ドイツの「外出制限」が緩和されてから3週間が過ぎました。レストラン、カフェ、それにホテル等も再オープンされ、街の中には市民の行き交う姿が見られるようになってきました。議論のあったブンデス・リーガー(サッカー)も、観客のいないスタジアムで試合が再開されています。
それに煽られるようにして、早くも夏の旅行・観光キャンペーンが日増しに激しくなってきているのが現状です。
他方で、コロナの二次感染の波が警告されているなかで、こうした日常生活への復帰が社会にどのような影響をもたらしてきているのか、というのが今回のテーマになります。
〈この二か月が、果たしてなんだったのだろうか〉というのが、正直な市民の感覚ではないかと思われるのです。現状を見ていると、あたかも何もなかったような錯覚にとらわれます。累計感染者数と死亡者数、それを知らされた市民のなかに広がる不安と危機感、それを受けた「コロナ対策」で自制と自重を強いられた市民が、長く待ち望んだ〈自由〉を謳歌し始めている、あるいは、し始めようとしているのが現段階といえるでしょう、が、どう始めていいのか戸惑いのあるのも事実です。この揺れ動く心理状態のなかに、「日常生活」復帰へのいろいろな課題を見ることができます。
以上を、個人的に身近なところから語れば、以下のようになるでしょうか。
私たちの身の回りでウイルスに感染して入院した人たち、またそれが原因で亡くなった人たちはいません。時々訪れてくる友人たちの顔ぶれは同じで、主要な話題は勿論「コロナ」になりますが、以前と一番異なるのは、他者とのコンタクトを取るときの「規則を遵守」していることです。そういう意味では、コロナ感染を直接体験しなかったことになります。言い換えれば感染を避けることができ、しかし感染環境を他者と共有し、自他ともに健康と生命を守るための社会行動を共同して取り組んできたのが、この2か月間だったように思われます。そこには、間違いなく一人ひとりの自覚があったはずです。何を、どうすればいいのか、人はチェックしながら行動していたはずです。
そして、規制が緩和されました。人と人の行き来が活発になってきます。新しい環境に遭遇して、周辺を見渡していると、一方でこのチェック機能が取り払われていくのではないかと心配になってきます。なぜなら、現状はコロナ感染前と何も変わっていないからです。逆にここで、「この2か月間(の体験)が、何だったのだろうか」と時間を振り返り、その意味を問う必要性が、今だからこそあるのではないかと思い、これを書いています。
「反コロナ規制デモ」公然化
そんな矢先、「反コロナ規制デモ」が、3週間前から公然化してきました。この報道に接した時、思わず「危ない!」と声を上げたくなりました。規制緩和によって感染の危険性は、より増大してくることが予想される状況下での集会・デモであるからです。
5月9日と10日の週末に、全ドイツでは、大規模な「反コロナ規制デモ」が取り組まれました。さまざまな名称のグループが名乗りを上げていますが、ここではすべて明記することを控え、この動きに共通する主張から、運動の目指すものが何であるのかを考察してみます。
まず集会規模ですが、ミュンヘンで3,000人、シュトゥットガルトで5,000人、ニュルンベルクで2,000人、ベルリンで1,000人といわれ、その他に中小規模の町、地域でも数百人規模の集会とデモがあちこちで取り組まれ、その全体数は正確には把握しきれないのが実情です。
この勢いがどこまで広がるのかと警戒しながら次の週末に注目していました。
5月16日と17日にも、その規模は縮小することなく、逆にさらに膨れ上がる勢いを見せていました。
特にシュトゥットガルトでは、報道も混乱し、5,000人とも1万人とも伝えられていました。
そして、3週間目となる5月23日と24日には、「なぜか?」と私には思われるのですが、TV、新聞等メディアでは報道されることがなく、実態をつかむことは困難になっています。
私なりにその背景を推測してみます。
一番大きな要因は、州政府の集会・デモ規制と許可が厳しくなったことでしょう。最初の2週間の集会・デモで見られたのは、マスクをしないで、「社会的距離」をとらない市民の群れでした。それは明らかに政府から義務付けられた「コロナ規制」への挑発です。当初、警備側も手が出せず、もし強硬な対応を取ったときのエスカレートによる混乱を考慮して、介入せずに集会の成り行きに任せたといわれています。州によって多少の違いはありますが、全体的にこれほどの参加者数を警察側は、予想していなかったことがうかがわれます。ある意味では、こうした集会とデモが現れてくる社会の空気を読み違えていたということでしょう。
ドイツのコロナ対策が功を奏しているように見えるのは、統計的には事実です。しかし、ここが現在、決定的と思えるのですが、市民のなかに広がりつつある空気を読み取れていなかったということです。
集会・デモの規制と許可条件が厳しくなってきたとき、市民の声と主張がどこに向けれれていくのかというのは、今後、ドイツの推移を見極めるときに重要な役割を果たすことは間違いありません。
メディアは、集会とデモを3週間目には無視したと判断できます。集会とデモの性格は後ほど詳しく触れるように、単なる市民の抵抗・抗議運動というにとどまらず、そこに極右派、謀略論、反ユダヤ主義、人種主義を含め危険な政治傾向が介入していることから、報道すること自体がこうしたグループの政治宣伝になるという躊躇が働いたものだと思われます。
メディアの一つの傾向として、センセーション化が指摘されるでしょう。注目を引く一つのテーマに飛びつき、それが終わればまた別のテーマに乗り換え、元のテーマは顧みられることがありません。そしてさらに次に、というのがいつもの姿勢です。
この集会とデモで提起された問題は、ドイツ社会を分裂させかねない要素を秘めています。
ここに注目すべき一つの新聞記事、小さいですが、あります (注) 。 ドイツのジャーナリストが、報道への制限を批判しているというのです。5月3日の「報道の自由」の日を機会に、政治記者が共同声明で、コロナ流行に際してのジャーナリストへの取材制限を最小限にとどめ、批判的な質問が引き続き許されるように要求し、記者会見での追加質問が不可能な現状を指摘しています。
(注) HNA Samstag, 1. Mai 2020
この記事を読んだとき、ドイツの報道活動のなかでどのような問題が隠されているのかに気づかされ、さらにそれが市民に与える影響を考えたとき、大きな危惧が生じたものです。情報、メディアへの信頼が揺らぐことが十分に考えられます。そこで、「自分たちの情報」がネットで流されることになり、価値基準無き、デマゴギーをも含む情報が一方的に流され、それによって社会の意思形成は混乱させられていきます。そしてこの点が、「反コロナ規制デモ」の中心動機の一つになっています。
3週目になると、「反コロナ規制デモ」に対抗する集会・デモがハンブルク、ケルン、ドルトムント、エッセン、ライプツィッヒ、ドレスデン等で取り組まれました。この対抗勢力が、「反コロナ規制デモ」の勢いを削いだことは間違いのないところでしょう。
ここで「反コロナ規制デモ」の政治性格に関して、現時点で可能な範囲で少しまとめてみます。
集会参加者から聞かれる声を集約すれば、
・不満、
・忍耐の限界、
・日常生活への早急な復帰、
が指摘され、参加者の圧倒的多数は〈ブルジョア中間層〉だと言われています。
彼(女)たちを反規制活動に駆り立てる動機は、
・経済的な不安
・短縮労働による職場喪失の恐れ
・自営業、中小企業の倒産の可能性、
・収入の減少
・子どもの教育と家庭問題
・日常生活の破壊
が挙げられるでしょう。これら社会生活に襲いかかる経済圧力からの出口を、「個人の自由」に求め、そして憲法の「基本的権利」を要求することになります。
社会的規制が「個人の自由」を制限し、エコノミストよる分析によれば、5万件の倒産が今後予測されるという現状に対して当然の市民の反応であり、権利であるのは言うまでもないことです。むしろ、こうした議論が積極的になされるべきでした。私が、政府は市民の中に広がる空気を読めなかった、読めないでいるというのはそういう意味です。民主主義によるコロナ感染との闘争を、そしてその必要性をといわれるとき、抵抗と権利の要求のなかでこそ、民主主義は生きていくのだと思います。
決定的な転換点は、4月22日(水)に行われた首相-州(全部で16州)会談を前にして開かれた4月20日(月)のCDU幹部会議であっただろうと思います。
4月22日の会談で「規制緩和」をめぐる州との意見調整と合意を取り、ここで首相としての「コロナ対策」を全ドイツで共同で推進して行くために、CDUとしての統一した政治方針が求められたからです。連邦制をとっているドイツの政治制度としては、当然の手続きです。
CDU内では、それ以前からも対抗的な意見が出されています。そこでは、いくつかの無視できない背景が浮き彫りにされてきます。
1.州によって感染状況が異なることから、緩和を早めるか、慎重に運ぶかの路線問題
2.州政府への市民の支持を取り付ける必要性で、これは言ってみれば選挙対策
3.そこで、コロナ対策での成功例をもって名乗りを上げ、危機管理能力を誇示する
4.CDU/CSU内でのメルケル後の首相候補者指名を射程に入れた政治指導の売り込み
バイエルン(首相CSU・慎重派)とノルトライン・ヴェストファーレン(首相CDU・促進派)の競争
結局は、全体的な対策を協議するのではなく、マスコミ用語を借りれば〈競争〉、それは功績を追い求める〈競争〉が繰り広げられたことになり、その現状を目にして首相メルケルが、直訳すれば、「緩和」の〈オープ化議論での大騒ぎ〉(注)と表現したのがこの日でした。想像するに、その光景はあたかも〈鶏小屋をつつきまわす〉ような感じだったのでしょう。そしてメルケルは、そうした議論を以降に禁止することになります。
毛沢東的にいえば「百花繚乱」の公然とした活発な意見が出され議論されることは、民主主義の基本として相応しいのですが、この時ばかりは、各自が自己の権力欲をもろにデモンストレーションすることになりました。
その翌日の新聞には、この用語が一面を飾ることになりました。
(注) Oeffnungsdiskussionsorgienをこのように訳しておきます。難民対策での「alternativlos」
(選択肢のない)の用語と共に、後世に語り継がれていくことは間違いないでしょう。
その後も、この勢いは今日まで止まる兆候が見られません。5月6日にもたれた首相―16州会談では、さらにSPD、緑の党、それに左翼党の州首相が加わり、統一方針が出せないなかで、メルケルが「投げ出した」とマスコミも記しているように、すべての責任は各州が負うことになりました。正確に表現すれば、各州首相がメルケルから「規制緩和」の主導権を奪い取ったことを意味します。これによってメルケルは、首相権限を失いました。それが確定的になったのは、5月25日(月)でした。
定期的に開かれていたこの首相―16州会談も、次回がいつ開かれるかは、まだ確定されていません。この結果、「緩和」の現状は各州によって大きく違ってくることになります。
各州の感染状況が異なるわけですから、「緩和」政策に違いが出てくるのは当然のこととして受け入れられるのですが、気になるのは〈政府の指導〉がどこにあったのかという点です。
ここでもう一度、3月18日(水)の首相メルケルのTV・アピールをふり返ってみます。
それは、間違いなく人道的動機からの市民への訴えであったことは既に述べたところで、この理解に間違いはないでしょう。
そのうえで、市民が首相メルケルから聞きたかったのは、日々苦境と困窮が積み重なってくるなかで、自分たちの生活している社会・経済条件及び環境がどう変わっていくべきかに関するガイドラインといいますか、指針だったように思われます。
私たちも、実は個人的にそれを期待していました。各州の政治代表者も同じだったはずです。会談のたびに全体的な方針と指針が望まれ、そのための議論もされていたようですが、社会に伝えられてきたのは統計に読み取れる感染状況の解説と危険性への警告、そして公衆衛生対策(社会的距離とマスク着用義務)でした。これではあまりにも少なすぎるのです。市民のなかに忍耐の限界が感じられ始めます。
〈反コロナ規制デモ〉が組織されてくる下地には、こういう経過があることを見逃すことはできないでしょう。
身動き取れなく、いたたまれなくなった市民が、自分の意思で動いたという点で、「基本的権利」である「個人の自由」を主張したと、法律が分からない私にも理解できるのです。感染流行のただなかであまり意識されることのなかった〈自由〉という課題が、公然と提起されたことになります。国家の存在意義が問われ始めます。
首相メルケルが「投げ出した」ことの影響が、〈反コロナ規制デモ〉の別の面に現れてきているように思われます。
全体的な統一方針と指針が首相から伝わらないことにより、情報収集の自由とそれによる個人の自覚に向けた思考活動への可能性が閉ざされ、もっと知りたい、そして社会がどうなっていくのかを自分で判断したいという、人間の基本的かつ社会的欲求が満たされなくなっていったところに、抗議運動と同時に、文章の初めに書いたような〈この二か月が、果たしてなんだったのだろうか 〉というような、つかみどころのない思いが頭をもたげてくることになります。
「危険だ!」と思われるのは、そこに現実的な根拠を持たないデマゴギーが紛れ込んでくる余地がつくられることです。
以下、それを〈反コロナ規制デモ〉の謀略論に見てみることにします。
1.コロナはなかった。コロナはフェイク
2.パンデミックは終了した
3.「コロナ規制」は、政府の独裁制度を目指したもの
4.ワクチンによってマイクロチップを秘密裏に体内に埋め込められ市民監視に利用される
5.億万長者の世界支配が目的
6.虚偽を報道するメディア
7.マスク着用は不健康
等々、キリがないのでこれくらいにしておきますが、4.と5.がビル・ゲイツ(Bill Gates)と関連付けられています。
こうした情報がユーチューブに氾濫し、謀略論者を筆頭に、極右派・AfD、反ユダヤ主義者、ワクチン強制反対者、秘教主義者、民族主義者等、多種多様なグループが結集し、「基本的権利」を主張することになりました。
これらの諸点を事実に照らし合わせれば、いとも簡単に謀略論の底がすべて割れてくるのですが、にもかかわらず、なにゆえに吸引力を持っているのかというのが問われなければならないでしょう。
それを考えるとき、この勢力が主張する「自由」、例えば「表現の自由」、「集会・デモの自由」の意味を再検討することが一つの手がかりになるのではないかと思われます。
集会とデモでは、挑発的にマスクを着用せず、社会的距離もとっていないことは、確かに「個人の自由」を主張しているでしょう。しかし、現在の、どのような社会条件の下での主張であるのかということです。
人と人のコンタクトがウイルス感染を広げ、医療体制のひっ迫のなかで生命の危険性に追いやられていく人たちの姿を見て、彼(序)たちは心を動かされないのでしょうか。それが「個人の自由」であれば、感染した人たちを社会から排除、隔離し、そのことによってウイルスのない衛生的な社会が成立するということ以外には、何も語っていないでしょう。ここにファシズム的な要素の存在することを見逃してはならないでしょう。
謀略論の根にあるのは、「個人の自由」でもなんでもないです。他人から煩わせられない、平穏な自分たちの世界を、しかも、共同でウイルス流行と取り組んでいる人たちに対抗し、そうした人たちを排除、隔離して実現しようとしているだけです。これを、「権利の誤用・乱用。悪用」というのでしょう。
今必要なことは、他人を排除し、隔離するのではなく、相互に連れ合いながら新しい社会関係をつくり上げていくことです。そこに私たちの将来があると、一般的な言い方になりますが、私は考えています。
「自由と権利」を語るとき、「自由のない」また「権利のない」人たちを語らなければならないと思います。それが、私たちの「自由」だと思います。
以上〈反コロナ規制デモ〉には、2つの要素が混在しているのが認められるでしょう。
一方で、社会的経済的困窮のなかから、自分たちの現状を訴え、そして政府と社会に向けて援助、連帯の必要性を要請している市民と、他方に、状況に便乗しながら、問題の根本的な解決ではなく、自分たちの「純粋な世界」を願望するファシスト・グループです。
ここで皆さんは、気づかれることでしょう。2015年「難民問題」に際してのPegidaの発生―発展と類似の経過をたどっています。
この時メルケルは、同じく人道的な判断から国境を開放し、難民を受け入れ、世界から「難民首相」と称賛されましたが、それ以降の政治方針は出すことができず、最終的にはメルケル自身が批判していた国境閉鎖と難民排除になし崩し的にドイツ?―EUは向かい、今の現状を招いてきました。この路線転換に関してメルケルからは、一言の説明もありませんでした。
Pegidaは、当初の大衆的な結集のあった運動から、極右派、ナチ勢力が運動のイニシアチブを掌握することによって一般市民は運動から離脱し、その後はAfDと共同歩調を取り、AfDは各選挙戦で10-20%台の得票率を獲得してきました。
この経験との比較で、今後の〈反コロナ規制デモ〉を注視していく必要があります。目を離しては危険なのです。
気になる「ブルジョア中間層」という規定
最後に、もう一つ気になる点は、「ブルジョア中間層」という規定に関してです。シュトゥットガルトに視点を向けてこの問題を考えてみます。
何年前でしたか、以前に一度報告しましたが、この町では駅の再開発をめぐって、大きな反対闘争が取り組まれました。闘争を担ったのは子ども、生徒から年配者までの広い年代層の人たちでした。従来との違いは、左派だけではなく保守右派の人たち、労働者、学生だけではなく、市民や裕福な社会層の人たちが闘争に参加していることで注目されていました。
テーマは、駅前にある自然豊かな公園の樹木の伐採に反対することでした。駅の拡張計画は必要性がなく、それに伴う市民のオアシスになっていた公園の樹木伐採は、自然と同時に多様生物の生存環境を破壊することになるというのが反対理由でした。
最後は州政府とドイツ鉄道が押し切り、強制伐採が始まります。その時、闘争参加者は木々に鎖で体を縛り付けて抵抗します。抵抗闘争のなかで顔面を傷つき、眼球が飛び出した年配者の姿がTV、新聞、雑誌のニュースで報道されます。「巨大プロジェクトの終わりを告げた闘争」といわれました。
このシュトゥットガルトでの〈反コロナ規制デモ〉では5,000-1万人の結集があると報道され、その圧倒的多数は「ブルジョア中間層」だといわれれば、どうしても上記闘争との関連性を詮索してみたくなります。どういう共通性があって、どういう違いがあるのか。そして「ブルジョア中間層」とは何か。それを知ってみたくなります。
一つの興味は、二つの闘争に結集する人たちが共通しているのか、どうかです。しかし、それを検証できる資料はありません。
別の興味は、違うとすれば、どこが違うのか。「ブルジョア中間層」のなかにどのような異なる諸階層が存在し、政治テーマによって、それらがどのような流れを形成してくるのか。政治の動きを規定するのか。
しかしこれらは、現在、まだ単なる問題意識にすぎませんが、興味のある、また重要なテーマになってくるだろうと思われます。
(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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