ソーシャルメディアと報道

著者: 藤田博司 ふじたひろし : 共同通信社社友
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韓国の申珏秀(シン・ガクス)・駐日大使に「ツイッターでインタビュー」―という記事が『朝日新聞』(3月7日)に出ていた。インタビューはその前日、予告のうえでインターネットを通じて行われた。記者がツイッターで質問を発し、大使がやはりツイッターで答えるという一問一答形式。そのやり取りはすぐ転送されて、記者のツイッター発信を読んでいるフォロワー(追っかけ読者)はほとんど同時進行でインタビューを読むことができた。この質疑応答にその場でコメントもできた。実際に読者の提起した大使への質問も採用された、と新聞は伝えている。

急増した利用者数

ツイッターを介した要人とのインタビューをこうした形で紙面化したのはおそらく新聞としては初めての試みだろう。インターネットを活用したこの種の取材・報道は今後、ますます増えていくに違いない。ツイッター、フェイスブックなど、いわゆるソーシャルメディアの利用者数はここ数年、驚異的に伸びている。今年1月現在、日本でのツイッター利用者数は1359万人、フェイスブックは1305万人に上っている(1年余で6倍超)。ちなみにフェイスブックは全世界で8億人超が利用しているという(ネットレイティングス調べ)。

当然のことながら、報道の現場もこうした状況に気づいている。ソーシャルメディアが日本よりいち早く社会に浸透した米国では、2010年ごろには多くの新聞社でソーシャルメディアによる取材・報道を担当する部署を設けていた。日本では『朝日』が今年初めからツイッターによる記者個人の情報発信を始め、『毎日』も2月から東京本社の全社員を対象に「ツイッター研修」を実施している。

むろん記者のツイッターやフェイスブック利用を制限している社もある。多くの社はソーシャルメディアとどう付き合うか、いまだ模索中といったところだ。しかしいずれ近いうちに、それぞれの付き合い方を決めなければならないところにきている。

取材・報道にインターネットはこれまでも活用されてきた。電子メールをはじめ、組織や記者個人のブログなどが情報の収集や拡散に役立てられてきた。しかしツイッターやフェイスブックは、利用者による情報発信とネットワークづくりを飛躍的に容易にし、情報の収集、情報拡散のメディアとしての価値の高いことが裏付けられた。報道機関にとってソーシャルメディアはもはや避けて通れない存在になっている。

取材過程の可視化も

報道機関がソーシャルメディアを活用する狙いは大きく分けて二つ考えられる。一つは、これを通じてそれぞれの記者がより広い取材のネットワークを構築し、新たな取材源を掘り起こす可能性を追求することだ。ソーシャルメディア上で積極的に情報の受発信に関わっていけば、記者の普段の行動圏では接触できない人たちとの交流も可能になる。いざ事あるときには、そのネットワークに情報提供を呼びかければ、思いがけぬ反応も期待できる。チュニジアに端を発した「中東の春」では、欧米の報道機関が伝えた少なからぬニュースが、現地のソーシャルメディアから発信されたものだった。

もう一つの狙いはメディアと市民のつながりを強めることにある。情報発信が容易なソーシャルメディアは双方向性がきわめて高い。これまでのメディアの情報発信は、新聞の紙面やテレビの番組でニュースを一方的に受け手に押し付けるだけの一方通行だった。ツイッターやフェイスブックで個々の記者が情報を発信するようになれば、受け手は簡単に感想を書いたり、関連情報を提供したりできる。メディアと市民の間で一気に意思疎通のための回路が増える。

両者の間でそうした関係がうまく機能すれば、とかく薄れがちな相互間の信頼を醸成する手段になるだろう。それはまた、読者の減少に歯止めがかからない紙の新聞にとっては、顧客をつなぎとめる足掛かりにもなる。

『朝日』は先のインタビュー記事の狙いを「予告したうえで、取材して紙面にするまでの過程を見せること」と説明していた。インターネット上でのやり取りをほぼ同時進行で「追っかけ読者」に見せ、読者から募った質問も採用する。そのやり方は、確かにこれまで読者の目にはほとんど見えなかった取材過程を可視化する新しい試みと言える。

慎重さ求められる記者

しかしソーシャルメディアを取材・報道に活用するには注意しなければならないこともある。うっかりすると、ジャーナリズムの価値を損なう結果につながることもありうるからだ。

ツイッターではだれもが140字以内で、そのときどきの情報や感想を「つぶやく」ようにインターネット上に投稿できる。その内容は特別の制限を設けない限り不特定多数の人たちの目に触れる公開情報になる。どこで、何をしているのか、何を考えているのか、といった即時性が重視される。短い文章しか書けないから複雑な内容は盛り込めない。文脈もおろそかになる。これらの特性は、正確、公正で検証された情報の伝達を仕事とするジャーナリズムのそれとは相反している。

普通の市民がその場限りの思いつきや見聞した事柄をツイッターに書き込んでも、その人限りの責任の範囲を超えて問題になることはまずない。しかしジャーナリストの「つぶやき」は、時として所属する組織の政治的立場や利害関係などに絡めて問題にされる可能性がある。職業上知りえた情報やそれに関わる個人の見解などをうかつに書き込めば、悪意のある第三者に攻撃材料として利用されることも考えられる。個人的な趣味や身辺雑記的な情報ならその可能性は小さいが、それでも慎重にならざるをえない。

フェイスブックはツイッターとは文章の長さの制約など多少の違いはあるが、基本的に似たような特性を備えている。

賢明な懐疑心持ち臨め

こうしたソーシャルメディアとの関わりを深めようとする報道各社はいま、それぞれに記者の守るべき基本ルール作りを始めている。欧米のメディアの指針を見ると、内容の濃淡に多少の違いはあるものの、基本的な点はほとんど共通している。ソーシャルメディアに対しては「開かれた心と賢明な懐疑心」を持って臨む姿勢が必要、とロイター通信の指針は指摘している。ジャーナリズムへの信頼を損なわないように慎重に、しかし前向きに取り組むことを記者に求めている。

日本の報道現場でのソーシャルメディア活用はまだスタート台に立ったばかりだ。その証拠に、『朝日』社会部のツイッターの「追っかけ読者」が6万5千余人にすぎないのに対し、『ニューヨーク・タイムズ』のそれは464万人超、同紙のコラムニスト、ニコラス・クリストフ記者は個人で123万人を超える(3月11日現在)。

発展途上のソーシャルメディアの潜在力は計り知れないものがある。報道現場での対応も今後ますます難しくなるだろう。この新しいメディアを現場がうまく使いこなせれば、新たな取材源の開拓や新たな取材手法の開発で日本のジャーナリズムに新境地を開くことができるかもしれない。逆に対応を誤れば、報道が軽薄で無責任な情報の垂れ流しに陥る危険もなくはない。その危険を避けるには、報道の現場がジャーナリズムの価値と役割をしっかり自覚し、それを守るために最善を尽くすほかない。

ビジネスとしての紙の新聞は着実に下降線をたどっている。テレビも例外ではない。二つの伝統的なメディアが担ってきたジャーナリズムが生き延びるには、否応なく、ソーシャルメディアを賢明に使いこなさねばならない。報道現場が知恵を働かせるのに残された時間はそれほど多くはない。

初出:新聞通信調査会『メディア展望』2012年4月号の「メディア談話室」より許可を得て転載

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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