この数年、わが家の玄関の軒先にツバメがやっては来るが、巣作りを途中で止めて(あきらめて?)離れていくことが続いた。それが今年は7月上旬、親鳥が軒先に別の巣を作り、やがて雛の鳴き声が聞こえるようになった。その声は次第に大きくなり、餌をくわえて戻ってきた親ツバメをいっせいに口を大きく広げ、けたたましい鳴き声で迎えるようになった。そして、6日前、5羽のうち3羽がまず巣立ちをし、続いて残りの2羽が飛び立った。巣立ちの前、まだ羽毛も生えない雛が玄関に落下しているのを見つけた。狭い巣からはみ出てしまったのか、それとも巣の中で場所取りの生存競争でふり落とされたのか(親鳥が運んでくる餌を争うでもなく、待ち続けるひな鳥同士でそんな残酷なことが起こるとは思えないが)? そこで、巣の真下に掛け布団を折りたたんでクッション代わりに置いたりした。
巣立った後、今年はいつもより長く、昨夜もまだ巣に戻り、新旧2つの巣に分かれて一夜を明かしていた。巣立ちの前は無事、飛び立てるのか案じるが、いったん巣立った後もこうして雛がそろって巣に戻っているのを見たときは、ツバメの習性か何かの訳ありでそうしているだけなのに、まるで家人への挨拶のつもりで戻って来てくれたかのように思いたがるのは人間の欲目というものだろう。
そんなツバメの姿に魅かれて、千勝三喜男編『現代短歌分類集成――20世紀“うた”の万華鏡』2006年、おうふう、で<燕>、<つばくらめ>の歌を調べた。
帰り来しつばくら二つ去年の巣を少しつくろひ住みつかむとす(自流泉 土 屋文明)
門ぐちを出入るつばめの忙(せは)しみか口にふくみし泥おとしたり(しが らみ 中村憲吉)
営巣の泥の得がたく春燕東京の空をかなしみて去る(老槻の下 窪田空穂)
つばくらめ並びて母を待ちてをり身のおほよそは口のごとしも(紅梅坂 稲 葉京子)
けさ見れば空になりたる玄鳥(つばくろ)の巣のすたれしに藁しべが垂る (すもも咲く 片山貞美)
ところで、ツバメは秋風が立つ頃、東南アジアへ渡っていくという。このように自然界を生き抜く動物の強靭な生命力に畏敬の念さえ覚えるが、政治家や上層公務員に向かって使われる「渡り鳥」は、これとはまるで違ってあさましさが付きまとう。
この両日の各紙は、社民党からの離党を表明した辻元清美議員の記者会見の模様を紙面を割いて報じた。ご本人がいう離党の理由とは、「少数の野党にいても政策の実現は難しい」、「このまま社民党にとどまったのでは次の選挙で当選できる目途が立たない」、「しかし、自分はどうしても議席を守りたい」ということらしい。そこから、いずれ民主党入りではという観測がもっぱらである。しかし、私は辻元氏の離党の理由を全く理解できない。
「少数の野党にいても政策の実現は難しい」という主張を突き詰めたら、野党はいらないということになる。しかし、オール与党になって議会政治は成り立つのか? それなら、落選の時期も含め、なぜいままで辻元氏は超少数政党の社民党にとどまっていたのか? そして「総理、総理」と政府・与党を追及したあの国会質問は何だったのか? それとも、「野党の存在まで否定するわけではない。しかし、自分はとなると与党に身を置いて政策実現にかかわりたい」ということなのか? そうだとしたら、前回の衆議院選挙で、当選しても少数野党議員になることがわかっていながら、なぜ社民党公認で立候補したのか? 選挙区の有権者を愚弄したことにならないか?
それ以前に、辻元氏は今の政権与党に身を置くとなれば、その党が掲げる主要な政策――消費税増税を軸にした税・財政改革、沖縄の米軍基地の処理を含む日本の外交政策、貧困格差・高齢化が進む中での国の社会保障政策等――に対する態度を表明するのが先決のところ、そうした政見を何も語っていない。聞こえてくるのはひたすら与党に身を置きたいという、自己愛過多で、多数党へすりよる言葉ばかりである。同議員のこうした本性は社民党が政権から離脱するのに伴って、国土交通副大臣を辞任する時に、未練がましく大泣きしたあの子供じみた姿に既に現れていたのだが。「市民派」出身ともてはやされた議員が、「政治屋」顔負けで日の当たる政党へと渡りをする人間に行きついたのかと思うとあまりに情けない。
飴玉を取り上げられた子の家出 (広島市 山道乙丙)
朝日川柳 2010年7月29日 より
初出:「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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