2020年2月5日の日付は、後世のドイツ歴史学・政治学史に書き加えられることは間違いのないところでしょう。
〈ドイツ戦後民主主義がファシストの術中に落ちた日〉として。
事実経過から見ていきます。
2月5日、チューリンゲン州の首相を選ぶ議会内選挙が行われました。ここでのファシストの危険性は、昨年の州選挙結果から既に見通されていたことです。それが、なぜ阻止できないで、まざまざとその術中に陥ったのかという衝撃にドイツ政治が揺さぶられたことになります。
選挙結果に唖然としながら、メディア、市民の中でタブー破り、ダム決壊、無責任、驚愕、口がきけない等々、あらゆる言葉が飛び交い、ドイツは連日そのテーマで持ちっきりの状況です。
このドイツの政治的な地殻変動は、単に州に限らず中央政府をも直撃することになります。
2019年チューリンゲン州の選挙結果をここにもう一度採録します。
左翼党 29議席 (31.0 %)
AfD 22議席 (23.4 %)
CDU 21議席 (21.7 %)
SPD 8議席 ( 8.2 %)
緑の党 5議席 ( 5.2 %)
FDP 5議席 ( 5.0 %)
全体の議席数が90で、絶対過半数には46議席が必要になります、CDUとFDPが、AfDとともに左翼党との連立及び閣外協力を党決議として拒否していることによって、左翼党-SPD -緑の党の連立は少数派政権をめざすことになります。
他の可能性としては、CDUが呼びかけるSPDと緑の党の連立ですが、得票数で前回比13議席(11.8%)を失ったCDUには通例として組閣請求権がありません。
こうしてデッド・ラインに乗り上げた首相選挙で、AfDがキャスティング・ボードを握りしめることになります。
緊張した選挙経過は以下のようになります。
第1回目投票(絶対過半数が必要)
左翼党候補者(Bodo Ramelow) 43
AfD(Christoph Kindervater?無所属) 25
棄 権 22
第2回目投票
左翼党候補者(Bodo Ramelow) 44
AfD(Christoph Kindervater?無所属) 22
棄 権 24
ここまでは予想された通りの投票儀式です。注目されるのは、票の変動です。これが、しかし相対的過半数で決定され3回目になると重要な意味を持ってきます。その間隙をついたのがFDP候補者擁立でした。
第3回目投票
左翼党候補者(Bodo Ramelow) 44
AfD(Christoph Kindervater?無所属) 0
FDP(Thomas Kemmerich) 45
棄 権 1
AfDは、自派の擁立候補を避けてFDP候補者に投票し、CDUもそれに並びます。これによって、AfDとCDUの支持を取り付けたFDP、つまり州選挙で5%の州首相が誕生することになりました。
その翌日には、全国紙の一面を下の写真が飾ることになります。
Frankfurtrundschau DONNERSTAG, 6. Feburuar 2020
ファシスト(右 AfD議員)と選ばれたFDP候補者
これを見た連れ合いは、「お前は俺の手の内にある」と解釈しました。祝福する右のAfD議員は、その話しぶりからジェスチャーまでヒットラーを真似て、言うまでもなく政治内容もナチ・プロパガンダを公然としているビヨン・ヘッケ(Bjoern Hoecke)です。写真の下には「ファシストとその道具」の見出しが見られます。
それほど政治激動が大きかったということですが、人びとを激怒させるのは、それがまぎれもない事実だということです。今のドイツで実際にファシストが権力を手中にするところまで事態は進行してしまったという事実です。
この写真と並んで、多くのメディア、全国紙に掲載されるのが、下に見る写真です。
Hessische Allgemeine Freitag,7.Februar 2020
見出しには、「批判者は、NS時代との歴史的な類似性を見る」と記されています
ここからワイマール共和国との比較がなされます。それは単なる歴史のアナロジーではなく、ファシツトとの闘争に関する現在的な教訓を引き出すためにです。
ここで繰り返す必要はないと思いますが、1933年のヒットラーの政権掌握を振り返れば、すでにチューリンゲン州で1930年1月にDVP(注)を含むブルジョア政党がNSDAPとの連立を組み、ナチ党員のヴィルヘルム・フリッツが内務大臣に就任しています。ナチ党員が初めて閣僚職を手に入れたことになります。
(注)Deutsche Volkspartei ブルジョア保守派
同じく1930年の秋にはブラウンシュバイクで、DVPとDNVP(注)の「ブルジョア派統一リスト」(BEL)が、NSDAPを内閣に引き入れることになりました。
(注)Deutschenationale Volkspartei ブルジョア保守派で、反ユダヤ、民族主義
私が注目するのは、ナチ政権奪取に至る過程に、各州レベルできたるあらゆる兆候が読み取れることです。その時にブルジョア保守派と似非リベラル派の果たした役割です。逆にいえば、その流れをどこで事前に阻止していくかという教訓でしょう。
1930年と2020年のチューリンゲンが、決して偶然ではないと思います。ヘッケ等のファシストたちは間違いなくナチの歴史的回顧から今回の政治劇を演出していたはずです。
これに反して「ブルジョア民主主義派」の対応です。選挙後に起こされたすべての事態は、既に選挙前に議論され、そして警告され、しかも読み取られていたはずです。そう考えれば、この間の議論は一体何だったのかと腹立たしくなってきますが、理由ははっきりしています。
以下にいくつか問題点を指摘してみます。
1.
CDUとともにFDPとAfDに共通しているのは、「左翼政権」を何がなんでも絶対に阻止しようとする決意です。CDUとFDPは、何回も繰り返すように左翼党とAfDとの連立、 閣外協力は党決議として拒否しています。FDPの首相選挙への立候補は、「ブルジョア派中間層」を結集することがその戦術的目的でしたが、AfDは自派の擁立候補に投票せず、FDPに投票したことで、今回の政治的に抜き差しならない結果を招きました。極右派―AfDは、ここぞとばかり「ブルジョア中間路線」の勝利だと大見得を切っています。AfDこそが、オルタナティブのキャスチングボードを握っていることを証明したと。
「反共」では、ブルジョア民主主義派もファシストも政治原則を投げ捨て、共同の歩調を取ることができるということの教訓です。
2.
左翼党指導のチューリンゲン州政治が「共産主義」であったのかといえば、まったく逆 に公正な社会政策、自然環境、改革を目指す路線によって、市民の信頼と支持を獲得していたことは、選挙結果に見てとれる通りです。ここでの「反共」扇動・デマの役割は、それによって極右派・ナチの危険性を過小評価し、「中間路線」に引き入れてしまうことです。
ワイマール共和国の出発点になり、後のヒットラー・ナチを権力奪取に導いた伝説的な「背後からの一刺」論(Dolchstoss)が思い出されます。
3.
そもそも「中間路線」が各政党から強調されるのは、右・左の急進・過激主義を排除しようとする政治的背景があります。しかし、その実体的な概念規定に関しては、これまで一度として明確に規定・説明されることはありませんでした。単に、「右・左の急進・過激主義を排除する」という以上のものは伝わらず、「中間」が論理的には「真空状態」になっているのが見透かされてくるでしょう。社会的中間層が解体され、消滅していく過程は、新自由主義経済の過程と軌を一つにしています。各政党が口にする「中間」とは何か? つかみどころのない議論です。
そしてここが、ドイツの政治議論の典型だと思われるのですが、ちょうど「過去の克服」のケースと同じように、実体のない自分が描いた世界での議論に収拾していることです。
ファンタジーの政治路線と理論が、現実の政治制度を解体していこうとするファシストに対抗できるわけがありません。
その結果、ドイツの戦後民主主義が、ファシストの術中にまんまと嵌ったことになります。これが、チューリンゲン州が示した事実です。
その危険性は単に地方の一つの州だけではなく、全ドイツのモデル・ケースになっている、いくことです。なぜなら、誤解を承知でいえば、ナチが政権を奪取したのではなく、ブルジョア中間・民主主義派がナチを取り込み、権力機構に招き入れ、権力が「共産主義者」の手に渡らないようにすることによって、ナチ政権奪取の道筋を整え、そして最終的にナチが政権を奪取したからです。
世界には、「ナチと非ナチしか存在」しないのでしょうか。(注)
(注)アウシュヴィッツ生存者の証言から
4.
選挙後、チューリンゲン市内、そしてベルリンのFDP党本部前には、数千人の結集といわれる抗議行動と集会が開かれました。それに屈するように翌日には、選任されたFDP首相は「辞任」を表明しますが、それで収まるわけがありません。CDUとFDP中央の政党責任が追及されます。こうして連日、「選挙総括」をめぐる政治議論が繰り広げられていきます。
私は再びテレビのスイッチを入れ、その模様を追っかけていました。「民主主義」の言葉が、誰彼の例外なしに語られます。それを聞きながら私は白けてしまいました。議論が堂々めぐりしているからです。「民主主義」の解釈、説法ではなく、ファシストに対抗し、民主主義をいかに実現するかが問われているとき、そうした解釈論法は闘争力を削ぎ、論点をウヤムヤにしてしまうからです。
5.
結果は、CDU党代表の辞任が数日後に決まります。これは、一般にいわれているように「チューリンゲン選挙の責任」を取ったものではないと私は判断しています。チューリンゲンの政治劇が、CDUの党内権力闘争を激化させ、党代表(長ったらしい名前なので頭文字をとってKKKと呼ばれています)が党内対立を収束できなくなったことによるものです。CDU内の保守派から、中間派、右派、そして極右派への同調者を含むさまざまな政治傾向のタガが一挙に外れてしまったことを意味します。
これをチューリンゲン州地方組織から顧みれば、私の仮説にすぎませんが、間違いなくCDUの〈党内クーデター〉だったといえるでしょう。
中央の党指導が行き渡らなくなっていたのです。チューリンゲン州CDU内には、3つの傾向があるといわれ、3分の1が、伝統的な保守派を代表し、3分の1が、左翼党との連立を主張し、残る3分の1は、AfD寄りを主張するグループです。これに対して、中央から「左翼党とAfDとの連立を拒否する」とトップ・ダウン的な拘束がかけられれば、地方組織は身動きが取れません。
それと同時に、特に難民対策で2015年以降のCDUの政治的な路線を明解にできないで、成り行き任せできたメルケル政治への反発です。
6.
アフリカ訪問中に事態を知らされた首相メルケルはコメントを出していますが、「何も述べていない」と、メディア、政治家、AfDからさえコケにされている代物です。
2点を、ここでは取り上げておきます。
「許せない」(unverzeihlich)――ファシストとの闘争が問われているとき、単に選挙手続きと経過を「許せない」というだけでは、子どもの喧嘩を叱るようなものです。ファシストの危険性を面前にするドイツの〈政治方針がどうあるべきか〉が、首相として求められているはずですから、チューリンゲン州地方組織から反発を食らうのは当然でしょう。
「元に戻すべき」(rueckgengig gemacht werden)――選挙手続きが、議会の通常ルールに従って行われたことは、各方面に異見のないところで、ここでの問題は、〈議会でのファシストの進出をどう阻止するか〉にあります。逆にいえば、ファシストは議会を通して権力を奪取することが可能だという点に対する明確な対抗策、つまり路線です。
AfDは、〈議会の民主主義手続きを元に戻せとは、民主主義へのはなはだしい冒涜だ〉と高笑いしています。
ここに首相メルケルの、議論と闘争ではなく、言ってみれば差し障りのない言葉の綾で論点を隠ぺいしていく政治手法を見るのは私だけでしょうか。
しかし、それがチューリンゲン州の政治劇とCDUの組織解体を生み出したことは、間違いのない事実だと考えています。
では最後に、CDUの組織的自壊を促進させた社会的要素は何か、それはまた今後の方向性に関する課題です。
現在の各政党の組織危機は、実は、昨年のヨーロッパ議会選挙から始まっていると判断していいでしょう。
この時、諸政党の政治欺瞞と虚言を暴いたのが青年(Rezo)のYouTubeキャンペーンでした。それに続いてFFFの環境保護運動が合流します。ヨーロッパ――世界が、根底から変革の波にさらされました。
彼(女)らは現状維持ではなく、社会的公正と環境保護をめざし政治と制度の変革と改革を主張して、そこで大きな人民連帯が可能になりました。それを受けたチューリンゲンとベルリンのデモと集会が、ナチの議会進出を阻んでいることは、議論の余地がないでしょう。
その現実のなかで、「ブルジョア的中間路線」が完全に浮き上がっていき、それが実体のない空論であると共に、最後に自己保身から極右派に身を寄せていくしかないことを暴露しました。
戦争とファシストとの闘争が、どこで取り組まれていくべきかを以上のことは教えています。
ファシストからの攻勢に殻に閉じこもって身を守るのではなく、ファシストと(街頭で)闘わなければならないのです。その基盤をつくったのが、彼(女)たちの運動です。
来週の日曜日には、ハンブルグで選挙が予定されています。そこでこの問題の一つの回答が出されるはずです。
そして引き続きチューリンゲン州では、一方でCDUとFDPの組織の崩壊危機に拍車がかかり、他方で左派戦線の強化が進められていくことは確かなところです。
(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座https://chikyuza.net/
〔opinion9467:200219〕