スターリンの学問に対する犯罪

中野@貴州です。まことに申し訳ありません。拙訳『レーニンへ帰れ』の出版が遅延しております。

そこでお詫びと言っては何ですが、「ご紹介」の第2弾として、同著の第11章の付録として記載されている「スターリンおよびその後継者の学問に対する犯罪」についてお話しいたします。その「犯罪」とは、スターリンによって失脚させられた「デボーリン学派」の中心人物デボーリンの著作に対する干渉のことです。

デボーリンは、1925年に『思想家レーニン』という著作を出版しましたが、これはスターリン死後の1961年に出版された彼の『哲学と政治』のもとになった著作です。もともとの『思想家レーニン』には「レーニンと現代」という論文が掲載されていましたが、後の『哲学と政治』ではこの論文が完全に抹消されているのです。このデボーリン論文について、張一兵さんは以下のように述べています。

1、(それまでのフォイエルバッハ式の哲学的唯物論による定義から)実践と生活がデボーリンのマルクス主義哲学を定義する時のキーワードになったという彼の観点の変化があった。この観点は、同時期に西洋マルクス主義の三人の創始者、ルカーチ、グラムシ、コルシュがともに指摘していたものとほぼ同じである。

2、(デボーリンにとって)自然の物質的存在とは異なる客観的実在としての社会歴史は、今やマルクス主義哲学の本質となった。これは、明らかにデボーリンの思想の中での論理的転換であろう。私(張一兵氏)の推断によれば、デボーリンの思想転変の主な原因は、明らかに、彼が、マルクス・エンゲルスが1845~1846年に書いた『ドイツ・イデオロギー』を直接読んでいたゆえだと思う。

「偉大なるレーニンの戦友」同志スターリンの後継者にとっては、1961年という時点でもこうした思考は明らかに「正統な思想からの大いなる逸脱」になったのでしょう。したがって、完全に抹殺する対象になったわけです。このデボーリン論文は『レーニンへ帰れ』の付録の一つにもなっていますので、ご期待ください。

ほかにも―これは皆さんもご存じだと思いますが―デボーリンが「レーニンはプレハーノフの弟子だった」という極当たり前の事実を語ったことが、糾弾の対象となったことも、張さんは指摘しています。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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