テント日誌9月20日(日) 経産省前テントひろば1471日

連休の静けさの中から次のステップへ

敬老の日を控え大型連休となったテントは夕刻の暗闇から静かに時が流れた。
周辺は人通りと交通の往来はほとんどなく、あの嵐のような抗議の人波は小休止した感じだが、来年夏の参議院選挙に向けて、安保関連法の「違憲」と廃止への様々な具体的な行動が次々と動き出す。

共産党も「戦争法廃止」の一点で、野党と共闘し選挙態勢を組み立て直すという。
これは絶対に必要だ。与党議員に対し批判票の食い合いほどばかげたものはない。誰しもが思うだろう。すそ野をさらに拡げ、「これからが始まり」だと。

23日秋分の日、代々木公園で午後1時から行われる「9.23さようなら原発さようなら戦争全国集会」は再び大規模なうねりを呼び起こす集会になるのは確実だ。

テント、たんぽぽ舎、再稼働阻止ネットが共同ブースを出すのでこのテントにも声掛けしてほしい。テントTシャツプロジェクトからのお願いは、友人・知人にTシャツを勧めてほしいこと。

夜が更けても珍しく来客はなかった。テントの来客門限は原則午後11時だが、秋の夜長、話の輪に参加してほしい。

霞が関が休みのせいか、ネズミが食べ物をめがけて遠慮会釈なくやってくる。ふたりで話し合っていれば彼らはやってこない。

明け方5時過ぎ、日比谷公園から銀座方面の東空がピンクのゲラデーションで染まった。(I・M)

連休中だが、テントは様々の訪問者がある

今日はからっとした秋らしい天気に恵まれた。
テントに着いたら毎週寄ってくださるサイクリングの人が乱さんと話していた。いつものように記念写真を撮って帰られた。

その後貸し自転車に乗って川内原発の末端の社員と言う人が現れ、原発の必要性をしつこく言う。みんな原発の電気の恩恵を受けているでしょう。
電気をたくさん使う鉄道を利用しているでしょう。
原発は事故を起こすけれど、その恩恵のためにはそれを我慢しなくてはいけないと言うのです。

聞いていて信じられないことばかりなので、高レベルの放射性廃棄物をどうするのか聞くとそれは頭のいい人が考える、自分は末端にいるだけなど言うのであきれました。SさんMさんが色々反論したけれど、聞く耳持たず議論は噛み合わないまま去っていった。

彼が去った後午前中は昨日と打って変わって静かだった。
テントに有った新聞を読みながら座り込む。
東京新聞に安保法案に賛成した議員と反対した議員の名前が載っていたのが興味深かった。

昼近くからは色々な人が寄ってくれた。フランスから一時帰国していた女性、何度かテントに来てお世話になったのでと挨拶の来てくれた。
しばらく話して記念写真を撮っていたら、M子さんが来たのでまた彼女とも話が 弾んでいた。

水戸から来た女性、本当は此処に一緒に座らなければならないのだけどと、言って美味しいドーナツの差し入れとカンパを下さった。

学校が有って普段来られないのでと中学生の娘さんと来た女性はバッジを買って 国会前に向かって行った。
娘さんは友達と霞ヶ関ツアーを考えているとか、若い人が政治に関心を持っているというのは頼もしいです。

安保法案は可決されてしまったけれど、怒りを抑えきれず国会前に向かう人が今日もたくさん居た。
夕方来た女性、食料をたくさん差し入れて281さんデザインのバッジを買ってくださった。

テントのことを心配してくれる人がたくさん居て嬉しいです。
今日はスタッフが少なかったのでいつもより遅くまで残っていたが、Y子さんが来てくれたので6時過ぎ帰路に着く。(I・K)

9月18日の裁判については傍聴記の他に陳述書も寄せられています。長くなる関係で先に傍聴記を掲載したあとに陳述書を載せます。(M)。

傍聴記2(傍聴記1の続きです)
トップが、第1テントの代表として、江田さんが陳述することになったが、(裁判長は、7分遅刻した)、最後に、淵上さんが、強調したように、一貫して、外形的事実―土地の使用問題に限局し、なぜ、この土地に、テントを建てねばならなかったかの、原因動機問題が正面から論じられてこなかったことに通ずる、巻頭の柳条湖陰謀工作事件の想起の要請だった。原因と結果が倒錯している、そして、加害者と被害者が、入れ替わってしまっているという事態の根本的告発こそ、すでに、憲法と現実権力この場合は、高裁それ自体が、憲法を遵守しているのか、という告発・糾弾にいたらざるを得なかったことを白昼の秩序のもとで、天下にさらしたことになる。ある知識人は、現代日本の一症例としての、集団的記憶喪失について論じているが、新自由主義の根幹には、歴史の自由選択、解釈という問題があった(ここに潜在しているのは株式などの投機にあるのだとは思うが)。この冒頭陳述の衝撃は、東電福島第一原発事故を論じずして、法廷は有意であるのか?…の根本的命題を、さらに、現在の安倍政権の憲法破壊に一貫している旧日帝の中国における侵略が、陰謀工作によって展開されていたことを想起すれば、安倍政権の戦後レジームの乗り越えが意味するものは、産軍の独裁専制への悪しき反動であることがはっきりする。このとき司法権力の責任は、末代まで問われることになる。民事裁判が、戦争責任、原発事故責任、テントの存立の意義まで、考究しない限り、司法の責任能力それ自体が児戯に類することとなる。冒頭陳述の前提発言だけで、こんなに書いてしまったが、国家権力の干渉できない民事調停が、根底的なレヴェルで審問されなくてはならないのは、現在の政治的真のアクチュアリティだからといえる。ちなみに、「あやまちは2度とくりかえしません」という銘字は、戦後ドイツの裁判所の掟として裁判所のすべてに掲げられている。(Q the TENT) (Quem’a )

9.18最終弁論で明快に陳述されたテントの主張
 9月18日の第3回テント裁判控訴審は3日続きの雨空があがり、東京高裁前の事前集会を経て155人が傍聴券を求めた。満席の102号法廷で午後3時開廷、高野伸裁判長はテント5名と河合弁護士の陳述時間を55分間と指定した。

 一番手は第1テントを代表して江田忠雄さん。冒頭、1931年9月18日、関東軍が満鉄を爆破した柳条湖事件こそ中国侵略を拡大した日であり、84年後、安倍政権が戦後日本の大転回となる安保関連法の衆参両議院を強行採決し、本日の本会議で採決が強行されれば〈特別な日〉になると重ね合わせた。余談ながら1945年9月18日生まれの私も戦後70年の節目の日となり、裁判後テント前で三上治さんから傍聴記を依頼され、これも何かの因縁と思い原稿を引き受けた。

 江田さんは陳述書に、1「錯誤・欺瞞の一審判決」2「テントの設置」3「テントの運営」4「多彩なテント活動」5「主権者は国民である」の5項目をまとめた。経産省は監視カメラを設置したが当人の写真を正清氏と誤認し、のちに訂正したがテントの占有者として認められていない事実こそ当事者選定作業の根幹が誤っていると強く指摘。テント設置はいつでも視え、誰でも参加できる原発推進政策の本家本元、経産省の喉元に建てた必然があること。テント運営は度重なる右翼の襲来や嫌がらせに対し、1日昼夜10人、週70名が必要であり、昼夜それぞれ責任者を置き、運営上の諸問題は誰でも自由に提案でき、運営委員会や全体会議で決められて実行される。

 9月11日でテントは4年を経過したが、この間、実に多彩なイベントが行われていること。テントには誰が掲げたのか「主権者は国民である」の横幕がかかっているがこれは日本国憲法の根本である。安倍政権の集団的自衛権行使容は戦争国家への道であり、テントの存在は今日の危機的状態を予測していたといえる。全国、全世界から様々な人が訪れるが一番多いのは福島の人たちで、避難、補償、子どもの被ばくなど普通の人間生活を奪われた人たちだ。福島の人たちの闘いは憲法で保障された基本的人権実現の闘いである。経産省前テントにおける私たちのたたかいは、まさに憲法を国民のものにし、真の民主主義をかちとるたたかいである、と締めた。

 傍聴席からの拍手に裁判長から静止の声がかかる。前回の裁判終了時、裁判官は着席のまま退席せず、帰り際の傍聴者の反応を凝視していた。今回弁護団から「傍聴席の発言は止めてほしい」と伝えられ事前集会でも確認しており、遠慮がちの拍手にもやや神経質に反応した裁判長の微妙な変化は気にはなる

 第2テントの当事者として寺崎明子さんは、1979年9月のスリーマイル島原発事故で原発の危険性を再確認した。そして3.11福島原発の悲惨な現実は三春町に住む友人の存在があり、脱原発への願いを込めて同年9.11の経産省ヒューマン・チェーンとテント設立を経て、2012年3月17日に第2テントの当番受付をするに至った。第2テントのイベントも思いついた人が中心になって実施してきた。ドイツ映画「シェーナウの思い」に記録される自然エネルギーへの転換は日照が少ないドイツで太陽、風力発電が27%占めていることを伝えた。3.11の実態を見てメルケル首相の決断が国民からも大きな支持を得たこと。おまかせ民主主義を排し、政治への監視の眼を向ける必要性を伝え、裁判所は良識ある判断をお願いしたいとした。

 第3テントは高瀬晴久さんが連日の国会前抗議で声をからしながらも満身からの気力溢れる熱弁で経産省代理人を鋭く糾弾した。
 第3テントとの関わりは第1テントが建てられた1週間後で、所属する「平和と民主主義をめざす全国交換会」(略称:全交)の皆からのカンパで建てた。全交テントは「霞が関オキュパイテント」と名付ける。
経産省前テントは不法占拠ではない!
 原発により、命と財産、故郷と未来を奪われた人々の止むにやまれぬ対政府行動の拠り所としてテントは不可欠である。9月18日でテントは1469日を経過した。憲法は国家の義務規定だ。司法は国家に命じなければならないと。加害者が被害者を訴えることがあっては絶対にならない。さらに経産省を指差し、裁判への注文が経産省の中から出ている。司法は立法府、行政府の下請けになってはならないとした。

 正清太一さんは4年間集会の自由、福島の子供を守れ、自由を守れと経産省に訴えてきた。一審は不当な裁判であり、ポケットパークは誰でも自由に使える場所。経産省は損害賠償を請求するが逆である。市民どうしが自由闊達に対話するすべての人に開かれた場所としてのテントに、世界が関心を寄せている。宿営型の表現、憲法21条の表現の保証がある限り正当な評価をしてほしい。

 淵上太郎さんは、経産省は原発推進の総本山、原発がなければ我々はここに存在しない。原判決(一審)の事実関係は明らかに間違いである。原告は日本の原発推進に一言も触れてない。裁判の行方に重大な関心を寄せている。

 河合弘之弁護団長は、原発訴訟は3.11前までは原子力ムラの必要・安心・安全キャンペーンを信じ、裁判は毒され続けていた。日本を滅ぼすのは原発か戦争しかない。危険をあえて冒そうとする政権は亡国の集団だ。北朝鮮からミサイルが北日本の若狭湾に発射されれば7分から20分で到達することは防衛省のホームページに明記されている。今の政権は日本が滅ぶかもしれない橋を渡ろうとしている。テントは国民の正論の発信地だ。求めているのは原発のない安全な国である。再稼働が一基動いても一喜一憂しないことだ。粘り強い運動を続けマスコミ、首長に働きかけ、その間に脱原発の電力は自然エネルギーへむけて実現しなければならない。最近のドイツ取材で自然エネルギー使用が30%を超えた。再稼働を抑え込む。そうなれば日本の大企業、中小企業も雪崩を打って自然エネルギーに転換する。

 テントは日常的国民運動の拠点。経産省は亡国の役所、どちらが有用か、裁判所は大所高所で判断してほしい。憲法9条を読んだら戦争に出かけると読めない。どちらが本当の意味で正しいのか、裁判所はよく考えて欲しい。

 裁判長から判決期日は追って通知するとして弁論は終結した。

 結審で改めて4年間テントを維持してきたテントの総意と底力が5人の当事者から発せられ、河合弁護士の陳述は近い将来を見据え明快であった。
 スラップ訴訟は主客転倒している。テントの合言葉「撤去すべきは原発」を改めて確信させた。最終陳述した5名、構築しまとめあげた弁護団、弁護団会議のメンバーに敬意を表し、お疲れさまを申し上げます。

裁判が終了した右手の壁には、裁判所担当者が警備を兼ねて10人ほど立ち並ぶ。「なぜ私たちをそんなに心配するのか」を聞くと、明確に答えない。多分一審判決時のテントの怒りを恐れてのことだろう。

「敗訴を決めているなら今日は判決日を指定したはず、きっと悩むところがあるのだろう」。誰ともなくそんな意見が聞こえた。7月下旬、裁判所から和解の検討が提示されたが国は拒否した。判決は年内に出ることが予測される。(石鍋)

◆9・22首相官邸前・国会前大抗議
日時・場所:9月22日(火)*13時~15時日比谷公会堂集会 *15時30分~17時抗議行動
主催:首都圏反原発連合

◆9・23さよなら原発、さよなら戦争全国集会
日時・場所:9月23日(水)13時30分~ 代々木公園
主催:さよなら原発1000万署名市民の会

◆9・24「さあ、安倍政治を終らそう」緊急院内集会
日時・場所:9月24日(木)午後1時~ 参議院議員会館 101号室
主催:立憲フォーラムと戦争をさせない1000人委員会共催

◆9・25再稼働反対抗議行動
日時・場所:9月25日(金)18時30分~20時*首相官邸・国会議事堂正面
主催:首都圏反原発連合ほか