テロ根絶のためにこそ平和憲法を -2011年憲法記念日の社説を読んで-

 本年2011年の憲法記念日の新聞社説はこれまでと違って憲法論議一色ではない。国際テロ組織アルカイダの指導者、ビンラディン容疑者が米軍によって殺害されたニュースが飛び込んできたためである。従来通りの憲法論議派とテロ論議派とに分かれた。しかも憲法論議とテロ論議とは水と油のように異質で交わらないという思いこみに立っている。果たしてそうだろうか。
考えてみれば、日本国憲法がめざすものは、平和=非暴力であり、一方、テロ論議もテロという名の暴力、脅威、恐怖をどう封じ込めるかがテーマである。平和=非暴力が広く根づいていけば、テロも自ずからその生成基盤を失うだろう。平和憲法論議と暴力テロ論議は密接に絡み合うのであり、そこに「テロ根絶のためにこそ平和憲法を」という新たな視点が浮かび上がってくる。(2011年5月5日掲載)

▽ 憲法記念日に新聞社説は何を書いたか

 5月3日の憲法記念日に新聞社説は何を書いたか。沖縄の琉球新報、北海道新聞を含めて7紙についてまずその見出しを紹介する。

*毎日新聞=大震災と憲法記念日 生命を守る国づくりを
*東京新聞=憲法記念日に考える 試される民主主義
*琉球新報=憲法記念日 被災者の生存権回復急げ 憲法実践、沖縄を教訓に
*北海道新聞=希望の道しるべとして 憲法記念日
*朝日新聞=ビンラディン テロの時代に決別せよ/大震災と憲法 公と私をどうつなぐか
*読売新聞=ビンラーディン テロとの戦いは終わらない/補正予算成立 菅政権は大胆な政策転換急げ
*日本経済新聞=指導者倒しても「テロとの戦い」は続く/切れ目なく復旧・復興対策を

 今年の憲法記念日社説の内容は昨年までに比べて随分色合いを異にしている。上記の7紙のうち憲法問題のみに焦点を合わせたのは、毎日、東京、琉球新報、北海道新聞の4紙で、朝日はテロ問題と抱き合わせであり、読売と日経はテロ問題が中心である。
 ただ読売と日経は翌4日付社説で憲法改正に若干言及している。改憲派としての両紙の姿勢は変わらない。両紙の4日付社説の見出しは次の通り。
*読売新聞=非常時への対応 本来なら憲法の見直しが要る
*日経新聞=(新しい日本を創る)国力結集へ 2011年型政治の確立を

▽ 大震災と生存権と幸福追求権と

 ここでは大震災とからめて憲法問題を論じた毎日新聞社説「大震災と憲法記念日 生命を守る国づくりを」の要点を紹介する。

 ◇生存権と幸福追求権
 憲法では13条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」、25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」とする生存権を再確認する機会である。いずれも平時を前提にしているとされるが、緊急時にこそ国が「生命と最低限度の生活」を支えるのが憲法の要請だろう。次の復興・再生の段階になって一歩進めて被災者の幸福追求権、生存権を十分に生かすことが課題になる。
 現状を見れば政府のより強力な被災者支援が急務だ。何とか「最低限度の生活」を確保すべきである。
 同時に、来るべき大地震・大津波から国民の生命を守る備えを進めなければならない。災害に強い日本を作ることだ。
 緊急に必要なのが原発の安全対策だ。地震・津波対策を格段に強化しなければならない。将来、原発で電力の半分を担うという計画も、原発の増設が現実的に困難になっている以上、転換する必要がある。
 政治、経済はじめ多くの分野で東京に一極集中しているのは危険すぎる。東京が被災すれば日本が立ち直れなくなり、膨大な犠牲者が放置されてしまう。首都機能などさまざまな機能の分散を考える時期である。

 ◇連帯の絆示された
 弱い政治とは裏腹に、国民の強い連帯の絆が示されたこと、被災地の自治体が首長を中心に力を発揮したことは不幸中の幸いだった。今回も活躍したボランティアがより有効に機能する枠組みも必要だ。経済界などさまざまな組織、団体の力も含め、民間のネットワークを育てていきたい。国のあり方と同時に社会のあり方も、広い意味での憲法の問題として考えていきたい。
 「この恐るべき強敵に対する国防のあまりに手薄すぎるのが心配」「戦争のほうは会議でいくらか延期されるかもしれないが、地震とは相談ができない」(「地震国防」1931年)。随筆家としても知られる物理学者、寺田寅彦は地震への備えを訴え続けた。「国民の生命を守る」という視点で、80年前の寺田の議論を改めてかみしめたい。

<安原の感想> 脱原発なのか?
 東日本大震災と原発惨事に見舞われた日本が今直面している課題を網羅的に取り上げている。憲法に定める生存権、幸福追求権の重要性はもちろんのこと、災害に強い日本づくり、原発増設路線からの転換、さらに首都機能の分散にまで言及している。これらの提言に一貫しているのは「国民の生命を守る」という視点である。この「国民の生命を守る」という視点はゆるがせにできない基本で、そこには具体性が求められる。
 例えば目下最大のテーマである原発からの転換が新増設を見送るだけなのか、それとも中期的視野で脱原発へと進むのか、そこがはっきりしない。曖昧な論説で済む時勢ではない。私自身は脱原発への展望とその意志を語るときだと考えている。寺田寅彦が今健在であれば、脱原発を唱えるのではないか。そういう想像力もこれからの日本再生には必要なときである。

▽ 世界最大のテロリスト集団は誰か ― アメリカ軍産複合体

 私はあの「9.11」(2001年アメリカを襲った同時多発テロ)以降、「世界最大のテロリスト集団は誰か」という疑問を抱き続けてきた。その答えを発見できたのが、2005年春、「ベトナム解放30周年記念ツアー」(作家・早乙女勝元団長)の一員としてベトナムを訪ねたときである。
 その30年前の1975年4月30日、アメリカ侵略軍は敗退し、ベトナム人による人民戦争の勝利が歴史に刻まれた。ベトナムで戦跡などを歩いた末、私の認識が鮮明になったのは、アメリカの侵略戦争による悲惨な後遺症には想像を絶するものがあることである。
 その一つは、後に世界中の話題となったベトナム中部のソンミ村における米軍の大虐殺である。1968年3月16日早朝、ヘリに分乗した約100人の米兵が村を急襲、無抵抗の幼子も含めて504人の村民を手当たり次第に虐殺して回った。奇跡的に生き残ったのはわずかに8名だった。

 「すべてを焼き尽くせ」、「皆殺しにせよ」、「すべてのものを破壊せよ」を合い言葉に米軍兵士たちは、1人殺すたびに「ワン スコア」(1点)、もう1人の命を奪うと、「ワン モア スコア」(もう1点)と数えたという証言を聞いた。これはまさしく虐殺ゲーム以外の何ものでもない。これが人間性を喪失した侵略兵の本性である。ソンミ村の破壊跡に建てられた記念館の追悼碑には犠牲者全員の氏名が刻みこまれている。
 後に有罪判決(注)を受けたのは指揮した小隊長のカリー中尉だけである。
(注)米政府はこの戦争犯罪を闇に葬ろうとしたが、新聞記者の努力によって明るみに出たため、1970年の軍事法廷で14人を起訴した。しかし有罪判決(終身刑)を受けたのは、カリー中尉のみで、その後10年の刑に減刑され、74年に仮釈放された。

アメリカの侵略戦争の目的は「ベトナムを石器時代に戻せ」だった。第2次世界大戦の全爆弾量の4倍以上の爆弾をベトナム全土に投下し、それは日本の広島・長崎を攻撃した原爆の破壊力の756倍に匹敵する。当然ベトナム人の犠牲者は多数にのぼった。死者300万人、負傷者400万人、戦後30年の時点でなお30万人が行方不明のままであった。
 もう一つ、米軍が空から撒いた8000万㍑の枯れ葉剤による犠牲とその後遺症には目を覆うものがある。枯れ葉剤には猛毒化学物質・ダイオキシンが含まれており、その毒性はほんのわずかでもニューヨークの水道に入れれば、市民全員が死ぬほど強いという。このダイオキシンの悪影響を受けたベトナム人は300万人~500万人ともいわれる。このため数百万人が労働能力を失い、さらに孫の代まで遺伝子の影響が及び、その最大の被害は脳性マヒである。「人間として生きる権利を奪われた」と訴えるベトナム人たちの心身の痛みが薄らぐことはないにちがいない。

 以上のようなベトナムを舞台にしたアメリカの軍事的暴力を具体的に追跡することから何が見えてくるだろうか。それは世界最大のテロリスト集団は、ほかならぬアメリカだという事実である。ベトナムでの人道に背く蛮行は一例にすぎない。第二次大戦後の過去半世紀余にアメリカは外交上、軍事上の覇権主義の下に地球規模でどれだけの暴力を重ねてきたか。アメリカの軍事力行使と輸出されたアメリカ製兵器による犠牲者は数千万人に達するという説さえある。アメリカこそ世界最大のテロリスト集団と認定せざるを得ない。
 正確にいえば、その正体はホワイトハウス、ペンタゴン(国防総省)と軍部、国務省、CIA(中央情報局)、保守的議員、兵器・エレクトロニクス・化学・エネルギー産業、新保守主義的な研究者・メディアなどを一体化した巨大な「軍産官学情報複合体」(通称「軍産複合体」)である。これがアメリカの覇権主義に基づく身勝手な単独行動主義を操り、世界に人類史上例のない災厄をもたらしている元凶である。これをどう封じ込めることができるか。私の脳裏から離れることのない宿題である。

▽「テロ根絶」を「平和憲法」とつなげる視点

(1)高まる報復テロの可能性 
 憲法記念日の5月3日の社説で、国際テロ組織アルカイダの指導者、ビンラディン容疑者が米軍によって殺害されたニュースを取り上げた朝日、読売、日経は何を書いたのか。以下にその要点を紹介する。
*朝日新聞
 これでイスラム過激派のテロが終息すると考えるのは早計だ。各地の過激派にゆるいネットワークが作られている。これを断ち切らぬ限り、第2、第3のビンラディンが生まれる。今や貧困地域だけでなく、欧州や米国にも、テロに共感する若者が育っているのは大きな問題だ。
*読売新聞
 これでテロが終息するわけではない。殺害に反発して、むしろ報復テロの可能性は高まる恐れがある。(中略)大統領自身が認めた通り、テロとの戦いは今後も続く。米国人を殺すことがイスラム教徒の義務だとするビンラーディンの考えを信奉するテロ組織は、北アフリカから東南アジアにまで広がっている。
*日経新聞
 これでテロの脅威が消えるわけではない。(中略)その背景には人口増が続くイスラム諸国の若年層の失業問題や、米同時テロ後に米欧で強まったイスラム教徒排斥の社会潮流もある。

 以上の3紙社説に共通している認識は、「これでテロの脅威が消えるわけではない。むしろ報復テロの可能性は高まる」である。なぜ報復テロの可能性は高まるのか。
 3紙は触れてはいないが、米軍によるベトナムへの軍事的侵略に象徴される第二次大戦後の「アメリカのテロ」という認識が不可欠である。アメリカがベトナムで敗退したのは、アメリカ側に正義が欠落していたからである。言語学者として著名なノーム・チョムスキーMIT(マサチューセッツ工科大学)教授は「アメリカこそならず者国家」という認識に立って、「ホワイトハウスの行状は世界残虐大賞に相当する」と指摘している。つまり「アメリカのテロ」が報復テロを誘発していると認識したい。

(2)「テロの悪循環」を「いのちと平和の良循環」に転換を
 その「アメリカのテロ」に対抗する「イスラムの報復テロ」という悪循環をどこでどう断ちきるか、そこが問題である。いいかえれば、「テロの悪循環」を「いのちと平和の良循環」にどう転換していくかである。そのためには「テロの根絶」と「平和憲法」を連結させる視点が不可欠となる。求められるのは「テロ根絶のためにこそ平和憲法を」という視点である。上述の7紙の社説にはそういう視点がうかがえないところが物足りない。

 ここでテロそのものを広く脅威、恐怖と捉えれば、いのちや暮らし、安心安全を壊すものはすべてテロと捉え直すこともできる。だから広い意味のテロを封じ込める変革のためには日本国平和憲法に定める生存権、幸福追求権はもちろん、憲法9条、憲法前文の平和生存権などの存在価値を再認識し、その定着を図っていく必要がある。

 テロを封じ込める変革構想に生かす平和憲法の理念と条文は、以下を指している。
*憲法前文の平和的生存権
*9条「戦争放棄、軍備及び交戦権の否認」
*13条「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」
*18条「奴隷的拘束及び苦役からの自由」
*25条「生存権、国の生存権保障義務」
*27条「労働の権利・義務、労働条件の基準、児童酷使の禁止」

 憲法前文には「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。恐怖とは戦争という暴力であり、欠乏とは貧困、飢餓などの暴力である。
 前文でうたわれている平和的生存権と9条の理念を生かすためには世界の核兵器廃絶はいうまでもなく、日本の非武装への転換、さらに「暴力装置」である日米安保体制(=軍事・経済同盟)の解体を視野に入れる必要がある。
 以上のように捉えれば、日本国憲法の存在価値は地球規模に広がっていくだろう。日本の平和憲法から世界の平和憲法へ、と。

<参考資料>
安原和雄著『平和をつくる構想 石橋湛山の小日本主義に学ぶ』(澤田出版、2006年刊)

初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(11年5月5日掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  http://www.chikyuza.net/
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