は180万人であり、5年もたたずに3倍以上にも増えてしまったのだ。単なる株価や国債利子率などの数字で見るよりもはるかに深刻な事態がスペインで進行している。
もちろんだが、この560万という数字には職探しを諦めた者や職を求めて外国に向かった者の数は含まれない。またバブル最盛期には数百万人規模でいた合法・非合法の外国人居住者、特に非合法の者達の多くが国外に去った。2008年以降に「失われた仕事」の総数は、おそらくこの公式な統計の数字よりもはるかに大きなものだろう。バルセロナの街角を眺めても、以前は外国人か若い人々が行っていた道路清掃などの仕事を近頃では中年のスペイン人男性が中心に行っている。数年前まで普通の会社で事務職をやっていた人もかなりいるのではないかと思われ、おそらくは3ヶ月程度の短期の仕事だろうが、それでも職にありつけるだけましである。また街頭にはやたらと物乞いの姿が増えている。以前はルーマニアから流れてきたヒタノ(ジプシー)が多かったのだが、近年では初老のスペイン人の姿をよく目にする。
ただしこの現在の失業率が最高記録というわけではない。実はこの20年間で最も失業率が高かったのはフェリペ・ゴンサレス社会労働党政権終盤の1994年で、そのときには実に24.55%にものぼっていたのである。だが2012年の数字の内実は過去のものとは根本的に異なる。公表された数字だけ見ていては社会と経済の実体を知ることはできない。
スペイン国民は元から失業率が10%を超える状態には慣れており、以前はそれでも何とか生きていくことができた。1980年代に社会労働党政権が発足して以来、この国の労働者は以前には考えられなかったような膨大な権利を手にしていた(というかフランコ独裁時代には労働者の権利などロクになかった)のである。失業者に対する最長2年の失業保険給付など手厚い保護の政策があり、また伝統的に家族で同居する割合が高く同居者のうちの何人かに仕事や失業保険、年金などの収入さえあれば、その家族の生活が維持できた。スペインの中では抜群に物価の高いバルセロナやマドリッドなどの大都市でも、少なくとも食料品と家賃は日本などと比べて圧倒的に安かったからだ。また、失業保険の給付を受けながら当局のチェックを逃れて「ネグロ(闇)」と呼ばれる小額の臨時収入を手にする道が様々にあった。これはよほど派手にやるか誰かの告発でもない限り当局者もあえて厳しく調べようとはしなかった。
ある意味で非常に牧歌的な状況であり、また社会的な面でも日本に比べるとはるかに余裕があった。多くの公営のスポーツ施設や文化活動の場は無料か非常に安い料金で使用できる。カタルーニャ州などでは金融機関はその収益の一部を社会的な活動に使う義務を負い、日本では考えられないような贅沢な絵画や彫刻の展覧会が市民に無料で提供されてきた。また都市の各地域で行われる祭りや音楽祭などの行事には市からの膨大な援助があり、特に夏には著名な音楽家や歌手による無料コンサートなどが行われるのが普通だった。だから「失業率10%」とか「15%」などといわれても、今のように社会が荒んでギスギスした雰囲気に包まれるようなことはまず考えられなかった。
2008年以後にスペインの市民社会から失われたものは、ただ単に経済的な余裕ばかりではない。英国ガーディアン紙の調査によると、今年(2012年)に入って欧州の中で文化・芸術施設や行事の予算を最も多く切り捨てているのがスペインなのである。公的な機関ばかりではなく、不良債権を抱えて窮地に立っている金融機関も、以前のような市民社会の中に文化的貢献を果たすだけの余裕を持たない。一般の人々も文化的な行事に参加したりそれを支えたりする余力を失いつつある。基本的人権の不可欠な要素となっている「文化的な生活」は、いまこの国の中下層の階級から力ずくで奪い取られようとしている。
●社会主義者による成功と失敗
その一方で従来は、社会保障(健康保険、失業保険、年金)の企業負担は重く、賃金の改定や人員整理に対する労働組合の発言権は絶大だった。雇用者は1ヶ月の短期雇用でも社会保障費を国に納める義務がある。こちらでは日本のような「物件費」で落とす「アルバイト」は基本的に非合法なのだ。ごく一時的な仕事でもとにかくお金を払う場合には正式な人件費として登録しなければならない。特に雇い主の都合で辞めさせる場合には高い違約金を払う必要がある。逆に言えば、それだから「ネグロ」の仕事が登場することになるのだが。
そのような制度の中で、スペイン国民の多くは、おおよそ自分の仕事の効率や所属する企業の収益など気にすることなく、半年か1年ほどどこかの職場で働いて、ちょっと気に入らなければすぐに辞め1年ほど失業保険と、ひょっとすると当局にばれない程度の「ネグロ」の収入を得て過ごしながら、また次の職を探すという生活が当たり前の状態だったのである。派手な生活さえ望まなければけっこう自由でゆとりのある生活を楽しむことが可能だった。
このような労働者優遇の制度が、特にスペイン国内の企業の90%以上を占める中小零細企業、街の商店やレストランなど、大部分の人々の生活に密着した職場の事業主にとって非常に頭の痛い問題を作っていたのは確かだ。高い社会保障費を納めながら仕事に慣れない者を我慢して雇い続け、やっと少し熟練したと思ったとたんに辞められ、また新しい従業員を探さなければならない。ただでさえ計画性に乏しくその場限りの思いつきとやっつけ仕事に陥りがちなスペイン人なのだが、こんな状態では高い労働生産性など望むべくも無かった。
それでも1980年代までは賃金の基準が欧州の中では最も低い部類だったため有力な外国企業が多くスペインに進出した。他の中小の職場もそのおこぼれに預かって何とか仕事を回すことができたが、東欧圏が「解放」され90年代により安価な労働市場が開放されて以来、スペインから撤退する企業の例が次々と増えていった。加えて、2007年から始まったバブル崩壊による経済の沈没は今までの牧歌的な状況を一気に変えてしまった。世界的な景気の悪化による生産縮小の影響が大きいとはいえ、その原因の重要な一部にこういったスペインの雇用政策があったといわれる。
もちろん為政者が外国企業の撤退を見越して自前の産業基盤を自力で作っていく努力をしていけばよかったのだろうが、政府も官僚も財界もそんな自力本願の発想とは無縁だった。そして、1996年についに社会労働党政権の無為無策ぶりと経済の停滞に業を煮やしたスペイン国民は、長期間タブー扱いされてきた元フランコ与党の末裔である国民党を選んだ。しかしそのアスナール政権(1996~2004)による「自前の産業」は、このシリーズの(その2)、(その3A)、(その3B)でご説明したとおり、目先のカネに目がくらんで自らの経済をぶち壊しただけの愚劣この上ないものだった。
それは何の脈絡も無い土建業者への派手なばら撒きとタックスヘイブンへの送金しか考えないスペイン支配層による「新自由主義経済」、つまり無秩序な略奪の横行を実現させ、スペイン社会からありとあらゆる余裕と豊かさを奪い取った。その間に家賃と住宅ローン返済は猛烈な勢いで上昇を続け、公共料金や食料を含む物価もまたそれを追いかけるように高くなった。2007年のリーマン・ショックが「繁栄と成長」の幻覚が拭い去られたときに国民の下半分の階層に残されたものは、あらゆる余裕を剥ぎ取られた荒んだ生活だけだった。
●労働改革による「カースト社会化」
2004年に政権は再び社会労働党に戻されたが、2008年に本格的な経済危機が訪れて以来、スペイン政府は増え続ける失業、特に若年層の失業への対策として、経営者と労働組合と政府の3者の話し合いで労働法の改正作業を進めた。サパテロ政権が標榜していたのはかつて東西合併後のドイツが長引く不況を克服する際に用いた方法、つまり、失業者を減らすために危機を脱するまでの期間の労働と賃金の「分かち合い」を手本にするものだった。しかしこのような理想主義がスペインで実現する見込みはゼロに等しかった。
その方法はドイツ人のような客観的な状況判断と理論的な筋道を大切にする国民だからこそ成功したのである。また、1990年代のドイツ国民にはまだ「分かち合う」ことができるだけの余裕があった。さらにスペインの場合、自前の生産手段と資本の分厚い土台を持つドイツとは異なり、外国企業を誘致し金持ちの外国人を招いておこぼれを頂戴することを経済活動と心得る貧弱な発想が根付いていた。おまけに本来なら国内での再生産への投資と貯蓄に向かうべき資金がすでに底なしの「ブラックホール」に吸い込まれ、借用書だけが残されていた。全てが見当はずれで全てが手遅れだったのだ。
そしてその実態を、サパテロ政権の労働移民大臣コルバッチョは正直に告白した。この労働改革は雇用を増やすものではなく雇用を破滅させないようにするためのものだ、と。つまりそれは、職場で雇用を確保するためには雇用条件の悪化と人員整理を我慢しろ、というものに過ぎない。実際には、この労働改革が始まってから、1ヶ月に平均して3万~4万人ずつが新たに職を失っている。これが社会保障政策を最大の柱とする政権から生まれたものである。皮肉というにしてはあまりにも無残な話だろう。
労働改革はそれ以来、国民党政権に取って代わった現在まで延々と段階を追って進められているのだが、スペインの労働者階級は以前に享受していた権利をそのたびに剥ぎ取られている。以前は非常に難しかった正規労働者の解雇や賃金の引き下げがこれから後は企業の都合だけで簡単にできるようになり、年金は積み立て期間が延ばされた上に需給開始年齢が67才にまで引き上げられた。そのうえで病院や養護施設から飛行場や鉄道にいたるまでの数多くの公営企業が国内外の大資本によって「民営化=私物化」されようとしている。
しかしこのような変化は決して、スペイン社会全体に均一に平均的に進んでいるのではない。労働人口の4分の1が失業状態、ということは逆に言えば、4分の3がまだ職を得ているという意味になる。その4分の3の中でも下層に含まれる者たちはいつ整理されるのか分からない不安定な状態だが、それよりも上にいる全体の半分程度の者たちの生活に大きな影響はないだろうし、トップの数%の者たちは逆に収入と権力の拡大のチャンスに恵まれることになるだろう。社会の矛盾と惨状は下の方に沈殿していき、その沈殿物は時間を追って増えていくはずだが、決して社会全体を平均して沈めていくことは無い。
2010年7月末の国家統計局の統計結果によれば、この時点ですでに130万を超える家族が、親、夫婦、子供を含め、全員に職の無い状態であった。しかもバブルの「あぶく銭」が消えてなくなり以前のような「ネグロ」の収入も見込めない。そしてその数は、2012年6月には170万家族に拡大している。そして、住宅ローンが支払えずに銀行から住処を追い出される数は今年1~3月の間に約4万7千件に達した。1日ごとに510家族が路上に放り出されていることになる。これが現実だ。不況と失業の波はこのような中下層の者達を集中的に襲っているのである。
職の無い人々は、失業保険の延長とともに、2011年1月から導入された長期失業者に対する月額400ユーロの援助で何とかかろうじて生きている状態である。それもいつ打ち切られるか分かったものではないし、そもそも400ユーロでは家族の食料の足しになる程度のものに過ぎない。こうして今まではさほど明らかではなかった中流以上の階層とそれ未満の差が近年中にはっきりしてくるものと思われる。いずれそこに生まれるのは、従来までの中南米や東南アジアで一般的な、一握りの上流階級、薄い層の中流階級の下に、膨大な下層・貧民階層が横たわるカースト社会だろう。欧州(今は一部の国々だが)や、おそらくは日本が向かおうとしているのは、こういった、中南米諸国がいま必死に脱出を試みている状態なのだ。
もちろんだが、そのような中で最も深刻な被害を受けるのは10代と20代の若年層である。
●失われた世代:「雇用難民」と化す若者たち
2010年8月に、ジュネーブに本部を置く国際労働機関(ILO)は、2009年に世界中で15~24才の若年層の13%、約8100万人が失業状態であり、これは今までの統計上最大の数字であると発表した。彼らは、人間の社会的な人生にとって最も大切な最初の時期に経済活動から切り離されてしまった「失われた世代」の登場を警告したのである。ILOは2012年5月にも、この年中に世界の若年層の失業率が18%に達するだろうと予測し、特にスペインやギリシャなどの欧州諸国で事態が深刻化しつつあると語った。実際には、2012年1月に発表された統計によれば、スペインの若年層の失業率は50.5%という驚異的な数字にのぼっている。「経済危機」が本格化する前の2008年上四半期に同じ若年層失業率は21.3%だったのだ。
もちろんこの「失業率」の母数である「働く能力と意思のある人数」に学生は含まれていない。また「職探し」を諦めた人々の数も入っていない。2010年9月の統計によると、スペインで、学生でもなく職にも就いていない若者の割合は14%を超えており、欧州の中で最も高い数字となっている。(最も低いのはオランダとデンマークで約4%。)もちろん彼らの多くは親族に面倒を見てもらっているのだろうが、この大部分の親族すらぎりぎりの生活を送っていることは今までの統計で容易に想像が付く。それでも大学に行く費用が安いのならまだ救いようがある。しかしいかんせんスペインの大学は欧州の中で最も高い授業料と最も低い奨学金を誇っている(?)状態なのだ。
2011年4月に明らかにされた政府当局の数字によると、同年1月から3月にかけて新たに職を失った約26万人の90%が35歳未満だった。失業者の中で1年以上も職を探し続けている割合は46%だが、35歳未満の人々ではより厳しい状態にある。この年の5月15日から始まったいわゆる「15M(キンセデエメ)運動」の背景にはこのような現実がある。
2012年2月1日付のエル・ムンド紙は「危機の間に30万人のスペイン人の若者たちがスペインから出て行った」という記事を掲げた。これは一部のスペインの企業家が作るFENAC財団と経営者協会幹部の資料と見解をまとめたものだが、それによると、経済危機が表面化した2008年初頭以来2011年末までの4年間で、31万人近くの若いスペイン国民が外国に移住したが、その大部分が大学や上級職業学校などで高等教育を受け様々な分野で上級の技術を身に付けている階層である。この国にも優秀な理工系の学生や研究者は大勢いるのだ。そういった本来ならスペインの経済再建に従事すべき人材が、いま雪崩を打って自分の国から脱出している。2012年の第1四半期には4万人を超すスペイン国民が国を捨てて外国に向かったが、そのほとんどが25~45才の最も活動的で生産性の高い世代なのだ。
もちろん収入が高い英国やドイツなどで仕事を探す上級の教育と訓練を受けた人々は以前からいた。特に2002年のユーロ導入とEU内での労働市場の自由化以来、その傾向は強まっていた。21世紀に入ってスペインでは腕の良い若い看護婦が不足し各地の病院で問題になっていたが、その原因は、優秀で英語を学んだ看護婦が次々と、看護婦が不足しより高い給料を支払ってくれる英国に向かったことである。若い医者も同様で優秀な者ほど外国に去っていく。ただ、これは要するに職業選択の幅が欧州中に広がったことで少しでも有利な職場を求める自然の現象だ。
しかしこの数年間で自らの国を離れる人材では事情が異なる。英国などの欧州北部に向かう医者や看護婦の数は2010年から12年の2年間で2倍に増えている。大学では最後の学年になっても国内企業からの求人がほとんど全くといってよいほど無いのである。誰だって少しくらい条件が悪くても国内での求人があるのなら、就職先として第一にそこを当たってみることだろう。しかし無いものはどうしようもない。筆者の知り合いの大学生や大学を卒業したての若者たちは口をそろえて「外国で職を見つけるルートを探している」と言う。大学の先生もそのために奔走している。実際にこの1年間にドイツで職を見つけて住み着いたスペイン人の数は11.5%も増えている。
筆者の知る工学部の卒業生は、「メシを食う」というだけなら国内で何とかなるかもしれないと言う。ただし自分の専門から外れた方向でなら、ということだ。せっかく必死の勉強で身に着けた構造力学の知識と応用技術を生かす方法は、今のスペインでは見つからない。「本当に馬鹿げている」と彼は憤る。「この国は多くの費用をかけて教育と技術を施し、その人材は結局ドイツやイギリスのために働くしか無いのだ」と。国家建設の基本デザインを持たない為政者を持つと、その国がどうなってしまうのか、スペインが格好の見本を作っているようである。優秀な若い世代を失った国はその未来を失うしかあるまい。「失われた世代」は「失われた国家」を作るのみである。
●電気を止められた公立学校
「大学は出たけれど…」は日本でも言われているが、こちらでは大学や中級・上級の職業訓練校を含めて「学校を出たらそこは暗闇」の状態である。しかし実は卒業生だけが「暗闇」の中にいるのではなかった。
2012年1月、南欧スペインとはいっても冬の寒さはやはりつらい。とくに山間部ではマイナスの温度になることも珍しくなく、日の光が当たる時間も短い。その中で、バレンシアやバレアレス、カスティーリャ・イ・ラマンチャ、カスティーリャ・イ・レオンなどの州で、公立学校への電気が止められたのである。こちらの写真に見るように、全国で700に近い公立の小中学校、職業学校、大学が照明も暖房も無くコピー機も使えず、給食を作ることすらままならない状態に陥れられたのだ。理由は、その地方の自治体が配電会社に電気代を長期間支払っていなかったからである。文字通り「学校に入ってもそこは暗闇」である。
照明用の電気だけはじきに何とか確保できたものの、全国で50万人もの生徒・学生が、こちらの写真にあるように暖房の無い教室でオーバーや毛布までかぶって震えながら授業を受け、家から持ってきた冷たいパンをかじりながら勉強をしなければならなかった。こちらの写真とこちらの写真はこの悲惨な状態を訴え州政府に抗議するバレンシアの上級職業学校の学生である。
電気を止められた学校が特に多かったのはバレンシア州だが、そのバレンシアで公金、つまり住民の税金がどんなふうに使われていたのかは、当シリーズの(その2)、(その3A)でご確認いただきたい。
飛行機が飛ばない飛行場の建設、走る自動車がほとんどない高速道路の建設、大きく奇抜なだけで役立たずの施設の建設、自動車レースのF1グランプリやヨットレースのアメリカンズ・カップ開催とそのための膨大な施設の建設、ローマ教皇を招いての大規模な宗教行事とその準備や中継費用、王族による公金略奪への関与、等々。そのたびに数十~数百億円単位でカネが飛び交い、地元ボスと国民党の政治家やカトリック教会や自称芸術家たちの懐を経て、大銀行の金庫と外国のタックスヘイブンに消えた。その結果、公立の小中学校、大学進学コースと職業学校、公立の病院や養護施設などに必要な費用が極端に不足し、学校の電気代すら半年以上も支払いが行われなかったのである。
バレンシア州などは1ヶ月ほどしてようやく国からの援助で滞っていた電気料金の一部を払ったのだが、しかし4月以降も公立学校維持のための経費を出し渋っている。教員の首を切り教室を合同にして人件費を大幅に削り、まともな授業のできない状態のまま学年末と夏休みを迎えてしまった。このままでは今年の冬が思いやられるが、その前にこの9月から、従来まで4%に抑えられていた学用品への消費税がなんといきなり21%にされてしまったのだ。この国の支配的な階級の者たちは、自分たちの子供にはバブルの最中にたっぷりと肥やした懐のカネでオプス・デイかイエズス会の経営する私立学校に行くのだから、下々の子供たちが直面する状況には何の痛みを感じることも無い。そういう種類の者たちである。そしてこれが彼らの「新自由主義」なのだ。
●警察官も軍人も抗議の隊列に
2011年の夏は15M運動参加者たちの行軍に彩られた。当サイトの『15-M(キンセ・デ・エメ)』シリーズ『第7話:5月15日から10月15日への「長征」』にあるとおり、数万の人々がスペインの各地から歩いてマドリッドに終結し、そこからまたブリュッセルまでの行進が始まったのだが、2012年の夏には、全国にある石炭鉱山の労働者たちによる行進が新聞やTVをにぎわすことになった。政府はエネルギー政策の転換と称して、国営の炭鉱を次々と縮小・閉山に追い込みつつある。本来ならば、もはや原子力に頼ることはできずまた石油価格決定権を国債資本に支配されている現状だからこそ、国内産の石炭を保護する必要があるのだが、この国の為政者の頭の中では、銀行救済と特権階級の利権確保のため以外の出費は全て撲滅の対象である。何せ彼らは小中学校の電気を止めて平気な者たちなのだ。
6月半ば以降、アストゥリアス、ナバラ、アラゴン、ガリシアなどスペイン各地の炭田から出発した2万人を超える炭鉱労働者たちは、自らの2本の足で歩きとおし7月9日にマドリッドのプエルタ・デル・ソル広場に結集した。そしてそこで支援の労働者や15M運動活動家を含む市民たちの熱狂的な歓迎を受けたのである。地元の炭鉱では彼らの仲間たちによる、地下深い坑道に立てこもってのストライキが続けられた。
そして同じ7月9日、カタルーニャ州では、マスコミでの扱いは本当に小さかったが、今まで考えることもできなかった動きが起こっていた。人員整理と待遇の悪化に抗議する州警察の警察官たちが、州北部のジロナ市から州政府のあるバルセロナまで100kmの道の行軍を開始したのである。人数こそわずか6人だったが、警察官が有給休暇を費やしてこの「不況」と呼ばれる詐欺犯罪への抗議を明らかにしたのだ。
地方公務員の切捨てに対する抗議が続くマドリッドではもっと驚くべき光景が見られた。非番の国家警察の警察官たち数十人が抗議する労働者の隊列に加わったのだ。また公務員の中でも、学校教師と並んで最も厳しい整理の対象となっているのが消防士たちである。今年のスペインの夏は異常な熱波に襲われて記録的な山火事に悩まされている。しかしどの地方でも消防士の人数が足りない。全国で消防士たちの抗議活動が続いているのだが、マドリッドで行われた消防士たちの抗議活動に対して、警備にあたる武装警官隊の一部が紺色のヘルメットを脱いで彼らに敬意を表し、その姿はテレビで全国に報道された。
そして7月30日にはアンダルシア州セビージャ市で、この「不況」という名の国家犯罪と政治腐敗、理由無き首切りに抗議して、国民党の地方方部前で、消防士などの公務員が中心となり色とりどりの発炎筒を炊き放水を繰り返す激しいデモが行われたのだが、その中には同時に、地方警察官、国家警察官、シビルガード(軍隊に所属する国内治安部隊)、そして正規軍の軍人たちも加わっていたのである。もちろん、だからといってロシア革命前の戦艦ポチョムキンのような状態になっているわけではないのだが、この国の「経済危機」なるものが巨大な詐欺であり犯罪であるという認識が、社会の一部の者達だけではなく、幅広くいろんな職種の隅々にまで広まりつつある現状を表している。
2012年9月からは、消費税の極端な上昇が、低所得者、特に500万人にのぼる失業状態の人々とその家族に、そして小中学生を含む若い世代に、いっそうの苦痛と困難を浴びせかけることだろう。消費活動はさらに大きく落ち込み、中小の商店と企業はシャッターを下ろす以外の方法を持たないだろう。国民党政府は「援助」という名の新たな借金で富裕階層の利権を守りつつ、下層の国民を貧民に、中流の者達を下層に叩き落しながら、IMFと欧州中銀の求める構造調整、つまり国家と国民生活の破壊にまい進することになるだろう。株式市場や国債利子率の数字といった新聞に表れる数字など、こういった社会の実体を何一つ表すものではあるまい。日本で「いざなみ景気」と言われた2000年代初期の「最も長い好景気」の間に、小泉改革に蝕まれていく実際の日本社会がどう変わってしまったのか、思い出してもらいたい。
次回は、今までの経過をまとめて経済に名を借りた詐欺・強盗の正体を明らかにしてみたい。
(2012年8月下旬 バルセロナにて 童子丸開)
シリーズ: 『スペインの経済危機』の正体
(その1)スペイン:危機と切捨てと怒りのスパイラル 【Socialist Review誌記事全訳】
(その2) 支配階級に根を下ろす「たかりの文化」
(その3-A)バブルの狂宴:スペイン中に広がる「新築」ゴーストタウン
(その3-B) バブルの狂宴が終わった後は
(その4) 「銀行統合」「国営化」「救済」の茶番劇
(その5) 学校を出たらそこは暗闇
(その6) 「危機」ではない!詐欺だ!(予定)
(その7) 狂い死にしゾンビ化する国家(予定)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye2027:120825〕