ドイツ滞在日誌(4)

著者: 合澤清 あいざわきよし : ちきゅう座会員
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1.日帰り旅行(ハン・ミュンデンとヴィッツェンハウゼン)
再び「ニーダーザクセンチケット」を利用して近くの町へ行ってきた。ゲッティンゲン駅に着いたのが、先日アインベックへ行った日と同じ時刻になったため、ひょっとしてまた電車がストで動かないのではないか、と多少恐れながらホームで待った。今度は大丈夫だった。

本当はハン・ミュンデンは付け足しで、ヴィッツェンハウゼンの件の醸造所兼飲み屋で旨いビールを飲みたいというのが本音であったが、まだ日の高い時間から飲み始めるのは気が引けるし、僕の「道義心」(こんなものをもち合わせているとは誰も信じないかもしれないが)が許さない。そこで、急きょ、思いつきでハン・ミュンデンまで足を延ばして遊んでみようということになった。ここには既に何度か来ていて、あまり目新しいことはなさそうだが、時間をつぶすには適当な距離だというのがその理由であった。

cantus(canと表示)と呼ばれる私鉄(ドイツ鉄道DBの民営化以来、こういうなんだか分からない私鉄がやたらに増えて、慣れない僕ら旅行者にとっては混乱するばかりだ)に乗る。これはゲッティンゲンとカッセルを結ぶ各駅停車である。車内はDBの客車よりは清潔で、冷房まで入っている。出発時刻にはほぼ席は埋まっていた。ハン・ミュンデンまではおよそ30分で着く。途中にヴィッツェンハウゼン駅がある。外の景色をぼんやり眺めていると、車内放送が「ハノーファー・シュミュンデン」と放送したように思った。最初これが「ハン・ミュンデン」だとは分からなかった。駅構内の表示が「ハン・ミュンデン」となっているのに気がつき、ひょっとするとそうなのではないかと思い、あわてて降りた。果たしてその通りだった。今までこういう呼び方を聞いたことはなかった。駅表示の片隅にこう書かれていた。“Hann Muenden  Hannoversch Muenden“ 後でわかったことだが、Muendenという地名がMinden(ミンデン)やMuenchen(ミュンヘン)と間違えられることが多かったため、ハノーファー選帝侯領のミュンデンと呼ばれることになり、後に正式にその呼び名を「ハン・ミュンデン」としたそうである。ところが、時々は古い呼び方にノスタルジーを感じる人もいて、わざわざ僕ら旅行者を困らせる呼び方をして嬉しがっている輩がいるのである。ドイツらしいといえばドイツらしい。

駅を出て、すぐ前の小道(ベートーベン通り)を下り、旧市街地に入る手前に小ぶりで瀟洒な教会がある。すぐ前が公園になっている。その辺りからは、街の高い建物が非常によく映えて、絶好の写真撮影アングルである。早速カメラを取り出して写してみた。ひょっとしたらぼけてない写真が取れたのではないだろうか、淡い期待であった。この日一日、何枚かの写真を撮ったのであるが、全てぼやけたもので、ちきゅう座に送ってもまた編集者に「こんなのは使えない」と怒られるのが関の山だ。諦めた。
駅前の大きなインフォメーション用の地図によると、この教会近くの「ピオニアー橋」を渡って右手の方に「古いミュンデン」(Altmuenden)があることになっている。そちらに行ってみようということになり、橋を渡ってそちらに歩きだしたのであるが、何も見当たらない。仕方なく引返して、再び街中に還って行った。ラートハウス(旧市庁舎で、ここにはアイゼンバルト=鉄髭博士の仕掛け時計がある)とその隣のサン・ブラジウス教会の横を歩き、インフォメーション兼博物館を素見し、ヴォルフ家の城館に向かう。途中二軒続きの大きな家が「売家」になっていた。興味本位に値段を日本円に換算してみたら、約1200万円ほどにしかならない。安い買い物だと思ったが、さてこの古い建物を修復するのにどれだけのお金がかかるだろうかと考えてみると、おそらく修復代は5000万円は下らないだろう。とてもそんな金はない。どなたか購入希望者がいれば、喜んでご紹介させて戴く…。それ以外にも、この町の目抜き部分で、かつてはレストランをやっていた立派な造りの店舗に、「貸家」の張り紙が貼っていた。

ヴォルフ家城館は、一部が市役所その他の施設になり、一部は市の博物館になっている。博物館の方に入ろうと思い、入口まで行くと、貼り紙がしていて、この期間は開館しているのだが、あいにく月曜日は1時半までしか開いていないことが分かった。確か数年前に来た時もそうだったことを思い出した。相性が悪いのか。

再びぶらぶら歩きに戻り、狭くてほんのちょっとの距離の繁華街を覗き込みながら、どこか適当な喫茶店などはないものかと探していた。薬屋(だったように思うが?)の古い建物の二階の庇にドクトア・アイゼンバルトが手に大きな注射器(最初、望遠鏡だと思った)をもって立っている。この像には髭がない、しかもすこぶる若い。彼はこの町で愛されているのだ。彼の本名はヨハン・アンドレアス・アイゼンバルト(1663 – 1727)、実は鉄髭(アイゼンバルト)とは彼の名前なのだ。童謡などでは「鉄髭博士」で親しまれているが。

駅までの道すがら、来たときにその傍を通った瀟洒な教会がレストラン兼カフェをやっていることが分かった。街中の賑やかな人ごみの中でコーヒーをすするよりは、こんなところの方が良い。早速エスプレッソを注文した。ここでは珍しく、エスプレッソに水をつけてきた。店名は“AEGIDIUS“というそうだ。この教会(17世紀に建設したが、外敵侵略によって破壊され、18世紀に再建とあった)の北側にアイゼンバルトの墓があることも知った。感じのよい店だった。

Witzenhausen(ヴィッツェンハウゼン)の醸造所兼飲み屋に着いたのは8時頃であろうか。早速2リットル入りを頼んで、二人で飲み始める。ここもかなりの田舎なので、外で飲んでいるとハエに悩まされる。しかし、他の客を見ていても慣れたもので、僕らのように絶えず手を動かしてハエを追っている客はいない。ここの土地と店のことは前にも何度か書いたことがある。ほとんど毎年来ているからだ。店のすぐ前に“Diebturm“(泥棒の塔)と呼ばれる城壁の一部の見張り台が残っている。一説によれば、昔、泥棒を捕えてはここで吊るし首にしたことからこの名がついたとか。
この季節は、ここでは“Kirschbier“が有名である。日本から送られた桜が5月に満開になり、その後のサクランボを混ぜたビールのことである。家内は前回飲んだ時は日本から到着した直後の疲れから、あまり違う味がしなかったと言っていたが、今回は非常に美味いという。僕も一口ご相伴した。少し酸っぱめの良い味だった。あまり飲み過ぎて酔っぱらうと帰れなくなるので、Dunklesbier(黒ビール)は、500ミリだけにした。

2.身近なことなど
僕らが部屋を借りている家の女主人(Petra)は、身長は僕より少し高く、がっしりした体格である。ご主人のことは特に突っ込んで聞いたことはないが、今は明らかに一人暮らしで、たまに孫たちが遊びに来る程度だ。趣味は動物の飼育(猫2匹とウサギ一匹飼っている)とバイクの運転だろうか。とにかく良く働くし、医療関連で必要だからと法規の講習会にも通って勉強している。それでいて家の中も実にきちんと片付いている。毎日朝早くから夜遅くまで働き、疲れて帰ってきてソファで一杯のワインを飲むのが楽しみなようだ。
先日など、かなり遅くなって帰宅(多分1時か2時頃)し、翌朝は5時頃には起きだして、8時にはバイクで外出していった。聞いたら300キロぐらい走ってきたとか。すごいスタミナだ。外出時の服装がすごい。つなぎの皮ジャンで、白地に黒のストライブが入ったのを着込んで、大きなヘルメットを手にもった姿は、まるで戦争にでも出かける兵士のようだった。がたいの立派さから見ても、かなり強そうで、残念ながら我々日本人とは比較にならない。車はフォードだが、バイクは「ヤマハ」である。ジャンパーの色彩はバイクの模様に合わせていた。なかなかおしゃれである。

ある時カレーライスを作り彼女に御馳走した。満更でもなさそうに食べていた。今度は私が料理してあげるよともいっていた。

スーパーでの買い物はよほどのことがないと近くで間に合わせている。毎朝おいしいパン(Broetchen)とヨーグルト、青リンゴ、Wurst(ソーセージ)かSchinken(生ハム)を買い、それに野菜と卵を添えて食べている。かなり贅沢だが、二人で1000円もしない。翌日まで余るものもあるからだ。去年までは冷蔵庫がなかったので、買った食品は無理やりに2日間ぐらいで食べつくしていた。残れば捨てるしかない。今年は天国だ。洗濯も、去年までは全て手洗い。大きな衣類(Gパンなど)の時は苦労したものだ。今年はそれも楽勝、朝洗えば夕方には乾いている。ドイツで5キロ痩せる予定だったが、この調子では逆になりそうだ。ビールを控えるしかないが、それは全く不可能である。
最初に近くのスーパーマルクトを探し当てて行ったときに、すぐに何か見覚えがあることに気がついた。十数年前、まだ僕がドイツに来始めていた頃、僕の友人のエジプト人が住んでいたアパートがここだったことに気付いたからである。なんだかひどく懐かしい。彼と一緒に散歩した道なども今回二人で行ってみた。当時に比べて雑草が生い茂っているように思えた。この辺はゲッティンゲンの外れに当たるため、ムスリムなどの外国人が多い。
旧市内に出かけることをペトラも「街(Stadt)に行く」という。

僕らは暑さにもめげず、相変わらず頑固に街まで歩いて往復している。多分ちきゅう座の軟弱な諸君ではこうはいかないだろう。タクシーかバスを利用したいと言い出すに違いない。何度も往復したり、散歩したりしているうちについに絶好の散歩道(街まで歩くのが苦にならないほどの緑地帯)を発見した。大きな墓地(Stadtfriedhof)の中を通ってもよいし、またその脇のサイクリング道を歩いてもよい。それが終わった後も、裏道伝いに街まで出れるのである。全くのお散歩気どりで歩ける。

昨日、僕のデジタルをあれこれといじくっていたら、調子が戻ってきたようだ。ためしに何枚か送るので、ぶれてなかったら掲載してください。焦点ボケならこの文章ごとカットしてください。

(左 ゲッティンゲンの旧市庁舎、右 近くの散歩道)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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