ドイツ通信第137号 : ドイツ政治の行方 ―2018年10月28日ヘッセン州議会選挙結果から読み取れること(3)

2週間ほど前に、突然、雪が降り、11月にしては早いので、「これも気象変動の影響か」と友人たちと話しあっていました。30年前は、市内でも15~20cm近く雪が積もったのではなかったかなあ、と懐かしげに時間を振り返っています。今年の冬はどうなりますか。昨年は、数回雪が降っただけでした。こちらの寒さは、骨の髄までしみ込んでくるので、年々からだに堪えます。

10月28日のヘッセン州議会選挙を前後して、2つのニュース・報道に目が向きました。1つは、職場を守ろうとする炭鉱労働者のデモと、もう1つは、石炭・褐炭燃料の露天採掘を阻止しようとするデモで、CO2排出減少と環境保護をテーマにした労働者と環境保護運動の闘争、対立です。

その経過を追いながら、わたしは日本の戦後三井‐三池、夕張炭鉱労働者の抵抗運動と三里塚空港反対運動、最近ではアメリカの石炭産業の歴史と現状を思い浮かべざるをえませんでした。

すでに長い時間が経過しています。しかし、現実のなかでは戦後が再び蘇ってくるように思われてなりません。

戦後直後は石炭から石油へ、そして現在は、石油から自然再生エネルギーへの戦略的転換が動機になっているでしょう。そうした経済の動きのなかで、環境と労働がどのような位置づけと意味がもたらされてくるのか。それは、また、労働者の生活に何をもたらすのかという課題でもあるでしょう。

言い換えれば、戦後直後からの労働者の闘争とそこから引き出された生活が、現在のこの社会でわれわれ次の世代に何を教えているのかという問題です。

10月24日(水)、ノルトライン・ヴェストファーレン州(NRW)で1万5,000人以上(主催者発表4万人)が参加する炭鉱労働者のデモと集会が取り組まれました。“早急な”鉱山閉鎖を阻止するための抗議行動です。

ちょうどこの日には、連邦政府が炭鉱閉鎖を審議するために設けた諮問委員会の会議が開かれていましたから、それに向けた労働者の威圧行動でした。

諮問委員会に課された課題は、「成長・構造転換・職場」の3つの表現に見られるように、石炭エネルギーから撤退して、グローバルに要請されている環境保全の道筋を立て、さらにそれに見合った産業構造に転換することによって国際競争力を実現すると同時に、炭鉱閉鎖に伴う労働者の新しい職場を確保することです。

この時点では、石炭委員会は2030年から45年の間の石炭発電所の停止を提言しています。それに対して環境保護グル-プからは“早期”の撤退が、エネルギー産業と労働組合からは“緩やか”な撤退が主張されることになります。

環境保全の面からみれば、ドイツがパリ協定の「温暖化リミット1.5度」を実現するためには、2030年に最後の石炭発電所が停止されなければなりません。

他方で、エネルギー産業と労働者(組合)の反論は、早急な石炭からの撤退は産業の閉鎖(利益損失)と失業をまねき、廃墟の中から社会不安を引き起こしかねず、それへの明確な対応策と財政保障が担保されなければならないといいます。つまりエネルギー・電気料金が高くなり、国際競争力を失うというのが論点です。RWE(ドイツの大エネルギー会社の一つ)は、早期撤退を「全くの無責任!」と強硬姿勢です。

同じく、特に旧東ドイツの炭鉱産業を抱える州では、ドイツ統一後に長く続いた経済の再建過程と高い失業率の中で多くの社会問題が蓄積してきたことから、またそれが完全に癒されていない現状では、ザクセン、ザクセン?アンハルト、ブランデンブルグ州政府(COU及びSPD首相)が、これ以上の紛争要素を抱え込みたくないため、先頭に立って石炭委員会に撤退時期と対策の見直しを迫っています。(注)

(注)「FR」紙2018年10月25日付

「FR」紙2018年11月2日付

Der Spiegel Nr.48/24.11.2018

以下、ある村人の話から。

化石燃料資源は無限ではありません。石油にしてもそうです。アラブ諸国もポスト石油を見通した経済の転換に入ってきていることにも明らかです。

地下を掘り起こしていくわけですから、森と自然そして住居地が削り、剥ぎ取られていきます。結果は住居が強制移転させられることになります。大都市の出来事ではありません。そこではそんなことは不可能です。中心部から数10kmほど離れた小さな村々が掘り起こしの対象になってきます。

企業は移転補償を出しますが、その額は公言されることがなく、新しい、しかし見知らぬ土地での人間関係がはたして可能かどうか。家畜を飼育し農業を営む家族に、以前のような自然に囲まれた農家としての生活が成り立っていくのか。

このような判断のなかで、石炭・褐炭採掘に抵抗しながら生まれ育った地に残る人と、そこから離れていく人たちに住民が分かれていきます。「去るも地獄、残るも地獄」というスローガンが思い出されます。

その村で住んだ住民には、お爺さん、お父さんの代から、あるいはそれ以上の世代を超えて、居住地への目には見えない繋がりで結びつけられてきたはずです。パン屋があり、肉屋、雑貨屋、小物屋、そして仕事の後で同僚、顔見知りの人たちと喉を潤した飲み屋もあるでしょう。たまり場になる〈クナイぺKneipe〉です。大衆消費化した街のなかで見られるように過剰なものは見当たりません。最低限必要なものは、あるべきところにいつも見ることができます。

また、村の真ん中には教会が見渡され、住民にはこうした日常風景が、〈永遠のもの〉であるかのように思われたはずです。その経済を支えたのは、炭鉱産業でした。今、それが彼らの生活基盤を脅かしてきます。「故郷に代わって職業」、あるいは、こういっていいかと思いますが、「故郷を代償にした職業」の選択が迫られることになります。

住民数がたかだか数百人、数千人の村々です。すでにその内多数の住民が、新しい職場と生活を求めて村を離れました。人間関係と生まれ育った故郷への紐帯が、こうして断ち切られていくことになります。

住居移転に抗議してそこに残った人たちの将来とは何か。

巨大エネルギー企業と中央政府の産業戦略を目の前にして、村に残った人たちは、はたして対抗できるのか。ブルトーザーで押しのけられてしまうのではないか。その時、彼らの生活は?行く先への不安を抱えた毎日です。

この間、石炭採掘に抗議して数千、数万人が結集する環境保護運動が取り組まれ、国家権力の防衛・阻止線を突き破った大衆的な実力抗議行動が展開されます。そこでは自然環境と多様性生物の保護の必要性が訴えられます。

「去るも地獄、残るも地獄」に含められている意味は、そのように考えれば職場、故郷、環境保全の背後に縛りついているこうした労働者としての、住民としての、そしてともに生きていく〈人間そのもの〉〈人間の存在〉をどう理解し認識するのかということでしょう。

ここで、現在ドイツで、またヨーロッパで議論されてきている〈故郷〉の薄っぺらさとメッキがはがされてくるように思われるのですが、どうでしょうか。(注)

(注)「FR」紙2018年10月29日付

もう一つ、わたしが目をひいたニュースは、褐炭の露天採掘を拡張するために行われた森林伐採に抗議する環境保護運動です。

NRW州でケルンとアーヘンの間に「ハムバッハの森(Hambacher Forst)」があります。ここがRWEのヨーロッパでも最大の8500haある褐炭採掘場になっていて、これまで伐採が行われ、過去に数千人の住居者が立ち退きを強制されてきたといわれています。

2013年から環境保護者による森の占拠が始まり、木の上にはその数全部で86といわれる簡易な小屋がつくられ、森周辺の平地にはテント村が建てられ、そこで森林伐採の常駐監視と宿泊が行われてきました。

今年の9月初めに、NRW州政府(CDUとFDPの連立)は、占拠者の排除と伐採の開始を決定します。9月13日(木)警察官が導入され、それに抵抗、抗議する約200名からなるグループとの間で闘争が続けられました。木にしがみつく抵抗者をごぼう抜きしていく警察官。

そして9月19日(水)午後、警察官が木の上の小屋の撤廃に取りかかったとき、27歳の芸術大学の学生が25mの高さの木から墜落して死亡する事件が起きました。彼は、森の占拠者に同伴しながら記録フィルムを取り続けてきました。政府側-内務大臣(CDU Herbert Reul)は、2017年ハンブルグG20の騒乱と化した街頭闘争と同様の状況を描き出そうと必死ですが、事実に反することが明らかになっています。まだ正確な事故の解明はなされていませんが、内務大臣が語れば語るほど、彼のデマと扇動性が見抜かれていきます。

10月初め、抵抗者を排除して森林伐採が開始されようとしたことに対して、環境保護グループから森林伐採停止を求める緊急の訴訟が起こされ、それを上級行政裁判所は認めることになりました。(注)

(注)Der Spiegel Nr.42/13.10.2018

その後、10月に入り抵抗・抗議行動は、一万人を超える規模に膨れ上がっていきます。そして、10月28日(日)、警察発表2,500人(主催者発表6,500人)がデモを行い、白のダストスーツで身を包んだ数百人がハムバッハの露天採掘の行われている敷地になだれ込み、16名が採掘用ショベルを占拠します。

周辺は警察官によって完全に阻止線が張られていましたが、部隊を分け、まず、250名が約10kmほど離れた別のインデン(Inden)露天採掘場になだれ込み、アウトバーンを横切って最後はハムバッハに到着することができました。警察部隊は意表を突かれ、振り回され、為すすべなくデモ隊の後を駆け回るだけの態でした。

彼らの英語のスローガンを以下に引用しておきます。

We are unstoppable, another world is possible!

RWE労使協議会のメンバーの一人(Franz-Peter Linten)は、「コーヒーとソーセージを提供して、討論したい」などと述べていますが、これほど人をなめ切った発言はないでしょう。

以上、労働(職場)―環境―故郷の3つ要素をつなげる要は何かということです。

ここに討論材料になると思われる新聞記事を要約しておきます。(注1)

グリーンピース・エネルギーの提案で、彼らがRWEの褐炭部門を引き継ぎ、現在の露天採掘地に太陽光および風力発電を建設すれば、化石発電所は2025年に停止することが可能で、連邦経済・エネルギー省(大臣Peter Altmaier CDU) もそれを援助しているといいます。そこでは電力不足の起きないことが数字を挙げながら証明されています。

わたしが興味をもつのは、その機構と運営に関してです。グリンピースの提案は、単に彼らだけのエネルギー転換ではなく、市民、地域・市町村、個人が積極的に協同組合(注2)に参加できるようにオープンにし、それによって方針と決定は、当地のメンバーの“共同”だけで行うことが可能になってきます。中央集権化された現在のエネルギー独占に対しては、そうでなければならないでしょう。

炭鉱労働者の労働は、今後、掘り起こされた露天採掘地の整地と自然再生に向けて再組織されながら、他方で、新しい自然再生エネルギー産業に必要な技能、専門知識への再教育、研修が進められていくことになります。

それによって、石炭産業が拒否する、労働協約に基づく解雇を回避することができます。

労働者(組合)からも、新しい職場の保障とはっきりとした労働協約の実施を求める声が強いですが、これまでのところ企業、政府からの明確な回答はありません。

わたしが知っているドイツの労働組合運動というのは、労使の労働協約をめぐる闘争で、確かにそれは絶対的に必要で組合運動の基本であることは間違いないのですが、労働者の、例えば倒産のなかから自主管理を!という日本では長い歴史のある取り組みは議論のなかでも皆無であるように思います。

もう10数年前になりますか、DGBの小さな議論に参加していて、日本の労働者の闘いがテーマになったとき、この方向性はドイツの失業者には理解できない部分があったような印象があります。

しかし自然エネルギー部門では、〈協同組合〉という考え方はすでに既成の事実になっているように思われるし、その実際も体験していて、非常に興味深いです。

(注1)「FR」紙2018年11月29日付、「Aus Kraftwerken werden Windr?der」(石炭発電所から風力発電に、と訳しておきます)と題したJ?rg Staude氏の寄稿記事です。

(注2)Genossenschaft をこのように訳しておきます。

最後にこのエネルギー転換が各政党に何をもたらすのかという本来のテーマに戻ります。

SPDの基本的な組織基盤は労働者と労働組合です。そこに向けた労働、社会面での方針がSPDの政治路線を規定してきます。たとえば最低賃金制度の導入。しかし、問題はその訴えが労働者を捉えない、彼らに共感を与えないことです。CDUとの大連立政権でもこの点が強調されるのですが、CDUにSPDの方針を呑ませて労働、社会面での改革をすすめているのはSPD だと強調されても、労働者はSPD  を離れて、緑の党に流れていきます。

この現在の動向は、以上に書いた経済構造から読み取れることです。フランスに限らず他のヨーロッパ諸国の社会主義政党についても同様です。

従来の労働および労使関係に変化が現れ、労働(様式)が多様化しながら、それに伴って価値観、労働観、生活感が変わってきます。

理屈よりは、現実がすでに政党の先を越しています。一つ例を挙げれば、労働と環境で二律背反におかれた炭鉱労働者の要求にSPDは如何に回答を見いだせるのか。この揺れが組織全体を動揺させ、若い活動家が育たない最大の原因になっていると見ていいでしょう。

長年の党員は過去の栄光で生涯を全うできるとしても、環境保全を闘う若い世代にはSPDのなかには居場所がありません。こうして組織が先細りしていくことは、この間の選挙結果が知らしめているところです。

それに対して、緑の党は労働と環境を、労働組合に拘束されない若い青年と女性、多様化した労働者層、それに環境問題で意識の高い層に訴えることによってSPDに代わり、変化していく社会の要求を代表することができました。

過去ではなく、将来のあり方を現実のなかから見つけ出しつつあるといえるでしょうか。従来の、〈自分たちだけが正しい〉という人を見下ろすような緑の党の視線から決別しつつあるようです。

これが「中間層を確保する」といわれる戦略論争の現状で、「国民政党の時代ではない!」といわれる意味だと思います。

反原発、環境保護運動を先頭に、そこに結集する性別、年齢、出身、政党、労働を問わない大衆の政治運動が、政党の上からの統制と枠を超えて、むしろ政党がそこに吸収されていく形で、今後の変革・革命運動は発展し、それが唯一の社会・政治運動になっていくだろうと思われてなりません。

最後に、〈労働―環境―故郷〉をめぐる人間の存在に関して、これへの回答を急ぐことは意味のない、また不可能なことですが、一つだけ言えることは、〈人権〉〈人間の尊厳〉〈労働者〉等々について明らかなように、議論の現状は、字義通り〈人間について〉でしかなかったように思われます。しかし、〈人間と共に〉の視点は顧みられることがなかったのではないかというのが、私の結論です。それを、二つの報道から理解できました。

(おわり)

初出:「原発通信」1546号より許可を得て転載

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8209:181208〕