英国の哲学者ジョン・スチュアート・ミル著「自由論」が光文社古典新訳文庫から翻訳されて出ている。近年、「自由」という言葉が最も頻度をもって使われるのは新自由主義という言葉だから、この本も何かそれに関係があるのか、と思う人もいるかもしれない。すでに「自由」という言葉が私たちの生活の中で、ほとんどその本来の力を失ってしまったからだ。
「自由論」には5つの章が設けられているが、その白眉は第二章の「思想と言論の自由」であろう。ここでミルは思想を統制したり、自由な意見の発表を阻害したりすることは人類全体に害を及ぼすとしている。
「一人の人間を除いて全人類が同じ意見で、一人だけ意見がみんなと異なるとき、その一人を黙らせることは、一人の権力者が力づくで全体を黙らせるのと同じくらい不当である」
この意見は一見、極論のように感じられるが、ミルはその根拠を次のように説明している。
①今、世の中の主流になっている意見は間違っている可能性がある。100年後には違った思想が正しいとされている可能性があること。
②仮にもし今の主流の意見が正しいとしても、少数意見とぶつかり合うことで真理がより磨かれる機会を持ち得ること。
ミルがこのように考える背景には常に時代を変え、真実を掘り起こして来たのが最初は少数の声だったという歴史的事実による。今日常識となっている地動説ですら、最初にその説を唱えた学者たちは火あぶりの刑にされるリスクを持っていた。さらに軍国主義になれば国家主義に逆らう思想や科学の書は禁じられる。これはナチズムでも昭和初期の軍国主義の時代でも実際に起きた歴史的事実である。
近年の日本においては小選挙区制の導入によって少数意見が国政の場に出にくくなっている。いわゆる二大政党による議論があればいいじゃないか、という声もあるが、二大政党が推す政治的意見がすべてではないことに大きな問題がある。
そして「自由論」でミルが特に力を込めて語っているのは、最初は力を持っていた思想でも時の経過によって次第にその中身が空洞化してくるということである。
「いずれの信仰にも、その存在をかけて闘った時代があった。そのような時代には、どんな考え方にも信仰の基本原理が生きていることを、少なからぬ人々が理解していた。その原理の重要な意味を、きちんと推し測り、深く考えた。そして、そのことで人間の性格まで鍛えられていった。厚い信仰が人間の内面深くまで浸透すれば、そういう結果が生じるのは当然なのである。
しかし、信仰はいつしか単なる先祖伝来の信仰と化す。積極的に得るものでなく、受動的に受け入れるものとなる。・・そうなると、次第に信仰は、決まり文句を二三覚えるだけでよいもの、あるいは、ただのっそりと頭を下げるだけでよいものになっていく。」
この言葉は政治学者・丸山眞男が戦後の民主主義について語った言葉と響きあう。民主主義をただ受け取って棚に置いておくだけではやがてその価値は廃れていくのだ。こうした空洞化に立ち向かうためにミルは手当する方法があると説く。それは誰かがあえて、なぜそれが必要なのかを問いかけることだという。
「たとえば、教師があたかも反対派の頭目のようになり、わざと学習者に改心を迫り、学習者に問題の難点をはっきりと意識させるような、何らかの工夫をしてもらいたい。」
こうしてあえて反対派の立場に立って問答を起こすことでなぜその思想が、あるいは信仰が大切であるのかを新たに問い直すことができる。
「ソクラテスの弁証法は、そうした手段のひとつであった。プラトンの対話編が、それを見事に伝えている。それは本質的に、哲学や人生の重要な問題についての論駁法による議論である。」
プラトンが書いたソクラテスの弁明に関する数冊の記録によれば、ソクラテスは人々にあえて問いかけることから始めた。人々の話にうなずきながら、「それではつまりこういうことですか?」と相手の議論に乗りながら、話を進めていき最終的にはその矛盾を明らかにする。決して自分の思想を最初から相手に押し付けるのでなく、相手の思想を仮に受け入れそれを前提に推し進めながら矛盾点を探り出していく。これがソクラテスの論駁法である。「学習者に問題の難点をはっきり意識させるような、何らかの工夫」とミルが言っているのはこのようなことらしい。
さらにもう一つ、ミルは先ほどの②にあったように、たとえ相手の意見が間違っていても真理を磨くのに役立つ、としていた。それは主流派の思想が正しかったとしてもどこかに改善の余地があることが多いことだ。そして、少数意見の中に、たとえそれが全体的には正しくないとしても、部分的には真理を含み、主流派の真理を深め、より完全にする要素を持つことがあるという。その意味でも少数意見を無視してはいけないとミルは説く。これらが「自由論」の白眉の章、「思想と言論の自由」でミルが力説する事柄である。
民主主義の基礎に少数意見の尊重という原則があったが近年、なぜ少数意見が尊重されないといけないのかわからなくなってしまっている。ミルの「自由論」はそのことを考えるきっかけとなる。ミルは少数意見の大切さを第二章で説いたのち、社会の中に多様な個性があることの大切さを第三章で訴える。すでに19世紀の英国において人間の画一化が進んでいることを指摘しているのだ。
■ミル著「自由論」(光文社古典新訳文庫、翻訳:斉藤悦則)
※ ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill, 1806年 – 1873年)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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