トランプ・橋下、そしてアベ。蔓延するポピュリズムの構造。
昨日(11月26日)の毎日「メディア時評」欄に元朝日新聞記者・稲垣えみ子が「負けたのは誰なのか」と題して寄稿している。明晰で示唆に富む優れた時評となっている。結論から言えば、負けたのは「真っ当なメディア」なのだという。メディアが有権者から浮き上がって、その真っ当な言説が、トランプ・橋下、そしてアベらを支持する「庶民」に届かないことを指摘している。
筆者は、トランプの勝利をかつての大阪での橋下徹登場の際のデジャビュとして、民主主義の現状に警鐘を鳴らしている。アメリカだけの問題ではない。日本も同じだ。しかも、大阪・橋下だけの問題ではなく、アベ政権を支えている「ポピュリズムの構造」そのものが問題だという指摘である。
「メディア時評」であるから、「庶民から浮き上がったマスコミが、(権力監視の)役割が果たせない事態」についての指摘となっているが、問題はメディア論にとどまらない。アメリカとそれに続くヨーロッパの事態を、橋下・アベに引きつけて、他人事でなく、「これは我々の問題」「民主主義の危機」ととらえている。
筆者は、橋下人気が絶頂だったころに朝日新聞大阪社会部で教育担当デスクをしていて、そのときの「ポピュリズムの構造」の「恐ろしさ」を実感したという。これは、貴重な指摘だと思う。このことについての対策や処方にまで言及されているわけではないが、すくなくとも、橋下やアベを支持する「庶民」を愚民呼ばわりするだけでは何の解決にも至らないことが示唆されている。多くの人びとを説得する言論はどうあるべきか。考えなければならない。
あまり目立つ記事ではないので、紹介することだけでも意味があると思う。
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トランプ大統領の誕生には驚いた。だが私は既に同じものを何年も前に見ている。
既得権者への攻撃で支持を集める、ツイッターで刺激的な発言を繰り返し有権者に直接アピールする、過激な政策をマスコミがいくら批判しても支持は陰らない--トランプ現象は、かつて大阪で巻き起こった橋下徹氏のブームとうり二つであった。
橋下人気が絶頂だった時、私は朝日新聞の大阪社会部で教育担当デスクをしていた。君が代強制、教育委員会制度の抜本改革……氏が次々と打ち出す施策は我々から見れば戦争への反省から生まれた教育の否定であった。問題点を指摘する記事を連日出した。だがこれが読者に全く響かない。それどころか「足を引っ張るな」という電話がガンガンかかってくる。
恐ろしかった。何が恐ろしかったって、それは橋下氏ではなく、読者の「感覚」からいつの間にかかけ離れてしまった我々のボンクラぶりであった。マスコミとは権力を監視し、庶民の味方をする存在のはずである。ところがいつの間にか我々は「既得権者」として橋下氏の攻撃を受け、その氏に多くの人々が喝采を送っていた。 一体我々とは何なのか? 何のために存在しているのか?
この事態は今も続いている。安倍政権の政策にマスコミが反対しても世間は動かない。閣僚が問題発言をしても支持率は陰らない。それどころか権力を監視するマスコミの方が権力だと見なされている。アメリカで起きていることも同じだ。マスコミがトランプ氏のうそや破廉恥行為を暴いても有権者に響かない。マスコミはエリートで「我々の味方ではない」と考える人々が多数派となったのだ。
権力は暴走し腐敗する。それを監視する存在なくして民主主義は成立しない。庶民から浮き上がったマスコミにその役割が果たせないなら民主主義の危機である。これは我々の問題なのだ。
そんな中、毎日新聞は10日朝刊の記事「拡散する大衆迎合」で、大衆迎合主義が欧州で広がっていると嘆いた。まるで人ごとだ。大衆迎合でない民主主義などない。自分たちは大衆とは一線を画した存在だとでも言いたいのならそれこそが深刻な危機である。
(2016年11月27日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.11.27より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=7756
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔eye3779:161128〕