毎年、秋のお彼岸には墓参りに行くのだが今年は機会を逸してしまった。それだけ頭の中が原発問題に占められているからだ、というのは格好のつけ過ぎか。気にはなっていたのだが、忘れてしまっていたというのが実際だが、週末になると何かと誘いも多いのである。脱原発の運動が浸透している結果であり、歓迎すべきことなのではあるが…。お彼岸も過ぎて急に涼しくなってきたが、また、暑さもぶり返すのであろう。テントの周りではいつの間に蝉の声は消えて虫の声になっている。虫といっても賑やかな秋の虫というよりはコウロギの声が僅かに確認できる程度だが。深夜の散歩のついでの日比谷公園で耳を傾けてみたけれど、確かに虫は鳴いていたが虫の声がうるさい程ではなかった。
9月22日(土)のいわき市の集会へのバスツアーの中でSさんは飯館村に出掛けたが川には魚影も見えず、藪にはクモの巣もなく、野原で虫の声も聞こえなかったと報告していた。小動物や植物が放射能汚染で異変に見舞われているのではないかという僕らの想像は現実の事として進行しているようだ。テントの中では外で鳴いている虫が何だということから、この話になったのだが、原発の事故が未だ収束せず、何をもたらしているのか知るべきだ。福島の現状は政府や官僚やメディアの意向もあってなかなか伝えられないし、現実から目をそらせていたという人々の性向もあって忘れられがちだ。多くのニュースが僕らの関心を拡散させてしまうこともある。だが、人は時には意識的に頑固になってある事柄から目を離さないことが重要である。今、福島の現状から目を離さないことである。メディアなどの動きに抗して「尖閣や中国問題よりも、福島であり原発問題がより重要な問題である」と言わねばならない。9月30日(日)には福島の現状が伝えられる会もある。
霞ヶ関や国会の周辺では毎週金曜日の官邸前行動とテントひろばが脱原発運動の場を形成しその役割を果たしているが、この界隈では週末だけでなく連日何かしらの行動がある。月曜日24日には官邸前でのオスプレイ配備に対する抗議行動が雨の中で展開された。25日は経団連に対する抗議が、またアメリカ大使館に向けた抗議がなされた。26日には文科省前の行動と原子力規制委員会への行動があった。門前市をなすということではないが、この日本の権力の中枢において国民の意思表示が展開されていることは重要なことであり、これが常態化して行くことを願っている。11月11日には百万人での国会包囲が提起されているが、同時にこうした常態化した行動がその裾野をなすのであり、それを可能にする。テントの持続、その日常的な保持は困難なところもあるが、こうした運動で支えられている。
9月19日から国会周辺で1カ月の断食を持った座り込み行動を展開しているFさんのことは既に前日の日誌でも取り上げられているが、Fさんは2007年に安倍内閣の憲法改正の動きに抗して全国行脚をしたとのことである。『憲法第9条を守る「ねずみ男」の日本縦断』は2007年4月沖縄からスタートし、足かけ1年以上の行脚となったとののである。かつて僕らも憲法9条擁護で全国行脚を考えたこともあった。この実践者が既にいたわけである。その安倍晋三が自民党総裁に返り咲き、再び憲法改正が浮上しそうな時に何か縁めいたものを感じる。何処かで会えば話をしてみるのもいいと思う。テントで見かけることもあると思う。 (M/O)