ドイツ通信第142号 EU委員会議長選出を終えて思うこと――ヨーロッパの問題点を浮き彫りにした選出過程――

 昨日7月16日(火)、EU委員会の議長が、長い混沌とした政党駆け引きの末に選出されました。EU議会で行われた投票では、ドイツCDUの女性候補者(Ursula von der Leyen)が過半数に必要な374票をわずかに9票上回るだけの383票を獲得し当選しましたが、この賛否僅少差の数字が、EUの現在の、そして今後の問題点と課題を浮き彫りにしているように思われます。
 議長選出が終わって、この数か月に及んだEU議会選挙が一体何だったのだろうかと、気持ちが沈んでいきます。
 EU議会選挙闘争時のヨーロッパに開かれた、そしてヨーロッパが一つになっていくような市民の一体感は、今感じることはできません。こんな思いをしているのは、私一人だけではないはずです。昨日の今日ですから友人に会う機会もなく、これから意見交換が始まっていくでしょうが、マスコミ、メディアに見られる基調のなかから、全体の印象を俯瞰してみます。しかし、これはあくまで私の個人的な感想であることは、前もってお断りしておきます。

 EU議会選挙では、自然環境・気象変動を軸に若い人たちが選挙テーマを牽引し、年配者がそれに合流する形で世代を超える大きな、幅広い戦線が形成されました。この勢いの持つ新しい民主主義運動を旧態依然とした既成政党も無視することができず、EU改革が議論の俎上に上ってきます。EUという莫大なまでに膨れ上がった官僚機構の枠が揺れ動きだした一瞬です。それによって以前から指摘されていながら、いつの間にか立ち消えになってきた問題の核がつかみだされることになりました。「EUは変わる! 変わらなければならない!」というような確信が生まれ、その結果、2014年にはヨーロッパ市民のただ半数の50%がEUに「ポジティブ」な評価を与えていたのに対して、今年2019年のEU議会選挙では、62%にまで上昇しています。ヨーロッパが動き始めていたのです。

 同じことは対極右派、右派ナショナリスト、ポピュリストの闘争についてもいえます。市民の貧富の差が開き、難民の跡が絶たなく、それによって社会が分散し内部対立の激しくなっていく土壌に、EU反対派の台頭が認められ、EU民主主義化の運動は、そこから必然的に彼らとの闘争を不可避にします。社会経済の改革なしに、民主主義化はあり得ないということです。
 一例として難民問題を取り上げてみます。2012年、「アラブの春」を闘った北アフリカからの難民がイタリアに押し寄せます。その人道的な援助で「ノーベル平和賞」を受賞したのはEUでした。しかし、EUはイタリアの負担を取り除くことができず、イタリア任せの状態で置き去りにしたままでした。EU内の難民受け入れ態勢が、ナショナルな利害対立の下で阻まれたからです。そのツケを支払わされているのが2015年以降のEUの現状で、現イタリア内務大臣マテオ・サルヴィニの登場と決して無縁ではないでしょう。
 2012年、ヨーロッパは、難民に目を覚まされました。しかし、北アフリカのインテリ、特に小説家は既に2000年の初めころから祖国離脱、難民としてヨーロッパを目指す青少年たちの運命を描いた小説を書いています。その内5、6冊の本を読みましたが、経済が破壊し職がなく、家族が解体し、将来の展望を失くしていく青少年たち。社会と精神世界は崩壊し、ドラッグ中毒になる者も出てきます。そこでの決断が、命をかけた地中海の逃避行となります。彼らが、今の難民です。
 このアフリカからの警鐘を西側諸国は聞き取れなかったのです。

 そのとき、イタリア(首相ベルスコーニ)、フランス(大統領サルコジ)を先頭にヨーロッパ政府はチュニジア、リビア、エジプト等の独裁政権を支援していました。石油確保と政権安定、そして難民への壁を築き上げることが本来の目的でしたが、当時の西側諸国の言い分は、「アラブ、北アフリカの民主化に貢献する」というものでした。
 本音を隠した虚言は、「アラブの春」の現実に打ち破られることになり、続くイラク、シリア内戦に対して西側諸国は、それまでの二枚舌外交からの抜け道を見つけられず、ISを生み出す結果になりました。

 国家が無策の状態に陥った時に、難民に救いの手を差し伸べたのは、一人ひとりのヨーロッパ市民でした。それは難民援助のボランティア活動に見ることができます。それに私がマリアンネの傍でわずかでも体験し、参加できたことは、これ以上にない〈政治教育〉になりました。
 ロシア作家のゴーリキだったと思いますが、「社会が私の学校だ」の言葉を思い浮かべ、時代はそこまで近似してきているのかとさえ考えさせられます。
 国境が閉鎖され、上陸を拒否される難民には、今度は、海上でEUの〈水際作戦〉との闘争が待ち構えています。簡単に言ってしまえば、難民が上陸する前に〈一網打尽〉にし、自国に送り返すEUの難民排除対策です。
 そもそもそれが不可能なことは承知のうえで、自国向け政治マヌーバーの必要性から取り組まれているとしか言いようがなく、それ以上に問題なのは、これによって海上で命を落とす難民の数が後が絶たないことです。(注) その海上で難民の命を救っているのは、ドイツをはじめヨーロッパ市民が自主的に組織する避難救助船です。
 数日前にもイタリアに生命救助の緊急の必要性から寄港したドイツの救助船が、イタリア内務大臣サルヴィニの指令で拘束され、女性船長が逮捕された事件がありました。
 他方で、青少年、子供、女性たちが難民となって逃避しなければならない諸国の「温床を絶つため」の経済援助と社会復興が、数年来EU諸国から呼びかけられていますが、まだ実質的な内容は伝わってきません。
 そんな現状を知るにつれ、こうした美辞麗句は、無残に難民を見殺しにする都合のいい言い訳としてしか聞こえてこないのですが。
 (注) 海域で死亡した難民の数は、2015年3771名、2016年5096名、2017年3139名、2018年2275名、2019年6月10日現在539名という資料があります。「FR」紙2019年6月17日付

 そこに見られるのは、人道、人命、(人間、自然)生存への冷淡な無関心です。トランプは一人ではないということです。民族、宗教、人種、そして性への差別と排除、憎悪を扇動すればするほど、ナショナリズムとポピュリズムの意識はより高揚されていくことになります。
 社会問題の解決ではなく、問題の先鋭化によって人民を操作することが彼らの手段と目的であるのが理解されます。

 以上、分裂に向かうヨーロッパの中でのEU議会選挙と、今回のEU委員会議長選出となりました。
 従来でしたら、各政治グループのトップ候補者が議長候補になり、EU議会の多数派投票で決定されていたのですが、CDU系とSPD系の保革二大政党制度の崩壊は、すでにドイツで見られるようにヨーロッパでも同じ傾向を示しています。それを進めたのが何回も繰り返しますが市民の運動であったことは確認できるところですが、そうであれば、EUは市民の圧力をもろに受けることになり、これまでの「政党間の密室での政治取引」が不可能になります。EUの民主化と呼ばれる最大のポイントがここにあります。「密室」から公然とした「公開での政治議論」が要求され、それはEU政治機構の構造改革も射程に入れられてきます。
 では、EU委員会議長としてそれを担える人材は?

 二つのグループからの可能性がありました。政治方向性を明らかにするために、ドイツでの政党名で表記します。

グループ                  第一候補者 議席数(前回比)

1.CDU/CSU系(キリスト教派)ドイツCSU(Manfred Weber)       182(-35)

2.SPD系(社会主義派)          オランダSPD (Frans Timmermans)  154(-33)

3.リベラル派(自由主義系)*  デンマークRV(Margrethe Vestager)  108(+40)

4.緑の党系 ドイツ緑の党(Ska Keller Co.)                         74(+22)

5.左翼系 スロべニア統一左翼(Violeta Tomic Co.)             41(-11)

 (注)* フランス・マクロン党が参加しています。

 その他は、ポピュリスト、ナショナリスト、保守右派のドイツAfD 、オーストリアFPÖ、 イタリアLega、フランスNR、フィンランドFN、デンマークDFがEU批判派を形成することになりますが、路線対立から会派を結成するための政治的な意思一致が取れていません。

 EUの構造的な問題が噴出してきたのは、マクロンがEU評議会(注1でCDU/CSU第一候補者に議長「不適格(注2)  の烙印を押して拒否したことによります。EU議会選挙で〈最多数を獲得したグループの第一候補者〉が、今回の場合は、それ故にCDU/CSUのヴェーバーですが、評議会から多数派形成のお墨付きをもらってEU議会に議長候補者を提案することになっている従来からの取り決めを、彼の一声で覆したことになります。
 代替としては、第二党のSPD系候補者ティマーマンスが、そこから浮上してきます。彼に対して、今度はハンガリー、ポーランド、チェコ等東ヨーロッパ・グループ、それに加えてイタリアが拒否し、評議会での委員会議長候補者選びは難航し、いったん頓挫します。それが先週の月曜日から火曜日にかけてのことでした。内部協議は20時間以上にもおよび、結果待ちのジャーナリストが、イスに寄りかかり、また机にうつぶせになって寝込んでいる姿が映像で報じられていました。
 東ヨーロッパの反発ですが、ハンガリー(Fides党、代表Orban)とポーランド(PiS党、代表Kaczynski)は、EUから難民に対する差別・排外主義的対応、司法への政治介入、言論統制等を理由に法治国家としての信義を問う手続きが取られています。そしてこの審査手続きを取ったのが、実はSPD系でEU委員会副議長のティマーマンスであることから、彼らのSPDへの拒否感は一層強いものがあります。
 Fides党に関しては、本来CDU系グループに属しながら、難民への露骨な差別・排外主義、右派ポピュリズムゆえにEU議会選挙ではグループから共同活動の一時停止処分を受けています。
 (注1)理事会と日本語訳されていますが、それだとドイツ語での「Rat」の意味と政治的な役割が伝わらないので、誤解を承知の上で「評議会」としておきます。EU加盟28ヵ国の国家及び政府代表(大統領、首相)から形成され、ここで委員会議長候補者が提案されます。
 (注2)訳し方によっては「無能」とも訳せる用語を使っています。念のため。

 最後の最後になって、字義通り忽然と、ドイツCDUの女性政治家の名前(Ursula von der Leyen)が飛び出してきました。果して誰が想像したでしょうか。私もその内の一人ですが、それほど衝撃は強かったです。マクロンの提案にメルケルが同意したといわれていますが、両者の事前の打ち合わせがあったのではないかとも詮索され、この「分からない」ところが、EUの民主化を議論するときの決定的な問題になっています。

 彼女は、現職防衛大臣です。EU議会選挙を闘ったわけではありません。議論は沸騰します。典型的なと思われるいくつかの意見を以下に参考のために挙げてみます。正確さに疑問がありますが、

1.EU選挙候補者リストに登録されていない議員に資格はない。従来の慣習と決まりに違反する反民主主義的手続きだ。SPD、緑の党、左翼派が、この見解を代表。

2.評議会で合意できるリスト候補者が見つからない以上、リスト以外の候補者を指名することは、むしろ民主主義的である。法学者、政治学者、CDU系がこの見解を代表。

3.「密室での政党間取引」で、市民の意思と要求に反する。ならば、選挙の意味はどこにあったのか。民主派市民が、この見解を代表。

4.戦後50年来(1958-1967年Walter Hallstein)のドイツ出身で、更にEU結成以来初めての女性EU委員会議長誕生(の可能性)に賛同。どこか「ドイツ・ファースト」の臭覚がしてならないのですが、(エセ)フェミニスト、一般メディアがこの見解を代表。

 以上、「密室の取引」の危険性は、言うまでもなくEU官僚機構の構造的な問題と同時に民主主義手続きと決定プロセスに関するものであることは明瞭です。それに加えて政治的な危険性は、多数派形成と(極)右派との関係性です。民主派の多数派形成が不可能なときに、どのような形であれ(極)右派に依存することは、彼らに活動の場と認知を与えることになり、歴史を顧みればワイマール共和国がそうだったように思います。混乱した国内の治安安定にナチを動員することによって最後はナチの権力奪取と独裁への道を掃き清めたのではなかったでしょうか。
 EU委員会議長選出に当たって、そんな不吉な予感がしたものです。

 メディアには、「誰が最後に笑うのか」の見出しが見られます。

 議長選出前に、政党間の政治意図が見えみえの権力配置が行われています。EU議会議長がイタリアSPD派、そして外交委任代表がスペインのSPD派に決まり、批判派の口をふさぎ、多数派を目論んだ外堀を埋める布陣が打たれました。ヨーロッパ中央銀行には、元IMF(国際通貨基金)代表(Christine Lagarde、フランス出身)が就任します。
 ここでマクロンの意図が明瞭に読めます。フランス―ドイツ枢軸を打ち固めることです!ヨーロッパ、世界政治のトップ・ジョブを二人の女性で飾ることも忘れません。
 ドイツのSPD(16議席)、緑の党、そして左翼は、しかしEU議会でフォン・デア・ライエンへの投票を拒否します。緑の党には環境委任代表の話が、それとはなしに持ち掛けられますが、概略、〈ポストではなく、ヨーロッパの将来への政治路線とEU改革が議論されなければならない。現実には「密室政治」に変わりはなく、合意できない!〉と最後まで原則を貫きました。

 その結果が、383票という僅少差の多数派獲得となりました。秘密投票になりますから、誰がどう投票したのかの正確なデータは入手できません。これからそれに関する調査と分析が行われていくでしょうが、右派勢力からはポーランドのPiSと、ポピュリストとしてイタリアの「五つ星運動」が賛成投票したと伝えられています。
 CDU系、リベラル系、そしてSPD系の大部分は賛成投票しています。各グループの最終的な決定を促したのは、
1.フォン・デア・ライエンが落選した時のプランBがないことです。それは長引くEUの混乱を導き出すでしょう。

2.彼女の根回しです。一方で、石炭からの早期撤退を訴えながら、他方でポーランド側には、〈石炭産業はポーランドの重要な産業で、そうした点も配慮しなければならない〉と二面外交に努めていました。

3.早急に必要とされる難民救助船に関するEUの人道的な共同した取り組みを訴えながら、具体的な方策には言及していません。

4.同じことは、とりわけハンガリーとポーランドの法治国家をめぐる審議過程を、「急ぐ必要はなくゆっくり」と東・西ヨーロッパの重要な機構問題に関しても直接な対応を避けました。

 すべてをここに記す必要はないと思われますが、彼女の基本方針は、これまで対立を繰り返してきたEU諸国の現状を反省しながら、〈共同でヨーロッパを発展させていく議論〉に重点を置いたことにあるでしょう。
 こうして彼女のEU議会での政治声明は、ドイツ語、そして完璧なフランス語、英語の三か国語で行われ、それを目にし、耳にするだけでヨーロッパの将来への魅力と感動を覚えると思うのですが、東西、南北、右左、各グループの要求を万遍なく満たしたものになり、単に網羅した感が強く、私を確信させるだけの実体的な政治内容は伝わってこなかったものです。ここが彼女の問題で、それは今後のEUの最大の課題だろうと思われてなりません。

 最後に、EUが目的とした政治共同体が何故に今日の抜き差しならない対立を生み出し、(極)右派の台頭を許してきたのかという点について、あまりにも語られることが少なかったように思われてなりません。難民の人道援助、(極)右派に対する闘争、社会的公正と平等、人権が訴えられます。現実を見れば、むしろ逆の方向に向かう傾向にあり、道義、正義を訴えれば訴えるほど、反発が大きくなります。
 一例ですが、市民の要求の一つは、〈富の公正な再配分〉です。それを政治家に期待し依頼したのがEU選挙です。実際に行われたのは、こう言ってよければ〈密室〉での〈権力の再配分〉です。政治への信頼を取り戻すためには、この落差は大きいでしょう。
〈相互で議論すること〉は、一般論として正しいでしょう。ここでの私の問題意識は、そのためには共通の基盤が必要だということです。
 その基盤とは、戦争をめぐる、ヨーロッパに関していえばナチの戦争責任をめぐる〈加害と犠牲〉への共通の視点と認識が必要だと思われます。

 個人的な経験をここに書いてみます。
 ドイツ市民として「ドイツの戦争責任」を意識し、フランスの反ナチ・レジスタンスの実際を展示と映像で見ながら興奮する一方、社会のなかでナチ協力の歴史がタブー化されてきた歴史にも目が向けられました。それをマルセーユの強制収容所跡(Site-Memorial Du Camp des Milles)で経験することになりました。また、ポ-ランドに行ったときは、ワルシャワとクラクフで、ゲットーとユダヤ人虐殺と抵抗の歴史を知り、その軌跡を自分の足で踏んでみたものです。この2か国だけではありません。東西ヨーロッパには、至る所に同様な歴史が残されています。
 ポーランドでは、政治学者、歴史学者そして民主化を闘う市民、学生を中心に、歴史の見直しが進められてきましたが、ポーランドPiS 政府はそれに緘口令を布くかのように、ナチ協力を表現する者を処罰する法律を作りました。

 今の私にはこれ以上のことは言えないのですが、EU共同の議論に向けた共通認識とは、戦争とナチのユダヤ人虐殺の歴史を、

1.なぜそれが可能になり、
2.その結果何をもたらしたのかに真摯に目を向け、
3.その誤りの歴史を二度と繰り返さないためには、現在何をなすべきか、

を共有することであり、その上での議論でなければならないと思います。
 EUの議論で欠けているのは、実はこの点にあるように思えてならないのですが、どうでしょうか。

 すったもんだの末に最後に笑ったのはCDU系候補者(フォン・デア・ライエン)でしたが、陰でこの顛末を強制した(極)右派が同じくほくそ笑んでいるのが目に浮かんできそうです。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

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