東京株式市場は、漸く、19.000円台を回復したところですが、この間の市場のパニックに乗じて、40億円の利益を挙げたデイトレーダーの実話がブルームバーグに掲載されています。
謎の36歳デイトレーダーの読み的中-市場パニックで利益40億円 (1) Bloom Berg.Co.Jp. 2015/08/28 15:38 JST
所謂、デイトレとは、相場の動向を分秒刻みで読み、その上下に賭ける投資手法を言うのですが、投資手法と云うよりも、一種のゲームと思えば中らずとも遠からず、と思われます。
記事中の個人投資家は、その世界ではかなり有名で、今日では、恐らく、資産は百億単位になっていることでしょう。
ただし、デイトレを志した人々の成功率がどの程度になるかは知る由もありませんが、記事に取り上げられる個人投資家は、彼以外には、そう多くない、のは事実です。 成功は「黒い白鳥」並みなのです。 「黒い白鳥」(Black Swan)は、そのままでナシム・ニコラス・タレブ(Nassim Nicholas Taleb)の著書を彷彿とさせます。 成功するのは、たまたまの偶然なのです。
そして、恐らくデイトレに入れ込んでいる件の個人投資家・CIS(シス)氏に、金融・経済の諸問題を問いかけても答えは返ってこないでしょう。 デイトレは、ゲームセンターで反射的に手を動かすゲームと同等なので、金融・経済の知識に依存することは無いのです。
市場の取引経過そのものの内に何等かの確率で一致した結果を導き出す法則様のものを反射的に感知し、その或る種の法則性に導かれて取引し、利益を確定するものであっても殆ど条件反射並みに取引していることが多いであろう、と想像します。 一瞬の内に売買の判断をしなければならないのですから、そうなります。 成功者は、天才とも言えるでしょう。
何故、この話をデイトレから始めたのか、と申しますと、私自身が幼児期に同様のことを亡父から求められて、幼児の時代の私の判断に基づいて、売買を行った亡父が成功したことがあったからです。
それは、私が小学校低学年、一年生か、二年生当時であったと思うのですが、母に言いつけられて、亡父が待つ部屋に行ったところ、PC等が形も何も無い時代のことですので、今で云う罫線(個別株相場の状況をグラフにしたもの)を机に積み上げた亡父が、「この株が上がるか、それともこれか?」と次々と問い掛けるのでした。 私は、次々と出される罫線を睨み、或は、相互に比較して、たくさん示される罫線の内から、「これが上がる」等と何の理由かが自分でも分からないまま亡父に答えたのでした。 一種の遊びの続編、とも思ったのでした。
ところが、それが違ったのです。 ずっと後年になって母から聞かされたのは、驚いたことに、その当時の私の罫線の選択に依って、亡父が売買を行い、全て成功した、とのことだったのです。 驚くどころか、正直に言いますと、狂気の沙汰、と思ったのでした。 事実かどうかを母に何度も、何度も確かめました。 母は、その度に嬉しそうに、「信之。 あんたの云うことは、よう(良く)中ったんやで。」と答えたのでした。 その当時は、両親が揃って変な病気にでも罹患したのか、と疑った程でした。 世間の誰も信じないでしょう。
そんなことを。 私は、今でも信じられません。
でも、数十年経過して考えるのは、自分のことながら、今では、何に基づいて亡父に答えたのかを完全に忘れたものの、その当時には、理屈では無くても何等かの事由があったのは確かなのでした。 その何等かの事由とは、科学的には分からずとも、口頭では答えられずとも、児童の当時の私には見えていたのは確かなのです。 個別株の相場グラフの上下が力強いのかどうか、過去の罫線の有り様が上昇基調にあるのかどうか、と云った相場の基調を読んだのか、それとも、罫線の下にある何かを読んだものなのか、今となっては分からないにせよ、当時は何かに基づく判断をしたのは確かなのです。
此れは、今頃になって気付いても遅いのですが、実に惜しいことをしたものです。 大人になって失うものは多かった、と云うことなのでしょうか。
やがて両親が老年期に入り、亡父の事業破綻後長期に渡り苦労した母ともども数日間の船旅をすることが決まったことがありました。 その時に、一瞬、幼児期に感じたような変な感覚があり、旅行を取りやめるように無意識に云ったことがありました。 亡父は、母に、折角旅行の用意をしたが、信之が止めた方が良い、と云うので止める、と呆気なく旅行を取りやめました。 その時にも自分が何故、旅行を止めるように云ったのかが分からず不思議な感覚がありましたが、後日になり、亡父が言うには、「取り止めて良かった。 海難事故があった。」と云うのでした。 そして両親ともども、あの子は、昔から言うことが中る、と陰で言っているのが聞こえたのでした。 自分のことながら、気味が悪かったものです。
でも、母と今生の別れをしてからは、そのような経験をしなくなりました。 私は、母がいないと駄目な人間なので、何時も気にしていたので、あのような経験をしたのかも知れないな、とも考えるのですが、この世の中では合理的な理由が無いことも多いのだから、と慰める自分に納得もするのです。
でも、でも、一度、罫線を睨んで、何かを思い出せるかを調べてみることにします。 これで、儲けることが出来るかも。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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