国会周辺にも銀杏並木はあるのだ!
「メトロガイド」という新聞がある。地下鉄の駅で無料配布しているのだが、なかなか面白くて便利である。夏の花火の案内などは恒例のものだけどいいと思う。今出ているうち号には「銀杏並木散策」が取り上げられている。これから紅葉の季節にもなって銀杏並木の散策は素敵だ。このメトロガイドの紙面には明治神宮外苑や靖国神社の銀杏並木が取り上げられている。そして、甲州街道や昭和記念公園、ひいては都内各地の公園(代々木公園、野川公園)、さらには関東各地の銀杏スポットが紹介されている。だが、どういうわけか国会周辺の銀杏並木の事は無視されている。
連日の国会周辺での抗議行動のさなかでも銀杏の異臭が鼻についたが、こちらの銀杏並木も名所である。かつて、国会前で座り込み闘争をやっているときに、銀杏を拾い集めて銀杏パーテイをやったことがあるが、僕らには馴染のものだ。安保法案は成立を許してしまったが、国会周辺での意思表示の行動(デモや集会)は特別のことではなく、当たり前に続くものとなった。これには、経産省前テントや官邸前抗議行動の持続的な展開があるのだろうが、いつも、どこかで誰かが国会周辺で意思表示が行われており、それが当たり前の風景になって行って欲しいと願っている。これは法案の成否をめぐっての決戦型の闘いではなく、もっと長い射程を持った持久戦型の闘いが基本になって行く時代にふさわしいのだと思う。戦争法案の闘いが戦争の現実化との闘いであれば。今度の闘いが誰でもいうような「これから」の一歩であることは確かなのだ。そいう闘いで疲れたこころを四季折々において銀杏は慰めてくれるはずだ。四季折々に自然に心動かし、動かされる日本人の伝統は何処にでもあるし、闘いの中でもそういう楽しみはできるはずだ。
今回の「銀杏並木散策」に国会周辺の銀杏並木が落ちていたのは残念だが、国会に出掛けてくる人、また、銀杏の好きな人はこの国会周辺の銀杏並木のことを頭にいれておいて欲しいものである。テントは控訴審の最終弁論も終わり、判決の期日待ちという局面もあって、なかなか難しい場面にあるが、僕らは各地の再稼働の動きをにらみながら、当初来の持久戦を地で行くような闘いをやり抜くしかない。テントの持続は日常化していかなければならない面と日常化は困難性のもとになるという矛盾に遭遇している。この矛盾は個々人のうちに訪れるのだろうが、そこは自問自答を繰り返しながらやり抜いていくしかない。このなかにこそテントの切り開いてきたこと、また、可能性があるのだ。人間の自然の情として足が遠のいていくこと、その中でテントに足を運ぶ自分との葛藤、そこでの意識に目をそらさないこと、安易な解答を求めずに、そこに生起することを考え抜いて行くこと。こういう自問自答のうちにこそ、闘いの真のものがあるのだし、それは、今は見えなくても見えてくるものである。自問自答に疲れたら、銀杏との対話でもしよう。銀杏は何にも言わないが、歴史を知っているのだし、僕らの想像力はそれを引き出すことも可能にする。こういう時期だから、何はともあれ、テントに、ついでに国会に、逆でもいいが足を運んでほしい。(三上治)
テント裁判の傍聴記を掲載します。長いのですが裁判の総集編として読んでいただければと思います。それにふさわしいとものだと思います。二回にわけます。今回はその1回分です。(M)
法廷もテントひろばだ!
テント裁判控訴審第3回 最終弁論傍聴記(そのⅠ) 森瑞枝
2015年9月18日15時、東京高等裁判所102大法廷において、髙野伸裁判長はテント裁判控訴審を開廷した。ついに結審を迎えた。
1・2回の要約
結審を前に、まず、過去2回を振り返っておこう。
第1回では、亀屋幸子さん、黒田節子さんによって、311のその時から、御自分の身の上に降りかかって今なお続く福島原発被害の現実が語られた。事態を直視して、心身からふりしぼって語られた事実は、包み隠され忘れさせられようとしている福島原発事故の被害を法廷に呼び覚ました。テントひろばのレゾンデートルは、このとほうもない福島原発被害の現実だ。およそ三時、ただただ厳粛な時間であった。
第2回では、佐藤保さん、正清太一さん、渕上太郎さんの証言によって、2011.9.11、テントひろば立ち上げの経緯と、2013年3月14日の仮処分通告の模様が検証されて、この訴訟の杜撰さと不正義が曝かれた。第2回はスラップ訴訟「土地明渡請求、参加申出控訴事件」に直接関わる事実関係の確認と反証が行われたわけだが、それ以上に、福島の惨状に対する人々の「やむにやまれぬ思い」の結実としてテントひろばが出現し、それを表現する場となったことを再認識できた意義は大きい。基本的人権、生存権としての「やむにやまれぬ思い」、その表現の自由として、テントひろばは存続している。
ざっと1人1時間。御三方(俳優)は尋問に応じてテントで起こった出来事を活き活きと語っていた。控訴側代理人(狂言回し)は論述を上手に引き出し、傍聴席(大向こう)は敏感に反応し、裁判官(座元)は全体を見計らう。時折ナンセンスな反対尋問(間の手)をいれる被控訴人(道化)。法廷全体があたかもシェイクスピア劇のような活気に満ちていた。実際、拍手喝采が湧き上がって、裁判長に制止されはしたが、それもまた一興であった。テントひろばは生きている、テントひろばで生きている。
控訴審第3回はじまる
東京高裁がテント裁判に対し、地裁とは異なる姿勢で臨んでいることは、第1回、第2回とも明らかだ。判決の如何に関わらず、この裁判はすでに将来にわたって意義深い内実を獲得していると思う。テント裁判はスラップ訴訟を換骨奪胎している。経産省の隣の隣区画(同じ霞ヶ関駅の反対側)の地を占める東京高裁一階の102大法廷は、まさしくテントひろばと地続きの「表現の場」といえる。
さて、結審の第3回は第1テントから江田忠雄さん、第2テントから寺崎明子さん、第3テントから高瀬晴久さん、そして所謂被告の正清太一さんと淵上太郎さんの5人が陳述した後に、河合弁護団長による最終弁論となっている。事前集会で弁護団から傍聴者に、開廷中の拍手発言を慎むよう、特に要望があった。第2回の高揚をリセットして、気を引き締めてかかるべし。
さて15時、開廷。国側は前列代理人4人、後列に役所の面々。おそろいみたいな紺色無地。いわゆるリクルートスーツ姿の同じ姿勢でコチンと固まってお行儀良く座っている。いつもの顔ぶれだが、第1回の横柄な態度とはかなり様子が違う。
まずは例によって証拠関係書類の確認。被控訴人(国)代理人は控訴人側提出書類について些末な事柄を質した。「精査しているぞ」アピールである。確認をおえて、裁判長が意見陳述は「あわせて55分の範囲」でよろしく、と念押して陳述者の名を挙げた。第1、2回は午後いっぱい、3時間超をかけたのに、最終弁論の今回は、たった1時間足らずに総勢6人の陳述となった。1人たったの10分弱しか、裁判長は提供しなかったのだ。裁判官たちの雰囲気も固い感じがして、あらためて裁判の厳しさを噛みしめる。
これまでは代理人(弁護士)による質問に証人が答えながら(Q&A)、諄々と事実関係を確認し議論を積み重ねてゆく尋問であったが、今回は順番に控訴人席にて立ち上がり、尋問無し休憩無し、ノンストップの意見陳述となった。国・経産省側が勝手に作り上げたテントひろば像を粉砕すべく、江田さん、寺崎さん、高瀬さん、正清さん、渕上さんは、テントの実際、どういう人がどんな思いで、どのようにテントに関わっているかを披瀝した。
意見陳述は「土地明渡請求、参加申出控訴事件」(スラップ訴訟次元)のポイントは押さえつつも、原発をめぐる自身のテーマを論じていた。テント運営にまつわる客観的事実関係そのものは、すでに一審から控訴審までに念入りに提示されている。第3回はテントの当事者たちそれぞれのテーマや思いを述べることで、テントひろばの意義、テントを存続せしめている問題系を浮上させた。
短い持ち時間のうちに言うべき事を言い尽くさねばならない。それでいきおい早口の書面(陳述書)音読調であったのだが、内容においても佇まいにおいても、陳述者それぞれの個性豊かな弁論であった。「宿営型表現活動」経産省前テントひろばに集う市民の「表現」が法廷に展開した。
1 第1テント 江田忠雄さんの意見
江田さんはまず、この9月18日は、1931年の柳条湖事件(満州事変)勃発の日であり、今また9月18日に安保関連法案の強行採決が行われようとしていることを指摘した。人権を保障する憲法そのものを無視して顧みない現政権。江田さんは、今まさに進行している国策の大きな曲がり角を象徴していることを強調して、結審の陳述を開始した。
江田さんの陳述は、1「錯誤・欺瞞の一審判決」2「テントの設置」3「テントの運営」4「多彩なテント活動」5「主権者は国民である」の5項目にわたった。
特に力が入っていたのは1、国が占有者=被告を正清・渕上2名に限ったこと。第1テントの設立・運営に関わった江田さんは、この裁判で「占有者」として認められていない事に強く抗議する。国側は、当初把握していた17名の占有者から2名を被告に特定した。江田さんはその特定の仕方の杜撰さもさることながら、自ら名乗り出た42名の当事者を、占有補助者という「わけのわからない存在」にしたことを批判する。しかも国側は監視カメラ映像の人物(江田さん本人)をターゲットに選びながら、間違って「正清」と名付け、間違いに気付いた挙げ句、「人物」ではなく「名前」をとった。
江田さんはいう。「正当な理由なしに占有権を奪われた」。自分はテントをベースに経産省の一角を占有して原発政策を転換させる活動をしている。「私の占有者としての立場」を保障せよ。続いて2から5まで弁舌をふるって、この裁判を「真の民主主義を勝ち取る闘い」と締めくくった。
江田さんは深く怒っている。江田さんの陳述を見聞しながら気がついた。訴状は江田さんを無視することで、江田さんのアイデンティティを蹂躙しているのだ。それも、書類上の誤りを糊塗だけのために。国・経産省は江田だろうが正清だろうが誰だろうが関係ないのである。声をあげる市民など有象無象というわけだ。「正清太一」と書いて出しちゃったから正清だ、と。
テント裁判の欺瞞と錯誤の核心は、手を挙げている42名の当事者を無視したことにある。「補助」と括って42名を被告2名の影においやり、主体性を奪っていた。テントというモノを消す前に、当事者として存在しないことになっている。それがこの裁判の訴状だったのだ。被告2名の杜撰な特定はその結果にすぎない。訴訟はただの嫌がらせでないばかりか、弾圧ですらない。人権どころか「存在」もないのである。この裁判は今まさに横行している、権力による事実の隠蔽、「存在」の消去そのものなのだ。
2 第2テント 寺崎明子さんの意見
寺崎氏さんは御自身が第2テントの運営に携わるまでの軌跡をたどり、次に、第2テントの活動を紹介し、テントの運営・活動をとおして深めた脱原発への展望を述べた。
寺崎さんはスリーマイル島原発事故(1979)をきっかけに、以前から原発の危険性を気にかけてはいた。3.11福島原発事故で三春町在住の友人が被害を受けたことで身近な問題となり、デモ等に行くなど「受動的」に参加ようになり、2011年911経産省ヒューマン・チェーンに参加し、テントに立ち寄るようになり、やがて、第2テントが「福島の女たち」を支援するために設営された、女性が運営するテントであることを知る。そしてテントの企画にも関わるようになり、2012年3月より第2テントの当番に入った。受け身の関心から積極的参与へと、寺崎さんの背中を押したのは第2テント独自のコンセプト「福島の女たちのための、女たちによる、女たちのテント」だった。
寺崎さんいわく、「自分はテント活動に関わることに誇りをもっている。」第2テントは福島の女たちを直に支援する場であるとともに、寺崎さん自身の「何かしたい、しなきゃいけないという思い」を表出する場、「民主主義の学校」となった。
第2テントでは脱原発にむけたユニークなイベントを行っている。寺崎さんは「シェーナウの奇蹟」のテント上映企画を通して、太陽光発電に脱原発の可能性を掴んだ。自然エネルギーへの転換はなによりも意志と決断にかかっており、ドイツ首相に決断を迫ったのは、ドイツ国民の政治に対する監視力であった。「自分たち一人一人が社会をつくる」意識、ヤル気の問題だ。自分たちも政治に対する監視力を身につけ、お任せ民主主義から脱却せねばならない、と訴えた。
「裁判官の良識ある判断を切望する」。寺崎さんは第2テントの女たちの多彩な活動と心意気を、持ち時間10分足らずのうちにギュッとつめこんで、裁判官に差し出した。
るからこそ、保持されている。そうと知りながらろくに手伝えない自分が恥ずかしい。それでも私は寺崎さんの陳述に強く共感していた。1人で感じ、思い、考え、踏みだし、参画していった寺崎さんの軌跡は、311を忘れない女の典型だと思う。
寺崎さんの軌跡は、テントに心を寄せる女たち、デモや集会、デモに集う女たちの軌跡とクロスしている。1人デモや集会に出かけ、袖すり合った、やっぱり1人らしい人と、遠慮がちに言葉を交わしてみる。今寺崎さんはテントの外から内へ、テントに迎えられる側から迎える側となり、テントを拠点に「1人1人が社会をつくる」ことを実践されている。テントの活力は寺崎さんたち運営委員や当番の方たちが、労を惜しまず、心を砕いてくださっていの日本社会では初対面の人と言葉を交わすにもちょっとした勇気がいる。孤独を通り抜けたそこに、共通の問題意識を抱きながら、さまざまな思いの交わる場があった。第2テントはその結晶だ。寺崎さんは第2テントの運営委員のみならず、第2テントに集う人、さらにその外側の311を忘れない女たちの代表だと思った。
3 第3テント 高瀬晴久さんの意見
高瀬さんは第3テント設営の経緯を述べて第3テントの独自性を示し、次にテント設営は不当占拠にあたらないこと。なぜならば憲法に保障された主権者「国民」の権利行為であって、国家にはそれを守る基本的義務があり、司法は国家に守らせる義務があることを憲法論として論じ、さらに「加害者が被害者を訴える」という顛倒、司法はこの訴訟の不正義を質す義務がある、と糾弾した。
第3テントは第1テント設営の一週間後、「平和と民主主義をめざす全国交換会」(略称:全交)のカンパによって設営されたものである。全交は九条改憲阻止の会が牽引したテント設立の意義をすぐさま察知し、「全原発廃炉の活動の全国的拠点となると確信」し、独自テントの設営を以て呼応したのだった。
テントは「霞が関オキュパイ(占拠)テント」と名付けられた。時を同じくしてアメリカで起こっていたウォールストリート・オキュパイ運動を意識しての命名である。そしてテントひろばにかけつけた福島の女たちの座り込み・ハンストに立ち会い、支援した。第3テントの存在は、テントひろばが男(第1)/女(第2)の一元二部門ではないことを傍証している。第4,第5テントもありうる「ひろば」なのだ。「ひろば」とは、独自の存在理由を備えた者たちのあつまりなのである。
第3テントが「オキュパイ」と名乗って成立したことは重要だ。第1テントの出現を、非暴力市民運動のグローバルな潮流「オキュパイ」占拠-宿営型表現行為としてとらえ返していた。つまり、内藤意見書を先取りしていたのである。内藤意見書はテントひろばを日本版オキュパイ運動とみなし、日本国憲法下における正当な「宿営型表現行為」として位置づけられること、不法占拠どころか主権者国民の権利行為であり、憲法の原則にたちかえれば、むしろ国はこれを支援しなければならないことを論証している。
高瀬さんは、テントひろばが主権者国民の権利行為であり、その場所はなんとしても経産省前でなくてはならない必然性を論述してゆく。内藤意見書を得た高瀬さんの理論武装は完璧である。憲法11、14、13、16、18、21、24・・・、短時間に論証すべく、弁説立て板に水、いや、火の玉が奔流するようなものすごい勢いだった。とても追いつかない。
「主権者国民の権利」「加害者経産省は国有地の管理人にすぎない」「国家の義務である!」「国家と脱原発国民の非対称的な力関係」「すべての憲法が国家に命じている!市民に命じているのではない!」「司法はそれを国家に命令し続けなくてはならない!」
論の推移は後に陳述書で確かめることにして、高瀬さんが文字通り声を大にして言ったことをメモしていたが、やがて全部の声が大になり、書き言葉のシバリは雲散霧消していた。被害者の塗炭の苦しみを侮辱した経産省官僚がいた。被控訴人側にはその同僚たちが居並んでいる。以下は高瀬さんの雄叫びを殴り書きしたメモ。
「必ず発生する。事実なんのだ。これは!」
「被害者をこれほどまで愚弄する。悲しみ苦しみはどれほどのものか想像もつかない!」
「何べんも言う!」
「被害者はいてもたってもいられない・・・一時的な借用も認めず、逆に不法占拠で訴えるこの国家、経産省をどうして許すことができるでしょうか!?」
「裁判長!裁判官!この不正義な現状を変えるのが司法ではないのか!」
「立法府は行政府の下請けであってはならない!」
「司法には巨大な富と宣伝力を持つ国家権力側ではなく、国民の側、福島原発事故害者を向いた判決を求める!」「不当不正な経産省の訴えの却下を求めます!」
傍聴席から拍手がおこり、「エライ!」という声がとんだ。少し間があり、裁判長から拍手に注意。
無感動な役人たちよ、なぜこれがわからんか!? 裁判官の心象云々など消し飛んだ。憤怒して司法を叱咤激励する高瀬さんに、私は不動明王を想起していた。正義を訴えて理路整然とした悲憤慷慨だった。
高瀬さんは国家権力と国民の圧倒的不均衡、非対称的力関係について何べんも言及した。この前提の上に憲法はあり、国家・司法・国民が存在している。人間は圧倒的に強い国家のもとで、圧倒的に弱い国民として存在している。だからこそ、人としての生存権を保障するために、国家権力と対峙して司法がある。国家と国民の圧倒的不均衡とは、絶対に忘れてはならない前提だ。あたりまえの事実だ。にもかかわらず、私は高瀬さんの言動にハッとした。私個人にとっては、第3回の傍聴で最も強い印象を受けた。
国家権力と自分との不均衡はとてつもない。しかしあまりにも巨大すぎてなかなか感じられない。だから平気に暮らしていられるのだ。たとえばこの裁判の被控訴人席の人々、デモの邪魔する警官たち、駐車違反や確定申告といった細々しい手続きにいそしむその人この人の向こう側に「圧倒的な国家権力」のリアルを感じとるのはむずかしい。見えるところだけ見て、あたかも対等であるかのように錯覚しながら、文句を言ったり同情したり冷笑したり、時には頼りにすることもある。
高瀬さんの弁舌の強さ、激しさは単刀直入に「圧倒的な国家権力」の存在を突きつけてみせた。ふだん国家権力といわれても漠然としていて、ほとんど関係ないと思っている人も少なくない。考えてみると、私たちが国家を感じる場面は、たいていちょっとした法的要求に従う場合だ。なんとなく法は国家権力の側のものという気がしていているのではなかろうか。憲法や司法が国家に対峙するものだという認識は薄い。憲法は国民を国家から守り、司法は国家を監視するためにある。だから三権分立だ。テント裁判の内藤意見書を通して認識できた。
圧倒的不均衡に私たちが感づき、身構えないように、国家権力は姿を隠し、卑称な姿で、わざと姑息な手段で圧迫してくる。この裁判もそれだ。「テント3張分の土地明渡し代金支払え」裁判のフリをして、黙らせ疲弊させ潰しにかかっているのだ。だからこそまず、国家権力の巨大さを感じとらなくてはいけない。これは地権者対利用者ではなく、国家権力対国民の裁判である。テントひろばは「圧倒的不均衡」に曝されている。この認識なくして司法の存在意義はない。テント裁判の相手は土地の管理者ではなく、端的に「国家権力」である。「国家権力」の存在を消去させてはならない。
函館市大間原発建設差し止め裁判 第6回口頭弁論
10月6日(火)午後3時~4時 東京地裁103号法廷
裁判報告4集会 午後4時~5時30分 参議院議員会館講堂
是非傍聴してください
10月7日(水)川内原発再稼働反対!九電東京支社への抗議行動
17時30分~18時30分 有楽町電気ビル前
10月7日(水)と第25回東電本店合同抗議
19時~20時 東京電力本店前
10,12全国集会 川内原発2号機再稼働を許さない!
鹿児島県中央駅東口広場 1時~2時・大集会 2時~パレード
10月2日(金)安倍政権NO★1002大行進
18時30分 日比谷野音 19時15分デモ(銀座コース)
(この日官邸前抗議行動はありません)
テントに張られていた素敵なチタシかが目についた
目録 金百万円也
右
仮執行停止担保金の五百万円返済金の一部としてTシャツ売上金から贈呈します。 Tシャツプロジエクト一同 経産省前テントひろば様
これはTシャツプロジエクトチームとTシャツをお買い上げいただいたみなさんからの素敵な贈り物ですが、テントひろばはあらためてお礼をもうしあげます。本当にありがとうございました。
Tシャツプロジエクトチームからのお知らせ
ご苦労様でございます。
昨日のさようなら原発では23枚売れました。
残りは165枚です。
売り切れの品が増えています。販売時ご注意ください。
純利益金額は100万を超えました。もういつでも寄付できます。
注意事項!
テントそのものが湿気ているので、未開封のシャツでも、袋の中がかなり湿気ているようです。昨日、日にさらされて暖まったら、中で結露しているのがありました。
ほおっておくとカビが生えてくる危険性があります。
今後、購入した方には、すぐに着ない