ビショッフェローデのメモと資料をひっくり返していたら、1993年11月29日にも、この時は日本からのジャーナリストに同行して3回目の現地入りしているのに気づかされました。それほど衝撃的な印象を与えた工場占拠-ハンガー・ストライキであったのが、今にしてわかります。その後のドイツ統一の発展過程を見るとき、意識する、しないにかかわらず、いろいろな見解を自分なりに判断できる基準になっていることは間違いのないところです。現地の闘争が、統一ドイツの現実を知る視点を養ってくれたというところでしょうか。
今の問題意識は、それを闘った人たちの現状です。その後、彼(女)らがドイツ統一の中で、労働者としてこの30年間どのような人生を過ごしてきて、今にあるのかという点です。こうした問題が、歴史をさかのぼり浮き彫りにされれば、当時の闘争の意義が共有され、現在の課題が議論されやすくなるのではないかと考えるのですが。彼(女)らの、今の声を聴いてみたいです。自分の手にあまる作業です。しかし、忘れられてはならない、彼(女)らの声です。
しかし、極右派・ナチの台頭を絡めた東ドイツの選挙前後から、少しずつ変わりつつあるように思え、私の方からは引き続きビショッフェローデにこだわっていきます。
ビショッフェローデの合併―閉山の理由を、「信託事業体」のスポークスマンは2点挙げています。(注)
1.ビショッフェローでのカリ塩生産は、その生産コストの高さ故に国際競争力が劣る。たとえ、ビショッフェローデにおいて如何に良質なカリ塩が生産されたとしても、市場価格を通しては投下資本が回収されえない。
2.ドイツ国内におけるカリ塩生産の地域的調和を考えると、旧東ドイツのカリ塩産業の長期的な安定に向けた唯一の可能性はKali+Salz AG/Kassel社との合併にしかない。
(注)21/22. August 1993 Neues Deutschland PDS系新聞
(1)の「良質なカリ塩」という行は、採掘・生産を主張してやまない鉱山労働者側からの批判に対応したものです。それに対して資本側からいつも出される「国際競争力」という根拠は、旧東ドイツ社会主義国家では経験しなかったことであり、自主管理する労働者側にすれば、その経験の時間を与えてもらいたかったのです。これを親方は話のなかで強調されていました。
産業構造の転換が、何時かは不可欠なのは理論的に理解されます。資本回転が膠着した時に、どのような様式であれ構造転換が起きることは否定できません。問題は、その時の資本の労働者への対応です。労働者を投げ捨てるのか、あるいは新しい産業構造のなかに労働者を引き入れて社会の安定を保障していくのかの違いだろうと思います。特にドイツ統一という国家事業のなかでは、この点が問われたはずです。
この違いが、労働者側の意識のなかに、「財産を略奪された!」「生活を破壊された!」という感情として怒りとともに蓄積されてきたのだろうと思います。その結果が、社会の分裂と、暴力的な対立となって現実に噴出しているのだと考えられます。が、それだけでは、すべてを語ったことにはならないでしょう。社会の安定を保障してきたのは、労働組合運動と政治政党ですから、彼らが現状を阻止できないできた理由がどこにあるのかも考察されねばならないはずです。そうすれば、東ドイツの問題点を議論しながら、実は、東西ドイツ、すなわち統一ドイツの問題であるのが見えてきます。
ビショッフェローデへのIG・Metalの基本マニュアルは、〈ルール炭鉱モデル〉といっていいでしょう。1967年以降、政府とIG・Bergbau「(鉱山組合)はエネルギー転換を進め、鉱山閉鎖に合意してきました。当時は、解雇と新しい職場の確保に注ぎ込むこむ余裕のあった資金で社会的反抗、不穏を抑えることに成功してきました。しかし1993年当時、政府にそのような財政的な余裕はなく、にもかかわらずIG・Bergbauは未だにその夢を託していることが最大の誤算でした。
一方、BASFとその子会社Kali+Salzにしても国策的なカリ塩産業計画は、本来的に望むところではないが、「信託事業体」の数百マルクの援助・助成金は魅力であり、MDKとの合併によってその政策に歩み寄ったというのが事実でしょう。
1991年来、こうしてIG・Metal中央の統制と指導を離れたところで鉱山の闘争が始まっています。
それから30年が過ぎ、私有化・市場経済化の交渉経過が公開されるようになってきました。東ドイツで出てきている怒りの声?「われわれは、『信託事業体』の犠牲者だ!」に直面されながら、歴史の見直し議論が始まろうとしています。
いくつかの諸点を挙げておきます。
1.国家所有の企業体を清算してしまわないで、引き続き経営を維持できたのではないかというのは、DDRの現状を知らない者の意で、実際にはほとんどが屑もの。
2.私有化から市場経済への移行に際しては、企業の周辺環境整備、例えば自然環境保護とインフラには莫大の資金が投資されている。そもそもDDRには自然環境保護の意識と政治は皆無。
3.確かに生産財に関しては、大部分が西ドイツ資本(80%)、外国資本(14%)、東ドイツ市民(6%)の手に分割されているが、これは東ドイツに必要な自己資金が不足していたから。
4.中小企業に関しては、ホテル、飲食店、薬局、本屋、映画館等々が東ドイツ市民の経営分野になっている。
だから、感情だけで怒りを吐き出し、ドイツ統一を真っ黒に描いてはならないというのが、「信託事業体」側の言い分になります。(注)
(注)Der Spiegel Nr.37/7.9.2019 Ende Legende von Norbelt F.P?tzl
しかし、これらは統計でしかすぎません。数字から、市民、労働者の生活を覗き見る危険性は避けなければならないでしょう。どのようにして仕事を見つけ、またどのような条件の下で労働をし、生活・家族を養っているのかは、別の本質的な問題です。こういう上からの目線で頭越しの言われ方をすれば、〈思い上がり〉と評されても仕方のないところです。それが、東ドイツ市民の怒りの根になっていることを知るべきでしょう。
賃金・年金格差、そして経営指導部、行政官僚も80%以上が西からの送り込みということになれば、「植民地化」、「二級市民」という感情が起きてきても当然というものです。
再び、従業員親方の話が甦りました。
ビショッフェローデから代替職場を斡旋されてカッセルのVW工場に働きに行った人が8名いたといいます。
2か月以内に6人が仕事を止めてしまった。ヴェッシー(注)は、オッシーがまともに働けないと考えているのだ。オッシーは西ドイツでは受け入れられない。まず、仕事をすることを学ばなければならないと考えている。
(注)ドイツ統一後、西ドイツ市民をWessi、東ドイツ市民をOssiといって差別してきた用語
親方の話の途中に別の鉱夫が加わってきて、話を引き継ぎます。彼は、16歳から20年間近くこの工場で働いてきた、筋金入りの炭鉱労働者です。
オッシーは短い労働時間で、より多くの金を稼ぐことを考えている。余った時間と金をどこに使うのかといえば、長期休暇か消費物資を買い求めることだ。そのために汲々としている。DDR時代、われわれは多く働いた。祭日にも働いたものだ。だからラダー(Laderソ連製の車でトラビ‐よりは高級)も買えたし、家も建てられた。鉱山―工場を占拠してからも1日14時間は坑口に入っている。そうだ!労働者であることに誇りをもって働いている。
今度は親方が話を引き継ぎます。義弟が、同じくVW社に働きに行ったというのです。
その時ロッカーの壁に「VW versucht Wessi」(「VWは、西ドイツ市民をリクルートしている」?筆者注)のワッペンが貼られていた。VWは、ヴェッシー従業員を必要としているのであって、オッシーではない。出て行け!という意味だ。こういう事態は、今、至る所で起きている。ここを解雇されたら、どこで安心して働けるというのか
それから30年。何が変わり、何が失われ、何が勝ち取られたのか。どう統一し、またどう対立・分裂してきたのか。そして、極右派・ナチ。
最後に、簡単ですがこの点に触れておきます。
極右派の組織・運動内外にナチ勢力が実権を握り始めていることは公然化し、また、彼らの発言がまがいのないファシズムの言説であることは、最早だれもが否定できないでしょう。しかし、です。それにもかかわらず、なぜ、今回の東ドイツの選挙では各州で25%の政党に、さらに選挙結果に細かく目を向ければザクセン州の住人数千の町々では50%の政党にまで成長してきたのか。彼らがナチ・プロパガンダを声高にすればするほど、支持者・同調者が歓呼の声を上げていきます。
ドイツ社会と市民のなかに、ナチに関する歴史へのタブーと人間的な理性が取り払われてしまったのでしょうか。AfDへの投票は、単に一政党への支持票だけではありません。その周りにネット・ワームをもつ幅広い、またヨーロッパ規模でのファシズム大衆運動への支援票で、確信的な動きであり、決して「(既成政党への)反対票、抗議票」というものではないと、私は考えています。ファシズム大衆運動の大まかな構造は、カッセルでの反ナチ抗議行動の際に触れたところですが、彼らの運動が、実はワイマール共和国の成立前後から準備された、長い歴史をもつものであることは見逃されてはならないでしょう。(注)
(注)Die AUTORIT?RE REVOLTE, Die NEUE RECHTE und der Untergang des Abendlandes
von Volker Wei?
炭鉱、金属、自動車、造船等の産業の没落は、ヨーロッパ、アメリカでも同じ構造を示していると思います。
トランプにしろAfDしろ、何の解決策ももってっていません。高賃金で働いてきた専門分野の熟練労働者が、工場閉鎖によって通りに投げ捨てられ、彼らの存在は社会から忘れられていきます。ナショナルな利益が訴えられ、新しい職場の創出が、また元の職場への復帰がアピールされます。しかし、一度としてそれが現実化することはありませんでした。むしろ現状は、より悪化していくだけです。他の産業の倒産、閉鎖が続きます。誰からもそれについて語られることはありません。興味がありません。
その時、極右派、ナショナリストは、彼らに訴えかけます。「君らの現状を見過ごしにはしない。ナショナル・ファースト!」。それがどれだけ実質のない空言といえど、忘れられた人たちには十分のインパクトを与えることになります。統計と認識の合理性ではなく、彼らの存在への興味と感情です。
現実的であるはどうかは、ここでは問題ではないのです。視線が向けられているかどうかなのです。
通りに投げ出された労働者への興味が示されるだけで、彼らは自分の存在意義を自覚するでしょう。その時、労働者、市民たちは「彼は、われわれのために闘っている!」と感じるはずです。
これが、ファシズム大衆運動を考えるときの重要なポイントになるように思います。
1930年代以来、ファシズムの理論的かつ戦略的な規定をめぐって左派は分裂してきました。理論活動の重要性を承知しながらも、社会・労働運動を組織するといいながら、その視線がどこに向けられていたのかを、再度検証していくいい機会ではないかと思われ、ドイツ統一30年に当たりこれを書きました。
〈民主主義者のいない民主主義〉といわれるワイマール共和国について、このシリーズの初めに少し言及しましたが、この意味を、第一次世界大戦後のダイナミックな市民生活と革命の波に直面しながら(注)、そのなかから民主主義者を育てられなかった政党及び社会・労働運動の課題として私は受けとめています。
歴史をなぞらえるのではなく、現実の中で歴史を顧みなければならないのでしょう。そこに歴史を繰り返さないための教訓が見つけられるはずです。
(注)フランクフルトの「ワイマール共和国100周年展示」 2018年
つづく
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9035:190928〕