テント日誌12/26日経産前省テント広場―472日目…安倍内閣の成立と緊張するテント内の風景から

12月24日はクリスマスイブであったが、テントではささやかな忘年会が開かれていた。テントに出入りする年配の人が差し入れてくれた鴨やキジの鍋がメインの会というところか。クリスマスケイキもあってイブらしいところもあったが話は自然にテントの今後をめぐっての議論になった。誰のこころにも安倍内閣の成立とともにテントをめぐる権力との関係が変わるだろうという意識があって自然にその議論になる。心的にいえば緊張感も含めてテントの初期段階に戻っているといえるのだろうか。

考えて見ればテントが脱原発運動の形態、あるいは表現として未知の領域に踏み込んだことは明らかだが、これがどのように展開していくから手探りですすんできた。これは首都圏反原連が主催する首相官邸前行動の場合も同じなのだと思う。この手探り状態の中で権力側との緊張感がますだろうという予想のもとで人々の心的緊張感も高まっているのだ。こうした中で私たちはどういう原則というか考え方の大きな枠組みを持ってきたのだろうか。これは人によっては微妙に違うかもしれないが、権力との関係でいえば非暴力抵抗という線でいこうということがある。具体的なイメージは権力側の出方にもよるが、これは誰もが認めてきた原則である。また、もう一つ権力に対する抵抗の形態をめぐってこちら側が分裂することを避けようということだ。これは権力と対峙する運動が抱えてきた病であり、これに陥ることは避けようということだ。これももう一つの原則である。

テントも大きな脱原発運動の流れの中にあるが、この中で繋がっていくこと運動者の意識や価値観で運動の内部分裂を引き起こしていくことを避けることを自覚してきた。このことはテントの運動をどのように見ているかといことになるが、こうした二つの原則が守られれば何が来ても大丈夫である。

26日の午前中にインドネシアでのコトバンジャン・ダム被害者住民裁判の高裁での判決があり、原告団のみなさんがテントを訪れた。このダムは日本政府・東京電力(東電設計)・JICAなどがODAで作ったダムである。これはスマトラ島中部に出来たものだが、「希望の村」と言われるほど実り豊かなコトバンジャン地域がダムに沈められ約5000世帯・23000人が農地を奪われ,強制移住先で悲惨な生活を余儀なくされている。この住民たちの提訴した裁判である。彼等との話に中でインドナシアでは現在4基の原発建設がすすめられようとしているということ明らかにされた。インドネシアが天然ガスの資源が豊富であり、

原発建設の必要はないらしい。しかし、この天然ガスを日本などに輸出し、国内は原発でまかなう構想らしい。ここに日本の原発輸出が絡むことは想像にかたくない。コトバンジャン・ダムで生起したことが原発で起こればということも考えられるわけだ。あらためて原発輸出の動きに注目したいところだ。

年末年始という光景が近づいている。テントでも12月28日からそれがはじまる。12月28日は今年最後の首相官邸前行動がある。テント前では16時から17時まで一年をふりかえるあおぞら放送があり、17時からは吉岡史郎君をはじめとする4名の追悼会がある。年末年始の企画としては12月31日にテント前紅白歌合戦、1月1日(元旦)は経産省テント元旦マラソン《11時スタート・14時終了》、終了後には甘酒や豚汁のふるまいもある。1月2日は15時~17時の川柳句会、1月3日には13時から19時まで「Afutaer3・11~霞ヶ関の中心で愛を叫ぶ」というコンサートがある。1月4日には餅つき大会も開かれる。年末年始はテントに足を運んでほしい。それがテントを守る最良の行為である。 (M/O)