子安宣邦 on Twitter 12月6日〜12月27日……安倍政権と<反原発>党、仁斎『論語古義』の現代語訳、中−米(日)関係へ、衆院選に見る〈アメリカの平和〉と〈アジアの平和〉、〈中華帝国〉的中国の到来

12月27日

熱しているのは安倍と自民党政権であって、国民ではない。国民は冷めている。今朝の朝日の世論調査を見てそう思った。菅内閣発足時より低い支持率は、選挙結果のあの数字が、いかに民意からはずれたものであるかを示している。人々が安倍政権に期待しているのは景気恢復だけだといっていい。

安倍政権の「教育」政策に期待するもの6%、「憲法改正」にはわずかに3%。この数字は安倍による教育制度改革、憲法改正をやって欲しくないといっているのだ。安倍政権の成立に冷めている国民が、〈政治〉にも冷めてしまったとすると、敵の思うつぼにはまってしまうかもしれない。

安倍は彼の国家主義的理念の実現は参院選勝利後だといっている。それまでは遮二無二景気恢復に努めるだろう。「デフレ脱却」をいうアベノミクスの危なさをすでに専門家は指摘している。それはともかく、来年7月の参院選で安倍に勝たせてはならない。ではどうするか。彼らの失言待ちしかないのか。

安倍自民党政権が政策的な真意を隠蔽し、民意に触れないように先延ばししているのは原発問題である。これは安倍政権にとって最も弱い点であり、こわい問題である。だがこれは再稼働の問題として、新設・増設の問題として、停止・廃炉問題として必ず浮上するし、浮上させねばならない。

われわれはもう一度、安倍のいる首相官邸を〈反原発〉の声をもって包囲しようではないか。そしてこの声の中から〈反原発〉党を作ることだ。嘉田さん・阿部さんよ、小沢らの分党を幸いとして、既成の政治家によらない、〈反原発〉的国民を基礎にした〈反原発〉党を作りませんか。

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12月23日

仁斎『論語古義』の現代語訳の作業はやっと第8篇「泰伯」に入った。この作業の継続にとって、今が正念場だ。今日、泰伯第2章を訳した。「子曰く、恭しくして礼なきときは、則ち労す。慎しみて礼なきときは、則ち葸す。勇にして礼なきときは、則ち乱す。直にして礼なきときは、則ち絞す。」

孔子はこういわれた。「恭しくして礼にしたがわなければ、それは疲れるだけだ。慎み深くして礼にしたがわなければ、それは萎縮していることだ。勇敢にして礼にしたがわなければ、それは乱暴であるだけだ。真っ直ぐで礼にしたがわなければ、それは短兵急であるにすぎない。」

礼とは「節文」即ち程よく整っていることだという。朱子では程よいとは道理に合致していることだ。仁斎では人の世の常態性に合っていることである。だから仁斎では礼とは人の社会的常態性を成立させる習俗的規準である。そこから礼とは人間の共同社会の崩壊を防ぐ堤防だという仁斎の言葉が生まれる。

恭しくすることも、慎み深くすることも人の美徳であるだろう。だが礼にしたがわない美徳とは、私の思い入れ的美行として、むしろ弊害をもたらすだけだと孔子はいうのである。私には「直にして礼なければ、則ち絞す」という孔子の言葉が耳に痛い。直であることとは、しばしば己れを害し、人を害する。

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12月18日

私の『日本人は中国をどう語ってきたか』が刊行されて、やがて一ヶ月になる。まだ早いのか、「書評」らしきものは全くない。反応もなく、不気味に静まりかえったままである。中国を語ろうとするとき、これに触れることなく己れの立ち位置を見定めることは難しい、と勝手に自負しているのだが。

『「近代の超克」とは何か』は、刊行後2ヵ月を過ぎたころから一斉に書評が現れた。『和辻倫理学を読む』は、日本のメディアもアカデミズムも全く沈黙をもって対した。和辻倫理学を昭和イデオロギーとして読む私の作業を黙殺したのである。さて『日本人は中国をどう語ったか』はどちらであろうか。

中国の若い友人の一人から、献呈したこの書への返事をもらった。そこに気になることが二つ書いてあった。一つは私が論じてきたような「中国」はもう今年をもって終焉したのではないか、といっていることである。それは私が溝口の「中国の衝撃」としていった中国の「中華帝国」的変身をいっているのか。

それとも習近平体制とともに始まる中国に何か異質を見ているのか。もう一つは、緊迫する日中関係を、彼は本質的にはそれは中米関係だといっていることである。ズバリといわれて、やはりそうなのかと頷かざるをえなかった。安倍政権の成立とともに、いっそう中−米(日)関係となるということだ。

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12月17日

こういう時はしょうがない、身辺整理でもするしかない。中国論関係で一杯になった書棚を整理して、新しい課題に対応できるようにしなければならない。片付けながら考える。予想していたことではあるが、しかし予想をこえた自民党の大勝をどう考え、どう対応すべきか。まず整理すべきはこのことだ。

自民党に風が吹いたわけではない、吹いたのは民主への逆風だという。民主が大敗したので、自民が大勝したのではないと評論家はいう。だが自民圧勝の結果を国民がもたらしたことを否定することはできない。国民の失望と期待とがこの結果をもたらしたので、そのことで国民を責めることはできない。

国民の失望と期待とが自民の勝利をもたらしたが、その勝利がその先に用意しているものは何かを国民は見ているのか、あるいは期待の中に予感しているのかもしれない。何かとは21世紀的な国家主義な、強い国家主体の構築である。安倍は日米同盟の強化をいい、首相就任後直ぐに訪米するといっている。

日米同盟の緊密化とは、日本が米国の世界戦略を担うアジアのパートナーにより主体的になることだ。だから自衛隊を国防軍にし、憲法を改正することを自民党は公約にしたのである。景気の恢復を期待した国民は、このことをも期待したのか。自民党を選んだことは、その国家戦略をも選んだことである。

われわれがいまはっきりいわねばならないのは、国民が選んだ自民党の国家戦略とは、〈アメリカの平和〉を実現するものであっても、〈アジアの平和〉を実現するものではないということである。安倍政権の成立を目前にして、われわれに必要なことは〈アジアの平和〉に向けての国民的戦略の確立である。

私はいま身辺を整理しながら考えている。もし我々が負けたというのなら、あの安倍らの国家戦略に負けたのだ。〈アジアの平和〉のための国民的戦略の我々における不在によって負けたのである。我々は9条を守れと叫んでも、このアジアにおける平和をいかに確保するかを主体的に考えたことがあるか。

これほど自民党に勝たせてしまったからには、おたがいに身辺整理でもして、よほど考えて再出発するしかない。空念仏を唱え、平和の免罪符を売り歩くような平和運動の非力はもうとっくに敵に見透かされている。社民党は国民から完全に見放されたのである。選挙の結果に嘆くより、よく学んだ方がよい。

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12月12日

今朝の朝日オピニオン欄の中国の強硬派閻学通のインタビューはすごい。間違いなく〈中華帝国〉的中国の自己像であり、自己主張である。しかしこれを読んで、閻は溝口の教え子であるのかと疑った。溝口が『中国の衝撃』でその登場を予言した中華主義的中国の到来を歯切れ良く閻は語っているのだ。

アジア的価値をとるか、ヨーロッパ的価値をとるかと、日本の選択について決定的な問いを歯切れよく突きつけるこの男を見ていると、これと類似の男をわれわれはアメリカにさんざん見てきたと思うのである。中国との関係の極北にはこういう価値の選択の問題があることを考えておく必要がある。

この選択の問題は、溝口が西洋近代を批判しながら、中国的独自的近代を歴史から読み出し、それをもって中国的〈社会主義〉を基礎づけたことから生じた問題である。だから閻は溝口の教え子ではないかというのだ。溝口の中国的近代化論というのは現代中共政府の国家経営の弁証論である。

だからアジアをとるか、ヨーロッパをとるかという二者択一を迫ることは、アジア的〈中華帝国〉的国家に同一化した閻から出てくることだ。この帝国的支配に苦しむものからは決してこの問いは出てこない。アジア的専制支配の解体の要求しか出てこない。われわれは溝口や閻のいうアジアは選択しない。

溝口の独自的中国近代化論と〈中華帝国〉的中国の到来の予言については、11月に刊行された『日本人は中国をどう語って来たか』(青土社)で書きました。ぜひお読み下さい。

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12月6日

12月4日、中国共産党の新指導部に向けて、中国公民(市民)による劉暁波ら政治犯の釈放を呼びかける公開書簡が、独立中文ペンクラブのウェブサイトで署名入りで公表された。独立中文のウェブサイトhttp//www.chinesepen.org で書簡は日本語訳されている。

子安宣邦氏より許可を得て転載。

子安宣邦氏のツイート https://twitter.com/Nobukuni_Koyasu

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1125:121229〕