新型コロナウイルスによる外出規制が緩和された直後から、「集団感染」のニュースが連日報じられています。「ここでも、またか」と、緩和の自由を楽しむ人たちの姿を嬉し気に見ながら、クラスターが発生する心理と環境というものに、問題意識がひきつけられていきます。なぜなら、同じことは誰にも起こりうる可能性があるからです。他人事ではないのです。薄氷の上を歩いているような状況が、今の在り様でしょうか。
ロックダウンでドイツ社会がリセットされ、そこから再起動に向う過程で、個人とともに社会グループの生活・行動態様が試練にかけられているように思われます。それが実は、ロックダウンで問われていた課題であったような気がします。
集団感染が発生している状況を概観してみると、
1.レストランでの家族グループの食事
2.クラブ、飲食店での集団会食
3.宗教施設でのミサ、合唱、会合
が特徴的です。マスクを着用せず久しぶりに人に会い、握手、抱擁して、数十人から100人規模の感染が発生することになります。そのなかには子ども、生徒も含まれますから、ゲッチンゲンでは学校を再開して、すぐにまた閉鎖しなければならない事態を招いています。一般市民にとってはいたたまれないことです。
「コロナ規制緩和」の権限は、政府にではなく各州が〈奪取〉した格好で、それに対する政府の指針は、〈10万人の内50人の感染者が発生したときの再ロックダウン〉が唯一です。しかも、その最終決定権と責任は各州(市町村)にありますから、市民は不安を抱え込んでいくことになります。
そもそもウイルスは州・町境で立ち止まってはくれないからです。
そんな背景がありますから緩和の自由を待ち望みながらも、警戒心もまた強く、飲食関係では期待されたような客足が伸びていないのが現実です。
しかも2mの「社会的距離」を確保するために、せいぜい通常の半分のテーブルとイスしか使えず、これまでの経済損失を到底まかなうことはできません。
これからも一進一退を繰り返すことが予想されるリセットから再起動への過渡期で、全体的な社会的かつ経済的対策が緊急に問われているように思います。
現状は、市民が自分の立っている状況を理解、判断できない状態にあるといえるでしょうか。そのための条件が整備されていないからです。
もう一つの集団感染のホットスポットは、精肉工場です。これまで何件あったでしょうか。規制緩和に続いて、連鎖反応したかのようにこのニュースが報道されていました。
そこで働いている人たちのほとんどがルーマニア、ブルガリア等、東ヨーロッパからの出稼ぎ労働者です。加えて工場の直接雇用ではなく、仲介業者が介入していますから、どの国でも同じですが一室に数人が詰め込まれ、台所、トイレ、洗面所、シャワー等衛生面では、見るのもはばかられるような状態です。しかも家賃を支払わされているといいます。
作業場内では〈多く、安く、早く〉がモットーですから、こうした労働集約型の作業条件下では集団感染が発生しやすくなり、当該工場はそれによって閉鎖されました。作業員は、感染の危険性があり国には帰れませんから、宿泊所になっている簡易アパートに全員が隔離されることになります。
この件もそうですが、早くから問題は指摘されながら、しかし今日まで適切な対策が取られることなく、コロナ禍によって一挙に噴出した形となりました。
そしてここに、とりわけ衛生・保健そして感染問題を考えるときの一つの重要なテーマを見ることができるように思うのです。
新自由主義の批判は、確かにその通りでしょう。利潤を無慈悲に追い求める経済制度は、社会の共有資源を暴力的にバラバラに分割して私有化を加速し、それまで市民が相互に援助しあってきた共同・共生の生存条件は剥奪されてきました。そこで〈個人の責任〉が、厚顔無知にも「富の略奪者」から語られることになります。
この経済の発展過程と、それによる労働者生活の破壊を比較しながら観察して見えてくるのが、〈出稼ぎ・季節労働者〉の存在です。
ヨーロッパでは東から西への、アジアでは国内及びアジア域内での、またアラブではアジアからの低賃金・底辺労働者の移動と移住が見られます。
他人事ではなく、戦後の日本の経済成長も、同じような経過をたどってきたのではないでしょうか。一例をあげれば、雪の多い東北からは冬場の仕事がないために農民が家族を故郷に残し、単身で東京に出てきて、半年間必死で働いてお金を貯め家計を養ってきたのではなかったでしょうか。その思いを歌った流行歌も町に流れました。
それを聞きながら彼(女)たちは、建築現場、繊維工場、土木現場、タクシー運転、家事手伝い等の仕事をして、家族の生活を維持してきました。
ヨーロッパ、アジア、そして特にアラブで知り合った人たちは、厳しい労働条件と滞在許可に束縛され、 何カ月も、何年も家に帰れず寂しそうにそのへんの事情を語ってくれたものです。
この状況は、現在も、何ら変わりありません。一つ違いを見つけるなら、〈出稼ぎ・季節労働者〉が〈外国人労働者〉に名称が変わり、一段と規模が大きくなり、世界的な経済構造として定着しているという点でしょう。それを経済学的に、〈グローバリゼーション〉と表現されてきました。
この学術的な用語によって、経済・労働関係の実体は、まったく覆い隠されたといえるでしょう。
ウイルス感染には国境がなく、また社会階層・階級差に見境なく人間を直撃することを承知しながらも、その態様に貧富の大きな差異が認められること、これを一言でいえば、新自由主義の新しい国家間および国内の植民地主義の構造と意識を鮮明に浮き彫りにしているのが、今回のコロナ禍ではなかったかと思われます。それによって排外主義、人種差別主義、何よりも民族主義の温床を築き上げてきたのではないかと考え、これを書いています。
「植民地主義」とはきわめて古典的な言い方になりますが、それ以外の表現が私には見つかりません。
それ故に、再起動の過渡期から将来を展望するとき、元には戻ることはできず、ではどのような可能性があるのかを、ロックダウンのなかから考察する必要があると思うのです。
次に、イギリスの例をひきながらこの点についてみてみます。
以下は、新聞記事を引用、参考にしました。(注)
Brexitの背景にあったのは、イギリスの植民地主義意識であったことは以前に少し書いたところですが、そのとき、Brexitに向け人種差別主義を扇動した政治グループが、イギリス市民に流布したキャンペーンは、
「何かが外国から来て、君たちの仕事を奪い、通りを危険にした」
そして今、コロナ感染で無残な医療現場と政府の無責任な対策を見せつけられ、しかしそこでイギリス市民の生命を必死に救助し、救済しようとしている医者、看護師、先生、(生活資料)輸送者に拍手を送り、連帯と感謝の意思を伝えているのは、このアピールに同調した同じイギリス市民でした。
何が問題になっているのか。「ダブル・スタンダード」です。こうした部門で働いている労働者には外国人が多数います。「肌黒い皮膚、アフロ・ヘアー、アジア的な顔つき、そしてヒジャブ(ムスリム女性のスカーフ)をつけている人たち」――実に彼(女)たちが、これまで人種差別の標的になってきましたが、それにイギリス市民は、コロナ感染との闘争の中で拍手を送り、連帯と感謝の意を伝えているといいます。
日常生活では、移住者として「寄食者」「犯罪者」「侵入者」呼ばわりされていた彼(女)らが、コロナ危機のなかで、「Key Worker」として賞賛されているのです。
彼(女)たちは、そこで4月の中旬に、上記アピールを逆手に取り、
「You Clap for Me Now 今、君たちは、私に拍手を送る」
のタイトルで自分たちのビデオを作成し、ソーシアル・ネットワークに流され、世界の人たちに移民・外国人労働者の差別現状への認識を訴えました。
先進工業国が、いかに多くの移民・外国人労働力に頼っているかという現実を示しています。
にもかかわらず、彼(女)たちの労働が正当に評価されることはなく、公正な賃金を保障する労働契約もありません。
ビデオ作成の担当者の希望は、
「イギリス国民が、コロナ後に、再び人種差別主義の原型に戻らないことを願う」
といいます。
ドイツも同様です。農産業、輸送部門、生活資料産業でのドイツ国籍をもたない移民・外国人労働者の比率は20-40%占めるといわれ、経済の鍵を握る彼(女)たちの存在を抜きに、現在のシステムは成り立たないのが事実です。
医療部門では、2018年医師会の統計によれば医者の8人に1人が、その大部分はルーマニアとシリアからで、介護部門では30-50万人が、特に東そして東南ヨーロッパからの外国人だといいます。
ドイツ人が、その労働条件では働きたがらない現場で、こうして外国人が社会システムのカギの位置を占めることになります。
(注) Frankfurter Rundschau Mittwoch,6.Mai 2020
Systemrelevant und unsichtbar von Alicia Lindhoff
以上の問題は、こうした現状に光が当てられないことです。一つのシステムの特徴として、影の部分が温存され、外部から見えなくされる構造になっていることです。これが、この記事の言わんとしたところだと私は理解しています。
同新聞記事では、1人のポーランド出身介護者の言葉を紹介しています。
「奴隷のように扱われている。はたして、こうしたことがドイツの労働者に受け入れられるのだろうか」
彼女の労働協約では、週38.5時間労働で、月給が税込み1200ユーロだといいます。しかし、実質労働は55時間になりますが、緊急時の睡眠を含む待機時間はそこに加算されていない不公正な労働時間と給与体系への彼女の怒りが、上の言葉となって出てきたものだと理解されます。
〈奴隷〉、この用語は古典主義の定義ではないのです。現在2020年の生産・労働関係をめぐる用語であるところに、事態の重要さがあると思います。
コロナ感染によって、その状況が一層悪化していることが、あちこちで伝えられています。
別の一例として農産業に目を向ければ、アスパラガス、イチゴの収穫者の確保が、この時非常に困難になりました。ドイツ市民が待ち望む4月中旬から始まるアスパラガスの収穫は、これまで東ヨーロッパ、特にブルガリアからの出稼ぎ労働者の手で行なわれてきました。しかし、コロナ感染で国境が閉鎖されたことにより、収穫者のドイツ入国は不可能になってしまいました。アスパラガスの後にはイチゴが続きます。ドイツの学生、失業者、難民の収穫労働への投入可能性が検討されますが、
1.賃金が安いこと
2.経験を必要とすること
3.重労働であること
4.誰もやりたがらないこと
を理由に、収穫期が迫る直前まで政府内でスッタモンダの議論が続けられ、最後は、特別入国許可が出て、しかし、通常の半数位の人手がやっとのこと確保され、こうして各家庭の食卓に農家直産のアスパラガスが届けられることになりました。値段は例年より高くついています。
イチゴの収穫で月々の給料は、360ユーロだといわれますから、アスパラガスも同じようなものでしょう。この労働条件がドイツ人に到底受け入れられないのは、介護労働と同様です。
しかし、こうした出稼ぎ・季節労働者が、間違いなく産業の「Key Worker」であることに変わりはありません。
建築産業でも、同類の話しが伝えられてきていますが、私が今知りたいのは、特別許可でドイツに入国した外国人労働者が、無事祖国に帰ることができたのか、どうかです。
次に、〈では、あんたのロックダウンの過ごし方はどうだったのか〉という質問が聞かれそうですから、以下に書いてみます。
今から考えると、コロナ感染の最盛期には思いもよらない規則正しい生活をしていたのがわかります。そして、充実していたように思うのです。
毎朝7時、8時頃に起きて、午前中は4-5時間マスクを作り、昼食は自分で作り、その後は、意識的に外に出て散歩する日が続きます。3月、4月は、幸い天候に恵まれ、温かい、時として暑い日が続きましたから、人出の多い市内を避けて郊外の公園へ行って2-3時間歩き回り、そして夕食を自分で作り、夕方7時か8時のTV定時ニュースを見て寝るという繰り返しでした。単調に思われるのですが、家に閉じこもることだけは極力避けるための対策でした。
気分転換にとその都度場所を変えての公園散歩ですから、いつも何か新しい発見があります。これまで知らなかった自分の住んでいる町の別の面を知ることになりました。
年配者から子ども連れの家族、そして若い人たちが、相互に距離を取りながら、静かに散歩しています。話す声も控えめで、聞き取れないほどです。いつも〈大声で、集団で、われ先〉の印象が強いドイツ人ですが、こんな姿を見かけたことは珍しいです。不安があるからでしょうが、しかし、それだけではないと思います。
そこには間違いなく、他人への配慮、もう少し詳しく言えば、他者の存在への意識的な目配せがあったように思います。個人と他者の関係性への意識的な眼差しというのでしょうか、そこに横たわる社会的距離というものへの自覚が成立していたことが強く感じられたものです。個人主義を強調し〈私〉(注)を主張するだけでは、この関係性というか、距離は取り払われてしまうでしょう。
(注)ドイツ語でIchです。ドイツのエゴ社会を、そこから〈ich,ich,ichの社会〉と、メディアのみならず、あらゆる学術分野でも表現されて使用されています。
このことに気づかされたのが、ロックダウンでの貴重な体験になりました。それまでとは違う社会関係がそこには成立していました。心地よかったです。それが2カ月続いてくると、〈もしかしたら、これが民主主義の原理ではないか〉とさえ思われてきたものです。
ドイツは「過去の克服」を通して戦後の民主主義を確立してきたといえるのですが、それが可能になったのは、全体主義に対する〈個の存在〉を実現することによってだろうと思います。〈自分は、その時どうするのか〉という問いかけが、個人の自立と自覚を促したものです。
しかし、次に問われるべきであったのは、他者の存在、すなわち、〈戦争責任〉の捉え返しでいえば〈犠牲者〉への意識化であったでしょう。
ここで一方では〈個・私〉の強化と、他方で〈他者〉の抽象化が起きたのだろうと考えられます。
〈他者〉が実存としてではなく、自分の描いた観念(世界)の象徴にされてしまっているということでしょう。それによって〈個人主義=エゴ〉が前面に現われてきます。
それと比較したとき、コロナ禍で成立した人間の社会関係が、従来のとはまったく異なる意味を有していることを理解してもらえるのではないかと思うのですが。
もう一つ貴重な体験は、自然と空気の新鮮な匂いと味わいを楽しめたことでした。すべてが低速化しています。通りには車が見当たりません。歩く人たちも、従来のように速足で急ぎません。そのとき、自然と空気が生き返ったように、私たちの目の前に立ちはだかりました。人間が犯した高速化で抑圧、破壊されていた自然と空気が甦ったのです。
そのなかでのピクニックです。ドイツのお弁当は日本とは比較にならないですが、パン、チーズ、サラミ、果物そして紅茶。これをリュックサックに詰めて、歩き疲れては口にしていました。
連れ合いは、「50年代に戻ったようだ」と表現しましたが、日本でもきっとそうだったでしょう。あたり一面は簡素で、飲み物、食べ物を買うところは閉店しています。だから各自持参になるという単純な理由からです。逆に見れば、自然のなかにレストラン、飲食店などは必要がないのに、大手を振って威嚇しているというのが「消費ファース」による自然破壊とゴミの大量生産の原因になります。
〈しかし、そうはいっても生産と労働がなければ食っていけないだろう〉という批判が出てきます。それは、当然そうです。私もそれに反論する意思は毛頭ありません。夏ゼミが3月で中止・休講になったことにより、個人的にも収入はガタ減りです。夏休みが入ってくると9月の新学期まで、定期収入はありません。さらに、学校側から勧められている夏休み中のオンライン授業を自分の判断で断っていますから、50年代に戻ったような状態で、過去とこれから先のことを考える時間だけは十分にあります。
「緩和」後の再スタートで、「元に戻る」と議論されるとき、その「元」の基準とは何か? それは「50年代の水準」ではないし、また、「ロックダウン直前の水準」でもないとすれば、ロックダウンのなかで生み直されてきた社会・人間関係を足場に、新しい経済・労働関係を再構築していくこと、それについて考えていくことは可能ではないかと思うのです。そうした議論が、この「規制緩和」の過渡期に必要ではないかと思い、これを書いています。
以上が、少なくとも私たちの原点です。
以上、ロックダウンの積極的な面について書きましたが、否定的な面も忘れることはできません。各自の責任と規律が問われたロックダウンでしたから、それが行き過ぎると、戦時の「隣り組」意識が頭をもたげてくることになります。
自分はこれだけ厳しく規則を遵守しているという過度の自意識は、「規則からはみ出す」人たちが許せなく、警察への通報と告発が行われます。ロックダウン直後、南ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州では、短時間の間に3000件!の警察通報と告発があったと報じられていました。
この状況をとらえてイギリスの通信社ロイターは、「ドイツはDDR時代に戻った」と揶揄していましたが、問題点の指摘は正しいとして、他人のことより自分の国のコロナ対策に真剣に取り組むべきだと言い返したくなりました。
イギリスの反ナチ、反ドイツ感情は今もって強いものがあります。しかし、他方で自国の排外主義と人種差別主義、そして植民地主義についての歴史的な総括は、そのことよって相殺されてきた節のあることが、Brexitとコロナ対策に見られるでしょう。
警察通報と告発の同じような現象は、フランスにもみられます。ここでは、ヴィシー政権が住民に財政援助をし、隣人のユダヤ人密告と裏切りを要求した第二次世界大戦の歴史が思い浮かべられるのですが、しかしこれは強引な比較かもしれません。とはいえ時代がそこに向かわないとは言い切れないのです。初期の段階でその芽を摘んでおく必要があります。(注)
(注)Frankfurter Rundschau, Rabennachbarn von Stefan Braendle
市民相互の自主的な連帯が生まれてくる反面、住民が住民を監視する体制への危険な流れのあることにも視線が向けられなければならないでしょう。
そんな心配を持ち、周囲に注意を払いながら、私たちは訪れてくる友人と家中での歓談は禁止されていますから、庭でマスクをつけ、2mの距離をとって、しかも1対1で会っていました。
次に私たちがしたことは、世界の友人に連絡を取ることでした。
過去にペスト、また戦争の歴史でもそうだったように、ヨーロッパでは政治事件、ウイルス感染に際してユダヤ人差別と虐殺が繰り返されてきました。
とにかく状況を知る必要がありました。カナダ、イギリスのユダヤ人家族、そしてトルコの友人、連れ合いの日本の同僚。通話は30分間、1時間に及びます。40歳-70歳代ですが、時に冗談を言い合い、笑い声が聞かれます。意気消沈することなく、みんな元気はつらつとしています。
カナダでは、週に2回ですか、いわゆる「リスク・グループ」の年配者専用のショッピング時間が設けられているといい、外出して食料品の買い物に不自由しない態勢がとられています。
トルコのイスタンブールでも同様で、さらに厳しいのは、20歳代の青年は規則が守れず感染を拡大する危険性があるため、年配者専用のショッピング時間には、この年齢層への完全な外出禁止が布かれたといいますから、街中は「リスク・グループ」天国だったでしょう。
いい考えだと思います。「なぜ、ドイツでそうしたことができないのか」という疑問と、各国の情報交換と人的交流の必要性を、この時ほど強く感じたことはなかったです。逆にいえば、孤立したときの危険性を語っているでしょう。
その典型が、イギリスです。年配の知人は、南フランスから子どもたちの住んでいるイギリスに引っ越した直後にシャットダウンに見舞われます。
彼女は、2年前「つまずきの石」でカッセルを訪れました。当時すでに80歳半ばの女性ですが、話す言葉も、振る舞いも年齢を感じさせなかったものです。その彼女を連れ合いは3月に訪問する予定でいましたが、これもつぶれてしまいました。
メールだけの交流になります。彼女はホームの部屋から一歩も出られず、子どもたちの訪問も禁止され、孤独な日常生活の様子を詳しく伝えてきます。その状態を想像しながら、孤立させられ隔離された人たちの、特に年配者の生活の過酷さを想うと言葉に詰まります。
現在でも、この状況にあまり変化はないはずです。
連れ合いの日本の同僚とは、日本とドイツのコロナ対策と市民の行動様式の違いについて意見交換します。ドイツでは、韓国、台湾、香港と比較して日本のコロナ対策に関する情報は皆無です。「日本で何が起きているのかを理解できない」というのが一般的な認識です。
2つの理由が考えられると思います。
1.ドイツ側に日本の論理を受け入れる許容力が欠けているのか。日本とドイツの文化的な溝を越えられないからか
2.日本側に世界に向けて事態の意義を発信していく能力と機会が不足しているのか
何れにしろ、この3カ月は自己閉鎖に陥らず、逆にコロナ禍をめぐる各国の情報と市民の声を聞くことができ、アッという間に過ぎていった感じがしています。また、これほど密に世界の友人たちと話しをかわしたことがなかったように思われます。
今後は、それを引き続き維持していくことで、違いがありながらも何か共有できるものが見つけられるはずだと期待し、それがきっとコロナ感染に対抗する最強の武器になるはずだと信じています。
最後に、日本のコロナ対策に関するドイツのウイルス研究者の見解が5月28日(木)に出されています。私が知る範囲では、ドイツで初めての日本に関する学術分析と情報だと思います、
ベルリン大学附属病院(Berlin Charite)のウイルス学教授(Christian Drosten)で、まだ40代の若手の、しかし世界的に権威のある研究者です。
ドイツ政府の「コロナ対策スタッフ」を最初から務め、コロナ感染に関する専門分野からの助言・諮問を担当し、政府の政治決定に多大な影響を与えてきました。
彼は、現在週に1回、木曜日にNDRというラジオ放送局にPodcastをもっていて、科学ジャーナリスト(女性)の質問に答えるかたちで、困難なウイルス学の現状とコロナ感染についてわかりやすい説明をして、市民の間に好感がもたれてきました。私たちも、機会をみつけて聞いています。
1時間番組で、この日には最後の10分のところで、注目される発言が聞かれます。
日本でもすでに情報は流されているはずですから、私の方からは、クダクダと繰り返しません。その内容をここに要約しておきますから、どうか皆さんご自身で判断してください。一つ私からの要請は、再度強調しますが、日本とドイツとどちらが正しいかという「白黒」論争ではなく、こう言っていいかと思いますが、色を混ぜ合わせて「灰色」の中から、新しい色を練りだせるのではないかという期待、それは特に学問上でもいえるはずです。
結論から述べると、
日本のコロナ対策は見本になり、ドイツは2波を阻止するために日本を手引きにすることができる
とまで言います。
テーマは、「スーパースプレッダー」(Superspreader)の意味と対策です。
彼が挙げる重要な対策ポイントは、「クラスター戦略」です。
ここがドイツとの一番の違いで、コンタクトのあったメンバーを探し出し、一人ひとりのテストをしていると、既に後手に回ることになり、これがドイツでPCR検査率が高く、日本で低い原因となります。彼は、感染者が発見されたとき、「クラスター戦略」によれば、コンタクトのあった人たちすべてにテストをする必要はないといいます。
この問題は、現在のドイツの幼稚園、学校の低学年の授業再開議論と関連しています。先週まで閉鎖されていた子どもたちの教育現場を再開するにあたって、仮に感染が発生したとしても「クラスター戦略」を使えば、全校を閉鎖する必要はなく、当該クラス生徒の自宅待機で十分だといいます。
待機中に症状が出たときに、テストをすればいいことになります。
日本からの学術報告が専門誌『Science』に発表されたことによって、ようやく詳しい情報が入手できたことから、日本との開放された、特に学術関係のコミュニケーションの難しさを、彼はインタヴューの最後に語っていました。
昨日6月15日(日)、TV局ZDFの夕方9時45分の定時ニュースを見ていたら、同じく「日本の成功例」が報じられていました。
日本のコロナ対策に関する情報と記事は以下の資料に見ることができます。
NDR Podcast 28.05.20
Express (電子版)
Koelner Stadt-Anzeige(電子版)
DW.com(電子版)
Der Spiegel 30.5.2020 インタヴュー
(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9851:200617〕