テント日誌11/28日経産前省テント広場―445日目…本格的な冬の季節致し方ないが、政治的な冬の季節はごめんだ

寒い日だった。不寝番の深夜の散歩も取りやめてテントに籠っていた。それでというわけではないのだが早朝に日比谷公園の方に足をのばした。日比谷公園は銀杏やモミジ等が紅葉の真っ盛りでとてもきれいだ。霞門の近くの「鶴の噴水」がある池の周辺はとりわけ美しい。早朝なのに立ちとまって写真を撮る人も結構いる。私には日比谷公園はデモや集会の場所としてしか主たる記憶に残っていないが失恋のことも頭の片隅にあり、ほろ苦い思いを想起させもする。

この間、11月11日にこの公園での集会とデモが不許可になったのは記憶に新しいところだが、今日(28日)の東京新聞には中野でも公園の許可をめぐる問題があったことが報じられていた。見出しは「脱原発デモ中野区でも規制」とあり、公園の許可条件に「15カ条」を要求していたという。大声や音楽はダメということらしい。サウンドデモは言うに及ばず、シュプレヒコール等も禁止しろというものだ。公共の福祉の名において行政側がデモや集会を規制するということだが、これはこの間の脱原発の集会やデモに対する権力側の反動的対応であり抑圧の動きである。行政側が「公共の福祉」の名において国民の政治的意志表示を制限し抑圧するのは日本の権力の常套手段だが、歴史的手法でもある。またそれがまた登場してきていることに注目しなければならない。

私が散歩している日比谷公園周辺は明治時代以降のある時期は権力の集中していた所だ。帝国議会は経産省別館前辺りだが、自由民権運動の時代の日比谷公園周辺は今の首相官邸前のような位置だったと推察しえる。明治の藩閥政府は憲法制定の要求を掲げた自由民権の運動者を讒謗律や新聞紙条例などで弾圧した。自由民権の運動家を東京から追放などしたのである。憲法という国家の根本法議論を讒謗律や新聞紙条例のような法律(憲法の下位にある法律)で取り締まり、弾圧した。この時代から権力者は憲法精神に関わるべき問題(例えば表現の自由)をその下位の法律で平気で取り締まってきたのである。憲法の根本にあるはずの表現の自由などの論議やその表現を関係のない法律で取り締まることを平気でやってきたのだ。これが日本的法治の実態であり、今、脱原発の運動にも同じ手法が向けられているのだ。

この間のサウンドデモや意思表示は脱原発とともに自由や民主主義の表現であった。行政権力が法律でもって軽々しく規制や排除など出来る筋合いのものではないものだ。権力側は歴史的な伝統というか手法で対応しているが、サウンドデモ等はそれらを批判し、自由や民主主義を実現しているのだ。

テントの前は寒さに抗して何人かの人が座り込んでいる。考えればテントは存在することで何かを表現している。座り込んでいるだけで何かを現わしてはいるのだが、それにしてもなかなか厳しいところもある。世の中は選挙に向かって動き出しているが、こういう時期にもこうした政治的意思表示は重要であるのだ。議員会館では「女たちの一票一揆」の集会が持たれているが、六回を重ねたこの動きは女性たちの力が政治に関わるのに寄与したのだと思う。大きな流れを生みだす力になってきたのである。

昼ごろには公害補償を求めるグループの人たちがテント前から経産省前にかけてチラシの配布を始めた。大気汚染公害によって呼吸器の病気になった人たちを救う公害健康被害補償制度が存亡の危機に立っているのだという。消費増税と引き換えにこの制度も廃止される危機にあるとのことだが、こういう時期だからこうした訴えは意味があるのだと思う。  (M/O)