テント日誌9/12日 経産前省テント広場―368日目 …一周年を経た最初の一日目だった

いつもイベントの翌日は静かな日というのが定番のようではあるが今日もまたそうだった。昨日《一周年記念のイベントがあった》の余韻の残るテントで不寝番をしていた。いつもと違って睡魔に襲われるのはやはりイベントでの疲れがあるからだろうか。法被を着てのかんしょ踊りが身体の何処かに残っていてここちよい眠りに誘うのだろう。眠気さましに日比谷公園の方に向かっての夜の散歩となった。涼しさよりも肌寒さの感じる中で国会通りと呼ばれる道を歩いた。これはいつものことだけど、その都度、新鮮の気分にもしてくれる。

振り返ればこの1年間はテントが僕の中では大きな場所を占めていた。テントに泊まるのは週の一日であるが、どこに居てもテントのことは気になっていたし自然に考えているのだった。最初のころ、といっても結構長くではあるが、携帯が鳴るとテントからの緊急電話だと思って胸がどきりとした。別の電話であることでホットしたものである。こんな風な緊張感によってテントとは繋がっている。多くの人がテントと関わっていることも同じ様なものだと思う。テントに来なくても、どうなっているか、今度は行けるかと思案しているように。人々のこころに存在し、想起されることでテントは目に見えない大きな広場になっているのである。これは毎週金曜日の首相官邸前の行動が人々のこころに想起されることで広がった存在になっていることと同じである。

僕らが国会前でも、日比谷公園でもなく、経産省前にテントを張ったのは多くの偶然事が重なっているが、僕らの意志も存在していた。これは経産省が原発推進の実質的な権力機関であり、特に原子力ムラの中心である保安院などがここに存することも意識されていたことである。と、同時に原発が官僚を母体とする権力によって推進され、政府はそれを形式的に追認するだけであったことを知っていたからでもある。国会《議会》は国民の意志の代表機関であり、それが権力を伴う政治判断の中心的機関である。これは制度的にはそうであるが、権力の実体はその背後の官僚機構がより多くの支配力を持っている。これは権力構成の二重性、あるいは重層性ともいえるが僕らが権力の所業に異議申し立てをし、これを変えようとする時に自覚しておかなければならないことである。そうでないととんでもないところに誘われかねないのである。

日本における官僚制的なもの、官僚の権力は長い歴史によって形成されてきたものである。権威と政治力の二重性(宗教的権力と政治的権力の二重性、姉と弟の支配制度)の起源から近代天皇制と官僚制までの歴史がある。国会通りはそれの詰まった場所であるとも言える。官僚的な権力にはまたその現在性があってそれは既得権益の擁護、あるいはその保守ということがあり、現在のように政治が混迷を続けるときそれは大きな機能をはたすのである。原子力行政や原発推進に経産省や原子力ムラの果たした役割は典型というべき所がある。沖縄の基地問題での防衛省や外務省という官僚機関の役割と同じであると言える。

経産省と原子力ムラは福島で意一原発の直後から、脱原発の声の高まりを予測しながら、現にある原発の再稼働をし、原発を保時する戦略(シナリオ)を描き進めてきた。政治の右往左往を織り込みながら、このシナリオのための有形無形の営為をしてきたのである。これはこの間の大飯原発3・4号機の再稼働での動きでも見られたことだ。野田首相の政治決断でことは進んだようにみえるが、官僚の根回しや準備が実際の力としてあったのだ。原発推進の権力は原子力ムラという専門的機関(官僚的機関)が実態をなし、政府や国会はその承認機関であるような位置だったのだ。これはまだ変わっていないし、政治が混迷すればするほど官僚は出番を待っているところがある。注視のいる所だ。

急に気温が高まるテントの前ではギターと太鼓で奏でられる曲が静かにながれている。少し足を止めて振りむく人、流し目で挨拶する人、ここにはいつもと変わらぬ光景がある。何事もないような風景の背後で日本の歴史は激しく流れているのであるが…。 (M/O)