昨年からアメリカ中を興奮のるつぼに巻き込んできた2016米大統領選挙―いよいよ大詰めを迎え、9月26日夜(日本時間27日午前)民主党ヒラリー・クリントン候補と共和党ドナルド・トランプ候補のTV討論会がニューヨーク郊外で行われた。全米で8400万人が視聴したというイベント。CNN放送によれば、この討論会でクリントン氏が勝ったと思う人が62%、トランプ氏が勝ったと思う人が27%だったという。それでは11月8日の本番投票日でクリントン氏の勝利が保証されたかと言えば、簡単に「イエス」とは言い難い。
TV討論はこの後2回、10月9日ミズーリ州セントルイス、10月19日ネバダ州ラスベガスで行われる。両候補が直接向き合って論議を交わすTV討論は1960年のケネディ(民主党)対ニクソン(共和党)の対決が最初だったが、この時TV画面に映ったニクソンの表情が陰気だったことが、この年の大統領選挙での敗因だったと言われた。以来13回の大統領選挙の度にTV討論が行われ、それが選挙戦の帰趨を占う重要イベントとされてきた。
ことし7月に行われた両党の党大会でクリントン氏とトランプ氏が両党の正式な大統領候補に選出されて以来、毎週行われる世論調査でほぼ毎回クリントン氏の人気がトランプ氏を上回る結果が出ている。「不法移民を入国させないためにメキシコ国境に壁を築く」とか「イスラム教徒の移民を拒否する」などのトランプ氏の暴言がメディアで大きく報じられる度に支持率は下がるのだが、不思議なことに彼の支持率は下がりっぱなしではなく、いつの間にかクリントン氏の支持率に肉薄しているのである。
9月最終週の世論調査(TV討論の前)による支持率は、クリントン46・2%対トランプ43・2%だが、最終的な選挙結果にとって極めて重要な中道州(swing states)で見ると、フロリダ州ではトランプ(以下T)45・0%対クリントン(以下C)44・9%、オハイオ州ではT45・0%対C43.2%、ノースカロライナ州ではT43.5%対C41・7%、ネバダ州ではT42・8%対C40・5%、アリゾナ州ではT40・4%対C38・2%と、トランプ氏のほうがリードしているのである。(全米50州のうち民主党優勢の州は青、共和党優勢の州は赤で色分けされるが、その時の情勢で優勢な党が入れ替わる州のことを中道州(swing states)と呼ぶ)
アメリカ大統領選挙では有権者はクリントンまたはトランプと投票するが、その勝敗はその票数の総和ではなくて、各州ごとに決められた民主党または共和党支持の選挙人の総数で決められる。前記9月最終週の世論調査の数字を基に算定された選挙人の数で見ると、クリントン支持者272人、トランプ支持者266人の僅差である。
アメリカのメディアは大統領選挙に当たってどちらの候補を支持するかを鮮明にして読者に伝えるが、今年は圧倒的にクリントン支持が多く、トランプ支持はほんの数えるほどしかない。それなのにメディアで酷評され続けているトランプ氏が、メディアに「ひいき」されているクリントン氏に肉薄しているのはなぜか。その秘密は、依然として唯一の超大国ではあるが、アメリカの内部が「壊れつつある」からと言えるだろう。
ベトナム戦争で空前の戦費を浪費したあげくニクソン大統領が1971年にドルの兌換停止に踏み切って以来45年、アメリカはさらにアフガン戦争、イラク戦争で莫大な戦費を費やして大赤字国家になった。さらに1980年代のレーガン政権以来のネオ・リベラル(新自由主義)路線による経済・財政政策の結果、アメリカ社会では貧富の差が拡大の一途をたどった。さらに21世紀のグローバル化の進展によって、かつてアメリカが誇った自動車、電機、鉄鋼などの基幹産業が人件費の安い途上国に移転した結果、かつて隆盛を誇ったミシガン、オハイオ州などが「錆びた州(rust states)」の汚名を着せられるに至った。
この結果、第2次世界大戦以降豊かなアメリカ社会を支えてきた分厚い中間層はいつの間にか貧困層に転落しかかっている。「プアホワイト(poor white)」と呼ばれる高卒以下の白人労働者階層こそ「俺についてくれば偉大なアメリカを取り戻せる」と叫ぶトランプ氏を支える中核部隊である。
21世紀のアメリカはIT、金融、バイオ、製薬、宇宙航空といった先端産業で世界をリードしており、研究開発に特化した高度知的労働が評価され、それ以外の大量生産機能は国際分業における最適地、つまり労賃の安い国に移転されている。その結果プアホワイトの深層心理の中に「この国では知的労働しか評価されないし尊敬されない」という絶望と怒りの感情が渦巻いているわけだ。
クリントン氏は9月初め遊説の場で「トランプ支持者の半分は”basket of deplorables”だ」という発言を漏らした。直訳すれば「残念な人々の集まり」だが、内実は「貧相な籠一杯に盛られたダメな連中」といったニュアンスだ。言ってみれば、知性に欠けたプアホワイトのプライドに真っ向から挑戦してしまったわけだ。
国務長官在任中に私的なメールアドレスに公務の記録を入力したという問題や、クリントン財団にウォール街から多額の寄付金をもらっていることなどマイナス材料も抱えているクリントン氏だが、トランプ氏のような大衆的人気は無縁である。50日足らずに迫った本番の勝負を決めるのは、あと2回のTV討論やそれぞれの遊説を通じてどちらが無党派層の票をより多く集められるかにかかっている。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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