今年2020年1月27日のアウシュヴィッツ解放75周年には、今までとは違った強い印象を持たされました。なぜ、それがどこからくるのかを考えながら、以下、私の個人的な印象を整理してみます。
テーマの11月9日に、もうひとつ1月27日の日付が加わります。
これまでナチのユダヤ人虐殺に関して書かれ、そして語られた事実はドイツの歴史責任を問い、その「過去の克服」に向けた取り組みが国家と市民の共通の確認事項として世代を越えて引き継がれてきました。それがドイツの戦後民主主義の根幹と強さをなしているといって間違いないでしょう。歴史への目が見開かれたことになります。
特に教育を通して歴史を忘れず、ナチに虐殺された人たちを記憶にとどめることによって、「歴史の誤りを二度と繰り返さない」ための社会と個人を育て上げる活動が網の目のように張り巡らされ、定着してきました。私もその恩恵を受けて、ドイツで暮らすことが可能になりました。
そして現在、アウシュヴィッツ解放から75週年を迎え、ドイツは現実に何を成し遂げ、どこに立っているのかが、今回の問いかけだったように思います。
ホロコースト生存者は、約200名になっています。年々、生存者数は少なくなっていきます。来年の記念式典に出席できる人たちが、はたして何名になるのかの予想が立てられない現状を迎えています。この時、
「誰が歴史を後世に伝えていくのか」
が、緊急に問われている課題です。それは、1945年の敗戦から今日まで、どれほどホロコーストの実態が理解・把握され、共有されてきたのかということへの猜疑心です。
この疑問が提起される背景には、現実の反ユダヤ主義、人種主義、極右派の公然たる台頭があり、具体的に極右派・ファシストによる2019年7月カッセルの知事虐殺、同年10月9日ハレのシナゴーグ襲撃、さらにAfDの勢力拡大等々に直面しながら、ユダヤ人からの問いかけは、〈この現実に対して何をなさねばならないのか〉という一点につきます。
ここから75周年の式典でのテーマは、ホロコースト生存者の存在に再び焦点が当てられ、ドイツの「過去の克服」が検証させられることになりました。
以上を一言で表現すれば、
ナチ(の歴史)に関しては多くが議論されてきたが、ナチの犠牲者と現状には視線が向けられることがなかったのではないか。
アウシュヴィッツ?ビルケナウにあるKZ(強制収容所)追憶・記念施設の所長(Piotr Cywinski)は、75周年の式典の直前に、前もって次のような警告を発しています。
われわれは、この地で政治家、国王、大統領のために(追悼式典を―筆者)行うのではない。われわれは、(ホロコースト?筆者)生存者のためにそれを行うのである。(注)
(注)「FR」紙2020年1月20付
この日は、〈アウシュヴィッツの生存者の日〉でなければならないことを議論の余地なく断言しています。ポーランドとロシアが国家主義の威信をかけて、戦争とユダヤ人虐殺への共同加害責任の歴史的総括を回避し、ポーランドが対ナチ戦での英雄兵士を賛美する歴史の書き換えを進め、それは「ホロコースト法」(注)の成立によって仕上げられる一方で、他方ロシアは、スターリン・ヒットラー協定の役割を相対化させ、第二次世界大戦勃発の共同責任をポーランドに押し付け、両者の対立は式典まで持ち込まれてきました。
ユダヤ人虐殺は、ヨーロッパの共通の課題です。なぜなら〈ヨーロッパ各国のユダヤ人〉がアウシュヴィッツに強制連行され、集団虐殺された歴史だからです。ポーランドとロシアの国家主義による歴史の改ざんは、それによってヨーロッパが分裂している、あるいは、分裂して行こうとする現状をアウシュヴィッツ生存者にまざまざと見せつけることになりました。年齢的に90歳を超える生存者の将来は、そして彼らが受けた虐待の体験、さらに集団虐殺された人たちの死の意味が、はたしてそこで顧みられることがあるのか。
国家威信のためではなく、〈生存者のための式典〉が呼びかけられた動機と道義が、ここにあるといっていいでしょう。
(注)2018年に作られた法律で、ポーランドのナチ協力と加害責任を主張・表現する者に対する3年 までの刑が科せられることが決められています。
加えて忘れられてならないことは、ナチ時代のKZでは、ユダヤ人の他に思想、世界観、意見を異にする人たち、共産主義者、社会主義者、シンチ・ロマ、同性愛者、障害者が拷問を受け、虐殺されています。誰がそこに人間存在の国境が見つけられるのでしょうか。
人間性、そして人間自体の存在が否定された人たちの言葉に表現できない苦しみ、苦悩を自国の国威政治に利用することなどは、他ならず彼(女)らをさらに鞭打つに等しいでしょう。生存者はそれをどのように見て、耳にするのでしょうか。
戦後国家の成立とヨーロッパのEUへの発展過程で、議論されるべき戦争責任への共通の立脚点が見つけられないまま、その場凌ぎの「世界戦略」論なるものか考案され、議論されてきました。例えば冷戦時代?反共政策に規制されていた等々、それがいかなる理由であれ、結果は単なる資本(主義)の防衛と拡大、そして利潤の増大だけが追及される安全なシステムを確立することでした。このシステムと理論の中で、はたして労働者としての人間存在が、そして彼らの人間性が資本によってどのように取り扱われてきたのかは、現状の労働者・人民生活に目を向ければ一目瞭然です。失業、貧困、自殺、家庭崩壊、健康被害?仕事をすればするほど貧しくなり、生活苦が広がる一方、他方では利権、汚職、縁故経済で富が一手に集中していきます。そこで、再び国内紛争、国家間の軍事対立、戦争が勃発することになり、社会と世界が分裂していきます。何が解決されてきたのか。
それに反対し飽くなき資本の略奪に対する闘争のなかで、確かにわれわれもマルクス「資本論」やレーニン「帝国主義論」の学習によって理論的な認識が深められたことは言を待ちません、が、問題はその理論をどこを基盤に組み立ててきたのかということでしょうか、私はそう考えています。
戦争(の原因と意味)を捉え返しながら、その被害者、犠牲者に視線を向け、彼らと再び戦争をしないための社会と政治を作り上げる活動が、「過去の克服」の意味するところだろうと思うのですが、どうでしょうか。
理論をめぐるうわべの正当性議論のなかでは、〈生存者が忘れられている〉のが決定的な理論的欠陥といっていいでしょう。
フランクフルトにある「アンネ・フランク博物館」の館長(Meron Mendel)は、〈生存者への関心〉に関して非常に興味ある発言をしています。
「生存者への関心が向けられたのは、比較的に新しい事柄です。1945年以降、まず4-50年間は誰も、生存者が話すことに興味を示しませんでした。それに加えて、わたしたちが彼(女)たちの歴史を聞き取った生存者の数は、世界で数千人を数えました。ドイツの歴史証言者の98%は加害者、同調者そして傍観者でした。」(注)
(注)「FR」紙2020年1月27日付 75 Jahre nach Auschwitz von Elena Mueller
ドイツ市民のこの戦後の精神状態を私は、「自己催眠」と表現してきましたが、同じ新聞紙上に、アウシュヴィッツ?ナチ支配を生き延びた89歳になるユダヤ女性(Regina Steinitz)へのインタヴューが掲載され、そこで〈ドイツ市民の自己催眠〉の全貌が明らかにされているように思われますから、以下に引用します。
まず、600万人の毒ガスでの虐殺を知ったのはいつ、どうしてかという質問から始まります。
質問 いつ、どのようにしてそれを知りましたか。
回答 戦後です。
質問 誰からですか。
回答 ああ、なんという質問でしょうか。あなたもご存知でしょう。ドイツでは人はそれに関して沈黙してきました。兵士が休暇からポーランドから帰ってきて、彼らがそこで知ったことを話すことは許されませんでした。しかし、時として彼らの妻にそれを話すこともありました。そして妻たちは、それをさらに(誰かに?筆者)語り伝えることはしませんでした。当時はそういう状況でした。(諺にあるように―筆者)立ち聞きすればしゃくの種、です。人は、それを拒否したのです。そして戦後
は、すべてが何もなかったようにしてしまったのです。
質問 何があなたを憤怒させたのですか。
回答 私を怒らせたのは、すべての人たちが、「私たちは何も知らなかった」と言ったこ とです。そうであれば、おそらく彼(女)たちはアウシュヴィッツについて何も知らなかったのでしょう。しかしクリスタルナハト、誰もがそれを見て、それを知っていました。また書籍が、燃やされました!また、ユダヤ人が連れ去られました! また、住居が空になっていました。家が爆撃にあった人たちは、ユダヤ人が住んでいた住居に引越ししました!そこにはまだ机の上に食事が残されていました。それを、誰もが知らなかったといいます?!人はいつも、ナチについて語ります。それを私は信じることができません。ただナチと非ナチがいただけです。なんという戯言か!
以上のような問いかけを受けてドイツ大統領(Frank-Walter Steinmeier)のスピーチが、Yad Vashem(ヘブライ語で記念碑と名前の意)で行われました。それは英語であったことから議論がありますが、ここではそれに触れません。
ただ、英語になったいきさつを彼は、ベルリンのユダヤ学校を訪問した際に、次のように説明しています、
「ドイツ語で話すことはYad Vashemに適さないと考えているホロコースト生存者の思いを配慮したからです。」(注)
(注)「FR」紙2020年1月29日付
私は、ドイツが抱える問題をはっきりした言葉と表現で言い切ったところに、彼の貢献があると考えています。
「われわれドイツ人はいつも歴史から学んできた、と言わせてもらいたかった。しかし憎悪と迫害が蔓延しているとき、それを言うことができません。」
ドイツ社会と市民は、過去の責任から逃れることができないのです。それは、しかしまた、現在の課題だからです。
「過去から学んだ」というのであれば、現在跋扈する反ユダヤ主義、人種主義 極右派・ファシストに対してどういう態度をとるのかが実践的に問われてきます。そこで歴史から学ぶことの真意が試練にかけられてきます。この問いかけを自分自身に向けて行ったのが彼のスピーチでした。
もちろん過去と現在では、時代が異なります。同じ言葉が語られているわけではありません。また、同じ加害者(犯行者)ではありません。彼がそう語るとき、では、そこに何を見抜かなければならないのか。
「しかし、それは同じ罪のあることなのです。」(注)
(注)ドイツ語訳Boeseをこのように訳しておきます。
時代が異なるといえど、誰が果たして非人間的な犯行に及ぶことができたのか。
「加害者たちは人間でした。彼(女)らは、ドイツ人でした。」
逆に、この自覚が揺れる根拠とは何か、が次に問われなければならないでしょう。
現在、「もう十分だ!」と考えているドイツ人が67%に上るという報道に接したことがあります。戦争とユダヤ人虐殺への「補償」、「責任」は、「もう十分だ!」と発言する人たちは、私たちの周りにも少なからずいます。
一例をあげながら、そこにある問題点を考えてみます。
連れ合いの同僚が、「もう十分だ!」と言って、自分たちがむしろ「被害者だ!」と話したというのです。彼女は教育と教養もあり、もちろん戦争とアウシュヴィッツの歴史を十分に知っています。親しく家族付き合いをさせてもらっているだけに、その彼女にして、なぜ?というのが私の正直な疑問です。
両親から戦時中の生活、さらに戦争で何が起きていたのか、またユダヤ人虐殺に関する話を聞かされることはなかった。その件に関して、自分たちがどう対応していいか分からない。だから自分たちは「被害者だ!」といいたいのです。歴史の繋がりが両親の沈黙によって断ち切られ、その前で子供たちが途方にくれ悶々としている姿が目に浮かんできます。
同じ論理は、よく聞かされる
ナチの独裁支配下では、自分の意志で何もできず、むしろわれわれはその被害者であった!
にも見てとれます。
この両者に決定的なのは、戦争被害者、そしてユダヤ人の存在への視点が欠落していることです。それによって加害者と被害者の立場のすり替えが引き起こされています。
これが、実は今年のホロコースト解放75周年記念式典で強調されていたことだと思います。「ホロコースト生存者」を視線に入れ、彼(女)たちに向き合い、そこから歴史の事実を認識していかなければならないということでしょう。そこで一人ひとりの自覚―歴史への自覚が獲得されるはずです。
もう15年以上も前の話になりますか、突然、2人の年配ユダヤ人女性が私たちの家に滞在することになりました。1人はイスラエルからで70歳代の、もう1人はアルゼンチンからの60歳代の女性です。ナチが政権を取る直前にドイツを脱出し、過去に自分たちが住んだ町を再び訪れる喜びと興味からでしょうか、毎日町へ出かけ、家に返ってきてからは、その日見たこと、感じたことを話してくれます。そして、
「ドイツは当時と何も変わっていない!」
と語気を強めました。強烈な言葉でした。彼女たちが滞在した当時は、ちょうど、ドイツでトルコ系住民のインテグレーションのあり方とイスラム宗教、それと関連したドイツ社会でのムスリムの生活様式と慣習に関した激しい議論が、口角泡を飛ばし「ああだ、こうだ」と繰り広げられていた時期に当たっています。2人はそこで何かを感じ、社会と市民の振る舞いのなかに、ヒットラーが登場してくる30年代と同じ匂いを嗅ぎ取ったに違いありません。
それを聞かされた私たちは、何を、どう対応していいか途方にくれました。言葉が出てきません。
彼女たちが感じた差別・排除の空気は、それを実際に体験した人にこそ理解できるのでしょう。今、その時のことを振り返り言えることは、そこには議論の余地はなく、差別・排除の実態を知ることとは、それを見抜き、闘うこと以外にあり得ないということです。
「生存者に関心を寄せる」という真意が、ここにあるだろうと考えています。
それが戦争とファシストを阻止できる唯一の道だと思います。
これを書いている2月5日、チューリンゲン州の首相を選ぶ議会内選挙で、意表をついたFDP候補者が、CDUとAfDの支援を受けて選ばれたというニュースが飛び込んできました。この時、ワイマール共和国からナチ支配へと進んだ同じ政治過程が頭に浮かびました。
アウシュヴィッツ解放75年周年で過去の歴史が議論され、現在何をなすべきかが問われているこの時点での醜悪な政治駆け引きを見せられ、ドイツ戦後民主主義は、本当に歴史から何を学んできたのか?と、また同じ質問を繰り返すしかありません。
(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9441:200211〕