ドイツ学生ストライキを起点にした『大人たちの戦争』回避への提言

 はじめに:反対運動を「その先」へ

2025年12月、ドイツ各地で起きた学校ストライキは、若者世代の率直な不安と拒否の表明として理解されるべき出来事だった。「我々はあなた方の戦争で戦わない」という叫びは、感情的反発ではなく、将来を生きる当事者としての合理的な警鐘である。

しかし同時に、この運動を単なる反米・反NATOの噴出として要約してしまう議論には限界がある。ロシアによる軍事的威嚇と侵略の現実は否定できず、安全保障環境が悪化しているという認識そのものを若者に押し付けることも、逆に全否定することも、ともに不毛だからだ。

本稿は、学生ストライキを出発点に、軍事動員への拒否を、国境を越えた若者同士の対話と交流へと転化させる可能性を提起する。

 1. 学生ストライキの核心:反戦であって親ロシアではない

今回のドイツの学生行動の中心には、「徴兵」や「軍事動員」への拒否がある。それは必ずしも特定の国家(米国やNATO)への敵意を意味しない。むしろ多くの若者は、

 地政学的対立の帰結を自らが引き受けさせられることへの疑問

 政治決定から疎外されたまま『安全保障』の名で動員されることへの不信

 戦争が常態化していく欧州の未来への恐怖

を率直に表明しているにすぎない。

ここを「反米・反NATO」と短絡的に整理する言説は、若者の主体的な問いを封じ、結果的に彼らを政治的シニシズムへと追いやる危険をはらむ。

 2. 否定できないロシアの軍事的脅威という現実

一方で、理想論だけでは済まされない現実もある。ロシアは実際に武力による現状変更を行い、周辺国に対して継続的な軍事的圧力を加えている。これは西側の『被害妄想』ではなく、厳然たる事実である。

重要なのは、

> 軍事的脅威を認識することと、軍事的解決を受け入れることは同義ではない

という点だ。

安全保障の悪化を理由に、若者を再び「国家の人的資源」として編成し直すことが唯一の選択肢であるかのように語る言説こそ、批判的に検討されなければならない。

 3. 次の段階:ロシアの若者たちとの交流という選択肢

ここで提案したいのが、若者世代による国境横断的な対話と交流である。

ロシアの若者たちもまた、

 国家の決定に発言権を持たず

 動員や抑圧の対象となり

 「祖国防衛」という言葉のもとで将来を奪われている

という点で、ドイツや欧州の若者と同じ構造的立場に置かれている。

「大人たちの戦争」を回避するために必要なのは、敵意の投影ではなく、

 市民レベルでの対話

 学生・若者同士のオンライン交流

 文化・学術・市民社会を媒介にした関係構築

といった、非軍事的な安全保障の回路を拡張することではないか。

 4. NATO批判でもロシア免罪でもない第三の立場

この視点は、

 NATOの軍事拡張を無条件に正当化する立場

 あるいはロシアの行為を相対化・免罪する立場

のいずれとも異なる。

それは、国家ではなく世代を主体に据える視点である。

戦争を決定するのは国家であり政府であるが、戦争を生きさせられるのは常に若者である。この非対称性に光を当てることこそ、今回の学生ストライキが突きつけた本質的問いだ。

5. 日本の若者と日本社会への示唆

このドイツの学生ストライキが突きつけている問いは、日本にとっても決して他人事ではない。日本でもまた、安全保障環境の悪化が語られ、防衛費の増大や同盟強化が既定路線として進められている。その一方で、将来その帰結を引き受ける若者世代の声は、制度的にも文化的にも可視化されにくい。

日本社会では長らく、

 徴兵制は存在しないから無関係

 日米同盟は抑止力だから議論の余地がない

 安全保障は専門家と政府に任せるもの

といった前提が共有されてきた。しかし、台湾海峡や朝鮮半島、ウクライナ戦争をめぐる緊張の高まりは、「動員されない安全保障」という暗黙の想定を徐々に揺さぶりつつある。

ドイツの若者が示したのは、制度が整ってから反対するのでは遅いという直観である。将来の選択肢が狭められる前に、拒否と疑問を公にする。その姿勢は、日本の若者にとっても重要な参照点となるだろう。

さらに、日本においても求められるのは、単なる反米・反基地・反軍備という枠組みを超えた想像力である。ロシア、中国、北朝鮮といった国家を抽象的な「脅威」としてのみ語るのではなく、

 同世代の若者がどのような統治構造のもとに置かれているのか

 彼らもまた国家決定の結果を一方的に引き受けさせられていないか

を問う視点が不可欠だ。

オンライン空間を含めた若者同士の対話や交流は、日本においても十分に可能である。政府間外交が硬直し、軍事同盟が前景化する時代だからこそ、市民社会レベルでの世代横断・国境横断の関係構築が、結果的に安全保障の厚みを増すこともありうる。

 おわりに:拒否から構想へ

ドイツの学生たちの行動は、完成された政治プログラムではない。だがそれは、

> 「動員される前に、拒否する権利」

を社会に思い出させた点で、きわめて重要である。

次に求められるのは、この拒否を未来を構想する運動へと接続することだ。ロシアの若者たちとの対話、そして日本を含む他国の若者世代との連帯は、その具体的な道筋となりうる。

国家同士が戦争を準備する時代にあって、若者同士が戦争を不要にする関係を準備できるかどうか。ドイツの学生ストライキは、ヨロッパにとどまらず、日本社会にもその問いを突きつけている。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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