テクノクラートによる「対米従属」史 -書評 孫崎 享著『戦後史の正体 1945-2012』(創元社)-

 本書は読者にショックを与える本である。どんなショックか。対米従属外交の実態をキャリア外交官が暴露するショックである。著者は「はじめに」にこう書いている。
「この本は、かなり変わった本かもしれません。というのも本書は、これまではほとんど語られることのなかった〈米国からの圧力〉を軸に、日本の戦後史を読み解いたものだからです。こういう視点から書かれた本は、いままでありませんでしたし、おそらくこれからもないでしょう。「米国の意向」について論じることは、日本の言論界ではタブーだからです」。著者孫崎享(まごさき・うける、1943年~)は東大法学部中退で外務省入省、国際情報局長、註イラン大使を経て09年まで防衛大学校教授。元エリート外交官は現在は執筆、講演、ツィッター発信者として活躍している。

《米国の対日政策・日本の対米姿勢》
 孫崎は自作を「変わった本」というが、その方法論は決して「変わった」ものでない。
まず米国の対日政策についてこういう。
①米国の対日政策は米国の利益のために行われる。
②その政策は時期により大きく変化する。占領政策は冷戦開始で反転した。日本の「民主化・非軍事化」から日本を「反共の防波堤」にする方向へと。更に冷戦の終結で更に反転した。日本のライバル視と経済的・軍事的利用の明確化である。
③米国は自国のために様々な要求をする。これに対抗するのは容易でないが、日本は従属の態度を変え国益を主張すべきである。
いずれも国益を重視する普通の外交方針で「変わった」ところは一つもない。
一方で日本の対米政策は何であったか。総じて言えば「対米従属」(孫崎語では「対米追随」)であった。戦後の日本政治家がすべて従属的だったのではない。著者は戦後外交は「自主路線」と「追随路線」の戦いだったとする。

《吉田茂のイメージは変わるだろうか》
 従属路線の基礎は吉田茂が築いた。吉田は策を弄して鳩山一郎、石橋湛山らのライバル政治家を倒してマッカーサーのGHQ政治を支えた。東西冷戦の開始で、米国の最重要課題は、「米国が日本に対して望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」(ダレス)ことになった。これが日米安保の核心であり、対日講和は日米安保の従属物であった。これが日本の従属性を決定した法的基盤であり、現在も不動である。しかしそれがなぜ60年も続いているのか。この最も根源的な問いに対する著者の追跡は原因を探るよりも事実の叙述に傾斜している。

吉田茂のこの人物像は、臆せずマッカーサーに対峙し、米国の再軍備要求を拒否し続けた従来の吉田像とは異なるものである。吉田に限らない。孫崎は、戦後の政治指導者を「自主派」、「対米追随派」、「一部抵抗派」に分類して名前を挙げている。このリストにある固有名詞に言及する紙数がないので読者はぜひ本書に当たって欲しい。それは大変面白く多くの読者に共感と反発を抱かせるだろう。名前を挙げるだけではない。分析は個々の政治家の言動に及ぶ。岸・佐藤兄弟が「自主派」に分類されているのに私は強い違和感をもつ。彼らの自主路線の理由として、安保の条件改善、沖縄返還を理由にしているが、事態を過度に単純化していると私は感じる。
「陰謀史観」に限りなく近い分析手法は、読者に様々な疑問を感じさせるだろう。しかし、著作から受ける感動は新鮮である。私は個別のケースには賛否両論をもつが、外交の修羅場の臨場感がよく伝わることは強調しておきたい。

《冷戦終結時の好機を逸し更なる従属へ》
 著者は、20年前の冷戦終結が日本外交を見直す好機であったという。日本政府はそれを怠った。むしろ対米従属が強まったと指摘する。経済政策における「新自由主義」、プラザ合意による急速な円高政策、自衛隊の海外派兵、9/11後の有志連合への軍事協力、などの米国の要求を批判なしに受け入れた。ブッシュ米大統領夫妻の面前で小泉純一郎がエルビス・プレスリーを踊っていた頃である。軍事面では2005年の「日米同盟 未来のための変革と再編」の合意書を結んだことが致命的であった。この重大な改変によって日米同盟がカバーする範囲は「極東」から「世界の果て」にまで拡がった。国際紛争解決の戦略も国連憲章がうたう目的を離れて「国際的安全保障環境を改善する」というものになった。それは予防戦争を含むというのである。著者はいう。
「「国際的安全保障環境の改善」というと、なにかいいことをするようなイメージをもってしまいますが誤解です。これは米国が必要と判断したときには、主権をもつ他の国家に対して自由に軍事力を行使するという意味なのです」。「現在の米国がかかげる「予防戦争」という概念は、「近代社会四〇〇年の知の伝統の否定」です。そうした歴史のなかで、日本は米国との「共通戦略」にのりだそうとしているのです」。(345頁~347頁)

自民党は、憲法改正案で自衛隊を「国防軍」に格上げした。民主党・自民党のタカ派は「集団的自衛権」を容認しようとしている。孫崎の指摘はこの種の動きに対する重大な警告である。孫崎によるマスメディアを含めたこの国の抑圧システムへの批判、TPP反対の筆鋒も鋭い。

《奴隷の立場はどうなったか》
 結論的に本書はどう評価すべきであろうか。
肯定面としては、内部の事情を知る元官僚による対米従属外交への痛烈な批判であること。その根底にある素直なナショナリズムに共感をもちたい。それを戦後史の通史によって行ったことの意義も大きい。作品の価値はどこまでリアルに事実の核心に迫っているかで評価される。その点著者の真実追求へのコミットメントはたしかに実感できる。
一方で、私はこの作品が結果として、「一国民の運命が一握りの政治指導者、外交指導者によって決定される」という前提で論じられていることに不満を感じる。指導者を選び、指導者を支える社会的な基盤、社会の諸階層の顔が見えない。外交史だから大衆の心情が不要だということがあろうか。そもそも歴史は誰が作るのか。戦争はだれが起こすのか。リアリズムの力作ではあるが、本書は「テクノクラートによる対米従属史」というのが私の結論である。1945年8月を境に、日本の主人は天皇から米国へと変わった。奴隷の立場は変わったのか。変わらなかったのか。この難問は残されたままである。

■孫崎 享著『戦後史の正体 1945-2012』(創元社、2012年8月刊)、1500円+税

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