スペインの政治情勢についての新しい記事を作りましたので、お送りします。
総選挙を1年の間に2回繰り返してもまだ政府が作られない異常な状態が続いていたスペインの政治状況に、ようやく決着がつきました。それは二大政党政治の最終的な崩壊と新たな国内再編を伴うものです。
例によって長い記事になりましたが、もし役に立つ内容だとお思いなら、ぜひともご拡散のほど、お願いいたします。
(次のサイトでも見ることができます。)
http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-3/PP_Government_Again_Thanks_to_the_PSOE.html
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社会労働党「クーデター」とラホイ政権の継続
先の6月26日に行われたスペイン議会の「やり直し総選挙」の翌日にアップした『速報:スペイン総選挙に与えたBrexitの打撃:安定への願望が変化への期待を打ち崩した?』の中で、私は次のように書いた。
「私の今の予感としては、シウダダノスが反国民党の方針を撤回し、社会労働党が「この大変な時期にスペインに政府が無い状態だけは避けなければならない」という名目で首班指名に欠席し、国民党とシウダダノスの政権作りに協力するのではないかと思う。しかしそうなると社会労働党内部に大きな対立と激しい議論が起こるだろう。とても1か月や2か月でまとまる話ではあるまい。 」
その2か月後に暫定政権を作る国民党のマリアノ・ラホイが、国民党とシウダダノスの推薦を受けて立候補した首班指名で、その2党とカナリア州の保守政党以外の、社会労働党を含めた全ての政党の反対によって第2次ラホイ政権の成立はならなかった。
その後の情勢をまとめた『分裂・崩壊の扉を叩きつつあるスペイン(第2部) 国民党、社会労働党、ポデモスを襲う危機』(9月26日)の中でも、次のように書いた。
「 サンチェスはこの10月1日に党の全国代表者会議を招集しているが、その場で詰め腹を切らされることになるかもしれない。しかしいずれにしても、11月1日を期限とする首班指名で、社会労働党議員の欠席によって国民党政権が作られるような事態が起こるなら、この党は空中分解せざるを得なくなるだろう。 」
そして予想通りになった。しかも社会労働党内で起きた救いようのない「クーデター」のおまけ付きで。
(※ 上の引用で「欠席」となっているのは「棄権」の間違いでした。議会での議決の際には、一般の投票のように投票場に行かずに棄権する、というのではなく、議会の場にいたまま“abstención”と叫んで棄権の意思を表します。これは有効投票数には含まれません。“賛成”と“反対”の合計が有効投票数で、その過半数以上を取った方が議決とされます。また「全国代表者会議」と書いておりますものは「全国委員会」のほうが適切でした。お詫びして訂正します。)
https://coordinadora25s.files.wordpress.com/2016/10/cartel-c25s-pequec3b1o.jpg
【画像:ラホイ国民党政権継続と社会労働党の援助を「クーデター」として糾弾するポスター:下院総会での首班指名投票が行われる10月29日の糾弾デモを呼びかける。「マフィアによるクーデターに対して民主主義を:不法な首班指名に反対」と書かれている。描かれている人物は、右から、フェリペ・ゴンサレス(元首相:社会労働党)、スサナ・ディアス(アンダルシア州知事:社会労働党)、マリアノ・ラホイ(暫定首相:国民党)、国王フェリーペ6世。】
《ゴンサレスの「鶴の一声」で始まったクーデター劇》
2016年9月27日、スペイン社会労働党の幹部たちは緊張に包まれていた。あくまで「ラホイ国民党政権拒否」の態度を貫く党首ペドロ・サンチェス総書記に対して、「首班指名で棄権して国民党政権の継続を承認する」方針の、アンダルシア州知事スサナ・ディアスを先頭とする反サンチェス派が多数派工作に成功し地方幹部や有力者たちの間で結束を固めたのである。昨年来の選挙で歴史的な大敗を続けたことに加え、9月25日に行われたガリシア州とバスク州の議会選挙でポデモスに票を食われ敗北を喫したことで、サンチェスに対する責任追及の声が一気に盛り上がっていたのだ。サンチェスは「過去の反省がどうして“棄権”ということになるのか?」と反論し、10月1日に始まる全国委員会で決着をつけると語ったが、その声は弱々しかった。
この日、社会労働党の幹部会の中でサンチェスに反発して17名の幹部が突然辞表を提出したのである。サンチェスについて残った者が(本人を含めて)18名とギリギリの過半数だが何とか体面を保つことができた。党内では、ポデモスと協定を結んでようやく国民党から政権を奪った州で、ラホイ続投承認のためにポデモスとの共闘の崩壊を恐れる声もまた上がっていたのだ。しかし事態を決定的に流動化させたのは、元首相で同党最大の重鎮、おそらく現代スペイン史で最も重要な政治家、フェリペ・ゴンサレスである。
ゴンサレスは昨年12月の総選挙(参照:当サイト記事)以来、一貫して、国民党と社会労働党が手を結ぶ「左右大連合」を目論み(参照:当サイト記事)、ペドロ・サンチェスに圧力をかけ続けたが、「非国民党政権」を目指すサンチェスはしぶとく抵抗し続けた。しかし6月の選挙の後に、サンチェスが同盟相手として取り込もうとしていたシウダダノスは、国民党と協定を結んでラホイ政権継続支持に回ってしまった。行き場を失ったサンチェスが再びポデモスに顔を向けることを最も警戒したのが、ゴンサレスを背後に抱くスサナ・ディアスやエドゥアルド・マディナなどの党内右派だったのだ。
9月28日にゴンサレスは、常に社会労働党の重大な動きに関与するラジオ局カデナ・セールの番組で次のようなことを述べた。「(6月26日の総選挙後に)サンチェスは私に首班指名で棄権すると言ったのだ。私はいま彼に騙されたと感じている。」
サンチェスはそう言ったとも言わなかったとも明白にさせなかった。6月の総選挙で議席数をさらに減らし気弱になっていたところを、ゴンサレスに激しく迫られて「そうした方がいいのかなあ」などと曖昧な返事でもしてしまったのかもしれない。あるいは大長老ゴンサレスを前にしていったんは「棄権するしかない」と言ったが、その後に「やはりラホイ政権だけはだめだ」と考えるようになったのかもしれない。だとすればポデモスのイグレシアスから受けた「棄権は賛成と一緒だ」という非難に押されたのだろう。
いずれにせよ、このゴンサレスの一言が決定的だった。党内でのサンチェスの信用と立場が一気に崩壊してしまったのだ。即座にスサナ・ディアスはサンチェスに辞任を勧め、反サンチェス派の幹部たちの圧力が激化した。サンチェスは幹部会35名の中の18名が総書記を辞任せよというのなら今日にでも辞めてやると啖呵を切って抵抗したが、10月1日に開始が予定される全国委員会での趨勢はほぼ決まってしまったと言える。ポデモス党首のイグレシアスは「ゴンサレスには気を付けろとあれほど言ったのに。」と残念がったが、後の祭りである。誰からともなく9月27日と28日の出来事は「クーデター」と呼ばれる ようになった。
9月30日、サンチェスは「もし全国委員会で棄権が決定されるようなら辞任する」と語った。委員会の会場はマドリッドのフェラス通りにある社会労働党本部だったが、付近には党旗とサンチェスの写真を掲げる大勢の一般党員や支持者が集まり、「クーデター支持派」と衝突する不測の事態に備えて警察の装甲車がずらりと並ぶ物々しい雰囲気に包まれた。そしてこの日にはすでに、ザ・ガーディアン、ニューヨークタイムズ、ル・モンドなどの外国のマスコミもこの社会労働党内の対立に注目し、ラホイに政権を渡すための社会労働党内のクーデター、といった調子で報道し始めたのである。
翌10月1日は朝から同党本部の内も外も怒号と非難の声で包まれた。全国委員会には党幹部の他に議会議員と地方自治体の長や地方の党幹部など270人ほどが参加したが、開始早々から、全国で7つある社会労働党が州知事を務める州のうち6つの州の知事がサンチェスを激しく吊し上げた。それは主要にガリシアとバスクの地方選挙で敗北した責任を問うもので、党内左派の代表格であるホセ・アントニオ・ぺレス・タピアスが「党は崩壊した」と嘆くほどの叫びと罵倒と泣き声が渦巻く狂乱の状態だった。サンチェスはこの委員会で全国党大会の開催動議を出したが、夜の8時過ぎに行われた投票でその動議は132票の反対、107の賛成で否決された。これで実質的な不信任を突き付けられた形となり、ついにサンチェスは総書記辞任を表明した。
この9月27日から10月1日の間に、サンチェスを辞任に追い込むために必要な事柄が実に整然と進行している。特に28日のゴンサレスの「鶴の一声」が決定的な起爆剤となった。それを合図に「反乱グループ」は雪崩が襲い掛かるようにサンチェス攻撃に打って出た。まさに集団リンチのようだった。そしてサンチェス支持派にも一般党員にも全く何をする余裕も与えないまま、一気呵成に押し切ってしまったのだ。あらかじめ十分に計画が練られた、まさに「クーデター」と呼ぶにふさわしいものだったと言える。ゴンサレス一派と国民党との間に密約があったのではという推測もある のだが、真偽のほどは確かめようがない。
《全国委員会で正式決定された国民党への側面援助》
これでラホイ国民党政権続投にとっての最大の障害物が取り払われた。あとは下院総会の首班指名投票で、マリアノ・ラホイが国民党とシウダダノスの推薦を受けて立候補し、社会労働党議員が棄権してラホイへの賛成票を有効投票数の過半数にするという、「民主主義の儀式」を執り行うだけである。昨年12月の総選挙直後からフェリペ・ゴンサレスが、国民党の元首相ホセ・マリア・アスナールと気脈を通じ合わせて描いていた筋書きが、ようやく実現できる運びとなったわけだ。
この「クーデター」の最中、ゴンサレスにせよスサナ・ディアスにせよ、事あるごとに「スペインが第一!」「国が第一!」と叫んで、大いに愛国心のあるところを見せつけていた。「国」を愛するのは良いのだが、彼らの愛の対象に「民」は入っていないらしい。当サイト『 シリーズ:スペイン:崩壊する主権国家』や『シリーズ:『スペイン経済危機』の正体』に記録されているように、国民党こそ(党名は実に皮肉だが)、民を苦しめ貶め困窮させ仕事と生活を奪い、そして国土を破壊してきた張本人なのだ。ペドロ・サンチェスの意固地なまでの「反国民党」は、社会労働党に残された唯一の存在証明だった。そしてこの党はそれすら投げ捨てた。
党首である総書記の座を空席にした全国委員会は翌2日に手回し良く役員会を形作り、アストゥリアス州知事のハビエル・フェルナンデスを議長に立て暫定党首に仕立てた。そのフェルナンデスは「最悪の事態は(第3回目の)選挙に臨むことだ」と言ったのだが、その「最悪」を避けるためには今の議会の期間中に新たな首相を作る以外にない、つまり、首班指名で社会労働党員が棄権しラホイ政権成立を補助するしかない、ということになる。もちろんだが、この「クーデター」を最も喜んだのはマリアノ・ラホイである。ラホイは早速フェルナンデスに電話をかけて常に連絡を取り合うという合意をとった。
もちろん全国委員会の大勢は新たな選挙を避ける方向でまとまっていた。加えて、右派系新聞のABCが行った世論調査が、社会労働党が「心変わり」できないように釘を刺した。この新聞は常に国民党有利に世論を導くような「調査結果」しか出さないのだが、今回でも、もし12月に第3回目の総選挙を行ったなら社会労働党は大敗し国民党とシウダダノスだけで絶対多数を取ってしまうだろう、という推定をしている。つまり、社会労働党に「もういますぐにラホイ続投を認めるしか道はないのだぞ」という脅しをかけたのだ。
サンチェス追放以後も全国委員会の中は大荒れが続いた。党の議員の中で「ノーはノーだ!」と主張してあくまで委員会の大勢に逆らおうとする者たちが大勢いたのである。その中でもカタルーニャ社会党は最も強硬な反対派だった。元々カタルーニャ社会党は、マドリッドに本部のあるスペイン社会労働党とは別に誕生した組織である。しかしフランコ死後の78年体制が固まった後、これらは一つの合同会派としてまとまり、独自性を保ちながら密接につながってきた。しかしここにきてカタルーニャ社会党が社会労働党との関係を見直し始めたのである。
カタルーニャ社会党の党首ミゲル・イセタは全国委員会の会期中の15日に党員による選挙で党首に再選されたが、これは「党首選」の形を借りた「ラホイにノー」の方針に対する一般党員の信任投票だった。このようにして一般党員の意見を聞いたのはカタルーニャだけだった。他の地方、特に全国委員会に出席して「棄権」に賛成する州知事や幹部は、地方の下部組織や一般党員の声を聞こうとはしなかった。特にアラゴン州やバレンシア州では下部組織で「ノー」が強かった。また「クーデター首謀者」スサナ・ディアスのおひざ元であるアンダルシア州ですら、各都市で「ノー」を主張する一般党員の署名が膨大に集められたのである。しかしそれらの声は役員会執行部によって結局無視され、党員の間の不和と分裂だけが残った。
サンチェスを切り棄て国民党に政権を渡そうとする社会労働党の新しい体制で最も特徴的な点は、国民党の政治腐敗を追求しなくなっていることだろう。実際にはその全国委員会と並行してギュルテル事件(参照:当サイト記事)やカハ・マドリッドの不透明カード事件(参照:当サイト記事)などの重大な(国民党にとって致命傷になりかねない)政治腐敗・経済犯罪に対する公判が進行中なのだが、社会労働党の役員会はそれを一切問題にしなかった。これがこの党の新たな体質を明らかに物語っているだろう。
こうして、10月23日の全国委員会最終日に、下院総会での首班指名投票で棄権しラホイ国民党政権の継続を承認する方針が決定されたのである。この役員会執行部案への賛成が139、反対が96だった。臨時党首のハビエル・フェルナンデスはこの決定を「民主的」と語り、下院議員の党員全員に対する「命令である」とした。違反した場合には厳しい懲罰が待っている。この執行部方針に反対して緊急総会の開催を要求する一般党員の署名が党則の規定を満たす数を集めた地方があるにもかかわらず、そのような下部の声は一切無視された。憤る委員の中には、全国委員会の会場を出る際に党員証を投げ捨てる者すら出た。
それにしても実に姑息な決定である。10月27日に開かれる下院総会での首班指名投票ではラホイ続投に「ノー」を言って「反対派」としての格好をつけ、続く29日の第2回投票で棄権して国民党政権の継続を認める、というものである。どうせ国民党政権を承認するのなら、1回目からそうすればよいものを…。茶番、田舎芝居、三文オペラ…としか言いようがあるまい。
《サンチェスの議員辞職と「ラホイ丸」の再発進》
議会本会議が近づき、社会労働党内部の緊張は高まっていった。カタルーニャ社会党の7名を含め「最後まで国民党政権への反対を貫く」として棄権の方針を拒否する十数名の議員たちがいたのだ。新しく選ばれた社会労働党の幹部たちは党決定への違反者に対しては厳正に対処すると語った。特にカタルーニャ社会党に対して、もし棄権しないのなら関係を断つと脅した。カタルーニャ社会党党首のイセタは10月24日に地元のラジオRACの番組で「我々は(決定に)従わないし、その結果に耐えていくだろう」と語って、スペイン社会労働党との絶縁すら覚悟していることを明らかにし、カタルーニャ社会党の代表者会は全会一致でこの方針を支持した。
党外では、ポデモスと共闘する統一左翼党の党首アルベルト・ガルソンが、社会労働党を「歴史的裏切り」と非難した。そしてマドリッドでポデモスや統一左翼党に関係する人々を中心に作られた「9月25日共闘会議(La Coordinadora 25S)」が、議会の首班指名投票でラホイ再選が決められる10月29日に議会を取り囲む抗議デモを行うと決定した。本記事の最初に掲げる写真はデモへの参加を呼び掛けるポスターで、インターネットやSNSでたちまち広められたものだ。ピストルを手にするマリアノ・ラホイ、スサナ・ディアス、フェリペ・ゴンサレスと、それを見つめる国王フェリーペ6世の姿が描かれ、「マフィアによるクーデター」を糾弾している。
10月27日の下院総会で行われた首班指名投票では、国民党とシウダダノスが推薦するマリアノ・ラホイが首相に立候補した。そして国民党、シウダダノス、カナリア連合の賛成170を得たが、反対180で否決された。社会労働党は予定通り全員が反対した。これはおそらく史上最低の茶番劇だったろう。この本会議で注目されたのはペドロ・サンチェスの久々の登場である。1日に社会労働党首の座を追われたサンチェスは以来めったに公の場に顔を見せることがなかったのだ。この日は、自分の元側近で新たに社会労働党の議員代表を務めるアントニオ・エルナンドと握手を交わしたものの、終始硬い表情で議席に座っていた。そしてエルナンドが、自分たちは国民党政権には反対なのだがスペインを政治空白から救うためにやむを得ず国民党政権を認めるだろうという白々しい演説をした後で、サンチェスは、反対を貫く覚悟でいる「造反議員」と同様に、拍手をおくろうとはしなかった。
10月29日の第2回目の首班指名投票当日、議会周辺は500人を超える警官隊と厳重なバリケードで物々しく囲まれた。その緊迫した雰囲気の中、午前中に、ペドロ・サンチェスは議員辞職を表明した。涙ながらに辞職の決意を語るサンチェスは、自らの今後について、党に籍を置いたまま全国を回り各地の草の根党員たちと話し合いながら党を再出発させる、そして党首選にもう一度臨むという決意を語った。哀れとしか言いようがないが、これで総議員数が349に変わった。
29日の夜になって行われた首班指名投票の結果はラホイへの賛成が170、反対が111、そして棄権が68である。有効投票数281の過半数を獲得したマリアノ・ラホイは、晴れて首相として承認された。社会労働党議員の中で15名、および、同党と共闘を組むヌエバ・カナリアス党員1名が、関係悪化や懲罰を覚悟で「反対」に回った。15名の議員のうち6名は各個人の意思であり、組織決定はカタルーニャ社会党員の7名、および党支部が「反対」を決めたバレアレス州選出議員の2名だった。
議会の外ではあの15M(当サイト:こちらのシリーズ参照)が再来したかのように、「NO!」「国民党、詐欺、泥棒」「マフィアのクーデター」などのプラカードを手にした人々の大規模なデモが街路を埋めた。参加人数は誰に聞くのかによって変わってくる。主催グループの一人は15万人を下らないと言い、他の者は10万人と答えた。また国家警察は6千人、マドリッド国家支局にいたっては3、4千人…。こういったオープンなデモの参加人数は正確な計算が不可能だ。前半に参加して途中で帰る人、途中から参加する人、途中で一休みして再び参加する人など、それぞれが実に勝手気ままに振る舞うからだ。しかし、デモの終着点であるプエルタ・デル・ソル広場をびっしりと埋めた人数だけでも、今までの集会など例を参照すれば、どう見ても2万人を下ることはあるまい。
このデモの先頭には議会を途中で抜けてきた統一左翼党の議員たちが一時的に加わったが、ポデモスの議員は姿を見せなかった。党内でこのような大衆運動に対する議論と対立があるためだろう。また、国民党と社会労働党によるあまりに馬鹿げた茶番劇を見せつけられて、どちらかというと白けムードが支配的なデモだったと言える。
こうして昨年の総選挙以来315日間も続いたスペインの「無政府状態」は終わりを告げた。翌10月30日には下院議長アナ・パストールが国王フェリーペ6世を訪れて首班指名の結果を報告し、国王がマリアノ・ラホイを首相として任命する書類に署名し、31日にラホイが国王の前で聖書に手を置いて職務遂行の宣誓を行うという、一連の儀式が執り行われた。11月2日には組閣内容が明らかにされるだろう。そして今後のスペインには実に多くの危機が待ち構えている。ラホイもフェリーペも覚悟を決めているだろうか?
《スペイン社会労働党とフェリペ・ゴンサレス:“裏切りの歴史”》
フェリペ・ゴンサレスと社会労働党が果たした薄汚い役割は今回が初めてではない。フランコ独裁終了以後のスペイン現代史で繰り返し現れてきたものだ。ゴンサレスは独裁政権時代に亡命生活や地下活動を送るスペインの社会主義者の中で自他ともに「最左派」として認めていた。どの国でも同様だが、社会主義者の左派は基本的にマルクス主義をその理論的な基盤に置く。しかし1978年に制定された憲法のもとでゴンサレスの社会主義は大きく変貌した。79年5月の臨時党大会でゴンサレスはマルクス主義を捨てる決意を表明した。
しかし何よりもその転向ぶりを明らかにしたのはNATOに対する態度だろう。1982年に元フランコ主義者で民主中道党のカルボ=ソテロ首相がNATO加盟を決めた際にゴンサレスと社会労働党は反対運動の先頭に立ち国民投票にかけることを主張していた。しかし、同年10月に政権を握ってから1986年にようやく実施された国民投票までの間に、あらゆる政府機関とメディアを駆使して、世論を圧倒的な反NATO(賛成18%:世論調査による)から親NATO(賛成56.85%:国民投票結果による)にまで導いたのである。彼の同僚の社会主義者ハビエル・ソラナは後にNATOの事務総長にまで出世した。
ゴンサレスはまた極右テロリストGAL誕生の裏にもいた。スペイン人なら誰でも知っていることだ。同時に彼は英国のサッチャー政権を手本にしたネオリベラリストであり、その経済政策は最初から破たんを約束されたものだった。1980年代後半には失業率が21%を超え支持基盤だった労働組合UGTから三下り半を突き付けられた。さらに1990年代中盤には失業率がついに24%を超える事態となり、それまでフランコ時代の暗黒の記憶をとどめる国民からかろうじて受けていた支持を決定的に失うこととなった。
1996年に首相を退任して「回転ドア」の奥に消えた後も、一貫して米欧のネオリベラル政策を支持し続ける政治的・文化的な活動に精を出している。ラテンアメリカの大富豪寡頭支配者たちの信任も厚く、2002年のベネズエラでのクーデター未遂の際にブッシュやアスナールと一緒にチャベスを非難しクーデターを正当化し続けたことは記憶に新しい。隣の国ポルトガルのバローゾ(共産主義者から出発して現在はゴールドマン・サックスの重役)と並んで、「極左」からブルジョアの大番頭にまで華麗に転身した生きた実例だろう。(バローゾについてはこちらの日本語Wikipediaを参照のこと。)
1996年にできたアスナール政権を経て、2004年に311マドリッド列車爆破テロ事件(参照:当サイトシリーズ)のおかげで政権党に返り咲いた社会労働党のサパテロ政権は、前任のアスナール政権が種をまいたネオコン流のネオリベラル経済政策を大きく成長させる温床となり、各地方での国民党による好き放題の組織的な政治腐敗と略奪を放置した。その結果は当サイトのシリーズ『スペイン経済危機の正体』、『「中南米化」するスペインと欧州』、『スペイン:崩壊する主権国家』に記録されるとおりである。
2006年から20012年までスペイン中央銀行の会長を務め、バブル経済の成熟化と崩壊を見過ごしてスペイン経済を破たんさせ、国民を塗炭の苦しみに追いやったミゲル・アンヘル・フェルナンデス・オルドニェスは、ゴンサレス政権とサパテロ政権の閣僚であり、IMFの役員に派遣されたこともあった。そのバブル経済を盲目的に推し進めたのは前任のハイメ・カルアナでありこちらは国民党の筋である。さらにバブル期に盲目的な住宅建設と土木工事に大量の資金をばらまいて破産した貯蓄銀行カシャ・カタルーニャの元会長ナルシス・セラも、またゴンサレス政権の閣僚であった。
「回転ドア」は回り続ける。その最終的な行き先が牢獄であることを願わざるを得ない。しかし大部分の者たちは民営化(大資本に私物化)された贅沢な病院で手厚い看護を受けた後に豪奢な墓場に行くのだろう。社会労働党やゴンサレスなどに対して、「裏切り」という言葉は、本当はふさわしくないのかもしれない。彼らは初めから資本主義と帝国主義が装う「仮面」の一つだったのである。
《国民党もまた実質解体・再編されつつある》
ラホイ政権は社会労働党に対して、政治の「安定」のために「対話と責任」を求め、その政策への反対を控えるように要求している。そして国民党がシウダダノスと結んだ政策協定の中に実質的に社会主義者を組み入れようと目論んでいるようだ。左右の二大政党による政治の仕組みはしょせんは冷戦構造の中で機能してきたものである。冷戦終了を経て、ドイツでもイギリスでもすでに実際上は崩壊しているのだが、スペインでもようやくその「78年体制」(参照:当サイト記事)が終了し、国内政治の再編成が始まったわけである。
もちろんそのためには、あまりにも国民に人気の無く、またEUの中でも問題視されている教育に関する法律や「さるぐつわ法(参照:当サイト記事)」などの一部を、当たり障りのない程度に書き改めて、社会主義者たちの顔を立てる必要があるだろう。しかしそうしてでも、新しいラホイ政権は“国民党=シウダダノス=(反対分子を排除した)社会労働党”による「挙国一致体制」作りを目指しているようだ。そしてここで、非常に見逃されやすいもう一方の事実に目を留める必要があるだろう。
今まで主要に社会労働党のことばかりに触れてきたのだが、しかし実を言えば、国民党の中ではもっと大きな変化が進行中なのだ。社会労働党内部のスッタモンダに世間の目が奪われている最中の10月3日に国民党は、元首相ホセ・マリア・アスナールが2002年に創設したシンクタンクFAES(La Fundación para el Análisis y los Estudios Sociales:社会学分析基金:仮訳)を党から切り離すことを決定した。このシンクタンクは今まで運営資金の相当部分を国からの補助金で賄っていたのである。それはあくまで公的に認められた政党の政策研究機関としての特権だった。しかしFAESが国民党と縁を切ることになればもはや公的資金を受け取ることができず、自力で資金を集めるしかなくなる。下手をすると存亡の危機に立たされることになるだろう。
ラホイとアスナールとの対立はラホイ政権ができて以来続いてきたのだが、この決定は、今後の国民党をアスナールの影響から切り離されたものにしようというラホイの決断の現れだろう。確かに、2011年11月に誕生したラホイ政権を、生まれた途端に地獄の業火の中に放り込んだのはすべて、アスナール政権時代(1996~2004年)に種がまかれサパテロ政権(2004~2011年)の間に花を咲かせたネオコン流のネオリベラル経済だった。
ラホイなどごく一部を除くアスナール政権時代の閣僚と地方政治を担った有力者のほとんどが、いま様々な種類の政治腐敗や経済犯罪によって、獄中、あるいは起訴されて公判中、嫌疑をかけられて取り調べ中なのだ。また現在、公判が行われているギュルテル事件では、すでに被告人の口からアスナール自身の名前まで出てきている。ひょっとすると今後はアスナールと夫人のアナ・ボテジャ、娘婿のアレハンドロ・アガッグまでが刑事捜査の対象になるのかもしれない。実を言えば国民党は、ひょっとすると社会労働党以上に激しい規模で、実質的な解体と再編を余儀なくされているのだ。
社会労働党の解体と再編を導いたのは新政党ポデモスの登場と選挙結果なのだが、国民党のそれを導いたものは司法当局と警察機構であり新政党シウダダノスの登場である。そして、やはりラホイ政権誕生の年あたりから不自然に盛り上がっていったカタルーニャ独立運動が、その両方に大きな影響を与えている(参照:当サイトのシリーズ )。
選挙結果は「身から出た錆」であろう。ポデモスの登場は、15M(キンセ・デ・エメ)に代表される民衆の怒りの爆発に、および社会労働党によって社会の隅に追いやられながら延々と続いてきたスペインの左翼運動の流れがつながったものである。しかしそのポデモスの急成長や、カタルーニャの地方政党に過ぎなかったシウダダノスの急成長は、全国的にコーディネートされたマスメディアの働きによるものが大きい(参照:当サイトのこの記事、この記事)。また裁判所判事局や検察庁などの司法当局と国家警察やグアルディア・シビル(シビル・ガード、国内治安部隊)による政治腐敗の摘発もまた、時系列に追っていってみれば、適切にコーディネートされた一連の動きのように見える。
こういった動きは果たして、たまたま偶然に物事がつながり、たまたま偶然に重なったものなのだろうか? それともその背後に何らかの巨大な権力と「コーディネーター」が存在しているのだろうか? 私としては今までの経過を考えるなら後者の解釈の方が合理的に思える。
しかし、偶然にせよ背後の権力にせよ、この地に住む無力な一人の外国人の運命は、逆らうことのできない力で押し流されている。ブリュッセルは新しいラホイ政権にさっそく難しい「宿題」を課した。2017年中の55億ユーロ(約6300億円)分の緊縮財政を確約せよ、というものだ。公的な財政赤字を来年中にGDP(国内総生産)の3.1%にまで減らすためである。2015年度の赤字はGDP比で5.08%であり、ラホイ政府は2016年度の達成目標を4.6%としてきた。さて、どこをどう削るというのだろうか。医療?教育?年金?その他の公的サービス? それとも無用の長物でしかない公共施設の建設で土建屋に支払うカネかな? 年金の資金も医療保険の資金もほとんど尽きかけているのだが。
2016年11月2日 バルセロナにて 童子丸開
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔eye3739:161103〕