ドイツ通信第158号 新型コロナ流行のなかでドイツはどう変わるのか(6)

暑い夏、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

ドイツは気温が30度以上に跳ね上がっています。今が、夏休みのピークです。そして、コロナ感染数もうなぎ上りに増えてきました。私たちは7月11日から22日までの10日間、ギリシャのコス島に行ってきました。

今回は、そんなコロナ禍のヨーロッパの夏休み風景を書いてみます。

 

今、この時期に夏休みだからといって旅行をする必要があるのかといぶかり、自分を責め立ててみるのですが、しかしこの夏の旅行シーズンに安全のために家に留まるというのも、創造性のないように思われます。ロックダウン期間中は、つとめて〈家から外に出る〉ことを心がけてきました。それによって、従来には知れなかったことを知ることができたものです。

〈外に出る〉ことによって、社会、文化、自然を楽しみ、こうしてコロナ感染に対抗してきたように思われるのです。この考え方は、また、ドイツ-ヨーロッパ市民の生活の基本認識になっているといえるでしょう。ある意味では、存在哲学といっていいでしょうか。そこからものを見て、考え、意見するという思考方法だと思われるのです。

それ故に、「外出全面禁止」が布かれたスペイン、イタリア、フランス市民の苦悩はいかほどのものかと想像できるのです。そして、今、旅行が解禁されました。その喜びようは、と自分のことのように晴々とした気持ちになります。

こういう時に、自分の育った環境とドイツの一番の違いを感じさせられることになります。

アレコレ思案して埒のあかない私を突き動かしたのは、いつもの通り連れ合いで、それに拍車をかけたのが、6月15日にEU域内の旅行制限が解除されたことです。連れ合いは、「さあ、行こう!」と喜び勇んでいるそばで、私はまだ決断しかねていました。

 

6月頃から、ドイツをはじめヨーロッパの感染数は下降線を描き、気温の上昇と共にコロナ流行はコントロール下に置かれたような印象が漂い始めました。ドイツ政府のコロナ対策部からは、それを誇るような発言も聞かれましたが、同時に連日ウイルス研究者とともに、社会の対人距離とマスク着用を守り、公衆衛生規則を厳守するよう呼びかけられていました。

夏休みの旅行を通して、コロナ感染の2波が引き起こされる危険性を十二分に予想した警告でした。

 

この時点で、ドイツ市民の65%近くが、国内での休暇を計画しているというアンケート調査結果が出されていました。旅行熱の高いドイツ人でさえ、かなり用心深くなっている状況が伝わってきます。

それによって国内の旅行地が混雑してくるのは当然です。

例えば、北ドイツの海岸。ド~ッと人が押し寄せます。海岸には人が入りきれず、入場制限される場面がTVで報道されていました。

何れにしろ、そういう状況は避けなければなりません。

 

コロナ禍以前から、私たちは昨年通りギリシャのコス島を計画していました。既に予約は済ましてあります。ギリシャのコロナ感染者数はEU内では驚くほど少数で、さらに島ともなれば危険率はさらに減少してきます。そして、私たちは島の周辺状況の大方を把握しています。

不安の一方、他方で旅行ができる喜びの入り混じった複雑な心境で出発しました。

 

問題は、ギリシャ入国に際してコロナ・テストが実施されるのかどうかです。空港から直接最低2週間の隔離にでもなれば、それで夏休みはオシャカになり、二人の生命問題になってきます。

入国条件として、ギリシャ政府からの事前の質問事項への回答がオンラインで義務づけられていました。内容は、概要、

 

1.住所、氏名(ID或いはパスポート)

2.健康状態、以前に感染の事実があったか、どうか

3.コロナの兆候が現在認められるか、どうか

4.コロナ感染者とのコンタクトがあったか、どうか

5.滞在地(宿泊地)

6.緊急連絡先(ドイツ内)

 

という一般的な内容で、何を基準に空港内PCR検査の有無を判断するのかというのが疑問でした。ちょうど、時期を同じくしてドイツではノルトライン・ベストファーレン州(NRW)の精肉工場で集団感染が発生し、この近辺の住民が休暇に向かった北ドイツの海岸町から追い返されるというニュースが大々的に報道されていた時です。

後にわかったことですが、キーワードは質問事項の1にあります。ドイツ国内の住居所在地によって、空港内PCR検査を義務付けているようです。ホット・スポットからの旅行者が、検査されるということです。

何が起きるのか不安を持ちながらコス島空港に到着しましたが、何事もなく素通りでき、肩すかしを食らった感がしたものです。「これは、なんだ!?」と二人で顔を見合わせ、途端に足元が軽くなり、やっとここで休暇気分を取り戻しました。

 

しかしここまで来るのに、並々ならぬ奮闘がありました。

空港からの直接の隔離を避けるためには、事前に24時間以内のPCR検査を実施し、「陰性証明書」を準備して、つまり旅行者側からの逆に積極的な対策を取ることを考えつきました。受け身的な対応は、何事もそうですが、相手が何を考えているのか分からないために不安心理の基になります。

そこで知り合いの医者に連絡を取り、PCR検査の可能性を問い合わせますが、検査結果が出るまでに時間がかかり過ぎます。それでは、フライト時間に間に合いません。それに加えて検査費用が高額につきます。航空券より高いのには驚きました。もっとも、私たちはいつも格安航空券を利用しているのですが、それでも一般市民の生活水準から考えて、「では、自分から」とはなかなか言い出しかねます。

 

これに関しては空港側も気付き始めていたのでしょう。6月末、7月の初めころからでしたか、フランクフルト空港で出発前のPCR検査が受けられるようになりました。しかし、通常の検査で59ユーロ、結果が出るまで8時間かかり、2-3時間でのスピード検査は139ユーロします ()。 一般の人たちは、〈前日に空港近くで一泊して〉とは費用と時間の問題で、躊躇してしまいます。

(注) Frankfurtrundschau Dienstag, 30.Juni 2020

HNA Dienstag, 30.Juni 2020

 

ここに見られる問題は、PCR検査に保険が効かないことです。感染、あるいは感染の疑いがある時に、初めて保険が適用されますから、それをできない人たちの〈どうするのかの不安〉が先行することになります。その後、夏に入り感染が増加してくるに従って州によって、例えばバイエルン州では無料の検査が受けられるようになりましたが、7月初めの段階では、以上のよう状況でした。

 

これは1月のコロナ感染発生から夏にかけて、一般市民、医療関係者に関係なくドイツ政府の基本戦略であったように思います。

一例を挙げます。連れ合いの同僚(開業医)が患者を診察したのち、市の保健局から彼女に連絡が入り、当該患者がコロナに感染していたことが判明します。それ受けて彼女はPCR検査を要請しますが、断られたといいます。症状が出ていないことが理由です。5-6月のことで、定期的に会っていた二人ですが、それ以降彼女の方から、「安全のために、しばらく会わないことにしよう」といって疎遠になっていました。

 

最後の可能性を探し求めて、直接市の保健局に問い合わせてみますが、公的保険加入者150ユーロ、民間保険加入者250ユーロと聞いて、私たちの積極的行動は諦めるしかありませんでした。

 

心配していたフランクフルトとコス島空港は、大きな混乱がありませんでした。機内も行きがせいぜい60%、帰りが50%以下の乗客率で、想像した混雑は回避されました。二つの事情が考えられるでしょう。

 

1.時期的にまだ早かったことです。各社飛行機の運行稼働率が20%-25%くらいの時期です。

2.電車、空港と機内での感染を心配する市民が二の足を踏んでいたのは、想像できるところです。

3.夏休みに入ったばかりで、まだ、市民の休暇計画が確定していなかったのでしょう。

 

この状況は帰国時には様変わりし、報道では混雑する空港と避暑地の画像が流され、感染拡大が連日危機感を持って報じられ、警報が出されることになりました。そう考えれば、私たちは時期的に幸運だったことになります。

結果良ければ、すべてよし!というわけにはいかないのですが。

 

今回目立ったのは、何人かの若い人たち、18-20歳代の周囲をかまわない行動でした。チェック・インがホット・スポットになりやすいことは事前に指摘されていましたが、注意されれば、聞き入れていました。

周辺に意識を凝らすということは、自分の立ち位置を認識するということだと思うのです。他人の存在に対して自分の立場を自覚することで、対人関係が成り立っているのが認められます。そうすることによって、コロナ対策に必要な社会的な対人距離が相互に確保されてきました。

逆に、休暇フィーバーに浮かれて個人の立場が、「自分が、自分が」となってきたときには、他者の存在が視線から消えていきます。

このへんがヨーロッパの「個人主義」とコロナ禍の重要な、思想的なキー・ポイントになってきているように感じられてなりません。

 

いつもの通りホテルは避けて、行きつけのアパートで自炊します。アパートの経営者は元小学校の校長先生で、奥さんは幼稚園の保母さんだった夫婦です。全部で横並びに5つのアパートがあり、周辺は菜園畑に囲まれています。私たちが滞在した当時は、他に一組が宿泊していただけでした。

経営者からは、採り立てのトマト、スイカ、キュウリ、ピーマン、それに加えて自家製のオリーブ油を、「これも食べてみて」と提供してもらい、畑から薬草を摘み取ってきては三食の自炊をしていました。

最高に美味しかったです。

ギリシャの年金は少ないはずです。それを補っているのが自家菜園(とアパート経営)だと思います。

そして、ここではそれが可能です。

ロシア市民が崩壊した農・工業制度のスターリン時代を生き延びたのも、この自家菜園だったことを思えば、〈モノが有り余る大量生産〉、言い換えれば〈安く大量に買い求めて、余れば投げ捨てる〉消費経済に代わる別の生活様式が、コロナ禍の今こそ必要で、可能ではないかと自炊しながら考えていました。

 

ギリシャのロックダウンは3月に開始されたと聞きました。厳しくて「家から一歩も出られなかった」と、若い自家製パン屋さんは、怒りをぶちまけていました。警官が市民をつぶさにコントロール、監視していたといいます。そして、「今は外国からの観光客が自分の町にコロナ・ウイルスを運んでくる」と、一方的に捲し立てます。何を、どう対応していいか分からない私たちは、 ただただ聞くだけの態でした。

ギリシャの国家収入の4分の1が、観光部門に依存していることを考えれば、国際関係を閉ざし、コロナ感染を国民国家の単独で解決しようとする方向性ではなく、国際的な連帯の中にこそその可能性を探るべきだと思うのですが。

このパン屋さん、悪気があったわけではないと思います。鬱積した不満を吐き出したかったのでしょう。この心理は、よく理解できます。

 

人のいない海岸を見つけ、海辺で本を読んで過ごしていました。

以前は、観光客を避けて人が集まる海岸から500mほど離れたところに、自前の〈海の家〉を作りました。日避けのパラソルはいらず、狭いコンタクトの不安もなく快適で、静かです。

 

これを〈ロビンソン・クルーソーの夏休み〉と名付けて悦に入っています。

 

確かマルクスでしたか、経済学理論を打ち立てるときにロビンソン・クルーソーから説き起こし、必要生活資料の生産から交換を通して商品の発展を論理づけていたように記憶します。この原点にコロナ感染は、人間の認識を戻したように思えるのです。これまでの社会の経済活動をリセットして再稼働に向かうとき、その起点になる認識は何かと問うた時、私は個人的にロビンソン・クルーソーの世界を垣間見ることになりました。

人間存在の再生産は、商品の再生産ではなく、人間の社会生活に必要な文化、知能、学術、教育、技術の再生産であるように思います。

経済学自体は理論分析として論理が一貫しているでしょうが、しかしそれは、人間生活とかけ離れたたんなる「自然法則」ではないはずです。仮にそう立ち現れてくるとしても、それを疎外論と表現していましたが、その中に人間の存在理由と諸活動が主体原理として定在されていなければならず、それによって、経済学は人間生活と認識を豊かにしていくはずです。

今にして思うのは、それ故にマルクスが〈価値論〉と〈資本の本源的蓄積論〉を『資本論』第一巻に書き記したことが、他の経済学との決定的な違いではなかったかと思われてなりません。

経済(活動)の中に、そう言ってみれば、一人ひとりの人間の顔が浮き彫りにされ、自覚、認識されなければならないのです。

論理の法則的な展開ではなく、それを通して人間の諸活動が伝えられなければ、学問は社会的影響力を持たないでしょう。「疎外論」を学んだから疎外から解放されるわけではないのです。疎外する関係性の中に、自己を確立していくこと、これを「個の確立」といえるのではないでしょうか。それが連帯を可能にし、そして現にしているように思われます。

別の面から見れば、疎外した関係性の中で「個」を強調すれば、エゴイズムに取り込まれるということです。

 

コロナによる隔離を越えた人たちの連帯に、経済の再建設に向けた新しい可能性と萌芽を見る思いでしたが、旅行から帰ってきて家で見るTVの定時ニュースから流される夏休暇の画像は、そうした期待を無残にぶち壊すものでした。残念というしかありません。

 

これからヨーロッパは、どこに向かうのでしょうか?

(つづく)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9996:200804〕